まだまだ寒さが残りますが、暦の上で“ウグイスが鳴く”季節です。

世界トップクラスの“四季”を愛でる国、日本。

日本は、世界でも有数の
“四季を愛でる”感性を持つ国です。

日本と同じ緯度の国にも
同じように四季があり、
日本だけが特別
という訳ではありません。

ではなぜ、日本はこれほどまでに
“日本には四季がある”と
誇りを持っているのでしょうか。

それは、日本国土の
北と南での差はあるものの、
それぞれに季節ごとの
美しい景観や楽しみ方が
あるということです。

海外では、
秋の位置づけが意外と不明瞭で、
夏から冬への繋ぎ的な役割
としてしか捉えられていない
国が多いようです。

逆に、日本の秋は
存在感のあるひとつの季節として
認識されています。

その理由として、古来、
代々農耕を営んできた日本では、
行事の多くが
四季の移ろいとともに
行われてきました。

また、“八百万の神が万物に宿る”
というそれぞれの地域に根付いた
宗教観もあって、
日々の生活の中で自然の営みや
自然の現象すべてに精霊が存在し、
それを感受性豊かに捉えることで、
日本人が当たり前のように感じる
季節感になったとも考えられます。

中国から伝わった
二十四節気や七十二候を、
日本の風土に照らし合わせて改良し、
そこに日本独自の
雑節や五節句などが加わって、
自然の微妙な変化によって
季節を感じ取れることに
繋がっているといえるでしょう。

以前に紹介したことの
おさらいになりますが、
1年を4つに分けたものが
“四季”で、
12に分けたのが“月”。

1年を24に分けたものが
“二十四節気”で
立春や春分、秋分、冬至など
1ヶ月に2つずつの節があります。

また、1年を72に分けたのが
“七十二候”で、
各節気を初候、次候、末候の3つに
分けたものといえるでしょう。

ここに日本独自の9つの雑節
(節分や彼岸、土用など)と
五節句(端午、重陽など)が加わり、
季節の暦をつくりあげています。

月より節、節より候と、
細分化されることで、
季節の表情はよりハッキリと
見えてくるということです。

明治初期に
旧暦(月の満ち欠けが基準)から
新暦(太陽の動きが基準)に変わり、
日付は1ヶ月ほど
ずれることになりました。

例えば、旧暦ならば立春とともに
新年がはじまりますが、
新暦での立春は2月初旬。

また、お盆は7月を新盆、
8月を旧盆と呼んで
地域の習慣に沿って
行なっている例もあります。

こうした新旧の暦を
混在させながら運用されているのも、
実際の日付と実感する季節感の
バランスをとった結果、
もっとも生活に沿ったところに
落ち着いたと考えられます。

ニュースなどでよく耳にする
“今日は暦の上で○○です”
という表現は、
こうした暦の混在を
上手く言い表したもの
といえるでしょう。

 

 

七十二候の立春次候「黄鶯睍睆」。“うぐいすなく”季節です。

このコラムが掲載される
2月10日は、
“七十二候”の立春次候
「黄鶯睍睆(こうおうけんかん)
/うぐいすなく」で、
今年は2月8日から12日までの
5日間です。

まだまだ冬の寒さが残る中、
山里でウグイスが鳴きはじめる頃を
表わしたもので、
“睍睆”は良い鳴き声を
意味しています。

また、ウグイスの初鳴きを
“初音”といいますが、
実はこの時期の鳴き声は
“ホーホー、ケッケッ、
ケキョ、ホーホー…”。

キレの良い
“ホーホケキョ”へと
鳴き声を整えている状態で、
“ぐぜり鳴き”
と呼ばれる鳴き方です。

さらに、ウグイスの
特徴的なさえずりを行うのは
オスのみで、
メスへの求愛のためのもの。

オスメスともに
普段の地鳴き声は
“チャッチャ、チャッチャ…”と
小さく低く鳴くようで、
人の耳にはなかなか届きません。

気象庁が1953年(昭和28年)から
継続記録している生物季節観測に
“桜の開花”
“アブラゼミの初鳴き”と並んで、
“ウグイス初鳴き”があります。

この記録によると、
ウグイスの初鳴日(しょめいび)は、
一般的に2月下旬に
九州地方、四国地方の一部や
関東地方の一部ではじまります。

3月初旬から中旬にかけて
中国地方、四国地方、近畿地方、
東海地方、関東地方、
東北地方南部太平洋側を結ぶ地域、
3月下旬には北陸地方北部から
東北地方太平洋側を結ぶ
地域へと広がり、東北地方を北上し
4月下旬に北海道地方に達します。

暦の上での「黄鶯睍睆」と、
実際の初鳴日には
少しズレがありますが、
大きな意味での春の足音を
感じはじめる時期
とされていました。

春告鳥ともいわれる
ウグイスの鳴き声に、
心がウキウキする感覚は、
やはり“四季を愛でる”感性の
なせる業なのかも知れません。

「バレンタインデー」の日に、“愛情”を再確認。

Valentinus

「バレンタインデー」の由来と海外事情

「バレンタインデー」の
“バレンタイン”は、
3世紀のローマに存在した
キリスト教司祭の
聖ウァレンティヌス
(英語読みでバレンタイン)
に由来します。

当時のローマ帝国は
ミトラ教が大きな勢力を持ち、
キリスト教信仰は公には
認められていませんでした。

ローマ皇帝・クラウディウス2世は、
兵士の士気が下がることを理由に
婚姻を禁止していたにも関わらず、
ウァレンティヌス司祭が
結婚式を執り行っていたことを理由に
牢屋へと投獄。

禁止されていたキリスト教の
司祭であったことも
大きな理由のひとつ
ともいえるでしょう。

ウァレンティヌス司祭が
投獄されていた牢屋の看守の娘は
生まれつき目が見えませんでした。

彼女は、いわゆる
“隠れキリシタン”で、
ウァレンティヌス司祭による
キリスト教の説教を受けるために
牢屋に度々訪れていたといいます。

そしてウァレンティヌス司祭の
説教を受けるうちに、
奇跡的に目が見えるように
なりました。

このことが伝聞し、
彼女の家族だけでなく、
看守や召使いたちも
密かにキリスト教徒に転向。

この話がクラウディウス2世に
漏れ伝わったことで
彼の逆鱗に触れ、
最期まで改宗しなかった
ウァレンティヌス司祭は
処刑されました。

Juno

その日が2月14日で、
ローマ帝国の祭典
“ルペルカリア祭”の
前日であったことから、
祭典の生贄にされた
という説もあります。

そして、ウァレンティヌス司祭
殉職の日を慈愛に満ちた日と定め、
後の「バレンタインデー」へと
繋がっていきます。

ちなみに、死を覚悟した
ウァレンティヌス司祭が、
処刑前日に目が見えるようになった
少女に1通の手紙を送りました。

それは彼女に授ける最後の説教で、
手紙の最後に
“From Your Valentine
(あなたのバレンタインより)”
と書き添えられていたことから、
現在の「バレンタインデー」に
わたすメッセージにも、
この一文が添えられることが
あります。

日本の「バレンタインデー」は、
製菓メーカーの販売促進に由来する
“女性から男性に
チョコレートを贈って
愛を告白する日”
として定着していますが、
海外に目を移してみると
それぞれ事情が異なります。

驚くことに、
ウァレンティヌス司祭を崇拝する
正教会が広がる国々では、
2月14日が愛や恋人を関連づけた
公式的な“記念日”という習慣はなく、
西欧文化がもたらした
商業イベントとしての
「バレンタインデー」という
記念日にしかすぎません。

日本の「バレンタインデー」の
元となった欧米諸国では、
性別に関係なく
恋人にギフトを贈る習慣があり、
イギリスでは
製菓メーカーのキャンペーンに伴い
チョコレートボックスを贈る習慣が
根付いているようです。

中国では2月14日と旧暦の7月7日の
年2回「バレンタインデー」があり、
どちらも男性から女性に
贈り物をする日で、
主にバラの花を贈ります。

カトリック信者の多い南米でも
2月14日は
ウァレンティヌス司祭にちなんだ
「バレンタインデー」と
されていますが、
すでにカップルである男女の日で、
花束やカードを贈り
一緒に過ごす日として定着。

一部を除いて全世界的に、
2月14日は愛を育む日
とされているようです。

 

「バレンタインデー」をテーマにした映画を、「バレンタインデー」に楽しむ。

「バレンタインデー」に
まつわる映画は数多くありますが、
その代表格といえるのが
タイトルそのままの
ハリウッド映画
『バレンタインデー』、
2010年(平成22年)公開の作品です。

舞台は、
2月14日の「バレンタインデー」
を迎えたロサンゼルス。

描かれているのは、
年齢も職業も愛のカタチも
さまざまな男女15人の
バレンタインデーの1日です。

たくさんの恋愛事情を
垣間見ることができるオムニバス的な
アンサンブル・ラブストーリーですが、
何の繋がりもなかった人達が、
実はみごとに繋がっていくといった
展開が物語に厚みを持たせています。

そして、もうひとつの魅力が、
シャーリー・マクレーンや
ジュリア・ロバーツ、
ジェイミー・フォックス、
アシュトン・カッチャー、
アン・ハサウェイほか、
ベテランから若手まで
ハリウッドのビッグネームの
豪華な共演。

そして、それを取りまとめるのが
名作“プリティ・ウーマン”を撮った
ゲイリー・マーシャル監督
という布陣ですから
面白くない訳がありません。

大切な人に花を贈ることに
一生懸命な人や、
相手のすべてを受け入れ
幸せな1日を過ごす人、
上手くいかず一人で
バレンタインデーを過ごす
ことになる人など、
それぞれのバレンタインデーが
どのような形で締めくくられるかを
見届ける楽しさいっぱいの
作品といえます。

邦画でも
1995年(平成7年)公開の
『大失恋。』が、
「バレンタインデー」をテーマに
進行する作品。

2月14日、ある遊園地を舞台に
8つの物語が同時進行する
オムニバスドラマで、
ある物語の主人公が
別の物語の主人公と
それぞれの物語に接点のない場所で
絡むシーンが存在するなど、
ハリウッド映画『バレンタインデー』
と少し似た展開。

大森一樹監督による
ロマンティックラブコメディに
仕上がっています。

日本の「バレンタインデー」は
チョコレートが
もっとも売れる時期ですが、
最近は辛党の恋人やお父さん、
夫に贈る日本酒を
お求めいただく機会が
かなり増えています。

今年の「バレンタインデー」は、
菊正宗の日本酒をご用命くださいませ。

小さなマークに秘められた優れた機能性の「QRコード」は、世界基準。

「QRコード」は日本生まれ。
囲碁の棋譜をヒントに誕生しました。

私たちが日々、当たり前のように
使っている「QRコード」は
バーコードのひとつで、
驚くことに、
日本生まれの二次元コードです。

「QRコード」が開発されたのは
25年前の1994年
(平成6年)のことで、
自動車部品を製造する
デンソーの開発部門社員、
原昌宏さんによって“発明”された
生産効率の向上をめざした技術が
そのまま、私たちの生活に
溶け込んでいる事例の
ひとつといえます。

「QRコード」が開発された当時、
トヨタ自動車では、
“かんばん”と呼ばれる薄い鉄板、
プラスチックなどの“札表”という
手書きの管理帳票で、
部品在庫を最小限に抑える
管理手法を行っていました。

つまり、
トヨタ自動車の“かんばん”方式は、
“かんばん”を各工程で流通させ、
次工程で必要数とされる部品等を
タイムリーに管理する仕組みで、
省コストのジャストインタイム
生産システムとして、海外でも広く
“Kanban”という呼び名で
使われている方式です。

この“かんばん”が導入される前は
部品供給会社として
週に1回の頻度で部品を納入していた
デンソーでしたが、
“かんばん”導入後は
毎日もしくは日に何度も
在庫管理の帳票を書き直す
こととなりました。

そのため作業を効率よく行うために、
アメリカのスーパーマーケットの
商品管理に使用されていた
“バーコード”をいち早く導入。

ところが1992年(平成4年)に
自動車業界全体が多車種少量生産へと
大きくシフトされたことに伴って、
より多くの部品を
取り扱わなければならなくなり、
“バーコード”管理にも
支障が出るようになりました。

その問題のひとつが情報量。

多種の部品を判別するために、
より多くの情報が
必要となったことです。

そしてふたつ目が、
すばやく正確に読み取ることが
必要になりました。

読み取る量がそれまでの
10倍近くに増え、
1日に1万枚以上もの
“バーコード”を
読み取る必要があり、
この非効率な作業改善に
迫られていたといえます。

そんな悩みをかかえていた
ある日の昼休みのこと。

原昌宏さんは昼ご飯を終え、
いつものように
仲間と囲碁を打っていた際に、
閃いたのが「QRコード」です。

“バーコード”が横方向にしか
情報を持たないのに対して、
白黒の碁石の棋譜を見て
縦横に情報を持たせることが
できることに気付いたといいます。

そのヒラメキをベースに、
“情報量の多さ”
“素早い読み取り”
“少ない誤読”
“汚れやすい工場使用に対応”
などの課題を
一つひとつクリアした結果、
現在の「QRコード」が
誕生しました。

「QRコード」には、
バーコードとくらべて、
およそ200倍もの
情報量が格納され、
名前に使われている“QR”は、
その特長ともいえる
“Quick Response
(素早い読み取り)”の
頭文字を冠しているほど。

また、四角の3隅の
切り出しシンボルを配置したことで
全方向からの読み取りが
できるとともに、
「QRコード」面積の
最大30%が汚れたり、破損しても
自動的に復元読み取りが可能という
特長があるということです。

 

まだまだ可能性を秘めた「QRコード」。

これだけ優れた特長を持つ
「QRコード」が
短期間で広まったのには
理由があります。

デンソーは、
「QRコード」の特許を持つものの、
その利用インフラ整備を行うために、
あえて特許をオープンにし、
多くの企業の参加を促したことです。

それによって多くの企業で
「QRコード」が瞬く間に採用され、
さらにカメラ付き携帯電話や
スマホの普及もあって、
その利用裾野を
一気に拡大させることになりました。

「QRコード」は
買い物の支払いをはじめ、
コインロッカーの鍵代わり、
名刺やパンフレットへの貼付で
企業情報サイトへ、
商品への貼付で
キャンペーンサイトへなど、
簡単に誘導することも可能です。

「QRコード」の特性と
利用シーンを組み合わせれば、
無尽蔵の利用ができる
といっても過言ではないでしょう。

現在は、国の
キャッシュレス政策の推進もあり、
まさに“キャッシュレス決済戦国時代”
の様相で、各事業者が用意した
規格のコードが混在しています。

そうした複雑化を解消する
「JPQR(統一規格)」の導入も検討され、
ロゴやイラストを
「QRコード」上に配置した
デザイン性への配慮が行なわれたものや、
カラー化によって
情報量を格段に増やす試みも
進められているとのこと。

世界的な権威のある
「欧州発明家賞」の
一般投票で決定する
“ポピュラープライズ”部門で、
2014年(平成26年)に
「QRコード」が大賞を受賞。

囲碁から思いついた
遊び心のある発明が、
くらしを豊かにする、
実直な日本人らしい発明のひとつ
といえるのではないでしょうか。

「鏡開き」の日、関東は1月11日で、関西は1月20日。

関東と関西で異なる「鏡開き」の日と、その基準となる“松の内”明け日。

1月11日は日本記念日協会によって
認定された“樽酒の日”で、
これは、もともとあった
鏡餅を木槌で割って食べる
「鏡開き」の日に
由来するものということは、
今年最初のコラムで紹介しました。

実は「鏡開き」の日、関東と関西では
少々事情が異なります。

これには、
いささか説明が必要のようです。

まずは、“正月飾り”のお話から。

穀物の神様である年神様を
正月にお迎えするための
“正月飾り”の歴史は古く、
奈良時代から平安時代にかけて、
現在のような“正月飾り”の
スタイルがほぼ確立。

その代表格ともいえる
注連縄(しめなわ)や門松、
松飾り、鏡餅などは、
年神様がお正月にとどまる
“依り代(よりしろ)”
とされています。

これらの正月飾りは、
年神様が家に滞在する
“松の内”だけ飾られ、
“松の内”明けには、
それぞれのしきたりに沿って
片付けられます。

注連縄や門松、松飾りなどは、
1月15日に、
神社境内などに設けられた
“どんど焼き”や
“左義長(さぎちょう)”
と呼ばれる神聖な火に焼(く)べ、
灰を家の周りに撒いて
1年間の厄災を払い、
豊作や商売繁盛、家内安全、無病息災
、子孫繁栄を願うのが一般的です。

鏡餅は「鏡開き」の日に
木槌で割って、割ったお餅を
欠片も残さず食べることで、
神様から霊力を分けてもらい、
1年の良運を願います。

さて、ここからが本題の
「鏡開き」の日の
関東と関西の異なる事情ですが、
ズバリ「鏡開き」の日が
異なることです。

これは、元となる
“松の内”の日が異なるためです。

一般的に“松の内”は、
正月事始めとされる
12月13日からはじまり、
1月7日まで。

そして、「鏡開き」は
1月11日に定められています。

これは関東を中心に、
東北、九州など多くの地方でのこと。

一方、関西を中心とした地方では
1月15日までが“松の内”で、
「鏡開き」は1月20日。

ところによっては
“松の内”明けの15日、
また京都の一部では
“松の内”にかかわらず
三ヶ日が明けたら「鏡開き」を行う
地域もあるようです。

この関東と関西で
日にちが異なるのには、
ちゃんとした理由があります。

 

関東で“鏡開き”の日が、1月11日に定められた理由。

かつては全国的に、
“松の内”は15日までで、
「鏡開き」は“松の内”が明けた
1月15日もしくは1月20日に
統一されていました。

これは、武家の具足祝いを、
刀の“刃(は)”と
“柄(つか)”にかけて
“刃柄の祝い(はつかのいわい)”
転じて「二十日の祝い」と呼び、
20日に行っていました。

ところが江戸幕府三代将軍の
徳川家光が4月20日に亡くなり、
月命日の20日の祝い事を
避けるようになり、
“松の内”を7日までと
定めると同時に、
武家屋敷や商家が使用人や取引先に
お餅を振舞っていた
11日の“蔵開き”に
「鏡開き」の日を
合わせることとなりました。

これには別の説もあり、
1657年(明暦3年)の江戸での
“明暦の大火”の反省により、
燃えやすい松飾りや門松を
早めに片付けるために
“松の内”を早めたという
お話もあります。

余談ですが、
この“明暦の大火”の2年後の
1659年(万治2年)、
菊正宗が神戸・御影にて
創業を開始しました。

いずれにせよ幕府のおふれは
地方にまで届かず、関西では、
もともとの“松の内”が15日までで、
「鏡開き」が1月20日という
慣習が残ったとも伝えられています。

鏡餅の飾り方も、
関東と関西では少し異なります。

餅と橙(だいだい)に、
干し柿を串に刺した
“串柿”を挟むのが関西の習わしで、
関東に住む人からすると
少し違和感があるようです。

柿は、喜びが来るという意味で
“嘉来(かき)”という字をあてた
語呂合わせ。

鏡餅は八咫鏡(やたのかがみ)、
串柿は天叢雲剣
(あめのむらくものつるぎ)、
橙は八尺瓊勾玉
(やさかにのまがたま)を
象徴した正月飾りで、
古来より伝わる
三種の神器を表している
という説もあります。

いまは情報が瞬時に伝わる時代。

それにくらべて昔は伝達が遅く、
もともとの関西の習慣が残され、
いまだその伝統は
統一されることなく、
地域の文化が尊重されて
ずっと守られているという
ひとつの例です。

こうした文化の継承は
末永く残したいものです。

1月16日は、「禁酒の日」。この日だけは、飲む量を少し控えましょ。

日本の「禁酒の日」と深い関係がある、アメリカの“禁酒法”。

1月16日は「禁酒の日」。

100年前の1920年
(大正9年)1月16日に、
アメリカで“禁酒法”が
施行されたことに由来する
日本だけのローカル記念日です。

アメリカの禁酒法施行日が、
なぜ日本の「禁酒の日」
になったかは定かではありませんが、
歴史的にも有名な法律だったことが
影響しているようです。

とはいえ、
“この日は飲酒を控えましょう”
という日なので、
酒類メーカーや酒類販売店で
「禁酒の日」キャンペーンという
イベント展開は難しく、
あくまで、個人の実施目標としての
記念日に位置づけられている
といえるでしょう。

「禁酒の日」の元となった
アメリカの“禁酒法”は、
悪評高い法律とも
いわれています。

キリスト教プロテスタントの
ピューリタン(清教徒)の影響を
強く受けたアメリカでは、
飲酒に対する批判が根強く、
20世紀初頭までに
18の州で“禁酒法”を施行。

それがアメリカ全土に及んだのが
1920年の“禁酒法”施行で、
飲料用アルコールの製造・販売が
全面的に禁止となりました。

この法律が悪法といわれたのは、
本来取り締まるべき飲酒そのものを
規制していなかったため、
非合法な酒場が街に乱立。

身体に悪い密造酒が横行して
死亡事故が多発し、
ギャングの資金源となるなど、
法律施行時当初の想定とは
真逆の結果となり、
1933年(昭和8年)に
法律は廃止されることになります。

“禁酒法”施行の約13年間で
徴収されるはずだった
約5億ドル(約3000億円)の
酒税が失われたことで、
アメリカ政府の財源は逼迫。

また、1万5千軒ほどだった
ニューヨークの酒場は、
“禁酒法”施行に伴って
倍以上の約3万軒を越える
無許可バーへと変わり、
ここで飲まれた酒量は
以前の10%も増加。

それまでの酒の製造、販売は、
ギャングやマフィアの手に渡り、
彼らは巨万の富を
手にすることになります。

後に、理想のみで現実を直視せずに
つくられた法律だったことから、
“高貴な実験
(The Noble Experiment)”
と揶揄されました。

この“禁酒法”の暗黒時代は、
映画の舞台としても
格好の題材となり、
「アンタッチャブル」では、
アメリカン・ギャングの
アル・カポネ、
「コーザノストラ」では、
イタリアン・マフィアの
ラッキー・ルチアーノ、
「ゴッドファーザー」の
ドン・コルレオーネのモデルとなった
ヴィト・ジェノヴェーゼの
暗躍が描かれています。

マリリン・モンローが主演した
「お熱いのがお好き」も
“禁酒法”時代を舞台に
展開される名作です。

 

世界各国、いまだ禁酒令が敷かれている地域も。

悪名高い“禁酒法”廃止以降、
連邦レベルでの
全面的な禁酒を定めた法律は
存在しませんが、
州によっては
禁酒条例を定めている所もあります。

現在も、
アメリカ合衆国の南東部を中心に、
数百にもおよぶ禁酒郡があり、
さらに小規模な市町村単位で
酒類販売を禁じている禁酒地域も
数多くあります。

また、北欧諸国では20世紀初頭頃に
デンマークを除いたそれぞれの国で
禁酒令が施行された歴史があり、
現在もアルコール飲料の販売を
専売制によって
厳格に管理しているとのこと。

ロシア帝国でも20世紀初頭に
限定的な禁酒令を導入。

中東のイスラム諸国の中には、
コーランの教えに背くとして
アルコールを禁じている
国もありますが、
国ごとに規定の範囲や認可制など
さまざまです。

日本での最初の禁酒令が
発令されたのは646年(大化2年)。

それ以降、幾度かの禁酒令の発布や
酒造制限が行われてきました。

多くの国での禁酒令は、
おおむね宗教上観点としての
理由が多く、
国民の理解を得ずに計画性のない
強い禁酒令を施行した国では、
逆の効果になっているケースが多い
というのも事実です。

1月16日は「禁酒の日」、
毎日晩酌されている方や
正月に深酒をし過ぎた方は、
“休肝日”もしくは
飲む量を少し減らしてみるのも一考。

身体を休めた後の、
美味しい一杯も格別です。