10月初旬は“日本酒の日”と“イワシの日”。旬の饗宴に舌鼓。

酒と魚。日本の食文化を象徴する二つの恵みが重なる、秋の始まり。

10月1日は「日本酒の日」、そして3日遅れて10月4日は「イワシの日」です。このどちらも日本人の暮らしに深く根づき、秋の食卓を豊かに彩ってきました。まだ厳しい残暑は続きますが、虫の声も聞こえ始め、これから徐々に秋の気配を感じる、そんな時期です。

なぜ10月1日が「日本酒の日」なのかといえば、酒の文字に由来があります。

「酒」の漢字は 一見“さんずいへん”と思われがちですが、部首は“酉(とりへん)”。この“酉”は酒壺をかたどった象形文字で、酒や発酵にまつわる漢字の多くに用いられています。酔、酢、酪、酵、醤など、いずれも食や酒と関わりのある文字ばかりです。そして十二支の“酉”が10番目にあたることから、10月が“酒の月”とされ、その最初の日が「日本酒の日」に制定されたのです。さらに10月1日は酒造年度の切り替えにもあたり、多くの蔵元が新たな酒造りに気持ちを新たにする節目でもあります。まさに日本酒にとって新しい一年の始まりなのです。

一方、「イワシの日」は、“1=い、0=わ、4=し”の語呂合わせにちなんだ記念日です。

イワシは古くから庶民の味として親しまれてきました。新鮮な刺身、脂ののった塩焼き、梅煮やつみれなど、食卓に並ぶ料理の種類は多彩です。また、冬の節分には厄除けにも用いられるなど、食べるだけでなく暮らしや信仰にも結びついた魚といえるでしょう。秋から冬にかけては脂がよくのり、日本酒と合わせて楽しむにはまさに旬の季節です。

そして、この二つの記念日をつなぐのが、酒と魚の相性です。どちらも日本人にとって身近で、互いを引き立て合う存在。寒さが増すこれからの季節には、熱燗にして合わせれば体の芯まで温まります。また夏の暑さが残る夜は、冷酒で楽しむのも粋な過ごし方。燗酒と冷酒の両方が楽しめる絶妙な季節なんですから。

脂がのったイワシの塩焼きには、キリッと辛口の純米酒がぴったり。香ばしい皮目と濃厚な脂を、酒の切れ味がさっぱりとまとめてくれます。梅煮のように酸味のある料理には、旨みと辛みが調和した酒がよく合い、料理に奥行きを与えてくれます。刺身のように素材をシンプルに味わう料理には、冷やで楽しむと酒の冴えが魚の旨みを引き立てます。さらに家庭で簡単に楽しめるイワシの蒲焼きや、イワシ缶を使ったアレンジ料理にも、日本酒はよく寄り添います。とくに端麗辛口の酒なら、甘辛いタレや濃い味付けの料理を後味よくまとめてくれるのです。

このようにイワシ料理のさまざまな顔を引き立てるのは、まさに菊正宗の酒質。すっきりとした辛口は脂を流し、旨みを際立たせ、燗にすれば一層の豊かさを醸します。江戸の昔から、魚とともに育まれてきた日本酒の食文化。その流れを今に伝えるのが辛口の菊正宗なのです。

10月の始まりには、日本酒の日とイワシの日という二つの記念日が重なり、旬を満喫できる特別な月になります。新しい酒造年度の幕開けに杯を掲げ、イワシ料理と合わせて旬を讃える。そんな食卓の過ごし方こそ、日本ならではの贅沢ではないでしょうか。ぜひ今月は、日本酒とイワシで秋の美味しさを存分に味わってみてください。

菊正宗 特撰 きもとひやおろし 720mL
冬に搾った新酒をひと夏熟成し、火入れせずに生詰めした、この時期にしか飲めない「ひやおろし」です。
辛口の「灘酒」は出来上がった直後は若々しく荒々しい酒質ですが、半年間熟成させると香味が整い、味わいも丸くなって酒質が格段に向上します。
菊正宗の「ひやおろし」は、生もと造りで醸した、キレのある押し味が特徴。
秋の味覚を引き立てます。

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小さな猫に託した幸福を呼び込む願い。9月29日は「招き猫の日」。

江戸の縁起担ぎから現代のキャラクターへ。愛らしさが、最大の猫の魅力。

9月29日は「招き猫の日」です。その由来は“くる(9)ふく(29)=来る福”の語呂合わせからきています。商売繁盛や開運招福の象徴として広く知られる招き猫。その背景には、日本人が大切にしてきた縁起担ぎや遊び心を垣間見ることができます。

招き猫は、上げている手によって意味が異なります。左手を上げているものは、人との縁や千客万来を願う姿です。右手を上げているものは金運や商売繁盛を招き、両手を上げているものは福も人も一度に呼び込むとされます。さらに毛色にも意味があり、三毛猫は幸運、黒猫は厄除け、白猫は開運と、それぞれの思いが込められています。

猫が日本に伝わったのは奈良時代。仏教の経典をネズミから守るため、古代中国から船に同乗してやって来たといわれています。950年、宇多法皇が「寛平御記」に猫を飼っていたと記したことが、日本最古の“飼い猫”に関する記録。渡来当初は実用面で重宝されましたが、やがて宮中で可愛がられ、平安時代の和歌にも数多く詠まれました。とくに室町から江戸にかけて盛んになった養蚕業でも繭を食べるネズミ退治に欠かせない存在となり、猫は人々にとって“福をもたらす身近な生き物”として浸透していきました。

江戸時代中期、徳川綱吉の「生類憐みの令」では、猫を紐でつないで飼うことが禁じられ、町中で自由に歩き回る姿が庶民の生活に溶け込んでいきます。米や書物、繭玉や織物をネズミから守る猫は生活に直結した頼もしい存在。その自由気ままなツンデレ姿は、人々をさらに魅了しました。さらに夜目が利くことから、魔を払う不思議な力を持つと考えられ、毛色や姿に意味を重ねる習俗が広がりました。これが、招き猫のような縁起物へとつながっていきます。

猫は浮世絵や戯作にも多く描かれました。なかでも歌川国芳は無類の猫好きとして知られ、擬人化したユーモラスな猫の絵を数多く残しています。歌川広重や国貞も作中に猫をさりげなく登場させるなど、猫は江戸庶民にとって“かわいらしい福の象徴”として定着していきました。

平和な時代が続いた江戸中期以降、武士や公家中心の文化から町民文化が大きく花開きます。歌舞伎や浮世絵、年中行事や縁起物が庶民の暮らしを彩り、そのなかで“招く”という言葉は頻繁に用いられました。歌舞伎の顔見世興行では「まねき看板」に役者の名を大書して観客を呼び込み、店先の招き猫もまた福や人を呼び、商売を盛んにする願いを託されたのです。さらに「春夏冬二升五合=商い益々繁盛」と読む“判じ物”のように、江戸庶民は文字や絵に意味を重ねる遊び心を愛しました。その精神が招き猫にも宿り、ただの置物を超えて文化を象徴する存在へと育っていったのです。

現代に生きる私たちにとっても、招き猫はユーモラスで庶民的なキャラクターとして親しみやすい存在です。9月29日の「招き猫の日」に、改めてその由来と文化的背景に触れてみるのも一興。ちょっとした猫の仕草の裏に、江戸庶民の祈りや洒落心が見え隠れすることを思うと、招き猫を眺める時間が一層楽しくなるはずです。

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思わず共感する誰もが経験する“アノ現象”。

身近なアノ現象は、さまざまな分野の研究により解明されています。

今回は、日常で出くわす“アノ現象”のお話です。テレビを観ていて、よく知っているタレントなのにどうしても名前が出てこない。顔やイメージは浮かぶのにどうしても思い出せない。そんなとき、“ほら、あのドラマに出て、〇〇という女優さんと共演してた”“〇〇って誰だっけ”と、会話がどんどん記憶の深い沼に沈んでいきます。これは「舌先現象(TOT現象)」や「ベイカーベイカーパラドクス(“名前”より“職業”の方が記憶に残りやすいという逆説的な現象)」と呼ばれ、俗に「アレアレ症候群」ともいわれます。名前に限らず、頭の中に答えはあるのに言葉が出てこない状態です。

こうした日常の“?”は数多く存在し、それらを総称してアノ現象と呼びます。心理や行動を分析すると“あるある”はいっぱい。たとえば試験勉強や山積みの仕事を前に、つい部屋を片付け始めるのは「セルフハンディキャッピング」。失敗しても自分の心が傷つかないように、あらかじめ言い訳理由を用意する心の働きです。何かを取りに別の部屋に行ったのに目的を忘れてしまう「ドアウェイ効果」もよく知られています。似た言葉に「ドアノブ効果」があります。これは、部屋を出る直前に思わず本音を漏らしてしまうという現象です。

また「ゲシュタルト崩壊」は、少し前のドラマ「逃げ恥」で注目されました。同じものを見続けると脳が疲労したり、注意力が散漫になったりすることで、全体をまとめる機能が弱まるというもの。同じ漢字を何度も書いている際に、文字としての認識が薄れ、“あれっ、こんな字だった?”となるあの体験です。ユニークなのは40年前に話題になった「青木まりこ現象」。本屋に行くと急に便意をもよおすという彼女の投稿から生まれ、テレビ特番も組まれました。インクの匂いや自律神経、不安効果などの説は出ましたが、いまだに解明されていません。

これらの現象は決して特殊な人にだけ起こるのではなく、人類共通の“あるある”として誰もが体験していることが大きな魅力です。専門用語は難しくても、身近な体験に置き換えれば「ああ、それある!」と共感できるのです。

甘味が強いほど香りが際立って感じられるのは、脳が味覚と嗅覚の情報を統合している証拠とされています。これと似た体験が辛口の日本酒でも起こります。辛口=ドライという印象がある一方で、実際に口に含むと奥深い穀物の香りや吟醸香が鮮やかに立ち上がってくるのです。

これは辛口のキレが余韻を透明にし、香りを“解放”しているからであり、辛口だからこそ香りがクリアに際立つ。そんな一瞬の味わい体験もまた、私たちの脳が生み出す“アノ現象”。菊正宗の“うまいものを見ると、菊正が欲しくなる。辛口の菊正を飲むと、うまいものが食べたくなる”というCMの言葉は、その感覚を見事に言い当てているのかもしれません。

「菊正宗 上撰 1.8L」
居酒屋でお馴染みのキクマサ!
きもと造りは、現在酒造りの主流である市販の乳酸菌を添加する手法とは異なり、生きた乳酸菌の力を借り、力強い酵母をじっくりと育てる伝統の酒造りです。
スッキリと雑味がなく、しっかりとした押し味とキレのあるのど越しが特徴の、料理の味が引き立つ本流辛口酒です。

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菊と酒と長寿のこころ。重陽の節句を静かに祝う。

日本人の“老い”に寄り添う美意識。香り立つ一杯とともに、静かな時間を。

かつて“もっともめでたい日”とされた9月9日の重陽(ちょうよう)の節句。今ではその名を耳にする機会も少なくなりましたが、その静けさの中に、日本人が大切にしてきた美意識が宿っています。奇数(陽)の最大値である“九”が重なることから、古代中国では“もっともめでたい日”と考えられ、邪気を払う行事として発展。その風習は日本にも伝わり、“菊の節句”として平安時代の宮中に定着しました。

この日は、菊の花を愛で、香りを移した酒をいただき、長寿を願う風雅な一日。やがて重陽は、ひな祭りや端午の節句と同じく民間にも広まり、江戸時代には武家や町人の間でも祝われるようになりました。けれど現代、学校や職場も夏休み明けの慌ただしさに包まれ、気づけば、重陽はとても静かな節句になってしまったようです。しかし、この節句が伝えてきた精神をあらためて見つめ直してみると、私たち日本人が大切にしてきた“老いの美意識”が浮かび上がってきます。

重陽は、長寿を祝う日です。ただ年齢を重ねることを寿ぐだけではありません。歳を重ねたからこそ生まれる深みや豊かさ。

そこに価値を見出すのが、日本の“老い”へのまなざしです。俳句において“老い”は、単なる衰えではなく、移ろいゆく季節と調和する存在として詠まれています。季節ごとの落葉や霜に風情を感じるように、老いをしっかり認めて、そこに喜びを見つけ出す感性こそ、重陽の本質といえましょう。

この節句に欠かせないのが“菊”と“酒”です。菊は古来より邪気を払い、延命長寿をもたらす花として尊ばれてきました。なかでも“菊酒”は、菊の花びらを酒に浮かべて、その風情や香りを楽しみながら、一年の無病息災を願う風習です。酒は心を癒す力を持ち、人と人の関係をやわらかくほどきます。

この時期に出荷される、冬に搾った新酒をひと夏静かに熟成させた「ひやおろし」は、カドが取れて丸くなり、どこか穏やかな余韻と、静かな奥行きを感じさせてくれるのです。つまり、季節の移ろいと人生の円熟を閑かに解け合わせる風流な趣を実感させてくれます。重陽の節句は、そんな“深まりゆく季節”を味わう絶好の機会ともいえます。たとえば、“食欲の秋”と呼ばれるように、さんま、松茸、栗、銀杏、きのこ、脂ののった魚など旬の味覚が豊富です。

そんな秋が旬の食材を肴に、盃を傾けながら健やかに歳を重ねていることに感謝する。それは、自分自身へのささやかな、歳を重ねた“お祝い”でもあります。重陽の節句は、年に一度、自分と向き合い、静かに祝うための日。誰かのためでなく、自分のために丁寧に選んだ酒を、ゆっくりと味わってみてはいかがでしょうか。菊の名を冠する酒蔵より、そんな静かな祝いの時間をご提案いたします。

菊正宗 特撰 きもとひやおろし 720mL
冬に搾った新酒をひと夏熟成し、火入れせずに生詰めした、この時期にしか飲めない「ひやおろし」です。
辛口の「灘酒」は出来上がった直後は若々しく荒々しい酒質ですが、半年間熟成させると香味が整い、味わいも丸くなって酒質が格段に向上します。
菊正宗の「ひやおろし」は、生もと造りで醸した、キレのある押し味が特徴。
秋の味覚を引き立てます。

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