「十六団子の日」は、山の神様をお迎えして、その年の豊作を願う農事です。

「十六団子」の“十六”は、和菓子の歴史と深く関わっています。

3月16日は「十六団子
(じゅうろくだんご)の日」です。

“じゅうろうだんご”と呼ぶ地域も
一部にはあるようです。

この風習は、
古くから農村地域で行われている
田植えの前に行われる
年中行事のひとつ。

緑豊かな日本では、
農村近くの山に
神様が住んでいるとされる信仰が
根強く残っています。

田植え時期の春先になると
山の神様が
種を抱えて里に降り立ち、
その年の豊作をもたらし、
収穫を見届けた後、
山の住処に戻る
“神去来(かみきょらい)”
という信仰です。

具体的には3月16日に
豊作祈願のお祀りによって
神様をお迎えし、
神様が山に戻られる
11月16日(一部の地域は10月16日)に
感謝のお祀りをして送るという、
その土地ごとに伝わる風習といえます。

神様をお迎えする際に
団子をお供えするのは、
団子をつくるときに
餅を搗く音や
臼と杵が擦れあう音で
お迎えの準備が整ったことを
山の神様にお伝えするという
役割があるからです。

この音を合図に
神様が里山へと降り立ち、
その年の豊作をずっと
見守ってくれていると
考えられていました。

さて、
ここで気になるのは
「十六団子」の“十六”
という数字です。

この“十六”という数字は、
和菓子にまつわる
長い歴史が関係しています。

平安時代初期の頃、
仁明天皇(にんみょうてんのう)は
疫病が世の中に
蔓延していることに苦慮するなか、
吉兆のしるしともされる
白亀の献上を受け、
これをご神託と考えて
元号を“嘉祥(かしょう)”
に改めます。

改元後すぐの6月16日、
“十六”にちなんだ数の
菓子や餅を神前に供え、
疫病退散、健康招福を
祈願したことが
“嘉祥の祝”として、
時代が変わっても
受け継がれる発端となりました。

鎌倉時代には、
後嵯峨天皇が天皇になる前の
6月16日に宋の嘉定通宝
(かじょうつうほう)
十六文で供物を買い揃えて
神前に献上し、
即位後も継続したといいます。

この嘉定通宝ですが、
“嘉(か)”“通(つ)”に
つながると験担ぎの意味で
武士たちに好まれた渡来銭。

室町時代には、
武士たちが勝負事をするときなど、
負けた武士は嘉定銭十六文で
お酒や食べ物を奢ったといいます。

この頃から6月16日になると
無病息災を願って
16個のお餅を食べる
“嘉祥喰い(かじょうぐい)”
という風習が庶民に広まり、
江戸時代には、6月16日に
十六文でお菓子を買って
笑わずに食べきれば
無病息災が叶うという
風習が流行りました。

時を経て、
これらの歴史を踏まえて、
6月16日は現在、
“和菓子の日”に
制定されています。

これらすべて6月16日と
和菓子に関係するお話ですが、
「十六団子」の“十六”は、
6月16日の嘉祥にあやかったもの。

田植え直前ということで、
3月16日に神様をお迎えする
タイミングの風習といえます。

「十六団子の日」は、米どころの東北や北陸に根強く残っています。

「十六団子の日」は、
大きな祭りというよりも、
米どころの農家を中心に、
集落ごとに伝わる風習が代々
受け継がれていることがほとんど。

とくに、昔ながらの
米どころとして名高い
東北地方や北陸地方で根強く
残っている伝統行事であることが多く、
この地域以外の方は知らない
という方も多いかと思います。

集落ごとに代々受け継がれている
“しきたり”も異なります。

神様をお迎えするために
家にお供えするところもあれば、
地域に祀られている
恵比寿様や大黒様に
お供えするところもあります。

盛り方についても、
片木(へぎ)と呼ばれる
白木の菓子盆に
縦に4個、横に4個
平たく並べるところもあれば、
1段目に9個、
2段目に4個、
3段目に2個、
最上段に1個と
お皿に重ねるところも。

なかには、
綺麗な三角錐の形になるように、
一番下に7個、
2段目が3個、
一番上が1個の合計11個と、
16個にならないところや、
つくって食べるだけで
飾らないという地域もあるとか。

また、本来、
山の神様をお迎えするために
餅を搗いて、その音により
山の神様に合図を送るのですが、
現在は上新粉や白玉粉で
餅をつくったり、
お店で「十六団子」を買ってきて
お供えすることも少なくありません。

お供えした後の団子は、
“あんこ”や“きな粉”で和えたり、
焼いて“みたらし団子”にしたり、
つくるときにヨモギを練り込んだ
“ヨモギ団子”をお供えするなど、
「十六団子の日」のお下がりを
楽しむことも織り込み済みです。

時代とともに変化を遂げる風習は、
「十六団子の日」以外にも
数多くあります。

要は、
神様をお迎えする気持ちを込めて、
その行事や風習と向き合うことが
大切なことのようです。

春の訪れを告げる“わらび”“ぜんまい”などの山菜を美味しくいただく。

とくに、“わらび”“ぜんまい”は、時間をかけた下処理が大切です。

ぽかぽかとした天気のいい日に
暖かい日向(ひなた)に出たとき、
時折吹く風に
心地よさを感じたときなど、
春の足音が
間近に聞こえる季節となりました。

ちょうどこの時期、
スーパーの店頭には
“わらび”や“ぜんまい”など、
春の山菜が並び始めます。

残念なことに、
多くの子供たちにとって、
山菜は不人気です。

はっきりとした濃い味の
カレーやハンバーグ、
ファーストフードに慣れ親しんでいる
子供の舌に
薄味の煮浸しは物足りない、
独特のほろ苦さやぬめり、
食感が苦手など、
子供が好まないさまざまな理由が
あげられます。

調理前のアク抜きが
不十分だったことにより、
エグ味が残っていることも
よく聞くお話。

しかし、大人になり
お酒を飲むようになって、
居酒屋のお通しで出てくる
小鉢に盛られた“山菜のお浸し”
などを食べているうちに
その美味しさに
ハマる方も多いようです。

日本酒に合う
“旬”の美味しさとして
心待ちにしている方も
少なくないのでは。

春の山菜の代表格といえば、
“わらび”“ぜんまい”
そして“こごみ”です。

これらを調理するにあたり、
美味しくいただくために
大事なのは下処理。

“わらび”“ぜんまい”ともに、
アクが強いので十分に
アク抜きをすることが大切です。

“わらび”は、
握りこぶしのような形をした
先端の穂先を切り取ります。

鍋の底に平たく並べ、
重曹を回しがけ。

全体が浸るまで
沸騰したお湯を注ぎ、
落し蓋をして約8時間以上そのままに。

重曹が多すぎると柔らかくなり過ぎ、
少ないと苦味が残るので、
400gの“わらび”“ぜんまい”
に対して重曹大さじ1杯、
全体が浸るお湯が目安です。

一方、“こごみ”は
アクがほとんどないので、
根元の茶色く変色した部分を
切り落として、
しっかりと水洗いをすれば
下処理は完了。

また、“わらび”“ぜんまい”は
下処理をした水煮も一緒に
販売されているので、
それを利用するのも
手間いらずの調理方法のひとつ
といえます。

少しぬめりがあって
クセのない味わいの“わらび”は、
油揚げや人参と一緒に煮込んだ煮物や
豚バラ肉と一緒に炊いた
炊き込みご飯などがオススメです。

独特の食感が魅力の“ぜんまい”は、
ごま油で炒めたナムルや
お浸しはいかがですか。

“こごみ”はサクサク食感と
素材の風味が楽しめる天ぷらを
塩でいただくのが人気なようです。

よく似た“わらび”“ぜんまい”“こごみ”の見分け方。

“わらび”
“ぜんまい”
“こごみ”は、
シダ類の山菜で、
どれも食べるのは若い芽の部分です。

スーパー店頭では
名札がついて売られているので、
一目瞭然です。

しかし、自生しているのを
見かける機会は少なく、
かなり似ているので、
それぞれを見分けるのは
難しいかもしれません。

まずは、その見分け方から。

“わらび”は、
日当たりの良い場所に生え、
ツヤのない緑から赤褐色と、
日が当たる度合いによって
色は異なります。

特徴的なのは、
先端が小さく2〜3に分かれ、
握りこぶしのような
形状をしていること。

茎の断面は円形です。

和菓子の“わらび餅”は、
“わらび”の根から取れる
本わらび粉を水で溶いて火にかけ、
粘り気が出てくるまで練り込むのが
本来のつくり方で、やや黒っぽく、
弾力やコシのある食感。

本わらび粉の精製には手間がかかり、
1kgの“わらび”から採れる
本わらび粉は、わずか7、8gと
希少で高価。

なので、スーパーなどで売られている
“わらび餅”の原材料には
ジャガイモやレンコンなどの
でん粉が使われているとのことです。

“ぜんまい”は、
湿気の多い場所に自生し、
全体的に緑色で、
先端が渦巻き状に丸まって
綿毛に覆われているのが特徴です。

成長するにつれ
渦巻きのなかの葉が大きく開き、
綿毛はなくなります。

ちなみに、オモチャや機械部品の
駆動部に使われるゼンマイは、
くるっと丸めた形状が
“ぜんまい”の
先端部に似ていることから
名付けられたとのこと。

以上のふたつと比べて
あまり知られてはいませんが、
“こごみ”も
よく似た形状の山菜です。

色は、“ぜんまい”よりも
鮮やかな緑色で、
先端の渦巻きに綿毛はありません。

茎の断面は、カタカナの
“コ”の字のような形なので、
“ぜんまい”との違いは明らかです。

お酒を嗜む人にとって、
“わらび”、
“ぜんまい”、
“こごみ”は、
春の訪れを告げてくれる
“旬”の食材。

この美味しさを
十分に堪能できるようなら、
立派な大人の仲間入りと
いえるのかも知れません。

今年の春は是非、“菜の花畑”観光を。その壮大な美しさに目を奪われます。

アニメ作品の“聖地巡礼”をキッカケに、地方の観光誘致が充実しています。

若い人たちの間で流行っている
“聖地巡礼”をご存知でしょうか。

もともとは宗教上の重要な意味を持つ
聖地に信者が赴くという
意味なのですが、それが転じて、
映画やドラマのロケ地、
アニメの舞台となった所縁ある地を
訪れることを指します。

なかでもとりわけ、独自の進化を
遂げた日本のアニメ作品の
“聖地巡礼”には熱狂的な
ファンが多く、
精緻に描かれた魅力的な
舞台となったアニメの“聖地”には、
日本のみならず世界各国から
ファンが訪れるなど、
観光地化しているところも
少なくありません。

諸説ありますが、最初の
“聖地巡礼”は、
1992年(平成4年)の
「美少女戦士セーラームーン」
からのようで、“聖地巡礼”
そのものは昔からあったアニメの
楽しみ方のひとつとされています。

再び“聖地巡礼”が脚光を浴びる
キッカケとなったのは、
2016年(平成28年)に
空前の大ヒットとなった
「君の名は。」です。

実際に、“聖地巡礼”は、
この年の新語・流行語大賞の
トップテンに選出され、
ブームを再燃させるばかりか、
広く一般に
知れわたることとなりました。

昨年夏に公開されたアニメ作品
「きみと、波にのれたら」は、
新型コロナ禍だったこともあり、
それほど大きなヒットには
繋がりませんでしたが、片寄涼太、
川栄李奈、松本穂香など主役クラスの
若手俳優が声優を務めるなど
作品のポテンシャルはかなり高め。

この作品にも“聖地巡礼”とされる
場所が多く登場します。

なかでもとくに、一面に広がる
菜の花畑を分け入るように
“いすみ鉄道”の黄色い電車が
走り抜けるシーンは、
ほろ苦いストーリーと相まって、
心を癒やしてくれる大事なシーンの
ひとつとなっています。

実は、この“いすみ鉄道”は、
“聖地巡礼”で話題になる前から
よく知られた菜の花畑の
人気スポットなんです。

千葉県房総半島の太平洋に面した
東海岸に位置するいすみ市と
山間部の大多喜町を結ぶ
“いすみ鉄道”は、
別名“菜の花列車”。

3月上旬から4月にかけて沿線の
広範囲に菜の花畑が広がる全国でも
珍しい菜の花畑が群生するエリアで、
実際に黄色く染まった菜の花の
絨毯の間を突き進む黄色い単車両の
可愛らしさは、子供の頃に
夢見たようなおとぎ話の
ひとコマを見ているよう。

沿線には桜やあじさいも
植えられており、比較的長い菜の花の
開花時期と桜の開花時期が重なって、
さらに自然が織りなす色鮮やかな
原風景を紡ぎ出しています。

一生に一度は見ておきたい“いすみ鉄道”沿線の菜の花畑。

実際に“いすみ鉄道”の
菜の花畑観光に利用される行程を
紹介しましょう。

東京駅を起点として、
京葉線の蘇我駅で内房線に乗り換え、
五井駅まで約1時間半。

五井駅からは房総半島を南東に
外房線の大原駅に抜ける
山間部を走る“小湊鐵道”
“いすみ鉄道”を乗り継ぎます。

まず、“小湊鐵道”五井駅から
上総中野駅まで約1時間半。

そこで連絡している“いすみ鉄道”に
乗り換え、外房線とつながる
大原駅まで約1時間。

最初に乗る“小湊鐵道”の
半ばを過ぎた高滝駅や飯給駅、
養老渓谷駅辺りに菜の花畑が
点在し始め、上総中野駅で
“いすみ鉄道”に乗り換えて以降は
沿線沿いに群生する菜の花畑が
あちらこちらで出迎えてくれます。

両鉄道ともローカル線であるがゆえ、
本数が少なく、上総中野駅での
乗り継ぎ連絡が悪いと
約1時間近く待つことも。

日帰りならば早朝出発でないと
現地で楽しむ時間が
あまり取れないのでご注意を。

1泊するなら、沿線沿いの秘湯の旅を
組み込むのもこの時期の
醍醐味なのかも知れません。

これから4月上旬までの約ひと月は
群生する菜の花が美しい時期。

できるなら、一度はこの地を訪れ、
実際にその目に焼き付けておきたい
絶景といっても過言ではありません。

ディーゼルのレトロな
車両に揺られて、ゆったりと過ごす
時間もひとしおです。

春の花といえば、開花期間の短い
たおやかな桜ばかりが
注目されがちですが、
菜の花畑の黄色い絨毯も
見劣りすることはありません。

北海道から九州まで全国各地に
菜の花畑があり、地域や品種によって
2月中旬ごろから5月上旬辺りまで
見事に咲き誇っています。

今年の春は、菜の花畑を
実際にその目にして、
その感動を心に刻んだ後は、
“花より団子”とばかりに菜の花の
おひたしや胡麻和えなど、
春の美味しさを
楽しんでみるのもおつなもの。

季節を楽しむ料理には、
辛口のお酒がお似合いです。

2027年“リニア新幹線”部分開業で、「お伊勢参り」をすると。

“リニア新幹線”で、東京-名古屋間は40分に。

夢のまた夢であった
“リニア新幹線”の開業が
間近に迫っています。

あくまでも開業予定ですが、
わずか3年後の2027年(令和9年)には、
東京(品川)-名古屋間
(線路延長285.6km)を平均時速500km、
40分で結びます。

さらに、2045年(令和27年)には、
東京-大阪間を最速67分で
移動できるというから驚きです。

ちなみに1964年(昭和39年)、
東海道新幹線が開通した際、
東京-大阪間を最高時速210km、
3時間10分で結ぶというニュースは
日本中を熱狂の渦に巻き込みました。

当時、このスピードは
世界最速の記録です。

それ以降、
車両改良などを重ねた新幹線は、
約60年の時を経た現在、
東京-大阪間を最高時速285km、
最速2時間22分で結んでいます。

そして23年後、
“リニア新幹線”の完全開通によって、
その時間距離は半分以下となり、
運賃を気にしなくて良いのであれば、
東京-大阪間は、もはや通勤圏
といっても過言ではありません。

また、東海道新幹線から西へ伸びる
山陽、九州、西九州各新幹線、
東京から日本海側へと伸びる
北陸、上越各新幹線、
東北方面へは東北、山形、北海道
各新幹線の路線網が張り巡らされ、
在来線と連携することにより、
日本の津々浦々にまで繋がります。

とくに私鉄等も含む、鉄道網における
時間の正確さには、
日本を訪れた外国人が舌を巻くほど。

一部遅延はあるものの、
概ね時刻表通りに
鉄道が運行されていることは
世界でも珍しいことのようです。

さらに、新幹線に関して、
人身事故などは別として、施設や設備、
車両の故障や整備不良などによる
脱線転覆事故や追突事故で
乗客が死亡した事例は一度もない
“安全神話”も世界に誇ることのひとつ。

これは“フェールセーフ(fail safe)”
という日本が誇るものづくり思想の
基本的な考え方のひとつです。

機械や装置はいつか必ず壊れる
ということを前提に、
故障時や異常発生時に、必ず安全側に
作動することで、絶対に人命を危険に
晒させないようにシステムを構築する
設計手法のことで、この思想は、
鉄道に限らず、工場などでも
実践されている安全な
信頼性設計ともいえます。

ものづくりにおいて、現在、
世界に押され気味の日本ですが、
品質や安全性では決して
世界に引けを取らないどころか、
世界を凌駕するほどのポテンシャルを
持っているのが“リニア新幹線”。

日本のV字回復の起爆剤になることを
願うばかりです。

200年前の「お伊勢参り」ブームのキッカケは、「東海道中膝栗毛」。

新幹線を利用すれば、さらに遠くの
観光地にまで移動できることで、
旅行シーンは大きく変わりました。

かつては移動だけで片道1日費やす
ことも少なくなかったものが、
新幹線を利用した時間短縮によって、
より多くの観光スポットを巡る
充実した旅を
満喫できるようになったといえます。

さて、
200年ほど時を巻き戻してみましょう。

1823年(文政6年)、
徳川11代将軍・家斉(いえなり)の
時代で、江戸時代後期にあたります。

この30年後の1853年(嘉永6年)は、
ペリー率いる黒船が
浦賀沖に来航した年。

この辺りから日本は近代国家へと
突き進んでいきます。

当時の旅行といえば、
江戸の庶民の誰もが憧れた
「お伊勢参り」です。

その火付け役となったのは
十返舎一九による
「東海道中膝栗毛」ともいわれています。

厄落としのために伊勢神宮に向かう
弥次さんと喜多さんの面白可笑しい
道中話に人々は魅了され、
「お伊勢参り」への憧れは募るばかり。

もちろん一般庶民の参詣が
許されるようになった鎌倉以降、
「お伊勢参り」のことは、
全国を渡り歩く修験道の行者や
旅芸人などから伝え聞き、
「お伊勢参り」をする庶民も
少なからずいました。

そして、「東海道中膝栗毛」の発刊が
キッカケで、にわかにブームが
巻き起こったということです。

江戸から伊勢へは、
片道約126里(504km)で、
約15泊程度の行程。

1日約30〜40km歩くことが連日
続くため基礎となる脚力は必要です。

すべて徒歩による移動なので
乗り物代は不要ですが、日数分の
宿泊費用と飲食代はかかります。

また、大井川などいくつかの川の
渡し賃も必要です。

宿場町に泊まるのが基本なので、
日没までに到着できた宿場によって
所要日数が異なり、素泊まりの“
木賃宿”と食事付きの“旅籠”では
宿泊費用も異なります。

当時の旅人が綴った道中日記によると、
旅籠代一泊200文、昼飯代は80文。

そこに川越えや渡船運賃、茶屋代金、
疲れたときに乗る駕籠や
馬の乗り賃など、1日平均300文。

片道15日として、往復9貫
プラス予備1貫と考えると、
「お伊勢参り」の費用はざっと
10貫というところでしょうか。

現在の貨幣換算では
10万円強くらいなのですが、
当時の“二八そば”が二×八=16文と
物価が安かったことを考慮すると、
「お伊勢参り」費用は、
約30万円程度かかったと思われます。

“リニア新幹線”を利用して
東京-名古屋間が40分、
名古屋から伊勢神宮まで近鉄特急で
1時間40分なので、片道2時間20分で
「お伊勢参り」ができる時代が
目前に迫っています。

朝、東京を出発して
お昼前には伊勢神宮…
わずか200年ほどなのに、ものすごく
便利な時代になったものです。

お待たせしました。2月18日土曜日、3年ぶりの「蔵開き」開催です。

もともとの「蔵開き」は、商家の正月行事のひとつでした。

2月18日の土曜日は、待ちに待った
菊正宗「蔵開き」の日です。

実に3年ぶりの開催となる
「蔵開き」ですが、
まだ新型コロナが完全に
封じ込められた訳ではないので、
入場時の検温や手指消毒、
飲食時以外はマスク着用など、
ご来場のお客様には
ご不便をおかけすることになりますが
やむを得ないこととご了承ください。

今年で第十六回目となる
「蔵開き」の開催日程は次の通りです。

  • 開催日時/ 令和5年2月18日(土曜日) 午前10時から午後3時(小雨決行)
  • 開催場所/ 菊正宗「嘉宝蔵」構内と 菊正宗酒造記念館

“寒造り”によるお酒の仕込みも、
そろそろ終盤を迎えるこの時期に
開催されるのが「蔵開き」です。

「蔵開き」と聞くと、
酒蔵の「蔵開き」というのが
現在の定説のようですが、
もともとは、町家や商家などで
その年初めて蔵の戸を開く、
文字通りの“蔵開き”のことを指し、
こちらの方がかなり長い歴史が
あります。

「蔵開き」は、
旧暦1月11日に行われていた
正月行事で、この日は、
武家屋敷で甲冑を納めていた
長櫃(ながびつ)などを開く
“具足開き”、
商人が帳簿を新しく閉じる
“帳祝い(ちょういわい)”、
鏡餅を割る
“鏡開き”、
さらに、農家でも
“田打ち正月”“鍬始め”などの
儀礼が行われるなど、
正月最初に行われる大切な日に
位置づけられていました。

さらに元をたどると、
日本全国で「松の内」は1月15日まで、
「鏡開き」や「蔵開き」は、
1月20日に行う風習がありました。

しかし、
江戸時代の1651年(慶安4年)に
第3代将軍・徳川家光が
亡くなったことにより、毎月20日は
家光の月命日になったことで、
関東では、1月20日を避け、
「鏡開き」や「蔵開き」は、
1月11日に改められたということです。

また、
年神様がいらっしゃる「松の内」に
「鏡開き」や「蔵開き」を
行う訳にいかないため、
徳川幕府が1662年(寛文元年)に
“松の内は1月7日まで”
という通達を出し、
現在に至っています。

こうした「蔵開き」の
歴史の背景があるなか、
菊正宗を含めて
300年を軽く超える歴史があるはずの
酒蔵の「蔵開き」が
行われるようになったのは、
わりと最近のことです。

これは、神聖な現場に
一般人が立ち入るのを禁じたことや、
微生物による醗酵という工程を経る
酒造りの蔵に、
ほかからの雑菌の持ち込みを
懸念したことが大きな理由です。

しかし近年になり、
科学的に酒蔵の衛生管理が徹底され、
地域のお客様との交流の意味もあって、
「蔵開き」といえば、
この時期に全国的に開催される
日本酒の「蔵開き」を
指すようになりました。

「蔵開き」のお楽しみは、“生酛しぼりたて 新酒”の出来栄え。

「蔵開き」で、
お客様のお目当てとなるのは
“生酛しぼりたて新酒”の出来栄え。

“生酛しぼりたて新酒”の振舞酒は、
毎年、人気の中心です。

“生酛しぼりたて新酒”は、
仕込みを終えて
醪(もろみ)を搾った後、一度だけ
火入れ(低温加熱殺菌)を行い、
そのまま瓶詰めにしたもので、
その年のお酒の出来を
計り知ることができるお酒と
いわれています。

まさに“今が旬”の
しぼりたてらしい、
フレッシュな荒々しい味わいと
鮮烈な香りが癖になるお酒です。

一般的な日本酒は、
搾った後に火入れを行って
数カ月間貯蔵。

熟成させることで、
お酒の角がとれてまろやかな味と
芳香をまとった深いコクを
醸し出します。

だからこそ、新鮮さを味わえるのは、
この時期だけのお楽しみなのです。

今年は、
お客様が殺到して密になりがちな
「福袋」の販売を行なっていませんが、
“生酛しぼりたて新酒”は、
当日、酒造記念館で
お買い求めいただけます。

また会場にお越しいただけない方も、
ネットショップで取り扱っているので、
ご自宅で「蔵開き」気分を味わうのも
おすすめです。

新型コロナの影響もあって、
やや規模を縮小しての開催ですが、
旨い酒にピッタリと合う
旨い肴の屋台や
特設ステージでの出し物など、
ほろ酔い気分で楽しめる
ひとときになりそうです。

3年ぶりの「蔵開き」開催。

地域の方々との交流を通して、
自信を持って送り出す
“生酛しぼりたて新酒”の感想を
お聞かせ願いたいと考えています。

率直に、
今年の“生酛しぼりたて新酒”、
上々の出来に仕上がっています。