雪の野原やスーパー店頭で「ふきのとう」を見つけたら、春は間近です。
“白い冬”という往年の
名曲があります。
秋に別れた彼(彼女)への忘れ得ぬ
思いがつのる晩秋に、
ひとりぼっちで迎える雪の舞う
冬の寂しさを歌ったシンプルな
歌詞でありながら、
ハイトーンで耳残りが良く、
旋律の美しい印象的な曲です。
この曲は1974年(昭和49年)、
フォークデュオ「ふきのとう」の
デビュー曲で、彼らはフォークから
ニューミュージックへのブームの
牽引役となったグループのひとつとも
いわれています。
この曲を深読みすれば、
秋の失恋によるひとりきりの
冬の寂しさを歌っていますが、
その向こう側には、歌い手である
「ふきのとう」が
“春”を告げる役割を
果たしているような気さえもします。
新しい出会いに期待をよせる
歌と考えて聴くと、
そう思えてくるから不思議です。
今回は、そんな“春”を
予感させてくれる「ふきのとう」を
取り上げます。
「ふきのとう」が自生する地域では、
雪で白く覆われた野原で顔を覗かせる
「ふきのとう」を見て、いち早く
春の訪れを実感するといいます。
実際にそれ以降、
暖かさは日を追うごとに増し、
春は駆け足で
やって来るかのようです。
「ふきのとう」は、
和え物や煮物に使われる
“フキ”の若い花芽で、
数少ない日本原産の野菜です。
野生種は栽培されているものより
苦味が強く、市場に出回るものの
ほとんどは栽培種です。
ちなみに、「ふきのとう」は、
漢字で「蕗の薹」と書きます。
この“薹(とう)”という漢字、
今ではほとんど使われることは
ありませんが、
以前は“薹(とう)が立つ”という
いささか侮蔑的な表現として
使われていました。
“フキ”や“アブラナ”などの花芽は
伸びてくると硬くなり
食べ頃を過ぎるとか。
それを人に当てはめて“薹が立つ”と
用いられるようになったようです。
確かに「ふきのとう」としての
食べ頃は過ぎますが、その後、
“フキ”として美味しく
食べられることを考えると、
間違った表現なのかもしれません。
また、「ふきのとう」は別名
“蕗の姑(ふきのしゅうとめ)”
“蕗の舅(ふきのしゅうと)”
といいます。
これは、“麦と姑は踏むがよい”
という大昔のことわざが語源。
春の風物詩でもある“麦踏み”
によって土に根が張ったよい麦が
育つのと同じように、
“フキ”も土を踏みしめることで
地下茎の根が張って、
よりよい生育を促します。
これに由来して、出しゃばった姑も
踏みしめるのがよいという
意味のようです。
かなり古くから伝わることわざなので
“麦と嫁は踏むがよい”
となりそうなところですが、
意外にも姑や舅をもじった
珍しいことわざといえるのでは
ないでしょうか。
複雑な成長過程を持つ「ふきのとう」。
“フキ”の野生種は、
北海道から沖縄まで、全国的に
分布する日本原産の多年草です。
茎は地上に伸びず地下茎として
横に長く張り巡らされることで
増殖します。
花が咲くのは3〜5月頃で、
葉が地表に出る前に花芽が
伸び出したものが「ふきのとう」。
“フキ”は雌雄異株で、
雄株と雌株に分かれており、
雄株は花粉をつけ、
花茎は20cmほどで成長が止まり、
花の時期が終わると
枯れてしまいます。
一方、雌株は受粉後に約70cmまで伸び
タンポポのような白い綿毛のある
種子を風に乗せて飛ばすことで、
他の場所へと生息エリアを
広げていきます。
そして、花の時期が終わると、
花茎とは別に、
地下茎から地表に葉が伸びて、
その高さは1m近くにも成長し、
30cm近くの大振りな葉をつけた様は、
まるで小動物の傘のようです。
“フキ”は、花と葉が異なる時期に
地下から顔を覗かせる、
複雑な生育体系を持った
不思議な植物といえます。
「ふきのとう」を美味しく
いただくために必要なのは、
下処理です。
苦味やエグ味が強く、地下茎には
有毒成分を含んでいるため
茶色の根元を切り落としたっぷりの
お湯に塩を加えて下茹でを。
苦味を抑えたい場合は塩の代わりに
重曹を加えて茹でます。
3〜4分経ったらザルにあげて
流水で冷やした後、
1〜2時間、水にさらします。
その後、キッチンペーパーで強く握って
水気を拭き取れば下処理は完了です。
そのまま天ぷらにしたり、
細かく刻んで砂糖、味噌、みりんで
和えた“ふきのとう味噌”などは、
酒の肴にもぴったり。
また、茹でてアクを抜いたものなら
冷凍保存も可能です。
スーパー店頭で
「ふきのとう」を見つけたら、
ひと足お先の“春”を感じられる
料理にチャレンジしてみては
いかがでしょうか。
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