ネットに潜む危険① “なりすましメール”にご注意を。

Yahoo!メールに、安心・安全のための「ブランドアイコン」表示。

Yahoo!メールをご利用の方に対して、
弊社からお客様に
情報等のメール送信を行う際に、
菊正宗の「ブランドアイコン」が
表示されるようになりました。

これは、日ごとに増え続ける
「フィッシングメール」を
はじめとする不正メールの
回避対策として
Yahoo!が導入した取り組みです。

「フィッシングメール」とは、
企業名などを騙った
“なりすましメール”を介して、
送りつけたターゲットの
クレジットカード情報や
パスワードなどの個人情報を
盗み取る犯罪手法。

具体的には、
名の知れたECサイトや銀行、
宅配業者などを巧妙に装ったメールを
ユーザーに送りつけ、
“あなたのアカウントが
確認できないので、
再登録をお願いします”
“ご登録のクレジットが
不正利用された恐れがあるので、
クレジット情報を更新してください”
“あなたの情報が不正使用された
恐れがあります”など、
心理的な不安を煽って、
併記されている不正なWEBサイトへと
誘導するのが常套手段です。

こうした“なりすましメール”による
被害を少しでも減らすための
取り組みが
「ブランドアイコン」表示
といえます。

Yahoo!メールに登録された企業の
「ブランドアイコン」が
表示されることにより、
送信元が保証された安心・安全の
メールであることが視覚的に
瞬時に伝わるというものです。

現在の登録されている企業は、
FacebookやInstagram、Twitterなどの
SNS関連企業や
ZOZO、楽天グループ、千趣会などの
通販サイトなどで、
菊正宗も、
お客様のリスク回避を考慮して、
いち早く登録しました。

こうした“なりすましメール”対策を
行なっているのは、
現在、Yahoo!メールのみです。

他のフリーメール
(GmailやiCloud Mailなど)は、
ユーザー側の設定による
フィルタリングなどによる
悪質なメールの受信制限を
行う対策が主流ですが、
今後、他フリーメールにおいても、
こうした「ブランドアイコン」
のような積極的対策の導入によって、
“なりすましメール”は
確実に減っていくでしょう。

とはいえ、詐欺集団が
おとなしくする訳もなく、
また新たな詐欺手法を編み出す
“いたちごっこ”が続くのは
必至ですが、その都度、
早めの適切な対策を講じることが
大事。

やはり、ネット環境においては、
少しでも怪しいと感じたら、
石橋を叩いても渡らないほどの
自己防衛感覚を持つことが、
最大の防御なのかも知れません。

 

大切なのは、まず「フィッシングメール」の具体的な内容を知ることから。

どんなに気をつけていても、
知らないうちに
詐欺サイトに誘導されている場合も
少なくありません。

そうしたことを防ぐためにも、
まず、「フィッシングメール」が
どういうものかを
知っておく必要があります。

例えば、
簡単に入手できる
フリーメールアドレスを
用いるケースが多いので、
実際のアドレスや
本文中にあるリンク先が
正規のドメインとは異なります。

“.xyz”や“.online”“.pw”
“.tk”“.to”など、
普段あまり見かけない
海外のドメインの場合は
「フィッシングメール」を
疑いましょう。

また最近増えているのが、
“co.jpを.jp”にしたり、
“o(オー)を0(ゼロ)”
“I(アイ)やl(エル)を1(イチ)”
にすることで
誤読しやすいドメイン名に
しているケースです。

また、“てにをは”の使い方が
不自然な文章や
外国語を日本語に直訳したような
明らかにおかしな日本語表現、
中国語の漢字を使った文章なども
要注意です。

ここで解説したように、
「フィッシングメール」の多くは
ユーザーの不安を煽って、
他の詐欺サイトに誘導し、
ユーザーID・パスワードを入力させて
アカウントを乗っ取ったり、
クレジットカード情報を入力させて
不正利用することが目的。

信頼しているサイト以外で、
安易に個人情報を入力しないことが、
まずは大切です。

詐欺被害に遭わないためにも、
「フィッシングメール」の
具体的な被害実例を、引き続き、
次回のコラムにて紹介いたします。

アルファ、ベータ、ガンマ…変異株へのギリシャ文字使用には、理由がある。

ギリシャ文字使用には、変異株発見国への配慮が。

新型コロナウイルスが、
世界的に感染拡大している
要因のひとつに、
次々と世界各地で発見される
変異株の存在があります。

コロナ禍当初は発見された国名を
冠して呼んでいましたが、途中、
“N501Y型”
などの学術的な呼称を経て、
今年5月、WHO(世界保健機関)は
ギリシャ文字を使った
新しい命名システムである
「WHOラベル」を発表。

これを境に、
“英国株”は“アルファ株”、
“南アフリカ株”は“ベータ株”、
“ブラジル株”は“ガンマ株”、
“インド株”は“デルタ株”へと、
変異株の呼称は置き換わりました。

この「WHOラベル」の採用は、
特定の国名をウイルス名称に使うこと
による偏見や差別を回避するという
意味があります。

新たな変異株を見つけても、
公表することで自国名がその変異株に
冠されることを懸念して
消極的になる国が出ることを
防ぐための対応策ともいえます。

また、ギリシャ文字はシンプルで、
言いやすく、覚えやすいというのも
採用された理由のひとつ。

この新しい呼び方を選ぶにあたり、
“命名の専門家”や
“命名法の法律家”
“ウイルス分類学の専門家”を始め、
主要国の代表などが招集され、
慎重な議論を重ねて命名されました。

変異株の命名にあたっては、
“α(アルファ)”、
“β(ベータ)”、
“γ(ガンマ)”、
“δ(デルタ)”…と、
順番につけられ、
現時点でもっとも新しい変異株は
“μ(ミュー)”とのこと。

4番目デルタから、
12番目のミューに飛ぶのは何故?
実は、これには理由があります。
WHO(世界保健機関)では、
警戒レベルを2段階にランク設定して
変異株のカテゴライズを
行なっていることに、
そのヒントはあります。

  • 「VOC(Variants of Concern
    /懸念される変異株)」

もっとも警戒度の高い
“国際的な重視が必要なほど、
高い感染力やワクチン効果への
影響がある”変異株。

“アルファ株”
“ベータ株”
“ガンマ株”
“デルタ株”
の4種類。

  • 「VOI(Variants of Interest
    /注目すべき変異株)」

VOCより警戒レベルが一段下の
“感染力が変異した可能性があり、
複数の国で感染が拡大している”
変異株。

“イプシロン株”
“ゼータ株”
“イータ株”
“シータ株”
“イオタ株”
“カッパ株”
“ラムダ株”
“ミュー株”
の8種類。

“デルタ株”以降は、
地域が限定される変異株の発見のため
ワンランク下の警戒レベル
「VOI」に分類。

つまり、
緊急性を伴わないこともあって、
大きく報道されていなかった
ということになります。

ギリシャ文字は全部で24種類。

今のところ、折り返しとなる12番目の
“ミュー株”まで見つかっているので
残すところ、あと12種類までは大丈夫
といえます。

万が一、
ギリシャ文字を使い切った場合、
次は星座名を使用するというのが有力
との報道が一部であったようです。
できることなら、
ギリシャ文字を使い切る前に
収束して欲しいと願うばかり。

 

ずっと以前から、日本に馴染んでいるギリシャ文字。

ギリシャ文字は、何も、
こういう場合に使われるだけで
はありません。

ずっと昔から、私たちの生活の中には
数多くのギリシャ文字が溶け込んで
使われています。

例えば、理数系の分野。

電気抵抗の単位として使われる
オームは“Ω(オメガ)”を記号とし
小さな単位の頭につくマイクロは
“μ(ミュー)”の記号を使います。

円周率に使われる“π(パイ)”は
有名なところ。

角度の表示に用いられるのは
“θ(シータ)”で、
傾斜角を求める計算式に利用。

標準偏差の
“δまたはΔ(デルタ)”は
統計学の分野で活用されています。

エクセルで表計算をする際、
合計を求める際に使用するのが
“Σ(シグマ)”ボタン。

また、一般の方には、
ややチンプンカンプンですが、
関数や演算分野では、
総乗計算の“Π(パイ)”や
“λ(ラムダ)”計算、
“χ(カイ)” 二乗分布、
“γ(ガンマ)”関数
などがあります。

建設図面とかに円の直径を表す
記号として使われている
“φ(ファイ)”は、
よくパイと誤読されます。

しかし正確な読みは「マル」。

0と区別をつけるために
“○に/(マルに斜め線)”で、
パソコン入力などの際に、便宜上、
“φ”で代用しているとのこと。

単位はmmで、
“φ5mm”と書くのが正しい流儀
だそうです。

車業界でも、
トヨタの“アルファード”をはじめ、
昔の名車、三菱ギャラン
“Σ(シグマ)”と“Λ(ラムダ)”
海外に目を移すと、
名車中の名車とされる
ランボルギーニ“ι(イオタ)”。

イタリアの名門の車メーカーの
ランチアでは、ギリシャ文字を冠した
車名が10種以上あり、
現在フィアットグループに吸収されて
同傘下のクライスラー
“ε(イプシロン)”として
販売されています。

皆さんご存知のものを上げると、
リラックスした時の脳内波形
“α(アルファ)波”、
瞬間接着剤の
“アロンα(アルファ)”、
パソコンソフトの試用バージョンの
“β(ベータ)版”、
緑黄色野菜に含まれる栄養素
“β(ベータ)カロテン”、
脳腫瘍などの病巣を焼き切る
“γ(ガンマ)ナイフ”、
映画にもなった米陸軍特殊部隊
“Δ(デルタ)フォース”、
JAXA開発のロケット
“ε(イプシロン)”、
人気アニメの
“Ζ(ゼータ)ガンダム”
“ν(ニュー)ガンダム”など、
情報発掘をし始めると、
ゴロゴロ出てくる
ギリシャ文字を冠したネーミング。

アルファベットそのものが
“α(アルファ)”と
“β(ベータ)”を
組み合わせた言葉。

さらにギリシャ文字には、
それぞれが“小さい”、“まとめる”
などの意味を持つため、
深いネーミング要素となるのも
使われる理由のようです。

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菊正宗「大吟醸deあま酒」が“飲む点滴”“飲む美容液”と称される由縁。

朝の情報番組での“飲む点滴”紹介で、「甘酒」の市場規模が急成長。

ずっと以前から、「甘酒」は、
主に50から60代が購買層の中心で、
知る人ぞ知る健康補助食品
という位置付けでした。

ところが、2016年(平成28年)、
朝の情報番組で、
栄養豊富なところにスポットを当てた
“飲む点滴”というキャッチーな
フレーズで紹介されて以降、
他の情報番組でも
取り上げられるようになり、
さらに、その含有栄養素から
“飲む美容液”
とも紹介されたことから、
20〜40代女性層の支持を得て
大きなブームに。

いわゆる“甘酒女子”の誕生です。

2015年(平成27年)までの
「甘酒」市場規模は、
50〜75億円規模だったものが、
2016年(平成28年)には、前年比
約4倍の200億円を突破した
「甘酒」の第一次ブームが到来。

時間とともに一過性の流行は
治ったものの、これをキッカケに、
「甘酒」の市場規模は約290億円とも
いわれるほどにまで成長しました。

とくに現在、コロナ禍にあって、
免疫力向上への期待から
消費が急増している醗酵食品。

その醗酵食品の代表格ともいえる
「甘酒」は、これまで以上に
消費者の健康志向が高まったことや、
自宅時間が増えることで
幅広い年齢層に飲用習慣が
定着していきました。

また、自宅時間でスイーツや料理の
隠し味に「甘酒」を使うなど、
第二次ブームの到来と見る向きも
いるようです。

「甘酒」の市場規模が
大きく成長するに伴って、
「麹甘酒」の需要が一気に増加し、
市場全体の6割以上を
占めるまでになりました。

以前にもこのコラムで紹介しましたが、
「あま酒」はその製法によって、
大きく、「麹甘酒」と「酒粕甘酒」の
2つに分類されます。

「麹甘酒」は、麹菌による酵素の力で
米の澱粉をブドウ糖に、
タンパク質をアミノ酸に分解。

麹菌が生産する機能性成分を
余すところなく摂取できる
自然由来のブドウ糖やオリゴ糖
による甘味を持った「甘酒」です。

米麹から造られた「甘酒」なので、
アルコールは含まれておらず、
アルコールが苦手の方や子供さんなど、
安心して飲むことができます。

「酒粕甘酒」は、酒粕を水で溶かして、
砂糖添加により甘さを調整。

酒粕が有する機能性成分を
余すところなく摂取できる
「甘酒」といえます。

ご存知のように、酒粕は、日本酒を
造る際の残った搾りかすで、
日本酒はもともと、
米と麹と水を原材料にして、
麹菌や酵母菌などの働きによって
アルコールがつくられるため、
酒粕にもアルコール分が残り、
日本酒のようなフルーティーな香りや
深いコクを楽しめる一方、
アルコールに弱い方や妊娠中の方、
お子さんは、飲む際の注意が必要です。

 

麹由来と酒粕由来。
菊正宗の「大吟醸deあま酒」は夏場の栄養補給に最適。

「麹甘酒」の主な栄養成分は、、
ブドウ糖、アミノ酸、オリゴ糖、
ビタミンなど。

ブドウ糖は小腸からそのまま
吸収されるため速やかな
栄養補給が可能。

また、ブドウ糖だけではなく、
アミノ酸、オリゴ糖、ビタミン
などといった栄養素が豊富に
含まれることから
“飲む点滴”と呼ばれているのです。

さらに、麹菌がつくるオリゴ糖は、
整腸作用が期待される
ビフィズス菌のエサとなり、
麹菌の菌体成分には
免疫賦活効果が認められています。

「酒粕甘酒」の主な栄養成分は、
ビタミンB2、B6、ナイアシン、
葉酸などのビタミンが大量に
含まれているのが特徴です。

清酒醸造工程において
酵素で分解されなかった
タンパク質(難消化性蛋白質)や
食物繊維(難消化性でんぷん)が
ギュッと濃縮されているため、
摂取した脂肪やコレステロールを
体外へ排出したり、
小腸での糖の消化吸収を抑えて
血糖値の急上昇を抑制したり、
大腸でビフィズス菌のエサになる
ことで整腸作用が期待できるなど、
非常に優秀な自然食品といえます。

それぞれに含まれている栄養成分は
異なりますが、注目したいのは、
どちらも美肌づくりに効果の高い
成分がさらに含まれる点です。

「麹甘酒」に含まれる
“エルゴチオネイン”は、
肌のキメを整える美肌効果が
認められて“飲む美容液”と称され、
「酒粕甘酒」に含まれる“α-EG”は、
保湿効果に加え、
肌細胞のコラーゲン密度を高める
効果が判明しています。

菊正宗では、このふたつの良い所を
ひとつにまとめた
「大吟醸deあま酒」を販売中。

大吟醸麹と大吟醸酒粕に由来する、
やさしい甘さとスッキリした後味、
滑らかな舌触りが、
「大吟醸deあま酒」の特長です。

夏場の暑さに疲れた身体への
エネルギーチャージとして、
ぜひお試しいただきたい商品です。

2020年の“東京”に紡がれた、「嘉納治五郎」の80年越しの熱い想い。

平和を願う“スポーツの力”は、数千年の昔から変わらない。

今年の夏は、いつもとは違う
“熱い闘い”
が繰り広げられています。

その原点となるのは、
遡ること約2800年前、
栄華を極めた
古代ギリシアで行われていた
スポーツ競技大会にたどり着きます。

4年に一度開催された
スポーツ競技大会の
最初の頃の記録は残っておらず、
現存する最古の記録となる
紀元前776年のものを
第1回としてカウント。

そして、長い時を経て、
西暦369年の第293回を最後に
スポーツ競技大会は、
その歴史に
幕を閉じることになりました。

計算の上では、1172年もの
歴史を重ねたこととなり、
記録が残っていない初期も含めると、
少なくとも1200年ほどの歴史が
あるのではと、
現在もギリシアの地では
初期の記録を求めて、
遺跡発掘が継続されています。

これだけ長く大きな
スポーツ競技の大会が続いたのは、
ゼウスを祭神とした
神事という意味合いが
強く反映されていたからでしょうか。

また、祭典競技期間は
すべての争いごとを止めて、
この祭典に挑むことが規定されていた
ということを考えると、
当時から“平和”への想いを、
スポーツに
託していたのかも知れません。

それから長い歳月を経て近代となり、
この“平和への願い”を継承した
世界的なスポーツ大会として
再開しました。

その根底には、
紛争国同士であっても、
この大会期間だけは
スポーツを通じて好敵手としての
絆を深めるという平和に向けた
理念が込められています。

そして、
極東の小さな島国であった日本が、
この国際スポーツ大会に
参加するキッカケとなったのは、
他ならぬ「嘉納治五郎」の
存在でした。

彼は、勝つことが目的の“柔術”を、
科学的な理論、精神的な鍛錬による
礼節を重んじる「柔道」へと
昇華させた側面が、
あまりにも有名です。

しかし、彼の偉業は、むしろ、
日本に大きな教育改革をもたらした
“教育者としての顔”ということは
あまり知られていません。

長期にわたる欧州視察によって得た
知識をもとに、国内で初めて
スポーツ振興という概念を
根付かせたのは、「治五郎」です。

また、“女子柔道”を始め、
男女が平等に勉強したり、
男女分け隔てなく
スポーツに打ち込むなど、
いち早く男女平等機会の
創出に奔走したことなど…
現在、当たり前のように行われている
体育の授業や放課後の部活動も、
「治五郎」が実際に教育現場で
成し得た実績のひとつです。

こうした、日本の教育改革の
先駆者である「治五郎」のもとに、
国際スポーツ大会組織委員会から
委員の就任要請が届いたのは
必然だったと思われます。

彼の興した「柔道」の競技人口が
欧州で増え始めたことをキッカケに、
彼の数々の教育に関わる取り組みが
認められた結果です。

礼に始まり礼に終わるフェアな
精神が宿る「柔道」を通して
広まった、彼の人望が
世界に認められた瞬間でした。

 

 

世界に根付いた「嘉納治五郎」が追い求めたフェアなスポーツマンシップ。

日本の代表としての組織委員就任は、
日本を国際大会へと
一歩近づけることになります。

彼の実直さはすぐに認められ、
組織委員就任の数年後には、大会への
選手派遣の要請が届きました。

ところが、
大会初参加前年に発生した
関東大震災の復興が
ままならない状態で、
大会への参加見送りを
検討する事態に。

しかし、“それまで積み上げてきた
スポーツの進歩を
止めるべきではなく、
海外に日本国民の
復興への意気込みを示す”という、
「治五郎」の強い主張のもと、
初めての国際大会参加を
無事終えることとなりました。

彼は、組織委員に就任して以降、
還暦を過ぎた人物とは思えないほど、
国際会議への参加や大会視察など、
精力的に世界を駆け回りました。

そして、1933年(昭和8年)に
開催されたウィーンでの総会で
東京大会の招致を主張。

その後も、東京招致に反対する
加盟国に決してひるむことなく、
堪能な英語を駆使して反論し、
東京大会の招致が決まりました。

しかし。

その翌年、洋行途中の船上で急逝。

彼が望んだ東京大会も
戦争により幻の大会となりました。

このことを
もっとも残念に感じているのは、
東京招致に奮闘した
「治五郎」本人であることは、
いうまでもありません。

それから80年、東京の地で
彼の望んだ熱戦が
繰り広げられています。

彼がもっとも大切にした
フェアなスポーツマンシップは、
「柔道」のみならず、
他の競技でも
ルールの基本として根付き、
彼の“子供たち”の活躍を
喜んでいるのは「嘉納治五郎」
本人に違いありません。

 

嘉納治五郎物語⑩
老いてなお、精力的に。
治五郎は79年を駆け抜けました。

嘉納治五郎師範ベルリンオリンピックへ向かうブレーメン号にて(1936)_菊正宗ネットショップブログ
ベルリンオリンピックへ向かうブレーメン号にて(1936)右から嘉納 治五郎 師範、チージンバイン船長、ガーランドアメリカIOC委員
~資料提供 公益財団法人 講道館~※転載利用不可

関東大震災の復興のために、
オリンピック大会への参加で士気を鼓舞。

1923年(大正12年)9月1日、
巨大地震が首都圏を中心に発生。

関東大震災です。

地震発生直後に各地で火の手が上がり
、首都圏は、死者・行方不明者は
10万5000人ともいわれる
未曾有の大災害に見舞われました。

震災時、「治五郎」は樺太に出張中で
、“柔道”の講演や実技指導を
行ってるところでしたが、
急いで帰京。

すぐに、講道館を開放して
震災被災者の受け入れを開始し、
その数は延1000人を
数えたといいます。

復興がままならない状態で、
関東大震災の翌年の
第8回パリオリンピック大会
への参加を見送ることも
検討されましたが、
大日本体育協会は、
“大震災の復興に向けて、
国民の士気を鼓舞するために、
もっとも質素に
選手選考大会を開催して
代表選手を選び、
第8回パリオリンピック大会に
選手を派遣する”と決定。

“それまで積み上げてきた
スポーツ界の進歩を
止めるべきではなく、
海外に日本国民の
復興への意気込みを示す”
という、「治五郎」の主張が
受け入れられることとなりました。

また、この関東大震災に前後して、
講演、実技指導などによる
“柔道”の普及活動をはじめ、
女子教育の一環となる
“女子柔道部”を講道館に開設、
柔道理念を明確にした
“講道館文化会”の創設、
IOC(国際オリンピック委員会)
委員に就任して以降、
国際会議への参加や
オリンピック大会の視察など、
還暦を過ぎた人物とは思えないほど、
精力的に世界を駆け回りました。

とくに、第一次世界大戦で
壊滅的な被害を受けた
ベルギーの復興をめざした
第12回アントワープ
オリンピック大会では、
ヨーロッパ各国の政治経済状況や
混乱ぶりをつぶさに視察、
求めに応じて
“柔道”の講演や実演も実施。

“柔道”の基礎となる精神を
世界に伝えるために、
“精力の最善活用によって
自己を完成し(個人の原理)、
個人の完成が直ちに他の完成を助け、
自他一体となって共栄する
自他共栄(社会の原理)によって、
人類の幸福を求める”を意味する
「精力善用 自他共栄」を
という言葉を大きく発信して、
その理念を説いていきました。

そして、この
「精力善用 自他共栄」
を校是とする旧制灘中学
(現在の灘中・高等学校)を、
生まれ故郷の神戸に開校するために、
酒造両嘉納家や地元富豪の
篤志を受けた資金確保、
教職員の人材確保に奔走し、
1927年(昭和2年)に開校。

現在も、
「治五郎」の精神を受け継いだ
自由闊達な校風でありながら、
トップクラスの進学校として
名を馳せています。

 

嘉納治五郎師範氷川丸_菊正宗ネットショップブログ
嘉納 治五郎 師範 氷川丸にて
~資料提供 公益財団法人 講道館~※転載利用不可

東京オリンピック成功に向けた外遊中に
…巨星、墜つ。

関東大震災の復興と
帝都東京の繁栄を
国内外にアピールする狙いで、
1940年(昭和15年)に
開催される第12回
オリンピック大会を
東京に招致することを、
時の東京市長
(現在の東京都知事)らが提案。

第5回から参加して以降、
メダルを獲得するにまでなり、
「日本書紀」に基づく
日本建国2600年(皇紀)にあたる
記念すべき年ということもあり、
“東洋初のオリンピックを東京で”
という動きが起こりました。

その背景には、前年の
世界大恐慌の余波による
日本経済の大打撃を
払拭する目的も含んでいます。

波乱含みであった国内での問題も
なんとか解決し、
1932年(昭和7年)に、東京市長名で
オリンピック招請状をIOC
(国際オリンピック委員会)に提出。

1935年(昭和10年)の
IOCオスロ総会にて
開催地が決定する
という返事が返ってきました。

「治五郎」は
1933年(昭和8年)に開催された
ウィーンでのIOC総会に出席して
東京招致を主張し、
その後のIOCカイロ総会では、
東京招致に反対する
イギリスを中心とした
英連邦諸国の応酬に対して、
ひるむことなく、
堪能な英語を駆使して反論し、
主張を曲げることは
ありませんでした。

その甲斐あって
1937年(昭和12年)、
東京オリンピック大会の招致が
決まりました。

IOCカイロ総会後に、
前年に死去した
クーベルタン男爵の埋葬式に参列。

さらに日本支持の感謝を伝えるべく
アメリカに渡った後、
カナダのバンクーバー発の
大型客船での帰路、
風邪に肺炎を併発した
「治五郎」は帰らぬ人に。

1938年(昭和13年)
5月4日逝去、享年79歳。

老齢を押して奮闘する
矍鑠(かくしゃく)としていた
彼の死は突然の出来事で、
驚きを隠せない新聞各社は
“巨星墜つ”という見出しで
報じました。

「治五郎」の急逝により、
オリンピック参加への精神的支柱と
参加にかける情熱は失速。

第二次世界大戦に向かって
軍靴の音が鳴り響く中、
“平和の祭典”である
東京オリンピック大会は返上され、
“幻の東京オリンピック大会”
となりました。

このことをもっとも
残念に感じているのは、
東京招致に奮闘した
「治五郎」本人であることは
いうまでもありません。

人の何倍も学び、
人の何倍も働き、
人の何倍も考えた
「治五郎」の人生は、私たちが
どんなに頑張っても届かないほど
厚みのある充実した人生です。

ただ、その陰には必ず、
それを上回るたゆまぬ努力があり、
それは、歯を食いしばりながら
未知なる道を
拓き続けたことによるもの。

神戸御影の海沿いの町で
生まれ育った頃から続く、
勤勉さや深い興味、じっちょくさ、
負けん気は、歳を重ねても
変わることはありませんでした。

それは、彼が歩み続けた
苦難の長い道のりが証明しています。

※参考文献
全建ジャーナル2020.2月号「文は橘、武は桜、嘉納治五郎〜その詩と真実〜」第14話/高崎哲郎
全建ジャーナル2020.3月号「文は橘、武は桜、嘉納治五郎〜その詩と真実〜」第15話/高崎哲郎
全建ジャーナル2020.4月号「文は橘、武は桜、嘉納治五郎〜その詩と真実〜」第16話/高崎哲郎
御影が生んだ偉人・嘉納治五郎/道谷卓