暦の上では冬。でも、体感は、まだ秋の途中

暦の節目と実際の気候のずれ。その間にこそ、日本の今の季節感があります。

秋になっても夏のような日差しに汗ばむ日々が続く昨今。2025年も例外ではなく、10月半ばを過ぎてようやく朝晩の空気がひんやりと感じられるようになりました。季節の歩みは、どうにも足踏みしているように感じられます。そうした中で迎えた、暦の上では11月7日が「立冬」です。二十四節気ではこの日を境に“冬の気配が立ち始める”とされています。しかし、体感的にはなんとなく秋が深まったばかり。暦と現実のずれに、少し不思議な感覚を覚える方も多いのではないでしょうか。

二十四節気は、太陽の動きをもとに一年を24等分し、季節の移り変わりを示した暦の区分です。もともとは農作業の目安として生まれましたが、現代では季節の移ろいを感じ取るためだけの存在になっています。立冬はその中の、冬の始まりを告げる節目のひとつです。肌感覚では、“冬の始まり”というより“秋の後半”といった方がしっくりきます。紅葉の見頃も年々遅れ、街路樹が鮮やかに色づくのは11月中旬から下旬。暦が示す季節より、体感の季節が半歩ほど後ろを歩いているようです。

二十四節気をさらに3つに区分けした七十二候でいえば、立冬の初候は「山茶始開(つばきはじめてひらく)」。山茶花(さざんか)が咲き始め、冬の訪れを静かに知らせる頃とされています。実際に庭先で白や淡紅色の花を見かけるようになるのも、まさにこの時期です。朝晩の空気が澄み、冷気が頬に触れる瞬間に、ようやく季節が変わったと実感。そんな微妙な境目こそ、日本の四季の面白さかもしれません。

立冬は、暦の上で冬が始まるこの日を境に、服装、暖房、食材などを冬仕様に整えるきっかけとなる日ともいえます。

すでにコートは出しているか、暖房をいつから使おうか、根菜や鍋の材料を意識し始めようかなど生活意識を冬へと切り替えるタイミングなのです。テレビの気象情報などにおいても、冬入りの実感という観点から“例年より”という比較がなされます。“そろそろ寒くなってくる見込み”“冬の足音が感じられた”“立冬をめどに寒さが本格化”などの言葉が聞こえ始めたら、冬は確実に近くまで来ているということに他なりません。

気候変動の影響で、季節の巡り方が昔とは異なる今。私たちは“暦どおりの季節”ではなく、“自分の体で感じる季節”を大切にしていく時代を生きています。立冬を、冬の入口と決めつけるのではなく、「秋と冬のあいだを味わう日」として楽しむのも素敵なとらえ方です。

朝晩の空気が澄み、温かい飲み物が恋しくなる頃。吐く息が白くなり始める少し前のこの季節こそ、一年でもっとも移ろいの美しい瞬間です。暦の上では冬でも、実際の季節感はまだ秋が居座っている…そんな“季節のゆらぎ”を感じながら、今日も一日を丁寧に過ごしたいものです。冷え込んだ夜には、美味しい肴を用意して、燗酒などいかがでしょうか。

「菊正宗 特撰 1.8L」
山田錦を使用し、生酛の技で醸した奥行きのあるうまみと抜群のキレ味の、料理の味が引き立つ辛口本醸造酒です。
特に気温が下がってくるこの時期には、燗にしていただくのがおススメです。

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移ろう季節に寄り添う、新しい“食欲の秋”。

今の時代に見つける、美味しい“食欲の秋”の楽しみ方。

秋が短くなった…そんな声を、ここ数年でよく耳にするようになりました。地球温暖化の影響なのか残暑が長引き、ようやく涼しさを感じたかと思えば、あっという間に冬が訪れます。短い期間の“食欲の秋”の行方が気になるところです。秋の味覚といえば、サンマ、戻りガツオ、サツマイモ、カボチャ、キノコ類など、いずれも自然のリズムで育まれた旬の代表格です。しかし、気候が不順の昨今、その“旬”のリズムは少しずつずれてきています。サンマは海水温の上昇で北の海域へと移動し、漁獲量も減少気味。戻りガツオも黒潮の流れの変化で回遊ルートが変わり、かつての秋の味覚とは言い難い状況が続いています。秋の野菜も、猛暑による日照りや雨不足が影響し、サツマイモやカボチャの出来にも地域差があるようです。

その一方で、季節の味を大きく支えているのが、栽培技術の向上や養殖技術の進歩に他なりません。ハウス栽培や環境制御型農業では、温度・湿度・光量を細かく管理し、ほぼ一年中、安定した品質で野菜や果実を生産することが可能になりました。漁業でも、完全養殖の技術が向上し、天然の品質に近い魚介が流通しています。つまり、“旬”はもはや自然だけに頼る時代ではなく、人の知恵と工夫が生み出した季節の味覚へと広がっているのです。

では、そんな気候変動の時代に“食欲の秋”をどう楽しめばよいのでしょうか。気候変動で秋が短くなり、“体が秋を感じる前に冬が来る”ような今の時代では、少し意識的に秋を感じる工夫が必要になってきます。季節のスタイルが崩れている今は、市場に出回る最初の味を意識的に味わうことがポイントです。その短い期間の味わい方を大切にすることで、暦ではなく五感で季節を感じ取る楽しみが生まれます。そのヒントとなるのは市場に出回る秋の食材を意識的に楽しむこと。スーパーで“秋の味覚フェア”というポップを見かけたら、それが季節の変わり目の合図。迷わずその旬を味わってみましょう。

脂の乗ったサンマを大根おろしで一緒にいただくいつもの塩焼きで。脂の乗りが控えめなものはニンニクや生姜、酢を効かせたさっぱりとした香味焼きや、三枚に下ろして梅肉や大葉を巻き込んだフライもおすすめです。戻りガツオはサラダ仕立てにしてオリーブオイルとポン酢で和えた和風カルパッチョでひと工夫。野菜なら、しめじやまいたけ、エリンギなどのキノコ類まとめてバター醤油でソテーすると、香ばしく秋の香りが広がります。オリーブオイルとニンニクで炒めた洋風きのこマリネもおすすめです。普段の食卓では地元産の食材や保存性の高い旬菜を取り入れることで、無理なく“食欲の秋”を感じることができます。自然と人の知恵が重なり合い、私たちは新しい“旬”を作り出していくことができるのです。

今年の秋も、目の前の食材と向き合いながら、今この瞬間だけの味わいを楽しみたいものです。そんな秋の味覚を引き立てるのは、やはり美味しい辛口の日本酒。季節の香りとともに、短い秋をゆっくり味わいたいものですね。

「菊正宗 上撰 1.8L」
「旨いものをみると辛口のキクマサが欲しくなる。」
スッキリと雑味がなく、しっかりとした押し味とキレのあるのど越しが特徴の、料理の味が引き立つ本流辛口酒です。

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読書の秋…本で広がる世界は、今も昔も、暮らしに寄り添っています。

スマホ時代だからこそ、あえて“紙で読む文化”にこだわりたい。

厳しい暑さも少し和らぎ、朝夕の涼しい風に感じる秋の気配。秋の旬の味覚を楽しむ“食欲の秋”や涼しくなって運動がしやすくなる“スポーツの秋”など、さまざまな“〇〇の秋”を楽しむ季節になりました。とりわけ、秋の夜長を楽しむ意味を持つ「読書の秋」は、落ち着いた季節に心ゆくまで物語の世界に浸る贅沢が不思議と似合います。1947年(昭和22年)、戦争で荒廃した社会に、精神的な豊かさを取り戻したいという強い願いで読書週間がスタート。

終戦直後の物資も食料も乏しかった時代でしたが、文化や心の復興への願いが「読書の秋」の言葉とともに定着しました。それを支えたのは、町のあちらこちらにあった貸本屋です。物資が少なく娯楽もほとんどない時代、古本を再利用するという発想が「読書の秋」の原動力となりました。1960年代後半頃まで日常に溶け込んでいた貸本時代、人々を魅了したジャンルに怪奇・探偵・冒険小説があります。怪人二十面相や少年探偵団の江戸川乱歩や金田一耕助シリーズの横溝正史などが人気で、安く借りられる貸本は庶民の強い味方でした。また、好きなジャンルの作品を読み漁り、その影響を受けた楳図かずおや水木しげる、松本零士などの後の漫画界の巨匠たち。

彼らもデビュー間もないころは貸本で作品を発表して人気を不動のものに。そのダントツの人気を誇ったのが他ならぬ手塚治虫作品でした。

このほか、夏目漱石、太宰治、志賀直哉などの純文学系作家や子母澤寛、山本周五郎、柴田錬三郎などの時代小説、石坂洋次郎、獅子文六、有吉佐和子などの通俗・恋愛青春小説など多彩なジャンルが本屋の棚に並んでいました。シャーロック・ホームズや名探偵ポワロなどの推理小説をはじめ、海底二万里や宝島などの冒険小説など翻訳された海外作品が広まったのも貸本屋が起点です。1959年に創刊が相次いだ少年週刊漫画雑誌も発刊当初は貸本文化の延長線上にありました。

漫画雑誌には汚れ防止の透明ビニールやセロファンが掛けられ、貸出しの順番を待つ子どもたちの姿も日常の光景でした。いつも最初に借りる子は人気者で、その子の家で回し読みすることが放課後の楽しみのひとつだったのです。

やがて、高度経済成長期を迎えて世帯収入が増え、小説も文庫本として、より安価に購入できるようになり、貸本屋は町の一般書店へと業態を変化。小説や漫画を原作とした映画やテレビドラマも増えたことで、庶民の娯楽は一気に広がりました。かつて多くの人々を魅了した小説も、時代の流れの中で活字離れという局面に接して、本が売れない時代へと突き進むことに。

あれから半世紀を経た現代、本を取り巻く環境は大きく様変わりしています。多くの漫画はアニメ化され、原作の漫画書籍とともに世界中にファンを持つ最強コンテンツへと成長。また漫画や小説から生まれたドラマや映画も花盛りです。漫画や小説もスマホで読む時代へと移り変わる中、インクの匂いと一緒にあのワクワクした昔の思い出が蘇ります。ドラマや映画きっかけでも構わないので、単行本や小説で登場人物とじっくり向き合う“読む文化”を、この季節に楽しんでみてはいかがでしょうか。本のページをめくるたびに、あの頃の静かな時間がそっと戻ってくるかもしれません。

ほろよい 720mL
アルコール度数8%でほろよいの気分を楽しめます。
口に含んだ瞬間にふわっと広がるフルーティな香りと、ブドウのような優しい甘み、プラムのような酸味が特長のお酒です。

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秋の彩りに寄り添う、日本の伝統色。

自然とともに育まれた色の言葉が、季節の酒席を豊かに彩ります。

秋も深まると、日本の風景はひときわ豊かに色づきます。「山々が燃えるような紅葉に包まれ、澄んだ夜空には冴えわたる月が昇る。」昔の人々はこうした季節の移ろいを敏感にとらえ、色の名に託してきました。日本の伝統色は、単なる視覚的な色彩表現ではなく、四季折々の自然に寄り添い、文化や暮らしに根差した“季節を愛でる色”でもありました。とりわけ、秋を彩る伝統色は、秋ならではの旬の食卓やお酒を楽しむシーンに見事に溶け込んでいます。

たとえば「茜色」。

夕暮れの空が茜草の根で染めた布のように赤く染まることから名付けられた色です。秋の夕べに盃を傾ければ、その赤みを帯びた夕焼けが盃に注いだ燗酒に映り込み、ほのかな酔いとともに一日の終わりを美しく締めくくってくれます。同じ赤系の紅葉の盛りを表す「紅葉色(もみじいろ)」もまた、秋を代表する色。山里を彩るカエデを愛でながらの酒席は、自然と人とがひとつにつながる瞬間。その風景はさらに鮮やかに心に焼き付くでしょう。

一方で、秋の夜長を表すのは、「藍色」や「紺青(こんじょう)」といった深い青がふさわしいかもしれません。

澄んだ夜空を仰ぎ、静けさの中で盃を手にする。そこに映る月影は、まさに月見酒の情景を映し出しています。白く冴えた月を表す「月白(げっぱく)」という名もあり、清らかな酒の透明感と呼応するように、季節の趣を映しているようです。

さらに秋の食卓に目を向けると、「栗色」や「柿渋色」といった落ち着いた色が登場します。炊き立ての栗ごはん、熟れた柿を肴に味わう一献。酒そのものの色ではなく、ともに楽しむ料理や器がもたらす色彩が、酒席をいっそう豊かに演出します。

器に使われる「胡粉色(ごふんいろ)」や暖かみも、料理と酒を引き立てる大切な存在。伝統色は、目に見えるものすべてを含んで“秋の食卓”を描いているかのようです。

日本の伝統色の魅力は、文学や和歌の中にも記されています。“色を揉み出す”ことから生まれた「もみじ」という言葉や、秋の夜を詠んだ歌に重ねられる「茜」「月白」などの表現。色の名は、自然そのものを表すと同時に、人々の感情や風情を織り込んだ詩的な言葉でもありました。ひとつひとつの色の名称にも物語が宿っており、その意味をたどるのも面白い楽しみ方。海外の色彩表現が「ブラウン」「オレンジ」と大まかに捉えるのに対し、日本の色名は植物や光景、情緒に根ざして細やかに分かれている点も特色です。

こうして見てみると、日本の伝統色は単なる色彩を超えて、四季折々の風景や人々の暮らしを写し取る文化そのものだといえます。秋の酒席に寄り添うのは、紅葉の赤でも、夜空の藍でも、月の白でも構いません。色を知り、感じることで、その一献はさらに深い味わいをもたらします。盃を通して秋を愛でる時間に、日本人が大切にしてきた伝統色の心を重ねてみてはいかがでしょうか。

菊正宗 特撰 きもとひやおろし 720mL
冬に搾った新酒をひと夏熟成し、火入れせずに生詰めした、この時期にしか飲めない「ひやおろし」です。
辛口の「灘酒」は出来上がった直後は若々しく荒々しい酒質ですが、半年間熟成させると香味が整い、味わいも丸くなって酒質が格段に向上します。
菊正宗の「ひやおろし」は、生もと造りで醸した、キレのある押し味が特徴。
秋の味覚を引き立てます。

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ラジオ体操、国体、体育の日、そしてスポーツの日へ。日本の健康志向の系譜。

体を動かす文化は、連綿と続くスポーツ振興によって育まれました。

「体育の日」は、現在は「スポーツの日」とその名を変えて定着している10月のたったひとつの祝日です。日本初の東京オリンピック開会式が行われた10月10日を記念し、1966年(昭和41年)に制定されたこの祝日は“体を動かすことを意識する日”として親しまれてきました。

その歴史を紐解いていくと、菊正宗と縁戚関係にある、柔道家であり教育者でもあった嘉納治五郎へとたどり着きます。

彼は欧米視察で体育教育の重要性を学び、日本での“体を動かす授業”導入に尽力しました。その結果、従来の学問中心の教育に、身体を鍛えることを体系的に組み込むことが実現。これは、日本の近代教育の大きな転換です。“運動は心身を育てるために欠かせない”という考え方が広まり、国民の意識を大きく変えるきっかけとなりました。さらに時代が進むと、1928年(昭和3年)に始まったラジオ体操が“誰でも、どこでも、短時間”でできる国民的運動習慣として普及します。学校や職場、地域で繰り返し行われたこの取り組みは、日常生活の中で自然に体を動かす文化を育み、現在も運動会などで継続されています。

そして戦後すぐに始まった国民体育大会(国体)は、国民の健康志向を社会的な広がりへと導きました。1946年(昭和21年)の第1回大会は、戦後復興を象徴する行事として受け入れられ、各都道府県持ち回りによる開催は、施設や道路整備、観光振興などの副産物をもたらしました。 “スポーツによって地域が変わる”という実感を全国に広げることとなったのです。

このような流れを経て制定された「体育の日」は、嘉納治五郎の提唱した体育教育、ラジオ体操による運動習慣、国体による地域振興といった多彩な運動機会の延長線上にありました。それまで一部の愛好家にとどまっていた運動を、全国規模で一斉に意識させる祝日とすることで、スポーツは“誰もが関わる行事”へと広がっていきます。

高度経済成長期とも重なり、ジョギングやテニスなど余暇としてのスポーツが広く浸透し、“体を動かすこと=健康で豊かな暮らし”という価値観が定着していきました。日本が世界一の長寿国になった要因のひとつには、こうした生活に根差した健康習慣への取り組みがあるといえるでしょう。

その後、2000年(平成12年)にハッピーマンデー制度によって、10月10日という固定日から10月の第2月曜日に移動しました。この制度は、祝日を月曜日に移動させることで3連休をつくり、国民の余暇を充実させる仕組みです。

さらに、2020年(令和2年)の東京オリンピックを契機に「スポーツの日」へと名称変更されました。国際的にも通用する“スポーツ”という表現を使うことで、より幅広い文化や交流を含めた祝日と位置づけられたのです。

振り返れば、嘉納治五郎の教育改革から始まり、ラジオ体操が日常に根づき、国体が地域を盛り上げ、そして体育の日が国民的なスポーツ意識を育てました。スポーツの日は、この連なりの先にある存在として、これからも私たちに“体を動かす喜び”を伝え続けてくれるでしょう。

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