今が、イチゴの美味しい季節。ブランド品種のイチゴも出揃っています。

日本人の気質が育んださまざまなイチゴの品種は、世界でもトップクラスの美味しさ。

日本は、世界でもトップクラスの
フルーツ大国で、
日本から海外へと輸出された果物は
どれも高い評価を得ているようです。

最大の理由は、
その国で流通している
同じフルーツより
美味しいからに他なりません。

ジューシーで、大きさや形が整い、
何より日本が誇る
安全性が担保されていることも
大きな要因です。

これは、日本人元来の勤勉さの
“より品質の高い果物を創り出す”
という考え方によるもの。

たとえば、
理想となる品種を生み出すために、
ブドウの“シャインマスカット”は
約33年、
イチゴの“スカイベリー”は
約17年もの歳月が投じられました。

気が遠くなるような開発期間が、
こだわりの深さを物語ります。

各都道府県の名産のフルーツも多く、
同じフルーツの産地同士が
切磋琢磨しながら競合することが、
高いレベルの品質維持に
つながっています。

我が子を育てるかのような
懇切丁寧な栽培努力が、
日本産フルーツの評価を高めている
といっても過言ではありません。

こうした手間暇を惜しまない開発や
生産過程の費用に加えて、
輸送コストがかかるため、
“日本のフルーツは
別格に美味しいけれど高価”
というのが、世界的な認識です。

しかし、円安の影響が功を奏して、
日本に格安で旅行できる今、
日本のフルーツを食べるために
訪日する方も少なくはありません。

訪日外国人だけでなく、
日本人にとっても
一番人気のフルーツは、
イチゴです。

全国的に流通する
“とちおとめ(栃木)”と
“あまおう(福岡)”が人気の双璧。

この他、“とちおとめ”の後継品種
“スカイベリー(栃木)”や
“紅ほっぺ(静岡)”、
“章姫(静岡)”、
“さがほのか(佐賀)”など、
約300種もの品種があり、
世界で流通するイチゴの半分以上は
日本のイチゴとまでいわれています。

“淡雪(鹿児島)”、
“真珠姫(奈良)”などの
白い品種イチゴや
糖度が15度以上
(一般のイチゴの糖度は10〜11度)
もある
“寒じめ あまおとめ(愛媛)”など、
これまでとはまた違った楽しみ方も
増えました。

スーパーなどで
鶏の肉厚なトサカのような
ややイビツな形のイチゴを
見かけることがあります。

これは受粉が
上手くいかなかったことが
原因ですが、
見かけたら即買いのイチゴ
ともいわれています。

というのも、
一般的な円錐形のイチゴの場合、
甘くて美味しいのは
葉とは反対側の尖った部分なのです。

先端部分が大きいのは、
甘い部分が大きいということに
なります。

菊正宗の本社がある神戸市の山間、
有馬温泉の北側に位置するエリアに
“幻のイチゴ”とも呼ばれる
“二郎(にろう)イチゴ”の農園が
点在しています。

50年以上もの歴史を誇るイチゴで、
市場には出回らず、
朝摘みの新鮮なイチゴが
14カ所ほどの直売所に並びます。

またイチゴ狩り農園もあるので、
“幻のイチゴ”をたらふく食べる
チャンスともいえます。

今が旬真っ只中のイチゴ。

スーパー店頭には、
さまざまなブランド品種の
イチゴが並んでいます。

ここはひとつ、
昔ながらの練乳をかけた食べ方で、
イチゴの甘酸っぱい味わいを
懐かしんでみましょうか。

春の“初ガツオ”と秋の“戻りガツオ”。同じ種類ですが、味は異なります。

ダイナミックなカツオの一本釣り。長いと2時間も続く過酷な体力勝負です。

カツオは年に2回の旬があります。

4〜5月頃に美味しいピークを
迎えるのが“初ガツオ”で、
春風が吹く頃、
東シナ海から日本南岸を流れる
黒潮に乗って北上します。

一方、“戻りガツオ”は
夏から秋にかけてが旬の時期で、
三陸沖辺りまで北上し、
親潮の勢力が増す秋に南下を開始。

エサを求めて北上中の
“初ガツオ”の身は
引き締まり、脂は少なめ。

赤みが多く、さっぱりとして
弾力のある食感が魅力です。

“戻りガツオ”は、
北上しながらエサをたくさん食べて
産卵時の栄養をためているので、
脂がのった濃厚な味わいを
待ち望むファンも多いといいます。

高知県の土佐の一本釣りが
有名なカツオですが、
年間漁獲量のトップは静岡県で、
2位以下はその半分ほどの水揚げ量で
東京、宮城、高知と続きます。

カツオ漁は、
一本釣りの近海漁業と
巻き網漁が中心の遠洋漁業の
大きく2種類。

一度に多く獲れるという点では、
巻き網漁に軍配が上がり、
漁獲量の差は歴然。

しかし、巻き網漁では
大量のカツオを一気に引き上げるため、
網の中でカツオが暴れてぶつかり合い、
身割れが起こったり、
傷んで柔らかくなったり
することも多いそうです。

一本釣りの場合は、
一尾ずつ釣り上げるので、
身の痛みが少ないのが特徴で、
大きさや鮮度が同じでも
市場では高値で取引されます。

テレビ番組などで観る
カツオの一本釣り漁は、
かなりダイナミックです。

近年はハイテク機器により
科学的なデータ分析が
導入されていますが、
昔ながらのカツオ鳥の群れを探して
“なぶら(カツオの群れ)”
を見つける方法も根強く残ります。

“なぶら”に接近すると、
餌のイワシと一緒に
大量の水を撒いて水面を沸き立たせて、
捕食しようと水面近くにまで来た
カツオを擬似針で一匹ずつ
釣り上げるのです。

ベテランの漁師ともなると
2秒に一匹の割合で
次々と釣り上げます。

使われる擬似針は、
かえしのないストレートな針なので、
魚を頭上高く跳ね上げると
針から魚が外れ、
そのまま一連の動作で
再び海に針を投げ込みます。

“跳ね釣り”と呼ばれる
独特の釣り方で、
大きいものだと10kgを超え、
長いと2時間近く続く
過酷な体力勝負のようです。

カツオといえば、
“刺身”より“たたき”にするのが
ポピュラーな食べ方。

まず、おろしたカツオを
豪快に焼き網で炙って
厚めの刺身に仕上げます。

この時、ワラで炙るのが本場流。

ワラの香りが程良くカツオに移り、
食欲をそそります。

炙った後、
まな板の上で塩を振って、
馴染ませるために軽くたたくことが
“たたき”の由来。

この料理法により、
カツオの生臭さが軽減され、
表面を炙ることで身が引き締まり、
旨みがしっかりと凝縮されます。

また、カツオの濃い味と
生臭さを解消してくれるのが、
ミョウガやおろし生姜、刻みネギ、
玉ネギスライス、ニンニクなどの薬味。

カツオの身が隠れるくらいに
たっぷりの薬味を
カツオのたたきにのせて、
土佐酢やポン酢などでさっぱりと
食べるのが通の食べ方です。

香りの強い薬味や
濃厚なカツオの味に合わせる日本酒は、
辛口で杉の香りが鼻に抜ける
「樽酒」が相性ぴったり。

今年の“初ガツオ”が楽しみです。

菊正宗 純米樽酒720mL
吉野杉の爽やかな香りをまとった芳醇な味わい

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「蛍の光」「仰げば尊し」の原曲は、海外にルーツがあります。

邦楽の魅力は、メロディーラインの美しさと歌詞に込められた深い意味。

“歌は世につれ、世は歌につれ”。

昭和の時代、
歌謡番組で名物司会者が口にする
番組冒頭のフレーズです。

昭和は、歌謡曲花盛りの時代で、
テレビのゴールデンの時間帯には、
各局それぞれの特徴ある歌謡番組が
数多くありました。

アメリカの有名な
ヘビーメタルバンド「メガデス」の
リードギターとして活躍した
マーティ・フリードマンは
大の歌謡曲好き。

彼はワールドツアーの日本公演で
日本の音楽に触れ、
メロディーラインの美しさや
複雑な音の構成アレンジ、
歌詞に込められた深い意味、
そしてラテンやサンバなど
世界中のリズムによる曲が
邦楽として成立していることに
大きな衝撃を受けました。

邦楽に魅せられた彼は、
今では日本に移住して、
日本語もペラペラ。

世界市場では
やや出遅れた感のあるJ-POPも、
彼にいわせると
かなり複雑な曲構成や曲進行に加え、
より魅力的に歌う
アーティストの存在は大きく、
純粋に評価されるのなら、
その完成度は
世界でも群を抜くとのことです。

そんな邦楽のジャンルで、
今の時期によく聞こえてくるのが
“卒業ソング”。

卒業式を中心に、
“春の別れ”を表現した歌が
数多くあります。

卒業式で歌われた
昭和の定番曲といえば、
「蛍の光」と「仰げば尊し」。

「蛍の光」は、
スコットランド民謡の
「オールド・ラング・サイン
(Auld Lang Syne)」が原曲で、
和訳だと“古き昔”。

2020年(令和2年)の
英国のEU脱退に際し、
欧州議会が
離脱協定案を可決した時に、
議員たちが総立ちで
この歌を大合唱したことでも
有名な曲です。

もうひとつの「仰げば尊し」が
学校唱歌として発表されたのは
1884年(明治17年)。

それ以来ずっと
作曲者不詳のまま
歌い継がれてきましたが、
2011年(平成23年)に、
研究者によって
アメリカの原曲
「Song for the Close of School」が
発見されました。

昭和を代表する定番の2曲とも、
海外にルーツを持つことに
驚きを隠せません。

残念ながら、平成以降、
古い日本語表現が難しく
意味が理解されにくい、
恩師への感謝を強要している
などの理由で、
これらの曲は
あまり歌われなくなりました。

そして現在、
卒業式に何を歌うかは
学校ごとで自由に選び、
なかには生徒が選ぶこともあり、
J-POPなどからも選ばれる
卒業式の歌もあるとか。

よく歌われているのは、
1991年(平成3年)に
荒れた学校を歌で更生しようと
教員がつくった合唱曲
「旅立ちの日に」。

しばらくはそこの中学校だけで
歌われていたものが
近隣の学校に広まり、
1998年(平成10年)頃には
全国で歌われるようになりました。

似たタイトルの
「旅立ちの日に…(川嶋あい)」
をはじめ、
「ありがとう(いきものがかり)」
「手紙〜拝啓 十五の君へ〜
(アンジェラ・アキ)」
「友〜旅立ちの時〜(ゆず)」
「桜ノ雨(初音ミク)」
「3月9日(レミオロメン)」
「栄光の架橋(ゆず)」などを
混声合唱曲に編曲。

学校生活の情景に
心情や熱い想いを寄り添わせる歌詞に、
生徒一人ひとりが心を投影することが、
より深い感動を生み出します。

まさに
“歌は世につれ、世は歌につれ”
なのかも知れません。

関東と関西で、“江戸前寿司(握り寿司)”は微妙に異なります。

町で見かける「寿司」「鮨」「鮓」の漢字。それぞれの意味を持っています。

「寿司」「鮨」「鮓」、町で見かける
“すし屋”の看板の漢字です。

「鮨」「鮓」は
古代中国から伝わりました。

「鮨」は川魚の塩漬けで、
今でいうところの
“塩辛”のようなもの、
「鮓」は川魚を塩と米に漬け込んで
発酵させた
“なれずし”のようなものです。

江戸時代に、
日本で生まれたのが「寿司」で、
“寿(ことぶき)を司(つかさどる)”
という江戸っ子らしい
粋な当て字を使っています。

寿司が気軽な外食となったのは、
ここ30年ほどのことで、
それを牽引したのは、回転寿司
といっても過言ではありません。

とくに近年、
大手回転寿司チェーンが全国的に
店舗数を拡大しながら競合することが
お客様満足度の向上に繋がっています。

大量仕入れによるコストダウンや
新鮮な魚の安定供給が、
消費者にとっての最大のメリットです。

しかし、これによって元々の寿司屋が
衰退している訳ではありません。

一部の店は苦戦を強いられて
いるところもありますが、
全国的な寿司消費は増加し、
寿司業界の裾野はむしろ広がっています。

老舗寿司店や高級寿司店だけでなく、
町のお寿司屋さんも、優れた目利きと
卓越した技術でお客様を魅了しています。

寿司の歴史を振り返ると、
関東と関西で
その成り立ちは異なります。

江戸前寿司は、江戸の前、
つまり東京湾で獲れた魚を使い、
せっかちな江戸っ子向けに、
屋台の立ち食いスタイルで
提供されました。

寿司ネタと酢飯を一緒に握った
“握り寿司”、今でいう
ファストフードのようなものです。

一方、関西では、
木型や箱の中に魚介類を重ねて
圧力によって押し固め、
時間をかけて発酵させる調理法が、
平安時代に確立。

のちに、発酵工程を省いた
“押し寿司”として発展しました。

寿司ネタは白身魚やアジ、サバ、
アナゴ、エビなどで、
たとえば日本海から運ばれた
塩サバを使った“鯖寿司”や
瀬戸内の魚介を使った
豪華な押し寿司など、お祭りや行楽、
観劇の際のお弁当など、
特別な日に食べるお寿司として
人気を博しました。

東西で異なる発展を遂げた寿司ですが、
江戸前寿司が全国に広まるキッカケ
となったのは関東大震災です。

江戸の寿司職人が
関西や地方などの避難先に根付いて
広めたといいます。

現在では寿司といえば
“握り寿司”が主流ですが、
関東と関西では、そのスタイルが
微妙に異なります。

関東では、寿司1貫ごとに
“ひと手間”をかけるのが
基本となっています。

魚の種類に合わせて、
酢や塩で締めたり、
甘辛いツメを塗ったり、
ヅケにしたり、煮る、炙るなど、
職人の“ひと手間”がかけられます。

魚介も東京湾で獲れたマグロやエビ、
タコ、イカ、ウニ、アワビなど。

関西の寿司は
産地へのこだわりよりも鮮度が大切で、
タイやヒラメなどの白身魚が多く、
カンパチ、ハマチ、シマアジなどの
赤身魚も好まれます。

最近は、昔ほどの東西の差も
少なくなってきているようです。

別の土地に旅行や仕事で出かけた時、
できるならその土地土地の
寿司の味を食べてみるのも一興。

新しい発見に出会えるはずです。

菊正宗 上撰 純米樽酒 720mL
樽酒の爽やかな香りは、
口中に残る料理の味を洗い流し、
さっぱりとさせる働きがあります。

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