愛らしさでお馴染みの野鳥、ツバメとスズメ。その生態は大きく異なります。

ツバメが日本に戻ってくるのは、毎年春先の同じ時期で、同じ個体の場合が多い。

外気に面した
マンションの廊下や
民家の軒下などの
ツバメの巣から聞こえる、
ヒナの“チチチチチ…”
という鳴き声に、
春から夏への変化を感じる季節です。

ところが、
七十二候の第十三候
「玄鳥至(つばめきたる)
/二十四節気「清明」初候」は
4月4日〜8日頃。

毎年ほぼ同じ時期に、
ツバメは台湾やマレーシア、
フィリピンなどの
東南アジアを中心に、
遠くはオーストラリアから
数千kmもの距離を飛んで
日本へと渡って来ます。

日照時間の長さを感知して
飛び立つ時期を知り、
毎年ほぼ同じ時期に飛び立つので、
長く続く海上では
太陽の位置によって
目的地の方向を把握。

日本の陸地が見えてくると
見覚えのある
山などの地形を確認しながら、
元の巣にたどり着くと
いわれています。

オスが最初に到着し、
元の巣を2日ほどで補修。

古巣がなければ
近くの空いた巣を探し、
空いた巣がなければ
元の巣に近い場所へ泥を運んで
乾かしながら時間をかけて
営巣することになり、
10日ほどかかるようです。

ツバメの巣は、
泥と枯れ草に唾液を混ぜたもので、
頑丈な土壁さながらの
強度があります。

日本に戻って来たツバメは
4月から6月にかけて卵を産み、
メスが卵を温める抱卵期間は
2週間ほど。

孵ったヒナは
親鳥が運んでくる餌を食べて
3週間ほどで親と同じ大きさに成長し、
飛ぶ練習を始めます。

春先に来たツバメは、
巣作りや繁殖、抱卵に忙しく、
それほど目にする機会はありません。

しかし、ヒナが孵って以降、
ヒナ鳥の喧しい鳴き声を耳にし、
餌を捕るために飛ぶ親鳥の姿を
頻繁に見かけることもあり、
ツバメというと“夏鳥”という
強い印象につながっているのかも
知れません。

ツバメは
スズメ目ツバメ科に分類されますが、
ツバメとスズメとでは、
生態は大きく異なります。

まず、
ツバメは渡り鳥、
スズメは人の生活圏で共存する鳥
という違いです。

また、
ツバメの主食はハエや蚊、
アブ、羽アリなどの昆虫類で、
肉食中心の食生活を送ります。

スズメは米などの穀類や種子、
イモムシなどの昆虫、花の蜜、
パンや菓子屑、時には生ゴミなど
雑食です。

この食の生態により、
米の生育を阻害する
害虫を食べるツバメは
益鳥として農家に親しまれ、
逆に米を啄むスズメは
害鳥として疎んじられてきました。

飛び方も異なり、
ツバメは羽ばたきよりも
直線的に飛ぶ滑翔
(グライディング)が中心で、
歩くことはほとんど見かけません。

一方、スズメは、
羽ばたきながら直線的に飛行し、
地上でも両足でホッピングしながら
素早く移動する姿をよく見かけます。

これから夏に向け、
ツバメが大空を飛び回る姿を
頻繁に見かける時期です。

七十二候の第四十五候
「玄鳥去(つばめさる)
/二十四節気「白露」末候」の
9月17日〜21日頃、
暖かい南の地域へと
ツバメが戻り始めるまで、
その愛らしい姿に
しばらく癒やされたいものです。

新選組副長「土方歳三」の、厳格なまでのストイックな生き様。

それぞれの“思い”を胸に、刹那的に「幕末」を駆け抜けた若者たち。

今から約170年前、
日本は近代化に向け
大きな転換期を迎えました。

徳川幕府末期の「幕末」です。

「幕末」の期間は
明確に定義されていませんが、
一般的には、
ペリー率いる黒船が
浦賀沖に来航した1853年 (嘉永6年)を
「幕末」の始まりとし、
新政府軍と旧幕府軍が戦った
1868年(慶応4年)の“戊辰戦争”を
「幕末」の終わりとする
考え方が多いようです。

それ以外にも、
徳川最後の将軍・慶喜が
“大政奉還”を行なった
1867年(慶応3年)、
もしくは翌1868年(慶応4年)の
“江戸開城”を
幕末の終焉と見なすこともあります。

いずれにせよ、
わずか15年ほどの間に、
ちょんまげに帯刀、
着物が中心だった日本が、
海外の列強国と対峙する近代国家へと
大きく変わるきっかけとなりました。

時として起こる大きな時代のうねりは
かつて経験したこともない
新しい時代へと
導いているかのようです。

さて、「幕末」ですが、
30代40代の若者が、
それぞれが思い描く
“志”や“しがらみ”に
突き動かされるように戦い、
そして夢半ばに散っていきました。

そんな動乱の「幕末」を駆け抜けた
多くの若者の中のひとりに
「土方歳三」がいます。

「土方歳三」は、
1835年(天保6年)
武蔵国多摩郡石田村(現東京日野市)
に生まれた10人兄弟の末っ子。

14歳から24歳まで
東京上野の呉服商で奉公し、その後、
実家秘伝の“石田散薬”の行商で
生計を立てるかたわら、
行商で訪れた地の剣術道場で
修行を重ねました。

姉の嫁ぎ先の天然理心流の道場で、
後の新選組局長となる
近藤勇と出会います。

そして1863年(文久3年)3月、
近藤勇らとともに
徳川14代将軍家茂警護の
壬生浪士組に応募し、京都へ。

同年8月、壬生浪士隊は
“新選組”として正式に発足。

9月には
局内で幅を利かせていた新見錦切腹、
芹沢鴨の暗殺を経て、
10月に近藤勇局長の新体制が築かれ、
副長「土方歳三」が誕生しました。

この一連の流れは、
歴史的に厚みのある史実で、
ドラマや映画では
かなりの時間をとって描かれますが、
実際には約半年の出来事です。

その後、京都の町を舞台に、
土佐の坂本龍馬や
長州藩の攘夷派志士との
戦いを繰り広げ、
町民からも、
“壬生浪”と恐れられる存在に。

攘夷派志士の鎮圧を行った
“池田屋事件”や“禁門の変”
の働きで知名度を高める一方、
規律を守らせる鉄の掟ともいえる
“局中法度”を定めたのは、
他ならぬ局内の実権を握っていた
副長「土方歳三」でした。

敵味方が入り混じり、
混迷を極めた覇権争いは、
1867年(慶応3年)に
徳川最後の将軍・慶喜が
大政奉還を行った後、
旧幕府軍は戊辰戦争の
鳥羽・伏見の戦いで敗北。

“新選組”から離反する隊士も多く、
事実上“新選組”は解散の憂き目に。

「土方歳三」をはじめとする残党は、
旧幕府軍の榎本武揚らとともに行動し
函館・五稜郭に入城。

1869年(明治2年)、
「土方歳三」は、
新政府軍の軍隊に孤軍の戦いを挑み、
34歳の生涯を閉じました。

最初に故郷を出てから
わずか5年の歳月。

今年の5月31日(新暦)、
「土方歳三」188歳の誕生日が、
また巡ってきます。

5月28日の「ゴルフ記念日」。この日に制定された納得の理由。

“おじさんのスポーツ”は昔のこと。今は、女性や若い世代が急増しています。

5月28日は「ゴルフ記念日」。

1927年(昭和2年)に、
“程ヶ谷カントリー倶楽部(神奈川)”
で開催された
「第1回日本オープン選手権大会」
の開催日である
5月28日にちなんだものです。

これは、
スポーツ用品メーカーの
ミズノの直営店である
MIZUNO TOKYOが
1994年(平成6年)に
一般公募した
スポーツ記念日のひとつ。

「ゴルフ記念日」以外にも、
1月12日は“スキーの日”、
4月1日は“トレーニングの日”、
8月9日は“野球の日”、
10月第1土曜日は
“アウトドアスポーツの日”、
11月11日は“サッカーの日”と、
全部で6つの記念日を
登録しています。

日本でのゴルフの歴史を紐解くと、
1901年(明治34年)に
イギリスの貿易商
アーサー・H・グルームが
神戸・六甲山の自身の
別荘近くにつくった4ホールの
“神戸ゴルフ倶楽部(兵庫)”が
日本のゴルフ発祥の地です。

1903年(明治36年)には9ホール、
翌1904年(明治37年)には
18ホールを完備。

100年を超えた今も
日本最古のゴルフ場として
歴史を紡いでいます。

その10年後に
“雲仙ゴルフ場(長崎)
/1913年(大正2年)”、
関東初の“東京ゴルフ倶楽部(埼玉)
/1914年(大正3年)”、
“富士屋ホテル仙谷ゴルフコース
(神奈川)/1917年(大正6年)”、
“旧軽井沢ゴルフクラブ(長野)
/1919年(大正8年)”、
“垂水ゴルフ倶楽部(兵庫)
/1920年(大正9年)”、
“鳴尾ゴルフ倶楽部(兵庫)
/1920年(大正9年)”と続き、
ようやく「ゴルフ記念日」の
由来となった
“程ヶ谷カントリー倶楽部
(神奈川)/1922年(大正11年)”
の開場となります。

これらのゴルフ場は
外国人居留地の近くに在り、
日本人は多くの
外国人プレーヤーに混ざって
肩身の狭い思いをしながら
ゴルフをしたといわれています。

“程ヶ谷カントリー倶楽部”は、
18ホールを備えた
正式なコースとして
認定されたゴルフ場としては
日本で最古とされ、
日本国内メジャー大会の
最高峰に位置付けられている
「日本オープン選手権大会」
第1回の開催日が
「ゴルフ記念日」に制定されたのは
当然のことのようです。

ゴルフと聞くと、
“おじさんのスポーツ”
という印象が強く、
コースやクラブハウスは
おじさんで賑わっていると
思われがちです。

しかし、現在は
女性ゴルファーや若い世代の獲得、
リピート化に取り組んでいる
ゴルフ場も多く、
パウダールームの増設や
レディースデー割引、
流行りのグルメ料理、
スイーツの提供など、
若い人や女性向けサービスが
かなり拡充されています。

また、SNS映えする華やかな
ファッションアイテムも増え、
平日ならばランチ代込みで
5000円前後で楽しめる
ゴルフ場も増えたことで、
気軽なアウトドアスポーツとして
人気だとか。

昔のゴルフとは、
かなりイメージが変わりつつある
現在のゴルフ。

まだコースデビューをしていない方は
ぜひゴルフ経験者と一緒に
コースを回ってみてください。

ハマるか、ハマらないか、
まずは一度経験してから、
答えを出すのも
良いのではないでしょうか。

「潮干狩り」は、これからがお楽しみ。家族連れにオススメのレジャーです。

「潮干狩り」で獲ってきたアサリは、旨みが濃厚な“アサリ潮ラーメン”で堪能。

かつて「潮干狩り」は、
ゴールデンウイーク辺りから
梅雨の晴れ間を縫って、
初夏まで続く夏場の人気の
レジャーのひとつでした。

近年になってレジャーが多様化し、
以前ほど混雑することは
ありませんが、それでも
小さなお子様のいるご家庭では、
この時期のお楽しみ行事として
結構賑わっています。

「潮干狩り」の歴史は古く、
平安時代に描かれた
大和絵に度々登場しますが、
庶民のレジャーとして定着したのは
江戸時代になってからのこと。

それほど娯楽もなかった当時は、
東京湾にもたくさんの干潟があり、
春から夏にかけての
ささやかな庶民の楽しみとして
格好の行楽地でした。

その様子は浮世絵に描かれ、
和歌にも詠まれています。

明治以降には、
全国的に「潮干狩り」が
広まっていきました。

場所によっては
ハマグリやバカガイなども獲れますが
全国的に
「潮干狩り」といえばアサリで、
干潮時に潮が引いた浜辺で
小さな熊手で砂を掻き出して獲るのは
みなさんご存知のスタイルです。

「潮干狩り」の最中に、
1cmほどの小さな穴を見つけたら
塩をひとつまみ入れてみてください。

塩分が濃くなったことに反応して
細長いマテガイが
ニュッと飛び出してきます。

このユニークな獲り方は
子供たちに人気で、
一度上手くいくと子供たちは、
ずっとマテガイ獲りに夢中です。

さて、
「潮干狩り」で獲ってきたアサリは
産卵期前で、身入りが良くなり
旨み成分が増す“旬”の時期。

この旨みを存分に楽しむのに適した
“アサリ潮ラーメン”を
ご紹介します。

1人分の材料は、
あさり/約200g(中サイズで15個前後)
中華麺/1玉
万能ネギ/適量
お好みでバター/適量

スープは、
水/500cc
昆布/5cm角
日本酒/50㏄
薄口醤油/小さじ1杯
塩/適量

まず最初に行うのは
アサリの下処理から。

平たいバットにアサリを並べて、
海水に近い3%の塩水(500mlの水に
キャップ摺り切り1杯の塩が目安)に
30分ほど浸けて砂を吐かせます。

同時に、両面を軽く水拭きした
5cm角の昆布を
500ccの水に浸しておきます。

砂を吐かせたアサリはザルにあけて
濡れたキッチンペーパーを被せて、
約3時間、冷蔵庫に。

この放置されている時間に、
旨み成分となるコハク酸が
大きく増加するとのこと。

調理直前に
アサリの貝殻を擦り合わせながら
流水で洗います。

鍋に日本酒を入れて
アルコール分を飛ばしたところに、
あらかじめ浸けておいた
昆布出汁500ccとアサリを投入。

弱火にかけて灰汁を取りながら、
アサリと昆布の旨みを引き出すのが
ポイント。

沸騰し始めたら昆布を取り除き、
アサリの口がひとつでも開いたら
火を止めて蓋をして蒸します。

約2分間経ったら
小さじ1杯の薄口醤油を入れ、
味を確認しながら塩で味を整えます。

茹でた中華麺ひと玉を入れた
ラーメン鉢にアサリと出汁を入れ、
刻んだ万能ネギを散らして完成。

お好みで
バターを入れた味変もおすすめ。

アサリの素材が持つ旨みを引き出した
絶品の潮ラーメン。

ぜひ、ご堪能ください。

イチゴは、果物でなく野菜。日本は世界に誇るイチゴ生産王国です。

本来の“旬”であるこの季節にこそ味わいたいイチゴ。高級ブランド種は絶品です。

イチゴの美味しい季節です。

とはいうものの、
最近のイチゴが店頭に並ぶのは、
12月から5月にかけて
約半年間が旬とされる期間。

本来のイチゴの旬は
春先の5月から6月でしたが、
冬場に人工的な春をつくりだす
ハウス栽培の環境が整ったり、
酸味を抑えて糖度を高める品種改良を
重ねたおかげで、
甘くて美味しいイチゴを
長い期間楽しめるようになりました。

クリスマスケーキの時期に
イチゴ需要が爆発的に
高まることに応えるために、12月から
収穫されるようになりました。

一方、イチゴが収穫されない
6月から11月でも、なぜかイチゴが
上に乗ったショートケーキは
店頭に並んでいます。

このイチゴの多くは
海外産の輸入イチゴを使用。

併せて、北海道や東北地方、
長野県の“夏秋(かしゅう)イチゴ”
という涼しい地域で
生産される品種もシーズン外の
業務需要を担っているとのこと。

余談になりますが、
情報番組などでよく取り上げられて
ご存知の方も多いかもしれませんが、
毎月22日は
“ショートケーキの日”です。

その理由はカレンダーを
見れば一目瞭然。

22日の上は必ず15日、
つまり上に15(イチゴ)が乗っている
という洒落た理由からなのです。

旬とされる時期は長いものの、
やはり大量の美味しいイチゴが
店頭に出揃うのは本来の旬である
5月から6月にかけてのこと。

「とちおとめ(栃木)」
「あまおう(福岡)」
「紅ほっぺ/章姫(静岡)」
「さがほのか(佐賀)」などは、
流通の多いおなじみの品種。

約300品種以上あるイチゴの半数以上は
日本で品種改良したものです。

1粒5万円もの時価価格をつけた
「美人姫(岐阜)」は、
一般のイチゴの糖度が
10度ほどなのとくらべて、
13から16度と高く、
トマトと間違われるほどの
特大サイズ1粒が桐箱に入って
生産者から直接届く超高級ブランド。

このほか1パック数千円の
「スカイベリー(栃木)」
「さくらももいちご(徳島)」
「きらぴ香(静岡)」をはじめ、
変わり種の白い「パールホワイト/
真珠姫(奈良)」や薄いピンクの
「淡雪(鹿児島/佐賀/奈良/熊本)」
など、イチゴの品種登録の数は
現在もどんどん増えているようです。

ネットショップを通じて
生産者が直接販売する
流通ルートを利用して、
お好みのご当地イチゴを
気軽に食べられるようになったことも
品種が増え続ける要因の
ひとつなのでしょう。

イチゴの英語表記に使われる
“…ベリー”には、
“小さな多肉質の液果で、
食用となる果実”という意味があり、
ラズベリーやクランベリー、
ブラックベリー、ブルーベリーなど
ケーキの材料などに使われるものが
たくさんあります。

しかし、日本人の口にはイチゴが
格段に合うようで、
イチゴ需要はダントツです。

ちなみに、イチゴは園芸学上、
草の実であることから野菜に分類され
農水省の統計調査でも
野菜として分類されていることには
改めて驚きます。

美味しいブランドイチゴを取り寄せ、
市販のものと食べくらべてみるのも
面白いかも知れません。