今年の「母の日」は5月14日。母の日ギフトは、もうお決まりですか。

日本の「母の日」が広まるきっかけとなったのは、昭和12年の一大イベントから。

今年の「母の日」は、
5月14日(日)です。

「母の日」のはじまりは、
アメリカの南北戦争(1861〜1865年)
にまで遡ります。

アン・ジャービスという女性が
南北両軍の負傷兵を看護する
ボランティア団体を立ち上げ、
戦争後も軍人たちのケアを
はじめとするさまざまな平和に向けた
社会活動を行いました。

彼女の死後、
娘のアンナ・ジャービスが、
母への強い思いではじめた
「母親のための祝日」を設立する
小さな活動がアメリカ全土へと広がり
1915年に、5月第2日曜日を
「母親のための祝日」
とする法案が制定。

この“母への感謝”という思いは、
やがて全世界へと
大きく広がっていきました。

日本にもその活動が伝わり、
全国のキリスト教の教会や
婦人団体による
小さな「母の日」運動が行われる中、
1936年(昭和11年)に
森永製菓が
“森永母を讃へる会”を結成。

関係団体に協力を呼びかけ、
「森永母の日」の行事として、
全国規模の“母を讃える歌”
の懸賞募集を行いました。

その反響は思いのほか大きく、
約15,000点を超える応募が
寄せられたといいます。

日本を代表する
詩人の西條八十らによって
応募作品の中から最優秀作が選ばれ、
NHK朝の連続テレビ小説
「エール」のモデルにもなった
作曲家の古関裕而が
曲をつけてレコード化。

また、
翌1936年(昭和12年)に開催された
「第1回 森永母の日大会」に
約20万人もの母親が招待されたことが
新聞や雑誌に取り上げられたことで、
「母の日」を一気に広める
大きなきっかけとなりました。

さらに、
1948年(昭和23年)に制定された
「国民の祝日に関する法律」第2条で、
5月5日の「こどもの日」の定義には、
“こどもの人格を重んじ、
こどもの幸福をはかるとともに、
母に感謝する”と
記載されることとなりました。

つまり日本では、
お母さんに感謝する日は、
年に2回あるということです。

「母の日」に
贈られるカーネーションは、
母が大好きだった
白いカーネーションを
娘のアンナが
祭壇に飾ったことに由来します。

カーネーションの白い花は
亡くなった母親に、
赤い花は健在する母親に贈るという
習慣が広まっていきました。

今年も菊正宗では
「母の日ギフト」を
いくつかご用意しました。

まずは「うれしいフェイス&
ボディケア☆ふろしき包みセット」。

日本酒由来の化粧水や乳液、洗顔料
などをおトクなセットにして、
お洒落な風呂敷に包んでお届けします。

続いて、
「母の日」のメッセージを添えた
「思いを伝えるネオカップセット」。

箱を開けた時に目に飛び込む、
ネオカップひとつに1文字ずつ、
全20文字の感謝のメッセージ。

180mLのネオカップが全6種入った、
飲みくらべにおすすめのセットです。

今年はお母さんの笑顔に触れる
幸せな「母の日」をお送りください。

そろそろ、春の風物詩の「よもぎ餅(草餅)」が店に並ぶ季節。

「草餅」はもともと、“母子草(御形/ゴギョウ)”を搗きこんだもの。

春の風物詩のひとつに
「よもぎ餅」があります。

「よもぎ餅」は、
「草餅」の一種なのですが、
現在、「草餅」といえば
「よもぎ餅」を指すことが
ほとんどです。

春の節句の
3月3日の“桃の節句
(上巳の節句/じょうし)”、
5月5日の“端午の節句”の
どちらのにも「よもぎ餅(草餅)」
を飾る習慣があり、
スーパーや和菓子屋店頭で
節句のお供えとして
売り出されていることもあり、
春の風物詩という強い印象に
つながっているのかも知れません。

“上巳の節句”に
「草餅」を食べる風習は、
平安時代に編纂された
「日本文徳天皇実録」に、
“世間では俗に母子草と呼ばれる草が
野原に生えている。
二月にはじめて生え、
茎や葉は白くて脆い。
毎年三月三日になると、
婦女がこれを採り、蒸し搗いて
草餅を作ることが中国より伝わって、
歳事となっている”
との記述が登場します。

当時、「草餅」に使われていたのは、
“母子草(御形/ゴギョウ)”で、
強い香りが邪気を祓うという
古代中国の習慣に基づくものです。

併せて“端午の節句”でも、
邪気を祓う「草餅」を食べる
習慣が根づきました。

平安当時、
貴族は“母子草
(御形/ゴギョウ)”の「草餅」、
庶民は手に入りやすい
雑草の「よもぎ餅」を、
それぞれ別の食べ物として
春の節句の時期に
食べていたようです。

時代は移って、江戸時代。

母や子の縁起を願う餅なのに、
“母子草(御形/ゴギョウ)”
を一緒に搗くのは
縁起が悪いといわれ始めます。

やがて、
“母子草(御形/ゴギョウ)”
と同じく香りが良くて、
邪気を祓うとされていた
“よもぎ”を使った
「草餅」が主流に。

どこにでも自生していて
手に入りやすいというのも
“母子草(御形/ゴギョウ)”
に取って代わる
理由だったのかも知れません。

「草餅」イコール「よもぎ餅」は、
江戸時代に確立して、
現在に至っています。

“よもぎ”は、豊富な栄養価をバランス良く含んだスーパーフードです。

“よもぎ”は
中央アジアの乾燥地帯が原産で、
日本ではほぼ全国各地に自生する、
いわば雑草のひとつです。

踏み潰されたり引きちぎられても、
日当たりさえ良ければ
荒地でも育つほど生命力、
繁殖力が強いことに、
健康長寿や子孫繁栄をなぞらえて、
春の節句のお供えに
用いられてきました。

原産地を中心にヨーロッパでは
“ハーブの女王”とも呼ばれ、
古代エジプトやローマでは
パン生地に練り込んで焼いたり、
リキュールとして醸造。

古代中国の漢方でも、
浄血・造血作用、
むくみや冷え症の改善など、
古くから世界の広範囲で
その効用が認められてきたといえます。

実際に、“よもぎ”の葉には、
ビタミンAやビタミンB1、ビタミンB2、
ビタミンC、ビタミンKや
ミネラルが豊富で、βカロテン、
タンパク質、クロロフィルカリウム、
カルシウム、鉄、食物繊維などの
成分がバランスよく含まれた、
まさにスーパーフード。

古くから世界中で薬用として
重宝されてきました。

“よもぎ”を食べると、
貧血予防、美肌効果、
便秘解消、冷えの改善などの
嬉しい効果がたくさん得られます。

また、よもぎ蒸しやお灸、
お風呂に入れるなど、食用以外にも
健康と美容に良いものとして
幅広く使われています。

また、
“よもぎ”を餅の材料として使う
別の理由として、葉の裏の
白くて細かい毛が絡み合うことで、
程良いコシを加え、
口に入れたときの舌触りが良くなり、
味を一層引き立てる役割を
果たしているようです。

もちろん、
食べたときに鼻に抜ける
爽やかな香りも魅力のひとつ。

“よもぎ”は多年草で、
当たり前のように
野原で年中見かけますが、
食用に利用するのは、
3月から5月頃の若い芽だけ。

また生の“よもぎ”は傷みやすく
日持ちは2日程度で、
なにより、そこら辺の
いたるところに自生しているので、
スーパーの店頭に並ぶことは、
まずありません。

山に分け入って稀に目にする
ヤマトリカブトの若葉と
“よもぎ”の若葉は
よく似ているので、
摘むときはご注意を。

「よもぎ餅」を食べるなら、
野原に自生する“よもぎ”の
若い芽を摘んで茹でた後、
細かくみじん切りにする、もしくは
市販されている“よもぎ粉”を使用。

手でこねた上新粉と
白玉粉を合わせた生地を
ひと口大にちぎって蒸し上げ、
“よもぎ”、上白糖と一緒に
さらに手でこね、粒餡などを
中に入れれば完成。

もっと簡単なのは店で売っている
「よもぎ餅」を買うこと。

市販の「よもぎ餅」を
素焼きにしたり、きな粉をまぶす、
アイスクリームの
トッピングをするなど、
さらに美味しくいただくアレンジも
お楽しみのひとつです。

叙情豊かに歌い上げる「夏は来ぬ」。深く歌詞を知れば、故郷はより身近に。

「立夏」辺りから、夏へまっしぐら。その季節感を歌い上げたのが「夏は来ぬ」。

今年の二十四節気の「立夏」は
5月6日。

この日辺りから梅雨を挟んで、
夏に向かって暑さを増す季節です。

そして、
ちょうど田植えの時期と重なります。

かなり遠い昔、
町中でも
ちょっと歩けば田畑が広がり、
田植えをする光景を
目にすることができました。

そんなシーンを描いた
「夏は来ぬ」という唱歌があります。

子供の頃に聞いた歌ですから、
深い意味など考えず、
漠然と夏の訪れを感じるくらいの
歌だったような記憶だけが残ります。

余談になりますが、
子供の頃に耳にする歌といえば、
“わらべうた”“唱歌”“童謡”
など。

“わらべうた”は、
“遊びや生活の中で自然とつくられた
遥か昔より歌い継がれた歌”で、
大人が口ずさむことで伝承してきた
子守唄や遊ばせ歌も
“わらべうた”に含まれ、
日本最古の“わらべうた”が
万葉集にあることから、
その歴史は奈良時代にまで遡ります。

一方、“唱歌”は
“明治初期から
第二次世界大戦終戦までにつくられた
学校教育用の歌”、
“童謡”は
“大正時代に子供のために
芸術性を重視する目的で
つくられた歌”
という定義があるようです。

しかし、現在は
“子供のうた”や
“みんなの歌”などと、
ひと括りにして親しまれています。

さて、「夏は来ぬ」は、
1896年(明治29年)に
「新編教育唱歌集(第五集)」で
発表された“唱歌”で、
作詞は佐佐木信綱、
作曲が小山作之助。

2007年(平成19年)には、
「日本の歌百選」に
選出されています。

季節感にあふれる
叙情描写が見事な歌なのですが、
発表時期が19世紀、
古典文学者による作詞
ということもあり、
古い昔のかなり堅い文語による
描写を多用。

歌詞を聞いたとき、
一度では何をいっているのか
理解できません。

タイトルの「夏は来ぬ」からして、
“夏が来ない”
といっているようです。

“来ぬ”とは、
“来る” の連用形“き”に、
完了の助動詞“ぬ”の終止形が
加わった形で、
現代語に訳すと
「夏が来た」という意味になります。

まずは、1番の歌詞を例に紐解きます。

耳に届く“音”を表す意味で
ひらがなによる表記だと、
“うのはなの にほふかきねに 
ほととぎす はやもきなきて 
しのびねもらす 
なつはきぬ”
漢字をまじえた表現にすると、
その意味が薄っすらと見えてきます。

“卯の花の 匂う垣根に 
ホトトギス 早も来鳴きて 
忍び音もらす 
夏は来ぬ”
現代語に訳すと次のようになります。

“初夏に白い花を咲かせる
ウツギの花の香りが漂う垣根に 
ホトトギスが早くも来て 
今年の初鳴き(忍び音)の声が
聴こえている 
あぁ夏が来たんだなぁ”

どうですか、
叙情豊かな昔のくらし振りが
見えてきませんか。

春から初夏に向けて、季節の移ろいを綴った歌詞に、農村の郷愁が見えてきます。

2番の以降の歌詞と現代語訳は
次の通りです。

《2番歌詞》
五月雨(さみだれ)の そそぐ山田に
早乙女が 裳裾(もすそ)ぬらして
玉苗(たまなえ)植うる 
夏は来ぬ

→《現代語訳》
梅雨の雨が降りしきる山の田んぼで 
若い女性が衣類の裾を濡らしながら 
稲の苗代を田に移し植えている 
あぁ夏が来たんだなぁ

《3番歌詞》
橘(タチバナ)の 
薫る軒端(のきば)の
窓近く 蛍飛びかい
おこたり諌(いさ)むる 
夏は来ぬ

→《現代語訳》
ミカン科の“橘”の
花の香りがする軒下の 
窓の近くで蛍が飛んでいるのを見ると 
夜の勉学を怠けそうになる気持ちが
引き締まる 
あぁ夏が来たんだなぁ

《4番歌詞》
楝(おうち)ちる 
川べの宿の 門(かど)遠く 
水鶏(クイナ)声して
夕月すずしき 
夏は来ぬ

→《現代語訳》
栴檀(せんだん)とも呼ばれる
“楝(おうち)”の
庭木の薄紫の花が散る6月 
川辺に佇む家の遠くで 
水鶏(クイナ)の戸を叩くような
鳴き声が聴こえ 
夕暮れに浮かぶ月に
心地よい涼しさを感じる 
あぁ夏が来たんだなぁ

《5番歌詞》
五月(さつき)やみ 蛍飛びかい
水鶏(クイナ)鳴き 卯の花咲きて
早苗(さなえ)植えわたす 
夏は来ぬ

→《現代語訳》
梅雨時のとりわけ暗い夜の闇 
(以降は、1番から4番までに登場した
“蛍”“水鶏(クイナ)”
“卯の花”“早苗(玉苗)”など、
この季節の季語が並ぶ、そして…) 
あぁ夏が来たんだなぁ。

「夏は来ぬ」は、
1番から5番へと物語を紡ぎ、
春から初夏への季節の移ろいを
情景に盛り込んだ
郷愁あふれる歌に仕上がっています。

意味も分からずに聞いていた時は、
そののどかなメロディーが
耳に残る程度ですが、
意味を知ってから聞くと、
昔の農村のくらし振りが垣間見える
原風景そのもの。

お気に入りの
昔の歌の歌詞を紐解いてみると、
これまで気づかなかった
新しい発見や
行間に込められ物語などを
見つけることが
できるかも知れません。

王者の風格を備えた山菜“たらの芽”。“旬”の美味しさは、これからです。

人気アニメ作品「鬼滅の刃」にも登場した“たらの芽”。

今回も春を代表する
“旬”の山菜をご紹介。

独特のほのかな苦味と
しっとりとした食感が癖になる、
“山菜の王様”との呼び声の高い
“たらの芽”です。

しかし、“行者ニンニク”と同じく、
春の訪れを感じる食材としては
知られているものの、
どんな料理をつくれば良いのかという
イメージが湧きにくい、
やや地味な印象の食材ともいえます。

ところが数年前、そんな地味な
“たらの芽”にスポットが当たる
瞬間があったのをご存知でしょうか。

全国的なブームとなったアニメ
「鬼滅の刃」の設定資料に書かれた
主人公の竈門炭治郎の好物が
“たらの芽”という一文です。

とにかく猫も杓子も大騒ぎの
大ブームだったこともあり、
細かいことも話題になる状態で、
思いもかけず“たらの芽”
という名前が表舞台へと
導かれました。

多くのファンがそれまで知らなかった
“たらの芽”を知ることになり、
一部の熱狂的な「鬼滅」マニアが
“たらの芽”を買い求めたという
話もあったようです。

“たらの芽”が採れるのは
“たら”という名前の木ではなく、
“タラノキ”という名前の木です。

“たらの芽”をまったく
知らない人にとっては、
その音の響きから魚の“タラ”の
目玉をイメージし、
その高い栄養価が話題になった
マグロの目玉を思い描く方も
おられるのでは。

実は、“タラノキ”と魚の
“タラ”は意外な関係にある
ともいわれています。

そのひとつが、“タラノキ”の
ザラついた木肌が魚の“タラ”に
似ているというもの。

魚の“タラ”と区別するために
“タラノキ”までを
名称とした説もあります。

“タラノキ”の葉を尖った枝などで
引っ掻くとそこが黒くなる性質があり
同じ性質を持つ
“タラヨウ(多羅葉)”の
“タラ”が転訛したものという
別の説もあります。

“タラノキ”は正式な和名ですが、
名付けられた由来は
よく分かっておらず、
さらに地方ごとの呼び名が
多く存在する木です。

地方ごとの方言名の数は100種類を
超えるともいわれ、
“タラ”という文字を含む
“タランボ”や“タラッペ”、
トゲトゲした枝の特徴から
“オニノカナボウ”、
“イギノキ”など、
まったく別の名前が存在します。

これは、北海道から沖縄の
全国の山に自生する
普通の木のひとつなので、
それぞれの地域で独自の呼び名で
呼ばれているということを
表しています。

木の高さは、大きくなっても
2〜3mほどの落葉低木。

生育旺盛でどんどん新しい芽を出して
成長しますが、寿命は15年前後と、
樹木の中ではかなり短命です。

市場に出回るほとんどが栽培もの。野趣あふれる美味しさを楽しむなら天然もの。

野生の“タラノキ”の
見分け方は簡単です。

それほど太くない幹はトゲトゲで、
ひと目見ただけで、どこかの地方で
“オニノカナボウ”と
呼ばれている理由が分かるほど。

早春ともなると、
目ざとい地元の人たちによって、
“たらの芽”の最初の新芽は
採られることが多く、
野生の“たらの芽”は
意外と入手困難です。

新芽は次々と芽吹きますが、
2番芽以降の新芽を摘まれると
“タラノキ”は枯れてしまうことが
多いともいわれ、
野生種を維持する意味で、
“1番芽以外は採らない”という
暗黙のルールもあるようです。

“たらの芽”の
特出すべき栄養価として
体内に溜まったナトリウムを外に
排出する働きのあるカリウムを
多く含んでおり、高血圧予防に
効果が高いといわれています。

また、βカロテンをはじめ、
マグネシウム、リン、鉄分、
ミネラルなどの栄養素も豊富に含み、
健胃や強精、強壮作用への
期待が持てる食材として、
昔から重宝されてきました。

スーパーなどの店頭に並ぶほとんどが
栽培ものなので、
野生種が持つ独特の苦味や
クセのある風味はややまろやか。

“たらの芽”本来の野趣にあふれた
香りや風味を楽しむなら
野生の天然ものがオススメです。

料理にする前の下処理は、
付け根のハカマや
硬い部分を切り落として、
1ℓの水に塩20gの割合の
沸騰した湯で2〜3分茹でて
冷水に漬け込んでアク抜きを。

天ぷらなど生のまま調理する際は
アク抜きは不要です。

油で揚げることでアクが
旨味に変わります。

アクを抜いた“たらの芽”は
ポン酢で和えて鰹節を振った
お浸しやゴマ味噌和えなどが
定番の料理。

パスタの具や炒め物の具にも
適していて、オリーブオイルや
バターと相性の良い食材といえます。

独特の苦みのある風味は、
酒の肴としても一級品。

まだ朝夕涼しい時期なので、
今シーズン最後の燗酒にもぴったり。

もちろん冷酒にも合うので、
お好みに合わせて、春の“旬”を
ご堪能ください。

行者ニンニクの美味しい季節。その風味は辛口の日本酒に合います。

春が“旬”の植物が多いのは、厳しい寒さによる“休眠打破”のおかげ。

冬の寒さが和らいで
暖かい日が増えるにつれ、
多くの植物は花を咲かせたり、
萌芽、発芽を迎えます。

この大きく成長するキッカケ
となるのが“休眠打破”
と呼ばれるものです。

これは冬に入る前に、
種子や芽、球根などを
一旦休眠して成長を止めていた植物が
冬の厳しい寒さによって
目を覚ますことを“休眠打破”と呼び
そこから春の暖かさに導かれるように
成長していきます。

この“休眠打破”で有名なのは桜で、
例年とくらべて暖冬だったり、
寒い期間が短いなど、
冬の寒さが不十分だったことが
開花時期を遅らせる原因
ともいわれています。

また、乾燥によって
種子や植物本体の
含水量が低下することで
休眠状態から解除されるなどの
“後熟”という現象も
深く影響を及ぼすとか。

たとえば、春の開花時期に受粉し、
すぐに萌芽や発芽をしてしまうと、
冬の寒さなどで種子をつくる前に
死に絶えてしまいます。

子孫を残すために
休眠状態に入るという、
まさに植物が生き残るための知恵。

たとえば、育てようとする
野菜などの成長メカニズムを
十分に考慮した温度管理を
上手く取り入れることができれば、
栄養価の高い美味しい野菜を
安定して収穫することができる
という訳です。

こうした研究成果は、
ハウス栽培などで応用されています。

例に漏れず、
同じように春から初夏に向けて
多くの山菜類も“旬”を迎えます。

先ごろ、このブログで紹介した
“わらび”や“ぜんまい”などは、
春に“旬”を迎える山菜の
代表格です。

同じく春が“旬”の山菜に、
ワケありげな名前を冠した
“行者ニンニク”があります。

“行者ニンニク”が
スーパー店頭に並ぶと、
春の訪れを感じる反面、
調理方法が想像できず、
なかなか手が出しにくい
山菜のひとつともいえます。

いまは、
数多くの料理を手助けしてくれる
レシピサイトがあるので、
初めての食材に
手軽にチャレンジしやすい時代。

“行者ニンニク”を使った
初の料理に
挑戦してみてはいかがですか。

下処理さえちゃんとすれば、
調理そのものは
意外と簡単なようです。

行者ニンニクを使った料理は簡単。普段使ってる食材を置き換えればいいだけ。

“行者ニンニク”は
ユリ科ネギ属の多年草で、
タマネギやニンニク、
ニラと同じ種類の山菜で、
ひと言で表すなら、
滋養強壮効果の高い野生のネギ
といったところ。

山形県庄内地方の
出羽三山の奥深くに籠って
厳しい修行を行った行者たちが、
修行の際の栄養源として食べ、
ニンニクの臭いがすることから
“行者ニンニク”
の名前が付けられたとか。

そういう意味で、
“行者ニンニク”の発祥は
山形県鶴岡市とされています。

しかし、
当の修験道の行者である山伏には、
皮肉にも
“修行中に精がつく物を
食べてはいけない”
という厳しい戒律があるため、
行者が隠れて食べていたとか、
宿坊で参拝客に振舞ったとか、
その名前を裏付ける話が
諸説残されています。

ところが、市場に出回っている
ほとんどが北海道産。

1月頃からハウス物が市場に出始め、
3月になると北海道南部の天然物が
店頭に並び始めます。

その後、北へと産地を移動しながら
4月中旬~5月中旬に最盛期を迎え、
6月初旬頃までが“
行者ニンニク”の流通シーズンです。

天然物の食べ頃の“旬”は、
4月中旬から5月いっぱい
といったところでしょうか。

“行者ニンニク”の成長は
とても遅く、種を蒔いてから
2年目の春にようやく
芽を地表に出します。

それもヒョロヒョロとした
細い茎に葉は1枚だけ。

種を蒔いて3年から
4年目になってから
葉が2枚以上となり、
5年目あたりでようやく
茎が伸びて花が咲き、
種がつき始めます。

その時点で、ようやく株の太さが
鉛筆の太さくらいとなって
収穫できるようになります。

現在市場に出回っているものは、
“行者ニンニク”の亜種とされる
北海道産の“キトビロ”や
“アイヌネギ”で、
原産とされる鶴岡産は
希少価値が高く、
“幻の山菜”とも呼ばれています。

成長が遅いことから
流通に向かず、山形県鶴岡市では
栽培をやめた農家が多く、
広大な土地をもつ北海道産のものが
流通するようになったものと
伺い知れます。

さて、“行者ニンニク”を
美味しくいただくための下処理は、
まず根っこ近くの赤いハカマを取って
土の汚れをしっかりと
水洗いで取り除きます。

調理前の準備はこれで完了。

よく食べられているのは
醤油漬けや漬物、天ぷらです。

“行者ニンニク”は独特な
しっかりとした風味があるので、
シンプルな味付けで
いただくことができます。

また、てんぷらにしても、
歯切れの良いシャキシャキした食感と
香りが抜群。

根に近い部分はニンニクで、
葉に近づくにつれて
ニラのような香りの山菜と理解すれば
料理の幅も広がると思います。

ネギ感覚で豚バラ肉で巻いて
甘辛い醤油だれで炒める、
エノキの代わりにベーコンで巻いて
塩胡椒で炒める、
ニラ感覚で餃子の具に使う、
豚肉と一緒に
オイスターソースで炒める、
鶏肉と一緒に塩だれで炒めるなど、
普段の料理の食材を
“行者ニンニク”に変えれば、
レパートリーはかなり広がります。

季節柄、
キリッと冷やした辛口の日本酒に
合うこと請け合いです。