旧正月と立春。どちらも新年の始まりの日なのに、日にちが異なる不思議。

アジア圏では珍しく、日本は「旧正月」よりも“新暦”の正月を祝う国のひとつ。

「旧正月」とは、
太陰太陽暦を採用していた
“旧暦”の正月のことで
2023年の「旧正月」は1月22日です。

中国をはじめ、
韓国、ベトナム、シンガポール、
インドネシア、マレーシアなどの
アジア圏の多くの国では、
「旧正月」が
休日や祝日になっていることも多く、
国によっては“新暦”の正月以上に
「旧正月」を盛大に祝う伝統が
あります。

日本では
ニュースで小さく報じられる程度で、
他国とくらべると
馴染みの薄い日でした。

しかし、10年ほど前からの
“春節”の休日を利用した
中国からのインバウンドが増え、
爆買いが話題になって、
改めて“春節”が「旧正月」
ということを知った人も
少なくはありません。

日本では、
沖縄の一部地域や南西諸島辺りで
「旧正月」を祝う風習が
根強く残っていたり、
もともと“春節”を
新年のお祭り行事として祝う
横浜や神戸、長崎の中華街などで
毎年ニューイヤーイベントが
開催される程度で、
残念ながら全国的に
それほど大きな話題になることは
ありませんでした。

もちろん、
“新暦”に切り替わる明治以前の
“旧暦”では、
当たり前の正月儀式が
行われていたのは、
いうまでもないことです。

当時を振り返ると、
“新暦”への切り替えは驚くほど
早いタイミングで実施されました。

1872年(明治5年)11月9日に、
“新暦”への切り替えの布告を発布。

その後、
ひと月にも満たない同12月3日が
1873年(明治6年)1月1日に。

1年を365日、12カ月に分け、
4年に一度の閏年に1日加えて調整する
世界基準のグレゴリオ暦を採用した
“新暦”に切り替わったのです。

当時、
欧米の文化を積極的に取り入れる
社会的な背景もあったため、
“新暦”は意外とスムーズに
広く国民に受け入れられたことも
影響し、
次第に「旧正月」を祝う風習は
廃れていきました。

一説では、
1873年(明治6年)が
閏月の入る13カ月になるため、
財政的な理由で、
ひと月分の給料を払わずに済む
というのも、
“新暦”採用を急いだ理由とも
囁かれています。

“旧暦”に用いられていた
太陰太陽暦では
月の周期をひと月(約29.5日)と
数えたため、
1年はおよそ354日。

これだと
暦と季節のズレが大きくなるため、
閏月を設けて調整していました。

“新暦”のお正月が
1月1日と固定している一方、
1月22日から2月19日までの間で
新月の日が“旧暦”の元日、
つまり「旧正月」となります。

“春節(=旧正月)”というと、
2月初頭辺りに
中国からの爆買いツアー客が
訪れるイメージが強いのですが、
今年は、とりわけ早く「旧正月」が
訪れる珍しい年のようです。

月由来の「旧正月」と太陽由来の「立春」。暦の上で共存しています。

ここでひとつの疑問が湧いてきます。

二十四節気における“立春”も
1年の始まりの日とされ、
今年の“立春”は2月4日。

同じ新年の始まりなのに
「旧正月」と日にちが異なるのは、
なぜなのでしょうか。

これは、「旧正月」が
月の満ち欠けを基準とした“旧暦”の
1月1日のことであるのに対して、
“立春”は太陽の黄道上の動きを
基準に決められる二十四節気での
“春の始まりの起点”という、
まったく別の考え方だからなのです。

昼の時間がもっとも長い“夏至”と
夜の時間がもっとも長い“冬至”、
昼と夜の長さが同じの“春分”と
“秋分”を合わせた「二至二分」に、
“立春”“立夏”“立秋”“立冬”の
「四立(しりゅう)」により、
暦と季節のズレを調整したものが、
その年ごとの二十四節気
という訳です。

今年のように「旧正月」のあとに
“立春”が訪れることを
「新年立春」と呼びます。

逆に「旧正月」より早く
“立春”が来る場合は「年内立春」。

また、30年に1度ほど訪れる
「旧正月」と“立春”の日が重なる
「朔旦立春(さくたんりっしゅん)」
と呼ばれるおめでたい日も
存在します。

さらに、“旧暦”の1年間に
“立春”が訪れない
「無春年」ということもあります。

これは、
「年内立春」の翌年が
「新年立春」の場合で、
意外と「無春年」の年は多く、
数年に一度訪れる現象ともいえます。

月に由来する「旧正月」と
太陽由来の“立春”という
まったく別の基準で設けられた
新しい年の始まりなのに、
混乱することなく共存している
季節の節目。

ここに“新暦”の正月が加わり、
1年に三度、新しい年の始まりを
体感できると考えただけで、
めでたさがより一層しみてきます。

冬場の悩みのタネ「冷え性」。そのメカニズムを知って、万全の対策を。

女性に{冷え性」が多い、納得の理由。

冬場の悩ましい
身体のトラブルのひとつに
「冷え症」があります。

ある風呂機器メーカーの調査によると
この時期に「冷え性」を自覚する人は
全体の59%にも上り、
男性は全体の約40%、女性は約79%が
「冷え性」に悩んでいる
との報告があります。

男女比でこれほど、
差が現れる原因のひとつとして、
男性と比べた場合に
女性は筋肉量が少なく、脂肪が多い
という身体的な特徴があります。

筋肉は、体温を上げるのに
とても重要な役割があり、
筋肉が少ないと
冷えやすくなります。

また、一度冷えると
温まりにくい性質の脂肪が多いのも
「冷え性」を誘発する原因に。

さらに、女性特有の身体の構造が
内臓を冷やし、月経時の血液不足が
末梢までの血流を阻害して、
身体全体に熱が届きにくくなります。

ホルモンバランスの変化による
自律神経の乱れも冷えに
大きく影響します。

更年期を迎えた女性に冷えが多いのも
この自律神経の乱れが
関係しているとのこと。

冬場のスカート着用による
下半身の冷え、
締め付ける下着や服装によって
血行を悪くすることも、
女性に「冷え性」が多い原因のひとつ
といえます。

一方、男性の「冷え性」の多くは、
加齢による筋肉量の低下、
老化に伴う臓器の基礎代謝の低下、
頻尿により身体の熱が外に逃げやすく
なるなど、加齢や老化が原因となる
場合が多いようです。

「冷え性」は、大きく分類すると
2つのタイプに。

身体の熱の量自体が少ない
“熱源不足型”と、
血の巡りが悪い“循環不足型”です。

“熱源不足型”は、もともとの
虚弱体質や慢性疲労、老化などにより
体力が低下している状態で、
熱をつくり出す力が弱まることで、
身体全体にいきわたる熱の量が不足。

全身を温められなくなったことが、
「冷え性」を発症させます。

また、胃腸の働きが弱まったり、
摂食障害、
過度なダイエットなどによって、
身体を温めるための栄養が不足して
「冷え性」を引き起こすのも
このタイプの特徴です。

“循環不足型”は、
身体に熱そのものは持っていますが、
血の巡りが悪く、手足をはじめ
末端が冷えやすい「冷え性」です。

これは食生活の乱れやストレス、
運動不足などの生活習慣のバランスが
崩れることによって
引き起こされます。

“冷えのぼせ”も、このタイプの
特徴的な症状のひとつです。

「冷え性」解消に向けた
取り組みとして、“熱源不足型”は、
熱をつくり出すための
基礎体力をつけることが
大切なポイント。

また、
身体にエネルギーを蓄えるために
十分な睡眠や休息を取ることも
お忘れなく。

食生活の改善による栄養補給も
効果的です。

“循環不足型”にとっては、
ストレスが大敵。

まずはリラックスして
自律神経の乱れを整えて、
末梢にまで
熱をいきわたらせることが大切。

手足や下半身は冷えやすいのですが、
逆に上半身に熱が溜まりやすいので、
服装などによる
コントロールが必要です。

「冷え性」の対策に効果が期待できる「燗酒」。その理由は?

最近、“冷え性には熱燗が効く”
といわれていることを
ご存知でしょうか。

日本酒には、血管を拡張して
毛細血管の働きを活発にする働き
があるため、「冷え性」だけでなく、
肩こりや腰痛改善にも
効果が高いとのこと。

ワインやビールとくらべると、
日本酒によって身体を温める効果は
持続することが
科学的に証明されています。

また「燗酒」が良いとされるのは、
アルコールは、体温に近い温度で
吸収される性質があるという点です。

冷たい温度のお酒は、
体温より低い水分を
摂取することになり、
冷えに直結。

また、冷たいお酒は、
飲んでから体内で温まって酔いを
感じるまでに時間がかかります。

しかし、「燗酒」の場合は
すぐに吸収されるため、
冷えることなく体温を維持しつつ、
すぐに酔いを感じて
飲み過ぎの歯止めもかかる
というメリットが。

美味しい肴の栄養価も
一緒に摂れるので、
「冷え性」の改善には
かなり高い効果が期待できる
というもの。

さて、「燗酒」には
温度によって呼び名があります。

やや低めの30℃は“日向燗”
35℃は“人肌燗”、40℃は“ぬる燗”
45℃は“上燗”、50℃は“熱燗”
55℃は“飛び切り燗”。

日本酒には冷酒向きのものと
熱燗向きのものがあり、
一般的に
純米酒は“ぬる燗(40〜45℃)”、
本醸造酒は
“上燗から熱燗(45~55℃)”
とされています。

あくまで、これは一般論なので、
ご自身の好みの温度で楽しむのが
一番です。

これから冬一番の寒さに向かうので、
「冷え性」でお悩みの方は、
栄養価の高い肴と
お好みの温度の燗酒を
一度お試しあれ。

手軽な美味しい対策で、
効果が現れれば、儲けものです。

「春の七草」を入れた“七草粥”。胃腸にやさしく、栄養価も抜群。

厳寒期の栄養補給に、栄養バランスにすぐれた“七草粥”を。

1月7日の
“人日(じんじつ)の節句”に
「春の七草」を入れた
“七草粥(ななくさがゆ)”を
食べるのは、平安の昔から
続く風習のひとつです。

現代においては、
節分や桃の節句のような
派手さはありませんが、
根強く残っている行事ともいえます。

「春の七草」は、
セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、
ホトケノザ、スズナ、スズシロの
7種類の野草、野菜を指し、
邪気を払い、無病息災や
健康長寿を祝って食べます。

とくにこれらの野草は
縁起物として重宝されました。

セリは“競り勝つ”、
ナズナは“なでて穢れを払う”、
ゴギョウは漢字で“御形”と書き
“仏体”を表します。

ハコベラは“繁栄がはびこる”、
ホトケノザは漢字で“仏の座”、
スズナはカブのことで、
その形から“神を呼ぶ鈴”、
スズシロも大根の別称で
“汚れのない純白さ”を表すなど、
それぞれが縁起物とされています。

また、正月に
おせち料理などをたくさん食べて
疲れた胃腸を休ませるために、
消化の良い“粥”に、
冬場の野原に生えている
栄養価の高い野草を入れるという
理にかなった意味もあるようです。

例えば、セリひとつとっても、
緑黄色野菜の基準値を
大きく超える抗酸化作用を促す
βカロテンをはじめ、
風邪を予防するビタミンA、
疲労回復に効果のある
ビタミンB群や免疫力を高めて
肌の潤いを保つビタミンC、
カリウム、鉄分、ミネラルを
豊富に含んでいるため、
貧血予防の効果など、
野菜の収穫が見込めない
冬場の栄養補給にはもってこい。

こうしたさまざまな効能が
期待できる野草が7種類も入り、
胃への負担が少ない“粥”で摂取。

手軽に栄養を摂取できることを
昔の人は生活の知恵として理解し、
行事化していました。

旧暦の1月7日は、
新暦だと2月7日頃の季節感覚で、
もっとも厳しい寒さに
見舞われる時期。

閉ざされた冬の
厳寒期の栄養確保が
いかに大変だったのかが
伺い知れます。

自然に囲まれて
暮らしていた昔と違って、
現代社会において自生する
「七草」を手に入れるのは
かなり困難なお話です。

正月三が日を過ぎた辺りから
スーパーなどで、
農家が栽培した野草7種を
パック詰めにした
“七草粥セット”が
売られているので、
それを購入するのがオススメです。

年末年始の暴飲暴食で疲れた身体を、
やさしい味わい、口当たりの
“七草粥”で整えてください。

古代中国の風習と日本の“若菜摘み”が結びついて生まれたのが“七草粥”です。

さて、“七草粥”の歴史を
紐解いてみましょう。

古代中国の唐の時代。

1月7日の“人日の節句”に
“七種菜羹(ななしゅさいのかん)”
という7種類の野菜を入れた
汁物を食べて無病息災を
願った風習が奈良時代に
日本に伝わったことがその由来です。

日本ではその頃、
厳寒期に芽を出す若菜を
とても貴重な冬の栄養源として
“若菜摘み”を行っていました。

この“若菜摘み”と“七種菜羹”が
結びついたものが日本の“七草粥”。

平安時代の醍醐天皇のときに
宮中行事となり、七種の野草を
“粥”に入れて食しました。

当時、七種の野草は定まっておらず、
七種と書いて“ななくさ”と
読まれることも多く、
縁起の良い“七”を付することに
意味があったようです。

現在の“七草”に定まったのは、
室町時代に編纂された
「河海抄(かかいしょう)」に
“芹、なづな、御行、はくべら、
仏座、すずな、すずしろ、
これぞ七種”と記載されたのが
初見とされています。

江戸時代になって
武家社会に広く受け入れられ、
やがて庶民にも広まっていきました。

幕府では
“人日の節句に七草粥を食べる”
ことを公式行事に定め、
将軍以下多くの武士たちが、
この日に“七草粥”を食べる儀礼を
行なったとされています。

科学的な裏付けがない時代。

武家は年末年始の
暴飲暴食の対策として胃腸を休め、
庶民は冬場の数少ない栄養源として…
現代にまで連綿と続いている
先人たちの生活の知恵や工夫には、
頭が下がる思いがします。

多様化する「おせち料理」市場。皮肉にも新型コロナ禍で、さらに進化。

ネット環境の充実が導いた「おせち料理」市場の拡大。まだまだ続きそうです。

毎年、秋頃から
「おせち料理」商戦は
スタートします。

「おせち料理」の市場規模ですが、
一説では約718億円という
試算があります
(東京・富士経済調べ/2021年)。

平均単価を約10,000円とした場合、
718万セットになる計算。

独身世帯も含めた
一般世帯総数4885万世帯なので、
約7軒に1軒は、「おせち料理」を
購入していることになり、
この試算の数値は
妥当なものだと納得がいきます。

また、新型コロナ前と比べると、
「おせち料理」の市場規模は
増加傾向にあります。

これは、新型コロナ禍による
密を避けるための外出自粛
というのが大きな要因
ともいえるでしょう。

この2年間は、
年末年始の海外旅行や
国内の温泉旅行、
実家への帰省はもちろん、
外食すらままならない
全国的な巣ごもり状態に。

これらにあてていた
予算を使えることで、
料理の匠プロデュースに
よるものや伊勢エビ、
キャビアなど高価な食材を
ふんだんに使った
高級志向の「おせち料理」を
選ばれる方も多かったとか。

また、「おせち料理」市場は、
新型コロナ以前から、
拡大傾向にありました。

SNSをはじめとする
ネット環境の急速な進化によって、
販売業者はネットを通じて、
個別に「おせち料理」の
情報発信が行え、またスマホで
気軽に注文できるように。

こうした背景を受けて、
全国津々浦々にまで
物流ネットワークが
整えられていたことも
「おせち料理」市場拡大に
大きく貢献したといっても
過言ではありません。

その昔、百貨店の
地下食料品売り場や仕出し屋、
市場の総菜店で、
重箱に詰める惣菜単品を
いくつか購入する程度だったものが、
現在では、「おせち料理」の食材が
彩り豊かに並べられ、
購入した重箱を模したトレーのまま
食卓に…という時代。

「おせち料理」の販売も、
百貨店やスーパーはもちろんのこと、
老舗ホテル、老舗旅館、コンビニ、
弁当チェーン、老舗料亭、
レストランチェーン、
テレビショッピングなど、
さまざまな業種が参入し、
実店舗だけでなく、
ネット通販などでも気軽に
購入できるようになりました。

販売競合が増えたことへの
対策として、より早い
顧客確保を狙った
早期予約割引特典の
設定などにより、
「おせち料理」の
予約開始時期も
年々早くなっています。

また、
ふるさと納税の返礼品や
郵便局のネットショップ、
鮮度を保った冷凍おせちなど、
新しいスタイルの
「おせち料理」も登場。

皮肉にも新型コロナの自粛で
急速に拡大した
「おせち料理」市場ですが、
新型コロナ自粛がない
2023年(令和4年)の市場動向が
どうなるのか、注目されています。

起源は古いが、「おせち料理」と呼ばれるようになったのは、戦後になってから。

さて、
「おせち料理」の起源は
弥生時代にまで遡ります。

古代中国からもたらされた
暦の季節の変わり目である
“節”に由来します。

収穫した作物を神様に
お供えする“節供(せちく)”という
風習が始まりとされています。

それが定着したのは
奈良から平安にかけての時代で、
邪気を払い、不老長寿を願う
宮中行事として、五節句を祝う
“節会(せちえ)”が執り行われ、
“御節供(おせちく)”
と呼ばれるお祝い料理が
振る舞われたといいます。

このときの五節句は、
現在のものとは異なり、
元旦(1月1日)、
白馬(あおうま/1月7日)、
踏歌(とうか/1月16日)、
端午(たんご/5月5日)、
豊明(とよのあかり
/11月新嘗祭翌日の辰の日)
を指しています。

時代は移り、江戸に。

五節句は現在の人日(1月7日)、
上巳(3月3日)、端午(5月5日)、
七夕(7月7日)、重陽(9月9日)
へと変わり、新年を迎える
もっとも大切な人日の料理が、
いつしか料理の一つひとつに
意味が込められた
“正月料理”として
定着していきました。

また、重箱に詰める様式が
確立したのは江戸末期から
明治にかけてのこと。

意外にも、「おせち料理」と
呼ばれるようになったのは
第二次世界大戦以降のこと。

それまでは、
“食積(くいつみ) ”や
“蓬莱(ほうらい)”と
呼ばれていました。

終戦後にデパートで重箱入りの
“正月料理”を「おせち料理」
という名前で売り出したことが
キッカケで「おせち料理」という
名前が全国に広まったようです。

もともとは、
和風の「おせち料理」なのですが、
海鮮づくしや会席仕立て、
寿司膳、和洋中オードブル、
さらにはスイーツ重など、
「おせち料理」はどんどん美味しく、
多様化し続けています。

旨い酒と「おせち料理」で、
美味しい豊かな新年をお迎えください。

「冬至」には、柚子湯、かぼちゃ、“冷酒”で招福祈願を。

「冬至」の勘違い。そして、ひと足早く、ご来光の時間を知っておきましょう。

2022年は、
クリスマスの直前の12月22日が
二十四節気の「冬至」です。

「冬至」というと、
“1年で一番昼の時間が短く、
一番夜の時間が長い日”
ということで
一般的には知られています。

よく耳にするのが、
「冬至」は“日の出が一番遅く、
日の入りが一番早い日”
という勘違い。

今年の「冬至」を例にとって
考察してみましょう。

まず「冬至」の日、
東京エリアの日の出は
6時48分(大阪は7時1分)で、
日没は16時32分(大阪は16時51分)
と発表されています。

1年で一番
日の入りが早いのは12月6日。

二十四節気の「冬至」の2つ前の
「小雪(しょうせつ)」最終日で、
翌日が「大雪(だいせつ)」の日です。

東京エリアの日没は
16時28分(大阪は16時47分)で、
「冬至」より約4分早く日が暮れます。

一方、
1年で一番日の出が遅いのは、
年が明けた1月7日で、
二十四節気の「冬至」の次にあたる
「小寒(しょうかん)」になってからで
東京エリアの日の出は6時52分
(大阪は7時6分)。

つまり、12月6日をピークに
日没時間は遅くなり始めますが、
日の出時間は
「冬至」を過ぎても遅くなり続け、
翌年1月7日を境に日の出が早くなり、
日の入り、日の出時間から割り出した
昼の時間がもっとも短いのが
「冬至」ということです。

せっかくなので、
9日後に迫った
初日の出の時間について
ご紹介しておきます。

日の出の時間には
緯度と経度が深く関係しており、
地軸が傾いているので
季節によっても異なります。

1月は、
“同じ緯度なら東の方が早い”
“同じ経度なら緯度が低い方が早い”
という日の出の時期。

つまり、
南東の方が早く夜が明ける
ということになります。

北海道の東端である
納沙布岬の日の出は
6時49分ですが、
経度が“約5°”西に位置する
千葉県の犬吠埼は緯度が低いため、
6時46分と、
わずかに早く夜が明けます。

ちなみに
北海道、本州、四国、九州の
“平地”で一番早く
ご来光が拝めるのが、
この犬吠埼です。

さらに、深く関係するのが標高。

これは、地球が球体なので、
高いところほど
日の出が早く見える
ということです。

千葉県鴨川市の
標高337mの清澄山山頂からは
6時44分、
清澄山から西に約75kmの
東京スカイツリー天望デッキ
(地上350m)からだと6時46分に
ご来光が拝めるそうです。

あとは、
元旦の晴れわたった空を願うばかり。

「冬至」に“柚子湯に浸かる”“かぼちゃを食べる”のには、ちゃんとした理由が。

「冬至冬中冬始め」
という言葉があります。

これは、
“暦の上では、
冬至は冬の真ん中にあたるけれど、
実際には、
本格的な冬の厳しい寒さの
始まりを告げる日”
ということを
言い表した言葉です。

古来、「冬至」の特徴でもある、
1年で一番夜が長いということは、
信仰の対象で生命の象徴ともされる
“太陽”の力がもっとも弱くなる日で
死にもっとも近い日
と考えられていました。

しかし、この「冬至」を境に
昼夜の時間が一転する
折り返しの節目の日ともされ、
“一陽来復(いちようらいふく)”
という、
良くないことが続いた後に
良いことが巡ってくる日
とも考えられていたようです。

また、
福に転じるみそぎの意味を持って
浸かったのが“冬至風呂”で、
今でいう“柚子湯”。

柚子にはビタミンCが多く含まれ、
柚子の香りにはリラックス効果、
そして温まることで
血行促進の期待も高まります。

“柚子湯”は
江戸の風呂屋がはじめた習慣で、
「冬至」は“湯治”、
「柚子」は“融通が利く”
というシャレの効いた触れ込みが
江戸っ子に人気だったとのこと。

また、風呂を上がったら、
“かぼちゃを食べる”のが
「冬至」のしきたり。

農作物がとれない冬場に保存が利く
“かぼちゃ”は
栄養価の高い食材でした。

免疫効果の高いカロテンや
内臓を守るビタミンB群、
身体の塩分の排泄を促すカリウム、
整腸作用に効果の高い食物繊維など、
長年にわたる生活の知恵として
“かぼちゃ”は重宝されました。

これ以外にも、
“と”や“ん”のつく
食べ物を食べるのが良いとされ、
唐辛子や豆腐、みかん、
こんにゃく、れんこんなど、
身体を芯から温める作用のある
食べ物を摂って風邪や冷え対策を
行っていたといいます。

寒い時期ですが、「冬至」に
“冷酒”を飲む風習もあったとのこと

そこには、
“冷酒”で身体を清めるとともに、
風邪を引かない身体を願った
という理由があるそうです。

そういえば、
日本酒にも“ん”がついています。

今年の「冬至」は、
キリッと冷やした旨い日本酒で、
1年の垢をスッキリと落として、
映えある新年をお迎えください。