「バレンタインデー」の “義理チョコ”がなくなる?

新型コロナ禍で、規模縮小の「バレンタインデー」市場。
“本命”ギフトは増加傾向。

もうすぐ「バレンタインデー」です。

厳しい寒さが続く中、この日に
チョコレートをもらうと、たとえ
“義理チョコ”であったとしても、
その瞬間、心がほっこりと
温まります。

とくに普段、恋愛事情に少々縁遠い
男性陣にとっては、
この“義理チョコ”は、ひと筋の
光明なのかも知れません。

しかし、この“義理チョコ”、
この先なくなるかも知れません。

その前に、
日本の「バレンタインデー」が
定着するまでの経緯を
振り返ってみます。

愛の告白の多くは
男性側からという時代に、
女性側からの求愛という
欧米から伝わった新しいスタイル
というのが最初です。

当初は一部の菓子メーカーの
キャンペーンに過ぎなかったものが、
次第に大きく市場規模を
広げていきました。

女性側から愛を告白する
キッカケの日ということで始まり、
やがて、日本人特有の贈答文化に
起因するコミュニケーションを深める
“義理チョコ”が生まれ、
その返礼に当たる
“ホワイトデー”へと派生。

さらに贈る対象者が友達や家族などに
広がった“○○チョコ”、
そして、菓子業界以外の
幅広い他業種も参戦するようになり、
クリスマス市場をも凌ぐまでに
成長した大きな「バレンタインデー」
市場へと成長していきました。

ところが、新型コロナ禍による
テレワーク状況が一気に
広まった結果、学校や会社に
出る機会が減り、昨年の
「バレンタインデー」の市場規模は
大きく縮小。

今年も変異株による感染拡大状況に
伴って、大きな都市部を抱える
いくつかの都道府県で
“まん延防止等重点措置”が
取られた影響もあって,
「バレンタインデー」の市場規模は
さらに縮小傾向に。

とくに大きく減少したのが
“義理チョコ”や
友人に贈る“友チョコ”。

密を避けて距離を置くことが
求められている今、
接触を避ける意味で、こうした
社交辞令的なやりとりが真っ先に
省かれることのようです。

さらに近年、職場で配られる
“義理チョコ”に対して、
負担に感じる、義務感が強い
“義務チョコ”という
女子社員の声が次第に大きくなり、
“義理チョコ”を自粛する企業も
増えています。

何より「バレンタインデー」に
チョコレートを販売する大手の
ゴディバが
“義理チョコをやめよう”という
広告を出したことも話題となって、
今後、“義理チョコ”は悪い
習慣として、なくなっていくことに
なるのでしょうか。

それに反して、
“本命”に対するチョコレートや
ギフトはやや増加傾向に。

厳しい生活を強いられている現状で、
せめて本命の相手にだけは
気持ちを伝えたいということの
現れともいえます。

もしかすると、本来の
「バレンタインデー」の原点に
戻りつつあるのかも知れません。

「バレンタインデー」ギフトの購入先は、ネットショップが増えています。

「バレンタインデー」ギフトの
購入先も、このコロナ禍で
変わったもののひとつ。

これまでは百貨店、
チョコレート専門店などでの購入が
主流だったものが、自宅時間が増えて
ネットショップの利用が
急激に増えたこともあり、
今年の「バレンタインデー」は、
贈る商品の選択肢が多く、
検索しやすいネットショップで
という方が増えているようです。

さて、もともとの
「バレンタインデー」は
イタリア発祥で、欧米では男女が
プレゼントを贈りあったり、
男性から女性へ贈り物を
する日とされています。

1930年代(昭和5年以降)に日本に
伝わった「バレンタインデー」も
海外にならって、男女に限らず、
両方にギフトを促すもので、
“恋人たちの日”として
1950年(昭和25年以降)代になって、
デパートなどが販促キャンペーンを
行いましたが定着しませんでした。

それが1970年代後半(昭和50年以降)
に日本チョコレート・ココア協会が、
「バレンタインデー」の2月14日を
“チョコレートの日”に
制定した辺りから、いつしか
女性から愛の告白をする際に
チョコレートを贈る
日本版「バレンタインデー」の習慣が
浸透し始めたということです。

「バレンタインデー」の市場規模
そのものは縮小傾向ですが、
“本命チョコ”は健在のようです。

菊正宗ネットショップでしか
手に入らない稀少な日本酒に
チョコレートを添えて、
気持ちを伝えてはいかがでしょうか。

お父様への
「バレンタインデー」ギフトとしても
大変喜ばれていますので、ぜひ。

期間限定2月8日注文まで 菊正宗 シェリー樽大吟醸と可惜夜ペア 5,500円

「節分」につきものの「恵方」を、より詳しく知りましょう。

「恵方」は、4つの方角の繰り返し。
“恵方巻き”を食べるマナーは絶対です。

2022年(令和4年)の「節分」は
2月3日(木)で、今年の「恵方」
は“北北西”もしくは
“北北西微北”です。

この「恵方」は、
歳徳神(としとくじん)という
神様がおられる場所で、
中国の方位で
方角を示しているので、
日本では“微○”と少しずれた
方角が正確な「恵方」という
考え方もありますが、
一般的には“微○”は
省かれていることがほとんど。

また、「恵方」は、他の歳時記と
同じように、天体の動きや複雑な
計算で成り立っていると
思われがちなのですが、実の所、
「恵方」は全部で4つしかなく、
“東北東(微東)”
“西南西(微西)”
“南南東(微南)”
“北北西(微北)”
の次にもう一度
“南南東(微南)”の順で、
5年を1周期として、
干支の甲、乙、丙、丁などの
十干(じっかん)
に割り当てられています。

分かりやすくまとめると、
10年に1度巡ってくる
十干ということで、
西暦の下一桁によって
「恵方」が判別できるのです。

  • 西暦の下一桁が
    「4(甲/きのえ)
    ・9(己/つちのと)」
    …“東北東(微東)”
  • 西暦の下一桁が
    「5(乙/きのと)
    ・0(庚/かのえ)」
    …“西南西(微西)”
  • 西暦の下一桁が
    「6(丙/ひのえ)
    ・1(辛/かのと)」
    …“南南東(微南)”
  • 西暦の下一桁が
    「7(丁/ひのと)
    ・2(壬/みずのえ)」
    …“北北西(微北)”
  • 西暦の下一桁が
    「8(戊/つちのえ)
    ・3(癸/みずのと)」
    …“南南東(微南)”

そして、その年ごとに訪れる
「恵方」の方角の歳徳神様に
向いて食べるという
縁起の良い巻き寿司が
“恵方巻き”です。

もともと、「節分」に
“恵方巻き”を食べる風習は、
関西を中心とした「節分」
ならではの風物詩でしたが、
徐々に関東方面へと広がり、
大型スーパーや
コンビニでの取り扱いを
開始するようになって、
一気に全国区の行事と
なりました。

「恵方巻き」は、
七福神にちなんで
7種類の具が入った太巻き寿司で、
最近は海鮮など、好みに応じて
種類が選べるようです。

ひとり1本の太巻き寿司を、
その年の「恵方」に向かって、
願い事をしながら、無言で
残さずに食べきるというのが、
「恵方巻き」
を食べる時のマナーです。

巻き寿司の“巻く”は
福を巻き込む、
“切らずに食べる”
は縁を切らない、
“無言で食べる”は、
開いた口から福が逃げないとの
願いが込められているという
験担ぎの行事なので、
絶対に守ること。

全国に広まるようになって、
お子さんは、細巻き寿司でも
良いという新しいルールが
加えられたようです。

 

昨年2月2日の「節分」は、124年ぶりの出来事。
これを機に「節分」は動き出します。

本来の「節分」は、
“季節を分ける節目”の日で、
年に4回あります。

“立春”、“立夏”、
“立秋”、“立冬”
の前の日が「節分」です。

なかでも、とりわけ
「節分」と“立春”は、
旧暦の大晦日と元日にあたり、
室町時代あたりから、
他の「節分」とは一線を画して
重要視されるように。

また、“立春”の前日の「節分」
に豆を撒いて鬼を追い払う
追儺(ついな)という
宮中行事が、やがて庶民へと
広がったこともあり、
江戸時代には一般的に
「節分」は、“立春”の
前日を指すようになりました。

「節分」の日について、
いつもは2月3日という年が
ほとんどですが、
昨年は124年ぶりに
2月2日となりました。

「節分」が2月2日だったのは
1897年(明治30年)
以来の出来事。

また、昨年のように、
「節分」の日が変わったのも
久しぶりのことで、
1984年(昭和59年)に
2月4日であって以来、
37年ぶりのことです。

これらの日にちのズレは、
地球が太陽を365日5時間48分46秒
かけて一周するため、
それを閏年で調整する際の
誤差により生じるものです。

124年ぶりの2月2日の「節分」を
迎えたので、しばらくは2月3日に
なりそうかと思いきや、
意外にも4年後の
2025年(令和7年)
は2月2日となり、
それからしばらくは4年ごとに
2月2日の「節分」が登場し、
逆に2月4日の「節分」は、
計算上では
2104年まで訪れません。

こうした動きを国立天文台では
“節分の日が動き出す”
と伝えています。

現在のようにコンピューターに
よる科学技術があれば
当たり前のことですが、
遥か昔、ちょんまげ時代に、
すでに天文の動きから
暦を割り出す技術が
確立していたことに
舌を巻きます。

また、何百年も続く暦が、
明治初期の旧暦から
新暦に切り替わる際に
約1カ月ずらす程度の調整で
現在に続いていることも、
凡人には到底理解できない
優れた先人達の
おかげなのでしょうか。

「山田錦」が、“酒米(酒造好適米)”の王者たる由縁。

“酒造好適米”の「山田錦」の約8割は、兵庫県産。

日本酒の裏ラベルを
見たことはありますか。

原材料に表示されているのが、
純米酒は“米、米こうじ”、
吟醸酒、本醸造酒、そして普通酒の
多くが“米、米こうじ、
醸造アルコール”のみの
シンプルな表示に気づくはずです。

たったこれだけの原材料で、蔵元ごと、
ブランドごとの多彩でコクのある
味わいや馥郁たる香りの日本酒を
醸しているのです。

ここで良く耳にするのが、
醸造アルコールによる
アルコール添加について、
“出来上がった日本酒に
醸造アルコールを加えて
カサ増ししている”という誤解です。

実際には、醪(もろみ)を搾る際、
アルコール度数が低いと、
香りの成分が液体に溶け出さず、
酒粕に残ってしまうため、
高濃度のアルコールを加えることで、
香りの成分をお酒に溶け込ませるのが、
アルコール添加を行う主な理由です。

また、吟醸酒、本醸造酒における
アルコールの添加量は、
仕込み総米量の10%未満と
酒税法で厳格に制限されています。

旨い日本酒を醸造する条件の中で、
今回、注目するのは
“酒造好適米”として頂点に立つ
「山田錦」の魅力です。

日本酒醸造において、
“酒造好適米”の役割は、
ワインでいうところの
ブドウの品種にあたるのですから、
その重要性はわざわざいうまでもないと
いったところでしょう。

「山田錦」が誕生したのは、
1936年(昭和11年)。

市場に導入されてから86年経った今も、
“酒造好適米”として
その頂点に立っているのだから、
改めてそのすごさを思い知らされます。

「山田錦」の全国の生産量の
約8割を兵庫県が占め、
残りの2割を東北南部地域から
九州にかけて約30の都道府県で生産。

圧倒的な生産量を誇る兵庫県が、
「山田錦」の“テロワール”と
呼ばれる理由です。

“テロワール”とは、
“土地”を意味するフランス語の
terreから派生した言葉で、
ワイン、コーヒー、茶などの
品種における、生育地の地理、地勢、
気候などの優位性の高い地域を
表した言葉といえます。

 

「山田錦」の取引価格は、“酒造好適米”の中でも別格。

六甲山の北側の標高50~150mの山麓や
谷あいに段々に広がる
「山田錦」の産地は、
温暖な瀬戸内海式気候で
日照時間が長く、
降水量は少なめと言う
絶好の気候条件。

さらに、六甲山系が
温かい空気を遮るため、
登熟期(とうじゅくき/種子が次第に
発育・肥大すること)の夜温は低く、
日較差(にちかくさ/ 1日の最高気温と
最低気温の差)が10℃を越えるので、
稲の実りが良くなります。

また、この地域一帯は、
水分や養分の保持力の強い
モンモリロナイトという粘土質の土壌で
1メートルにまで伸びる稲の根は、
下層の水分や養分を
吸収する好適地です。

他の都道府県でも、
“酒造好適米”として「山田錦」の
良さを遺憾なく発揮してますが、
兵庫エリアで収穫される「山田錦」は
最大限にポテンシャルを
引き出しているといった
ところでしょうか。

また、全国約550近くの蔵元に
「山田錦」は届けられていますが、
菊正宗を始めとする灘五郷の
いくつかの蔵元は、品質の高い
「山田錦」が収穫される三木市や
加東市などの特A地区と
長年にわたる栽培契約を交わしている
組織があるため、ある意味、
門外不出ともいえる最高品質の
「山田錦」で醸造できる同郷の利が。

ちなみに、
菊正宗は兵庫県三木市吉川町
の特A地区の契約農家と「嘉納会」
という組織をつくって、
何十年も前から安定供給されています。

主食用米の全銘柄平均で
15,819円/60kgに対して、
“酒造好適米”の
取引価格はかなり高め。

「山田錦(産地不問)」が
25,000円~40,000円/60kg、
「五百万石(新潟)」が
約16,000円/60kg、
「美山錦(長野)」が
17,000円~18,000円/60kgの
取引価格である上に、
精米歩合で30〜50%以上も削るため、
自ずと価格は跳ね上がります。

また、特A地区に至っては
「山田錦」価格はさらに
高額取引となるため、まさに
“白い宝石”なのかも知れません。

「正月事始め」から「二十日正月」までの約1カ月が、本当の正月です。

昨年は思いも寄らない静かな正月でしたが、今年は賑やかな正月が戻ってきました。

地域によって多少異なるものの、
昭和の時代が終わる頃あたりまでは、
繁華街や神社近く以外のお店の多くは
正月休みを取っていました。

そのため、正月ともなると、
年末商戦の喧騒がなかったかのように
街はとても静かで、
初詣や映画に出かける以外は、穏やかに
家でテレビを観ながら過ごす機会が
多かったようにも思います。

そんな緩やかな昭和から
平成へと変わり、
時代は大きく動き始めました。

24時間空いている
コンビニが全国各地に増え、
大型商業施設も1月2日から正月の
初売り商戦に突入するなど、
出かける機会の多い、
より便利で賑やかな正月へと
変わっていきました。

それと同時に、
学校や会社の冬の長期休暇としての
印象が強くなり、正月らしい特別感が
年々薄れていくような時代の流れに。

それが、昨年の正月は一変。

新型コロナ禍第3波ピークで
不要不急の自宅待機を
余儀なくされたこともあり、
思いもよらない静かに家で過ごす
久しぶりのお正月
だったのかもしれません。

しかし、今年の正月は、
未だ世界的な新型コロナ禍
ではあるものの、
日本ではある程度の封じ込めが
上手くいっていることもあってか、
初詣の参拝客で賑わう神社境内や、
福袋を抱えた正月セールに賑わう
百貨店などがテレビに
映し出されているのを観ると、
何事もない、いつもの正月に
戻ったようにすら感じるから
不思議です。

さて、
正月休みも終わった辺りから、
注連縄や鏡餅などの正月飾りを
下ろして片付けるタイミングが
気になるところです。

一般的には、
“松の内”と呼ばれる期間を過ぎると
正月飾りを片付け始めます。

以前にここで紹介しましたが、
“松の内”は、関東では1月7日、
関西は1月15日までとされ、
それに伴って、鏡餅を片付ける
“鏡開き”も、関東は1月11日、
関西はもともとの1月20日に行うのが
一般的です。

本来の正月行事は、新年の三が日や
“松の内”期間だけではありません。

前の年の暮れから
正月の準備は始まり、
それから数えて正月納めの日である
“二十日正月”までの約1カ月間が、
本来の正月なのです。

 

本来の、行事としての日本古来の“正月”は「二十日正月」で締めくくります。

行事としての“正月”は、
「正月事始め」からスタートします。

かつては旧暦12月13日、
現在は新暦の12月13日に、
家のスス払いをして1年の汚れを落とし
年神様を迎える準備をはじめる日です。

昔は、どの家にもあった
囲炉裏から出る一年間のススの汚れを
拭い去る“清めの儀式”を
スス払いと呼び、現在も、
寺院などの年末の大掃除に
その名前は残っています。

大掃除が終わると、
神聖な場所としての印である
注連縄や注連飾りをします。

注意したいのは、
12月29日は“二重苦”に通じ、
葬儀と同じ“一夜飾り”と
なってしまう大晦日の12月31日を避け、
末広がりの“八”が入っている
12月28日、
キリの良い12月30日に飾るのが
良いとされています。

そして、
旧い年と新しい年を繋ぐ“除夜の鐘”
正月3が日の初詣、
“松の内”“鏡開き”、
途中、1月7日の“七草”を経て、
1月15日に“小正月”を迎えます。

この日は旧暦で新年最初の
満月を祝った日で、
正月期間に忙しく働いた女性が
ひと息つけるため“女正月”
とも呼ばれています。

また、“小正月”には、
左義長(さぎちょう)、どんど焼きと
呼ばれる火祭りが全国各地で行われ、
注連縄や門松、書き初めなどを
火にくべて、餅を焼いて食べたり、
その灰を持ち帰って
家の周囲に撒くなど、
無病息災を願うお祭りも行われます。

こうしたさまざまな正月行事を
締めくくるのが「二十日正月」です。

西日本では“正月納めの日”、
東日本では“仕事始めの日”とされ、
正月の祝い納めの日に
位置付けられています。

「二十日正月」は別名が多く、
京阪神地方では、正月に食べた
ブリの骨や頭を酒粕や野菜、大豆と
一緒に煮て食べる「かす汁」が有名で
“骨正月”“頭正月”
とも呼ばれるほか、
“乞食正月(石川県)”
“棚探し(群馬県)”
“フセ正月(岐阜県)”など、
正月の料理や餅を食べ尽くす風習が
伝わっています。

とくに、「かす汁」には、
魚や野菜などの具材の栄養素に加え、
酒かすに含まれている
ビタミン類や炭水化物、
アミノ酸が豊富に含まれており、
身体を中から温める効果は
もちろんのこと、
正月の暴飲暴食で疲れた胃を
休めさせてくれる滋養強壮の効果も
期待できる、理にかなった料理なので
この時期にぜひ食べたいもの
のひとつに数えられるでしょう。

その家々に伝わるしきたり、
地域の習わしや慣習など、
ご紹介した内容と
異なる場合もあるので、
まずは良く調べてから。

過ぎてしまった正月行事はともかく
小正月や二十日正月に、
正しく祝い納めをしては
いかがでしょうか。

今年の「初詣」も、昨年同様の“分散参拝”が主流。

“分散参拝”は、密を避けるための寺社仏閣の柔軟な対応。

昨年と比べると、
2022年の年明けは、
新型コロナ感染状況も
落ち着きを見せ、
ひとまずは穏やかな生活を
取り戻せています。

普通で平穏な生活の延長線にある
年初めが、
いかに幸せか、
改めて実感されているのでは
ないでしょうか。

もうすでに「初詣」を
済まされている方のほうが
多いと思いますが、
昨年に引き続き、
多くの寺社仏閣では
“分散参拝”を呼びかけています。

長年にわたって続いている伝統や
しきたりを何が何でも守るという
凝り固まった考えではなく、
困った人に寄り添うという
本来の宗教の役割に沿った
対応といえます。

そこに商業的側面があるのも
確かですが、
それをいうのは無粋なこと。

素直に寺社仏閣の柔軟性と捉える方が
より純粋に参拝できるものと
思われます。

 

まずは、
いくつかの神社で行われた昨年の内に
初詣を済ましておく
“幸先詣(さいさきもうで)”。

これは年が明ける前に
初詣を済まして
“幸先の良い新年”を願うもので、
縁起物の授与、お札の郵送なども
前倒しで行われるなど、
機転の効いた対応が行われました。

全国的に寺社仏閣で展開されている
“分散参拝”は、
ご存知のように、
感染防止のための
密回避を目的としたもので、
本来は“三が日(1月1・2・3日)”
遅くとも“松の内(1月7日〈東日本〉
もしくは1月15日〈西日本〉)”
までに集中していた祈願祈祷、
破魔矢やお守りなどの
縁起物を授与する期間を延長する
という配慮です。

期間が短いところでも1月中受付で、
続いて2月3日の節分が期限。

これは1年の始まりが旧暦で
“立春”とされていることから、
その前日の“節分”を初詣期間として
区切ったものです。

そして、2月中旬、2月中と続き、
長いところでは3月末までを
初詣期間としているところも
あるようです。

まだ今年の初詣を行なっていない方は
まず、
いつも初詣に訪れる寺社仏閣が
いつまで初詣期間と設定しているかを
調べ、
期限を過ぎているようであれば
別の最寄りの初詣期間内のところを
探してみるのも
いい判断だと思います。

さらに、密を避ける意味で
初詣を取りやめておられる方は、
お札の郵送や初詣動画の配信を
行なっているところもあるようなので
そちらを一度調べてみては
いかがでしょうか。

 

「初詣」が庶民に定着したのは大正時代になってから。鉄道網発展と深く関わってます。

長い歴史があるように
思われがちですが、
「初詣」と呼ばれるようになったのは
意外と最近になってからのこと。

もともとは
“年籠り(としごもり)”と呼ばれた
家長が祈願のために
大晦日から元日の朝にかけて
氏神様の宿る神社に籠る習慣が
原型です。

この習慣がやがて、
大晦日の夜に行う“除夜詣”と、
元日の朝の“元日詣”に分岐。

そのひとつの“元日詣”が、
住んでいるところから見て恵方にある
寺社に参詣する“恵方詣”や、
その年の“初縁日(初卯、初午、
初大師、初天神など)”に
参詣することが、
江戸時代の庶民の間に
広まったとされています。

参詣する寺社の境内に
軒を並べる露店を“縁日”と呼ぶのは
その名残といえます。

こうした
縁起の良い方角や暦日にこだわらない
今の「初詣」が定着し始めたのは、
明治中期になってからのことで、
それには鉄道の発展と
深い関わりがあります。

鉄道網の発展に伴い、
遠方や郊外にある寺社への参詣が
可能となり、大正時代には、
行楽も兼ねた「初詣」が
正月行事として定着しました。

さて、いつもなら、
「初詣」の参詣ついでに、
イートインのある露店で
軽く一杯「祝い酒」を引っ掛けたり、
参詣の帰り道に居酒屋に立ち寄るなど
人の賑わいが恋しいところです。

しかし、
新型コロナの変異種である
オミクロン株が世界で猛威を
振るっている現在は、
チョット控えて、
家飲みで「祝い酒」を。

ちょうど
“嘉宝蔵 雅”と“嘉宝蔵 極上”
“純米大吟醸 磨き39”の超特撰酒と
“嘉宝蔵 灘の生一本 生酛純米”
“純米樽酒”に
選りすぐりの肴をセットにした
「冬セット」が好評です。

また、
謎に包まれた限定販売の“可惜夜”、
幻の原酒“兵庫恋錦”など、
ハレの日ならではのお酒も
数多くご用意しております。

しばらく不自由な生活が
続いていますが、
家飲みが増えたことで、
新しい日本酒との出会いがあったとの
嬉しいお客様の声も届いています。

晩酌を家で楽しむ
ちょうど良いタイミングともいえる
この機会に、
菊正宗の数々の自信作を
お試しくださいませ。