風情を愉しめる「盛っ切り酒」は、“冷酒”を嗜む王道の飲み方。

おトクな幸福感を味わえる「盛っ切り酒」。こぼさず飲めれば一人前。

小洒落た酒処、若者が集う居酒屋、
新鮮な魚介料理が
ふんだんに揃う炉端焼き
…さまざまな業態のお店で、
常温の“冷や”、
キリッと冷えた“冷酒”など、
日本酒が結構飲まれています。

お店が“冷や”“冷酒”を
提供する際によく見かけるのが、
「盛っ切り酒(もっきりざけ)」
とか「盛っ切り(もっきり)」
と呼ばれるスタイル。

店員さんがテーブルに出向いて、
一合升に入ったグラスに
日本酒を注ぎ、
グラスから溢れ出たお酒が一合升に
ナミナミ注がれるスタイルです。

お店によって一合升のフチまで
注がれない場合もありますが、
升から上に出ている
グラス分も含めて
一合以上になるおトク感
が受けています。

この「盛っ切り」という言葉は、
“盛り切り”が転じて
訛ったものです。

その昔、日本酒は現在のように
瓶に入れて売られていたのではなく、
容器を持ってお店に行き、
量り売りの日本酒を買っていました。

日本酒を量る際、
一合升に溢れんばかりに
ナミナミ注いだ状態が、
この“盛り切り”で、
「盛っ切り」の語源。

また、昔の酒処では、
一合の日本酒が入り切らない
小さなグラスの下に小皿を敷いて
溢れるほど注いだのが、
現在の「盛っ切り酒」の
はじまりとされています。

酒処で“冷や”“冷酒”を注文して
「盛っ切り酒」が出てきた時は、
トクな気がして、
ちょっと嬉しく感じたりしますが、
実際に飲むとなると、
少し考え込んで
しまうかも知れません。

ナミナミと注がれた日本酒は、
グラス、升ともに
表面張力でゆらゆらと揺れ、
少しでも動かそうものなら
溢れてしまうような気さえします。

「盛っ切り酒」をこぼさずに
飲む工夫としては、
まず中のグラスを少しだけ持ち上げ、
少し傾けます。

グラスを持ち上げた分だけ、
升の日本酒の体積は減り、
グラスを伝って
日本酒は下の升に注がれます。

持ち上げたグラスを
口の方から迎えにいき、
まずひと口、ふた口。

持ち上げたグラスは升に戻さず、
グラスの底をおしぼりで拭いて
テーブルに。

あとはグラス、升どちらでも、
お好みの口当たりで
日本酒を飲み干すだけ。

正しい飲み方のルールはないので、
要はこぼさないことを
心がけるのが大切です。

間違っても、
グラスの入った升を持ち上げ、
傾けないこと。

升のお酒を服に飲ませることになります。

もうひとつの「盛っ切り」。これも風情溢れる日本酒文化のひとつ。

実は、「盛っ切り」には、
もうひとつの意味があります。

酒屋の一角に設けられた
カウンターでお酒を飲むことを
“角打ち(かくうち)”といいますが、
これは北九州が発祥。

北九州の新日本製鉄八幡製鉄所や
戸畑製鉄所の工員が全国に散らばり、
移り住んだ関東エリアなどで、
この“角打ち”という
呼び名が広まりました。

関西では“立ち呑み”と呼び、
東北地方では、ほかならぬ、
「盛っ切り」と呼ばれている
ということです。

ちなみに“立ち飲み”は
居酒屋、酒処の立って飲むスタイル
ということですが、諸説あります。

昭和の昔、
高度経済成長期あたりの頃。

街は、高さを競うように
ビル建設ラッシュが起こり、
そこで額に汗して働く労働者で
溢れかえりました。

彼らが一日の仕事を終え、
集まってくるのが、酒屋の
「角打ち/立ち呑み/盛っ切り」です。

ここでのマナーは、
ちょっと引っ掛けて、
長居をしないということ。

そのため、酒の肴は乾き物をはじめ、
竹輪や魚肉ソーセージなどで、
調理の手間がかかるような
ものはありません。

それでも常連客が毎日のように訪れ、
一日の疲れを癒していったといいます。

時代は変わり、
低価格の居酒屋が
軒を連ねるようになり、酒屋の
「角打ち/立ち呑み/盛っ切り」
の数は激減しました。

とはいえ、現在でも、常連客に支えられ、
一部の「角打ち/立ち呑み/盛っ切り」
はその業態を少しだけ変え、
簡単な料理を楽しめるお店として
続いているところもあるようです。

ふたつの意味を持つ「盛っ切り」は、
いずれも日本酒を楽しむために
必要な伝統文化といえます。

日本酒を飲んでいる風情こそが、
日本酒を美味しくしてくれる
“肴”のひとつに数えられます。

旧暦「七夕」ならば、織姫と彦星は出会いやすい空模様。

夏の大三角

新暦、月遅れ、旧暦…「七夕」は年に3回ある?

今年の「七夕」は
8月25日(火)…と聞くと、
やはり“?”と違和感を覚えます。

「七夕」は7月7日、一部の地域で
8月7日に行われているというのが、
多くの方の認識だからです。

新暦の7月7日に対して、
8月7日は旧暦と思われがちですが、
実際は単純にひと月遅れで
行事を行う“擬似的な旧暦”で、
“月遅れ”とも呼ばれています。

明治時代に世界の基準に
合わせるために改暦を行い、
現在の新暦になりました。

具体的には、明治5年12月2日
(1872年12月31日)までを旧暦、
その翌日から新暦の明治6年1月1日
(1873年1月1日)に。

明治5年の12月3日から
12月31日は存在せず、
各行事を30日遅れにすることで、
新暦とのズレを調整しました。

そのため、“新暦”、ズレを調整した
“月遅れ”、本来の“旧暦”と、
一般的にひとつの行事に
相当する日が3回ある
ことになります。

新暦に改暦される直前の旧暦には、
中国から渡ってきた暦をもとに
日本に馴染むように
改良を重ねた“天保暦”という
太陽の動きと月の満ち欠けをもとに
割り出した“太陰太陽暦”が
用いられていました。

四季を細かく分けた
“二十四節気”や“七十二候”も
中国から伝わりましたが、
日本の季節感にそぐわなかったため、
日本流に改良され、
さらに土用、八十八夜、入梅などの
“雑節”が加わり、
季節の知るための「歳時記」として
広まりました。

当時の農業作業の時期を
知るための目安として、
広く庶民生活に馴染んでいった
といえるでしょう。

また、暦を割り出す基準となる
太陽や月の動きだけでなく、
空に輝く星の位置も、
季節を知る上で
重要なポイントとされていました。

「七夕」といえば、
“織姫と彦星が天の川を渡って、
1年に1度、
7月7日の夜に会える日”です。

織姫はこと座の1等星ベガ、
彦星はわし座の1等星アルタイル、
この二つの星を隔てる
天の川は天の川銀河。

新暦の7月7日は、
まだ梅雨が明けておらず、
夜の9時頃にベガとアルタイルと
はくちょう座のデネブが構成する
“夏の大三角”が見えるのは東の空で
、真上に来るのは
真夜中になってからのこと。

一方、旧暦の7月7日
(現8月25日)だと、
晴れ間の機会は多く、
夜の9時頃には“夏の大三角”が
真上に見えるということを考えると、
天体としては旧暦の「七夕」が
正しい見え方といえるでしょう。

 

冬の大三角

江戸の昔とほぼ変わらぬ星の配置。時代を超越して同じ空を観ています。

現在、世界の夜は、
家庭の照明や街灯、電飾看板、
車のライトなどによって
かなり明るくなり、
その光が邪魔をして、昔のように
満天の星の輝きを観ることが
難しくなりました。

街灯や民家が少ない
山間部の峠などでは、
江戸時代、いやそれよりも
もっと昔に見上げられていたのと
ほぼ同じ星空を見ることができます。

私たちの長い人類の歴史も、
空に輝く星からみれば一瞬の出来事。

こぐま座を構成する
ひしゃくの柄の先が北極星で、
この星の位置が常に北にあることから
方角を確認する道標となることや、
“夏の大三角”をはじめ、
カシオペヤ座、さそり座、
はくちょう座などが夏の夜空に輝き、
冬の空には“冬の大三角
(オリオン座のベテルギウス、
おおいぬ座のシリウス、
こいぬ座のプロキオン
を結んだ三角形)”をはじめ、
ふたご座、おうし座、オリオン座が
瞬いている様子は、
今も昔もほとんど変わりません。

アンタレス

こうした星座の名称ですが、
古代文明のひとつ
メソポタミアが発祥で、
季節変化に乏しい
砂漠地帯であったため、
星の動きで季節を知ることが
必要でした。

星を観察している際に、
ひと際輝きを放つ星(一等星)を
線で結び、動物などに
見立てたのが星座の起源です。

星座の概念は、
やがてギリシャへと伝わり、
ギリシャ神話や伝説と結びついて
“プトレマイオスの48星座”
としてまとめられました。

そして現在、世界の天文学者たちが
星座の統一を図り、
世界共通の88星座に
統一されています。

星座や星には、
地域ごとの言い伝えや
逸話などにより、
物語とともにその地域だけで
通用する名前で呼ばれ、
日本でも一部地域で伝承される
和名で呼ばれることがあります。

プレアデス星団(昴)

さそり座のアンタレスは、
赤く輝くことから赤星
とも呼ばれますが、
酒に酔って顔が赤くなっていること
をなぞらえて“酒酔い星”、
オリオン座は、
そのカタチから“酒桝(さかます)”
、おうし座のプレアデス星団は、
昴(すばる)とも呼ばれますが、
星が一升舛にあふれるほど
群がっていることから“一升星”、
おおぐま座の北斗七星も
そのカタチから“酒桝星”
…酒にまつわる和名だけでも
これだけあり、
これも一部に過ぎません。

北斗七星

満天の星空は、そのままでは
単なる光の点描のようなもの。

強い光を持つ星を線で結び、
動物や神話上の人物として、
それにまつわる物語によって、
一気に身近なモノへと近づきます。

夢いっぱい、ロマンいっぱいの
天体ショーを楽しむのは、
心の持ちようといえるようです。

風流と捉えるか騒音と捉えるか、夏の風物詩「蝉の声」。

知っているようで知らない蝉の生態。

今年の夏は蝉の鳴き声が
なかなか聞こえてこないと
思っていましたが、
7月20日過ぎあたりを皮切りに、
7月末頃から大合唱が
繰り広げられています。

“蝉が鳴くと梅雨明け”と
思われがちですが、
微妙に異なります。

というのも、
羽化を控えた蝉の幼虫は、
土の温度が高くなることで
成虫になるタイミングを知ります。

夏が近づくことで気温が上がって
土の温度も上がりますが、
夏頃の暖かい南風でも
温度は高くなるのです。

一方、梅雨明けの定義は
“晴れの日が続くこと”なので、
両者には密接な関係はあるものの、
厳密にイコール
という訳ではありません。

例年より早い梅雨明けの時など、
「蝉の声」が聞こえない年もあります。

歳時記として大きくとらえるのなら、
間違いとはいえません。

ちなみに、気象庁では、
梅や桜の開花日、
カエデやイチョウの紅(黄)葉日、
ツバメやホタルの初観測日と並んで、
ウグイスやアブラゼミの初鳴き日を
“生物季節観測”情報として、
毎年公表しています。

“蝉は、
成虫になって1週間鳴き続けて死ぬ、
寿命の短い昆虫”
ともいわれていますが、
こちらはあきらかに間違いです。

蝉は、これだけ身近にいるのに
謎が多い昆虫。

まず、成虫の寿命が1週間くらい
と思われがちですが、研究の結果、
種類によって異なるものの、
おおむね1ヵ月程度ということが
解明されています。

夏に捕まえた蝉が、
1週間ほどで死んでしまう
ことから生まれた俗説で、
もともと飼育が難しい
ということがあげられます。

続いて、蝉の短命説。

幼虫として地中でくらす期間は
3年から17年。昆虫としては、
むしろ長い方に分類されます。

人間の目線で
“気の遠くなるような
長い下積み生活から脱出して、
日の目を見るようになって
すぐに絶命は儚い”
と考えがちですが、
蝉からすると、天敵が少なく、
大きな環境変化も少ない
土の中こそが快適なくらしで、
成虫になるために
快適な土の中から這い出すことこそが
苦痛なのかもしれません。

 

ツクツクボウシ

「蝉の声」を聞き分けると、意外と風流を感じます。

日本で観ることができる蝉には、
いくつかの種類があり、
その生息は地域によって異なります。

夏に鳴く蝉は、
それぞれの地域の気候や環境、
高度差によって前後しますが、
鳴く時期にはピークがあり、
おおむね次のような
順番となっています。

  • ニイニイゼミ
    (鳴き声は、チー ジー)
    鳴く時期のピークは7月下旬、
    1日中鳴いている。
    日本全国に生息。
  • クマゼミ
    (鳴き声は、
    ジー シャンシャンシャンシャン ジー)
    鳴く時期のピークは
    7月下旬から8月上旬、
    日の出から正午にかけて鳴く。
    西日本、東海、関東南部に生息。
  • ヒグラシ
    (鳴き声は、カナカナカナカナ)
    鳴く時期のピークは
    7月下旬から8月下旬、
    日の出前、日の入り頃などに鳴く。
    全国に生息。
  • アブラゼミ
    (鳴き声は、ジージージージージー)
    鳴く時期のピークは
    8月上・中旬、
    日が傾く頃から日没後の
    薄明るい頃に鳴く。
    全国に生息。
  • ミンミンゼミ
    (鳴き声は、ミーン ミンミンミン ミー)
    鳴く時期のピークは
    8月上・中旬、午前中に鳴く。
    全国に生息。
  • ツクツクボウシ
    (鳴き声は、ジー ツクツクボーシ
    ツクツクボーシ ゥイヨーゥイヨー ジー)
    鳴く時期のピークは
    8月中旬から9月上旬、
    昼過ぎから日没後にかけて鳴く。
    全国に生息。
ニイニイゼミ

とくに、8月上旬から8月中旬の
「蝉の声」は、
何種類もの鳴き声が重なり、
余計に夏の暑さを
増幅するような感があり、
イライラはつのるばかり。

しかし、街がどんどん開発され、
緑が減っているにも関わらず、
何十年もの昔から、
変わることのない
「蝉の声」ともいえます。

ひとつひとつの「蝉の声」を
聞き分けてみると、
意外に自然のおおらかさを感じとる
ことができるのではないでしょうか。

夏の風物詩ともいえる「蝉の声」は、
昔の多くの歌人が句に残すように、
感じ方によっては風流と
捉えられなくもありません。

ようは、聞く本人の
心の持ちようといえるでしょう。

手軽に涼感が得られる「打ち水」が、再認識されています。

暑い日の涼感。「打ち水」文化が庶民に定着したのは江戸元禄期。

夏の風物詩のひとつともいえる
「打ち水」。

目に映る様子そのものが涼しげで、
夏の暑さを吸収した
アスファルトの路面を一気に冷まし、
ひとときの涼感が得られる習慣です。

実はこの「打ち水」で涼感を得る
という自然科学の仕組みは、
熱を帯びたものに水をかけた時に、
水が蒸発して気化する際に
周囲から熱を吸収する
“気化熱”のメカニズム
による現象です。

「打ち水」は、
熱い路面に水を撒き、
その“気化熱”によって
涼感を得る、昔ながらの手法。

以前にこのコラムで紹介した
“熱中症”や、
風呂上がりに濡れた身体でいると
湯冷めをすること、
最近街で見かけるミストシャワー
なども同じ原理です。

“気化熱”で得る涼感に関しては、
平安前期の『古今和歌集』や
平安末期の『千載和歌集』にも、
滝や川面の水しぶきや
夕立の後の涼しさ、
水を撒くことで涼をとることを
詠んだ句がいくつかありますが、
残念ながら「打ち水」という言葉は、
まだ登場しません。

鎌倉末期に抹茶が薬として伝わり、
戦国から安土桃山時代を経て
“茶の湯”が確立。

その茶事の前の作法として
「打ち水」が行われたことが、
最初に「打ち水」に言及した
ことのようです。

茶聖・千利休100年忌に成立した
『南方録』の“三露”の項で
「打ち水」の作法を解説しています。

とはいえ、あくまで
礼儀作法の一環として
行われていたに過ぎませんでした。

江戸時代、元禄に入る頃に、
「打ち水」は
一般庶民の間に広まりました。

夏に涼をとるのはもちろんのこと、
街道の土埃や砂埃が
舞うのを防いだり、
“神様の通る道を清める”
意味を持つなど、
一年を通して「打ち水」は行われ、
江戸庶民にとって
日常の当たり前の習慣
となっていきました。

 

「打ち水」の気化熱が、火照った日本の夏を冷ます。

そんな当たり前のように行われていた
生活習慣の「打ち水」ですが、
時代とともにその習慣は
薄れていくことになります。

1970年以降、エアコンの普及により
窓を閉め切る生活スタイルが
定着したことで、
表に水を撒いて涼をとる
必要性がなくなったことや、
核家族化や女性の社会進出などにより
家への滞在時間が減ったことで
「打ち水」の時間がなくなり、
その必要性もなくなったことが、
「打ち水」習慣が薄れた大きな要因。

また、道路の舗装で
土埃や砂埃が舞わなくなったことなど
、さまざまな理由で
長く続いた「打ち水」の習慣が
廃れていきました。

ところが、近代社会になり、
地球の温暖化をはじめ、
アスファルト舗装とビル壁面の反射熱
、エアコンをはじめ
各種家電の排熱などによって、
都市部を中心に昼間の気温が高まり、
その熱が夜になっても冷めない
“ヒートアイランド現象”が
問題となり、「打ち水」習慣が
再び見直されるようになりました。

2003年(平成15年)に、
地球温暖化対策の取り組みとして
「打ち水大作戦」
という社会実験を実施。

決められた時間に
一斉に「打ち水」をして、
ヒートアイランド現象に対して
どのような効果があるかを
検証しました。

エコということで、
雨水や風呂の残り湯などを
利用することが基本ルール。

仮に、東京23区の散水可能な面積
約265㎢に散水した場合、
最大2〜2.5℃程度、
正午の気温が低下する
といわれています。

この活動は2003年の社会実験以降
、毎年、日時を決めた
自由参加のイベントとして継続中。

日本全国、海外を含めて
毎年推定500万人以上が参加する
イベントとして拡大を見せています。

「打ち水」に最適な時間帯は、
朝と夕方。

撒いた水がすぐには蒸発せず、
ゆっくりと地面の熱を冷ますので、
涼感を長く感じることが
できるようです。

「打ち水」の後は、
縁側やベランダに椅子を出して、
冷やした日本酒を一杯。

癒されるひとときを
過ごしてみるのは、
いかがでしょうか。

2020年盆休みのご予定は?

2020年の「盆休み」は、“9連休”“2つの連休”の悩ましい選択。

2020年(令和2年)の
「お盆休み」は、
上手く有給休暇をとって
組み合わせると9連休が可能です。

まず、東京オリンピック・
パラリンピックの
円滑な開催を行う目的で、
本来8月11日(火)の“山の日”が
今年限りの特例として
1日前の8月10日(月)
にずれているので、
8月8日(土)から
8月10(火)の3連休。

お盆の初日となる
8月13日(木)の“迎え火”から、
お盆の最終日である8月16日(日)
の“送り火”までの
お盆期間の4連休。

その間の8月11日(火)と
12日(水)を有給休暇にできれば、
8月8日(土)から8月16日(日)
の最長9連休に。

間に挟まれた平日2日間に、
有給休暇が取れるかどうかが、
9連休の鍵といえます。

ところが、今年の盆休みは、
新型コロナ禍真っただ中。

とくに都市部を中心に
クラスターが発生し、
感染患者数が増えているため、
帰省先の高齢の祖父母に
伝染してはいけないとの配慮から
帰省を控える傾向にあります。

そのため、前半の3連休をとり、
平日の2日は出勤、
そして後半の4連休をとるという、
いつもと違う休み方も
結構多いようです。

 

今年の「盆休み」は、“自宅で過ごす”が圧倒的大多数。

明治安田生命が毎年実施している
「夏に関するアンケート調査」の
“今年の夏休みをどう過ごす?”
という設問に、
“①自宅で過ごす60.6%
②未定15.5%
③帰省8.5%
④国内旅行7.11%(上位順)”
という結果が出たそうです。

前年の2019年(令和元年)は、
“①自宅でゆっくり58.2%
②帰省14.6%
③国内旅行13.4%
④アウトドア4.1%(上位順)”。

昨年はとくに、
10連休のGW出費の影響や
10月からの消費税に備えた買い物に
お金を使うため、レジャーなどの
夏休みの出費を抑える傾向でした。

両年を比較して考えると、
帰省は前年の約半分、
また“未定”の多くは、
新型コロナの感染状況を
ギリギリまで確認し、
結局、自宅でくつろぐことに
なりそうな様子です。

こうした社会状況を考えると、
夏のご挨拶に
心づくしの贈答品を贈り、
ご自身はゆったりと
家で身体を休めるというのが、
今年に限った「盆休み」スタイル
なのかもしれません。

2020年8月17日受注分まで

菊正宗ネットショップでは、
夏に贈って喜ばれる「サマーギフト」
をご用意いたしました。

この夏、とくにオススメなのは
「2020 菊正宗 夏セット」。

夏期は公式ネットショップ限定販売
となる繊細な味わいの
「純米にごり酒 絹白」をはじめ、
ガラス製の通い徳利ボトルデザインの
「生酛 超辛口」、
涼しげなレトロモダンボトルの
「正宗印 冷用酒」など、
冷やしてご堪能いただけるお酒と、
それに合う旨い肴を
セットにしました。

世界が認めた
「しぼりたてギンパック」や
女性に人気の「すだち冷酒」も
1800㎖の大容量が
セットに含まれているので、
贈り先様にご堪能いただけること
請け合いです。

2020年8月31日受注分まで

また、女性への贈り物で好評なのが
「菊正宗
ヘルス&ビューティーセット」。

盛夏でダメージを受けたお肌と身体を
、外からはもちろん、
内側からも癒してくれる
セットをご用意しました。

雑誌のコスメ系ランキングで
数ある化粧品メーカーを抜いて
1位に輝いた
「日本酒の美容液」をはじめ、
「正宗印 導入美容液」や
「正宗印 ミルク美容液マスク」で
外からのスキンケアを万全に。

「美人酒風呂」で
身体の芯からあたため、
「大吟醸 de あま酒 濃いめ」で、
内から栄養補給。

暑い夏に、肌を癒すトリプルケアは
ご満足いただけるセットです。

今年の「サマーギフト」のテーマは、
夏の癒し。

贈り先様に、
”癒し”の真心が
きっと伝わるはずです。

もちろん、
厳しい夏の暑さで疲れ切った
ご自身の心身を
ご自愛いただくためにも、
ぜひお求めくださいませ。

[菊正宗ネットショップ 2020年お盆休業案内]

ネットショップのお盆の休業日は
8月8日~8月16日となります。
8月5日ご注文分までが
8月7日発送可能です。
(※お支払い方法が
銀行振込の場合を除く)
8月6日以降のご注文につきましては、
8月17日以降の発送となります。

また、商品の発送の都合上、
8月12日~8月17日のお届け日指定は
承ることができません。
予めご了承くださいませ。