日本酒の深い味わいを醸す、水の存在感。

宇宙で発見された“水の気配”が、人々を宇宙へと駆り立てる。

1957年、ソ連(現ロシア)が
世界初の人工衛星
「スプートニク1号」
の打ち上げに成功。

人類の夢は宇宙へと、
その第一歩を踏み出しました。

そして、全世界を熱狂の渦に
巻き込んだ1969年(昭和44年)
のアポロ11号による
人類初の月面着陸から50年、
再び、宇宙開発の話題が
世間を賑わせています。

中国の無人探査機が
世界で初めて月の裏側に着陸し、
日本でも探査機「はやぶさ」が
小惑星イトカワの表面物質の採取
に成功した快挙に続いて、
小惑星リュウグウへの
着陸計画のまっただ中。

地上と宇宙をつなぐ夢の
「宇宙エレベーター」計画も、
現実味をおびた話になってきました。

「宇宙エレベーター」の仕組み
そのものは簡単な構造です。

赤道上空の高度
約3万6000キロメートルに
打ち上げられ、地球と同じスピード
で周回する人工衛星を、地上からは
止まっているように見えるため
「静止衛星」と呼びます。

この静止衛星から地上に向けて
ワイヤーをたらして
伸ばしていきます。

地球に向けたワイヤーの重さで
静止衛星が落下するのを防ぐため、
地上に向けたワイヤーと
地球と逆方向に向けたワイヤーに
よって全体の重力が
上手く釣り合うように延伸。

これにより静止衛星を中心とした
地球と宇宙を結ぶ軌道が誕生します。

このケーブルに昇降機を取り付け、
人や物資を輸送できるようにしたもの
が宇宙エレベーターです。

日本で強度と耐久性を兼ね備えた
「カーボンナノチューブ」という
新素材の開発に成功したことが、
計画を一歩進めたといえるでしょう。

月への着陸が叶った今、
次にめざすのは火星。

太陽に近い水星、
金星は表面温度が高く、
また木星や土星は表面が
分厚いガスで覆われ、どちらも
地表に降り立つことができません。

これらの惑星とくらべた場合、火星の
環境がもっとも地球に近いとのこと。

とはいえ、火星の厳しい自然環境を
限りなく再現したとして話題
となった、2015年公開のアメリカ映画
「オデッセイ」を見る限り、
空気も水もなく、昼夜の温度差が激しい
荒廃した火星には、
地球とはくらべものにならない
過酷さが立ちふさがっています。

そんな中、昨年8月に火星の
新たな話題が飛び込んできました。

欧州宇宙機関の研究チームが、
火星の軌道を周回する探査機
「マーズエクスプレス」の
観測データから、火星の南極の地下
に幅20kmにわたって“液体の水”
が存在する兆候があることを発表。

また、何かと物議を醸す米大統領が
“私の政権下でNASAが再興し、
我々は再び月に戻る。
その次は、火星だ”
とツイートしたのは、
今年の5月半ばのこと。

“液体の水”らしき存在が、
火星開拓への夢をさらに
一歩近づけたようです。

人類の生命維持に必要な空気は
もちろんですが、大切なのは“水”。

さまざまな生命の進化をいざなった
のは、水に由来する
ともいわれています。

私たちは、地球が、“水の惑星”
と呼ばれるほど、水に満ちあふれて
いることに感謝しないといけない
のかも知れません。

人類にとって“水”は、
命の源といえます。

“名水あるところに銘酒あり”という事実。

日本酒にとっての“水”も、決して
欠かすことのできないものです。

米と米麹を原料としていますが、
水が重要な原料であることは、
いわずと知れた事実です。

酒造りにおいて、“種水”とも
称される、直接、日本酒の原料
となる醸造用の「仕込み水」のほか、
米を洗う水、米を浸ける水、
酒母に使う水、
できあがった酒のアルコール度数
を調整するために使う割り水
などが、醸造に直接かかわる水です。

このほか、酒瓶の洗浄用の水、
釜や桶などを洗浄する水、
道具を熱湯殺菌する水、
酒蔵内を清潔に保つ清掃用の水
などの雑用水も含めると、
使用する水の量は白米重量の
30〜50倍にもなります。

昔から、酒蔵を構える際の
条件のひとつが、酒造りに
適した湧き水が近くにあるかどうか。

幸い、日本には仕込み用の湧き水に
恵まれた土地がたくさんあり、
優良な水脈の上に蔵が建っている
例も少なくありません。

日本酒造りには、酵母の栄養源
となって醗酵を促すミネラル
(カリウム、マグネシウム、リン
など)を豊富に含んでいる水
が適しています。

ただ、水に含まれるミネラル成分が
少なくても、米からうまく溶かし出し
さえすれば、ミネラルは足ります。

「灘の男酒、伏見の女酒」という言葉
は、“灘の水(宮水)は比較的硬度が
高く醗酵が進みやすいので、
後味の引き締まった味になる”
“伏見の水(御香水/ごこうすい)は
軟水なので醗酵がおだやかで、
まろやかな味になる”という
仕込み水の硬度の違いによる
“二大酒どころ”の特徴を
言い表したものです。

ちなみに、市販されている
ミネラルウォーターの硬度は
通常30〜40程度。

宮水の硬度は180と、かなり高め。

一方、御香水の硬度は40程度です。

しかし、日本中に点在する“旨い”と
される日本酒の仕込み水の硬度は、
20を切る軟水から
200を超える硬水までさまざま。

その水を使う蔵元が、それぞれの
硬度に適した特徴的な酒造りに
励んでいる賜物といえます。

国土交通省の発表によると、
世界で安心して水道水が飲める国
はわずか15カ国のみ。

そこに含まれる日本は、
世界屈指の水が美味しい国です。

それは厳しい基準によって
水が管理されているからです。

日本酒の仕込み水については、
水道水以上にさらに厳しい
条件が求められます。

とくに鉄やマンガン、銅は、
酒質の劣化を招きかねません。

ごく微量でも混入すると、
酒は黄褐色になり、
味を損なうことになります。

なかでも鉄分はもっとも
厳しい評価対象です。

酒造りの現場において、
さまざまな用途の水だけでなく、
貯蔵するタンクや桶などの道具類
にも、クギなどの鉄分が溶け出す
素材の使用は禁物。

ホーロー加工された鉄製タンクの場合
、ホーローの割れ目から鉄分が
染み出す恐れがあるため、
わずかな傷も見逃さない日々の
チェックは欠かせない日課のひとつ。

1840年(天保11年)に宮水が見つかる
までは、新酒は夏を過ぎると
味が落ちるのが一般的。

ところが、宮水で仕込んだ日本酒は、
適度に熟成が進み、まろやかな味の
「ひやおろし」「秋晴れ」となり、
芳醇な香りを漂わせるように
なったといいます。

これが後の「下り酒」として、
灘酒を江戸に広める
ことになりました。

宮水は鉄分が極めて少なく、
酵母などの増殖に欠かせない
カルシウム、カリウム、
マグネシウム、リンが豊富に含まれ、
また海に近い環境であることも幸い
して、適度に含まれる塩分も
酵母の醗酵に有効な成分です。

宮水は、花崗岩を主とした砂礫層の
岩盤を流れた3つの伏流水が
混じり合い「宮水の井戸場」に到達。

その途中で2つの伏流水は、
かつて海だった地層を通ることで、
類い稀な水質になるのではと
考えられています。

その成分構造は複雑で、
現在の最先端の科学をもってしても、
宮水と同じ水質の再現は
不可能とのことです。

長い歴史の蓄積によって磨かれた
“水”が育んだ私たちの文化。

その中でも、大自然の偶然の恵み
によってもたらされた“旨い酒”は、
人智により、さらに旨さを
増して行きます。

神戸まつり限定「日本酒」の有料試飲。これはお値打ちです。

神戸ならでは、異国文化を色濃く残す「神戸まつり」。

日本酒の一大産地
「灘五郷」がある神戸には、
さまざまな“顔”があります。

歴史の側面から見た神戸。

古くは、平安末期、
「一ノ谷の戦い」の舞台ともなった
“鵯越の逆落とし
(ひよどりごえのさかおとし)”
が有名です。

この源義経による奇襲をキッカケに、
西国に落ち延びた平氏は
「壇ノ浦の戦い」で滅亡し、
源氏による鎌倉幕府が成立しました。

江戸時代、樽廻船による
江戸への下り酒は、
陸路から海路へと物流の仕組みを
大きく変え、江戸の人々を
“灘の酒”の旨さで魅了しました。

時は流れ、幕末。

勝海舟と坂本龍馬による
「神戸海軍操練所」が設置され、
海外列強国の脅威に備えるなど…
歴史の転換期に、
神戸の地はしばしば登場します。

温暖で風光明媚なロケーションも
神戸の魅力。

六甲山系と神戸港が近く、
東西に広がる市街の景観を
立体的に魅せるのは、
緩やかな坂道。

そんな坂道をのぼった先の
摩耶山・掬星台(きくせいだい)
からの眺望は絶景で、とりわけ、
“100万ドル”と称される夜景は、
函館市、長崎市と並んで
「日本三大夜景」のひとつに
数えられています。

また、家族で楽しむ行楽スポット
ともいえる「王子動物園」は、
パンダ1頭
(全国3ヵ所で飼育/全10頭)と
コアラ5頭
(全国8ヵ所で飼育/全50頭)を
一緒に観ることができる
日本で唯一の動物園。

近年、飼育数が激減している
ラッコ2頭
(全国6ヵ所で飼育/全8頭)を
観られる「須磨海浜水族園」も、
休日ともなると
家族連れやカップルで賑わいます。

珍獣たちは高齢化や繁殖のための
貸し借りなどで、いなくなること
も予測されるので、観に行くなら
早い目に行かれることを
オススメします。

また、神戸の街を散策していると
しばしば触れる数多くの異国情緒。

「異人館」や「旧居留地」をはじめ、
日本三大中華街のひとつ「南京町」
などの観光スポットはもちろんのこと
、街中にあふれかえる異国の風を
まとった“神戸”の装いは、
ファッショナブルな国際都市として
全国的に有名です。

その背景にあるのは、
昨年150周年を迎えた、
1868年(慶応3年)の神戸港の開港。

多くの外国人が神戸を訪れ、
さまざまな国との交流に伴う文化融合
によって神戸独特の文化を刻み、
それぞれの異国文化を街のあちら
こちらに色濃く残しています。

そんな神戸の街で繰り広げられる
「神戸まつり」は、
“祇園祭”や“天神祭”などの
伝統的な祭りとくらべると、
歴史は浅いものの、独自の進化
を遂げたお祭りといえます。

神戸まつりのメインイベント
「おまつりパレード」では、
沿道を埋め尽くす神戸市民
であふれかえります。

また、「サンバストリート」や
「花舞台」「わくわくストリート」
などのステージイベントが、
メイン会場を取り囲むように設けられ
、まさに、国際色豊かな市民参加型の
“お祭り”として、街のいたるところが
賑やかな喧噪に包まれます。

令和元年(2019年)の
「神戸まつり」は、5月19日(日)
午前11時スタートです。

「神戸まつり」のルーツは古く、約80年以上もさかのぼります。

神戸・三宮の名所スポット「花時計」
のすぐ近くに設けられているのが
地元テレビ局サンテレビの
「おっ!サン商店街」。

メインの「おまつりパレード」
巡行ルートや「サンバストリート」
「神戸旧居留地Jazz Stage」
などの、お祭りの目抜き通りに
近接する、県内外の郷土料理や
物産品が揃うエリアです。

今回で14回目の参加となる菊正宗は
、このエリアの入ったところに
ブースを構えています。

菊正宗からは、兵庫県のみで先行販売
されている「百黙」3種の飲みくらべ、
“香りのお酒(しぼりたて生貯蔵酒・
しぼりたて生貯蔵原酒・
生酛樽酒・すだち冷酒)”
4種の飲みくらべの有料試飲を
ご用意しております。

笑顔があふれ、歓声が飛び交う
お祭り会場のど真ん中で、
軒を並べる各地を代表するグルメに
舌鼓を打ちながら、旨い酒を飲む。

これ以上の“至福のとき”は、
なかなかお目にかかれません。

さて、「神戸まつり」の歴史を
振り返ると、1971年(昭和41年)
までさかのぼります。

当時、市民参加型のお祭りは全国的
にも珍しく、画期的なものでした。

そのルーツとなる
「みなとの祭」の歴史はさらに古く、
第1回目の開催が1933年
(昭和8年)と、今から80年以上
さかのぼることになります。

みなとの女王の戴冠式をはじめ、
国際大行進、市電の花電車、
懐古行列、市内の電飾など、
イベント色の強い“市民祭”の原形は、
この頃には確立されており、
いまに受け継がれているといえます。

メインイベント前日の5月18日(土)
には、神戸市各区で“まつり”が
行われているのも、市民参加型の
お祭りといわれる由縁です。

5月1日を境に、
新しい令和の時代となりました。

時代は変われど、今年も神戸で、
賑やかな“お祭り騒ぎ”が
繰り広げられそうです。

ワインのように、日本酒に“当たり年”ってあるの?

野菜は、ストレスで美味しくなる場合もある。

昭和の昔、子どもたちの多くは、野菜
があまり好きではありませんでした。

その中でも、青臭いトマト、
少し苦みのあるピーマン、
独特な味のニンジンは
苦手野菜の代表格。

そして時を経て4人に1人が
平成生まれとなった現在、
ある種苗会社が野菜の好き嫌い
を調査したところ、
子どもたちの野菜に関する嗜好は
少々変わってきているようです。

2018年の子どもが嫌いな野菜
ランキングは、第1位がゴーヤ、
第2位がセロリ、第3位が春菊、
第4位がピーマンとモロヘイヤ…と、
意外と渋い結果に。

ちなみに好きな野菜のランキングは、
第1位がトマト、第2位がジャガイモ、
第3位がとうもろし。

驚くことに9位にニンジンが
ランクインしています。

子どもが好きな野菜の決め手は、
全般的に“甘み”で、嫌いな野菜は
“苦み”が影響しているようです。

こうした野菜の嗜好が変わってきた
背景には、品種改良によって
食べやすくなったことや、
料理バリエーションの大きな広がり、
豊富な調味料やドレッシングなど、
“美味しく食べるため”の工夫を
見つけることができます。

また、栽培方法でも、
“美味しく食べるため”の研究
が積み重ねられました。

野菜生育時の
「ストレス栽培」なども、
こうした大きな改良のひとつです。

元々、私たちが普段食べている
野菜の多くは海外が原産地。

気候や土壌など、日本の
生育環境との相性が必ずしも
良いという訳ではありません。

そこで、日本向けに改良を重ねた
品種の特性を引き出すために
ストレスを与えることで、
美味しさや収穫量をより
一層向上させるという栽培法です。

夜間の生育温度を低くしたり、
低温で貯蔵する「温度ストレス」や、
海水散布による「塩ストレス」、
水分供給を制限する「水分ストレス」
、“根切り”や“剪定”も
植物にとっては一種のストレス。

野菜の種類や品種によって
ストレス負荷が異なるため、
栽培している品種の適正を
良く知ることが大切です。

トマトへの水分制限をすることで、
植物が自ら持つ成長を促すキッカケ
をつくり、より糖度の高い
“フルーツトマト”を生育するなども、
この栽培法を代表する成果
とされています。

それでは、農産物のひとつである米
や酒米の栽培方法の特性は
どうなっているのでしょうか。

日本酒造りは農業の延長線上に…栽培環境の理解が大事。

酒米の品種改良には少なくとも
10年以上の歳月が必要といわれ、
誕生から約70年にもなる「山田錦」
が、いまだ最高峰を
キープし続けています。

酒米の品種改良そのものが困難
であることは、推して知るべし
といったところでしょう。

一般的に、美味しいお米が育つ
条件は、「昼夜の寒暖差」
「ミネラルを含んだ水」
「水はけの良い肥沃な土壌」、そして
「米に精通した栽培者」とされます。

これが酒米ともなると、
食米より稲穂の背丈が高く、
米粒が大きく重くなるため、
一般米とくらべて稲にかかる負担が
大きく、倒稲しやすいのが実情。

また一般米とくらべて、
酒米の植え付け時期が早く、
収穫が遅い晩生のため、
台風被害を受けやすく、
栽培の難易度は格段に高まります。

さらに大切なのが、気象条件。

以前は長年にわたる経験から、
米の出来具合に合わせて酒造りを
微妙に変えていましたが、
近年は気象条件と醸造適正を
科学的に解明するための研究
が進められています。

同じ品種の酒米であっても気象条件
によってでんぷんを構成する
アミロペクチンの構造に違いが
生まれるのではないかという
仮説に基づいてのこと。

旨い酒を造るために、醸造工程での
蒸米の高い消化性が重要で、
でんぷんを構成するアミロペクチンの
分子構造が大きく影響します。

そこで、人工気象室での何年にも
わたる実験の結果、稲の登熟期
(出穂後の時期)の気温が高くなると
アミロペクチンの側鎖(そくさ/枝)
が長くなり、蒸米が消化されにくく
なることが判明。

アミロペクチンは、ブドウ糖を構成
する分子の鎖が房状に枝分かれした
構造で、この枝(側鎖)が短いほど
消化されやすく、逆に側鎖が長いと
酵素の働きがより一層必要となるため
、消化性が一気に低下します。

さらに、出穂後1ヵ月間の
平均気温が高くなるほど
消化性が低くなることがわかりました。

猛暑の年の米は
硬く醪(もろみ)で溶けにくく、
逆に涼しい年は溶けやすい
という経験則と一致。

つまり、経験の積み重ねで受け継がれ
てきたことが科学により実証
されたことになります。

これにより酒米の登熟期の気温
をもとに、米の消化性を比較的
高い精度で予測できるようになり、
醸造作業をはじめる前の消化性の
予測が、原料米の利用率向上や
品質向上にもつながることになります。

ワインの場合、ブドウ収穫に伴う
「当たり年」というものがあります。

米もその年の気象環境に大きく影響
されますが、「当たり年」
などという表現はなく、
“今年のお酒は美味しくない”など
という消費者の声も聞きません。

天候の影響は、
麹のつくり方などで調整を行い、
それぞれのブランド品質を維持
しているからに他なりません。

日本人の“知恵”と“経験”の
成せる技といえます。

猛暑や台風、大寒波、豪雨など、
異常気象が続く昨今、
気象環境への俊敏で柔軟な対応
がより一層求められる時代。

何気なく飲んでいる日本酒の味が
“いつも通り”と感じている裏には、
深い技術が眠っています。

令和元年、菊正宗は創業360年。日本酒の王道の歴史です。

創業から一歩一歩。その積み重ねの360年。

令和元年、菊正宗酒造は
創業360年を迎えます。

1659年(万治2年)、材木商として
名を馳せていた嘉納治郎太夫宗徳が、
神戸・御影にあった
本嘉納家(嘉納家本家の通称)
の本宅屋敷内に酒蔵を建て、
本格的な酒造りを開始したことが
菊正宗の歴史の第一歩となります。

当時、酒造業は先端の製造業で、
いまでいうベンチャーのようなもの。

ただ、当時の“灘”は、まだまだ
大きな銘醸地ではありませんでしたが
、灘の酒を急速に発展させたのは、
18世紀末頃の江戸への“下り酒”の
人気です。

なかでもとくに、“本嘉納家の酒”は
、江戸の町で人気を博しました。

ちなみに、
「嘉納」という姓は、約700年前、
御影「沢の井の水」で酒を造り、
これを後醍醐天皇に献上したところ、
ご嘉納になったことに由来。

「嘉納」とは、
“ほめ喜んで受け取ること”を意味
しており、そこから「嘉納」の姓
を賜ったとのいい伝えがあります。

一般的な日本酒の
醸造技術の背景としては、
江戸時代初期を過ぎたあたりから、
低温・長期発酵という醸造条件、
農閑期で優秀な杜氏が
確保しやすいということで、
冬期の「寒造り」が主流に。

保存のための「火入れ(低温殺菌)」
、香味をととのえるとともに
歩留りを良くし、
火落ち菌の増殖を防ぐ柱焼酎による
「アルコール添加」など、
現在の日本酒造りの基礎となる
技術が確立した時代でした。

明治になり、
8代目嘉納治郎右衞門(秋香翁)は、
“良い酒を造る”という信念のもと、
巨費を投じて酒質の向上改善に
取り組み、業界に先駆けた技術改善
などで、さらに品質を高め、
今日の基礎を築きました。

江戸時代より頑に守りつづけた
「生酛造り」は、いまなお受け継がれ
ている技術のひとつです。

時代の流れとともに、試行錯誤により
確立してきた日本酒の醸造技術も、
科学的に解明されることにより、より
高い技術へと磨きぬかれています。

さらにその技術をもとに実際の製品
にするための機械化も進み、
長年にわたって培われた“味”は、
より美味しい“旨さ”として代々
受け継がれてきたといえるでしょう。

ちなみに、
360年前に建てられた酒蔵は、
1960年(昭和35年)に移設し、
菊正宗酒造記念館として
一般公開していましたが、
残念なことに1995年(平成7年)
の阪神淡路大震災により倒壊。

幸いにも、館内の
国指定・重要有形民俗文化財に
指定された「灘の酒造用具」や
所蔵する小道具類の多くは無事、
もしくは修復可能な状態で、
4年後に新しく生まれ変わった
菊正宗酒造記念館で、
引き続き常設展示しています。

“カタチあるものは、
いつかなくなる”のは世の常。

建て替えたとはいえ、記念館の“凛”
とした空気感は受け継がれており、
創業当時へといざなってくれます。

菊正宗が、江戸で名を馳せた“時代の世相”。

菊正宗創業時の元号「万治」から
数えて、34番目の元号が「令和」。

天皇一代につき一元号とする
「一世一元の制」が定められたのは
明治以降のことで、
それ以前は天皇の在位中でも、
災害などさまざまな理由で
改元が行われていました。

また、新たな天皇が即位しても、
元号が変わらない場合も
しばしばあったということなので、
34人の天皇が即位された
という訳ではありません。

創業時の「万治」も、
江戸の「明暦の大火」により
改元された元号です。

当時は、江戸幕府の
第4代将軍・徳川家綱の時代。

第3代将軍・徳川家光の薨去
(こうきょ/皇族や三位以上の人の死
)により、長男の家綱が、
わずか11歳で将軍職に就任しました。

在職約30年における治世当初は
政情不安に見舞われるものの、
その後は安定政権を維持した
との記録が残されています。

また江戸で灘の「下り酒」が、
人気を博したのは1730年(享保15年)頃。

菊正宗の創業から約70年もの
歳月が過ぎていました。

この時代を知るという意味で、
創業当時の徳川家綱が登場する
時代劇映画やドラマとして、
「影の軍団 服部半蔵」や
「魔界転生」などがあります。

また下り酒が流行ったのは
第8代将軍徳川吉宗の時代。

いわずと知れた「暴れん坊将軍」
があまりにも有名です。

脚本や脚色で史実とは
異なることもありますが、
時代世相や町の様子を知る上では、
手がかりのひとつといえます。

酒を飲むシーンに、菊正宗の足跡を
重ね合わせて観るのも面白いのでは。

新しい時代「令和」を迎え、
またひとつ菊正宗の歴史が刻まれます。

平成時代に「香醸」や「天使の吐息」
が登場したように、令和時代の
新しい“旨さ”に期待は高まるばかり。

菊正宗 天使の吐息

八十八夜。意外にも、日本酒にも大切な節目。

“八十八夜”で思い出す唱歌「茶摘」。

八十八夜というと、
子どもの時に習った唱歌「茶摘」の
“夏も近づく八十八夜♪”
という歌詞が、頭をよぎる方も
多いのではないでしょうか。

「茶摘(小学校3年生で習う歌
なので、“茶つみ”と表記)」は、
明治から昭和にかけて、文部省が編纂
した“文部省唱歌”に選ばれた歌の
ひとつで、現在も小学校で歌われて
いるというから驚きです。

最初に音楽の授業に取り入れられた
のは、1911年(明治45年)の
「尋常小学唱歌/第三学年用」。

余談ですが、現在、世界最高齢
としてギネス認定されている116歳
の「田中カ子(かね)さん/福岡市」
が1903年(明治36年)生まれ
なので、音楽の授業ではじめて
「茶摘」を習った世代といえます。

その後、戦時中に音楽教材から
はずされる時期はあったものの、
再び音楽教材として採用。

“春がきた”“かたつむり”
“ふじ山”などの曲と並んで、
明治から令和にわたる、
5つの元号で歌われ続ける“唱歌”
のひとつとに数えられています。

長い歴史の中で、
生活環境も大きく変わり、
“あかねだすきに 菅の笠♪”
という歌詞の意味が、いまの小学生に
理解できるかどうかは判りませんが、
テンポの良いリズム感は、
子どもたちにも大人気とか。

手遊び歌として世代を越えて歌い
継がれる数少ない歌ともいえます。

「茶摘」の歌詞は、
京都の宇治田原地区に代々伝わる民謡
「茶摘み歌」の一節を元に
つくられたとされています。

現在、「茶つみ」の歌は、
他教科と関連づけて学習する
という地域もあります。

「音楽」だけにとどまらず、
「社会」や「理科」などの
幅広い教育教材として、
お茶の産地や種類、栽培方法、
収穫方法などを学ぶ教材として
取り入れられているとのこと。

“子どもの五感を刺激し、好奇心を
高め、児童の主体性を育む”授業
に用いられているということです。

“時代は変わった”と、
つくづく思い知らされます。

 

“八十八夜”に摘まれた新茶は、長寿の秘訣。

「八十八夜」は、1年を24等分して
季節を表す名称を付した
“二十四節気”の最初の
「立春」から数えて88日目の夜
のことで、雑節のひとつ。

雑節とは、“二十四節気
(さらに3等分した72候)”
や5節句などの季節の暦日に加え、
さらに季節の移り変わりを表した
“特別な暦日”のことで、節分や彼岸
、入梅、土用なども雑節です。

明治以前から使われている雑節は、
月の満ち欠けを基準とするため
「八十八“夜”」になったとのこと。

2019年の八十八夜は、
5月2日(木)。

「茶摘」の歌詞にある“夏も近づく”
のは、もう少し先のお話。

二十四節気の
6番目の「穀雨(4月20日頃)」と
7番目の「立夏(5月6日頃)の間に
位置する旧暦の春から夏に変わる時期
で、“八十八夜の別れ霜”
“八十八夜の泣き霜”などと
いわれる「遅霜」が発生する頃。

農家への遅霜による被害への
注意喚起の意味を込めて、
この雑節が定められたともいいます。

とはいえ、
季節の節目で霜もこれで最後。

間もなく訪れる
「立夏」を待つばかり。

新緑が鮮やかに映えはじめる八十八夜
を迎えるこの時期は、米づくり
においても馴染み深い日なのです。

地域によって作付けのタイミングは
異なりますが、田んぼに水を張ったり
、早稲の田植えが行われるなど、
農家が米づくりをスタートする時期で
、八十八を縦に並べると「米」という
漢字になることから、米農家が大切
にする日としても有名です。

日本酒の原料となる酒米をつくる
“酒米農家”でも同じように、
八十八夜はとても大切な日の
ひとつに数えられています。

“八十八夜=お茶”
というイメージを定着させたのが、
冒頭で紹介した「茶摘」の歌。

お茶の葉は、厳しい冬の間に養分
を蓄え、春の到来とともに
芽吹きはじめます。

最初に摘むのが「新茶(=一番茶)」
で、高い栄養価があり、味も格別。

そのため、“八十八夜に摘まれたお茶
を飲むと、病気にならない”とされ、
長生きの秘訣として
語り伝えられています。

ちなみに二番茶は6月から7月に
かけて、三番茶は8月末頃に
摘まれるお茶のことを指します。

長い歳月の中で変わることと、
変わらないこと。

日本独自に進化した文化が時折、
“ガラパゴス”に例えられますが、
そのおかげで世界一古い国家が
維持できているともいえます。

古い独自の慣習を“魅力”と感じる
ことが大切なのかも知れません。

老若男女を問わず、「茶摘」の歌を
口ずさむ光景は、世代を超えた
愛おしさに包まれています。