鬼滅の刃“柱稽古編”と「葵祭」の共通点は、絶対的な“柱”の存在。

日本でも数少ない王朝貴族の優雅さを今に伝える「葵祭」。

人気アニメ
「鬼滅の刃」の新シリーズ
“柱稽古編”が
5月12日からスタートします。

タイトル通り、
主人公の竈門炭治郎ら若い隊士たちが
鬼殺隊の最強メンバーである“柱”に
稽古をつけてもらうお話。

ここでいう“柱”とは、
鬼殺隊の中で
もっとも位の高い9名の剣士のことで、
鬼と対峙する“柱”は、
組織の土台を支える
絶対的な存在です。

“柱”といえば、
神様を数える助数詞に
“柱”を使ったことが
奈良時代に編纂された歴史書
「古事記」に記されています。

神を“柱”と数えたのは、
木には神が宿ると
考えられていたことの
証なのかも知れません。

伊勢神宮の中心にある
“心御柱(しんのみはしら)”や
諏訪大社の神事の
“御柱(おんばしら)”など、
その信仰は根強く残っているものの
日常的に使う機会は
あまりありません。

「鬼滅の刃」の原作者が
意図して使ったかどうかは
分かりませんが、
神がかった強さの象徴として
“柱”という表現を使ったのは、
まさに的を射た選択といえます。

現在開催されている
京都三大祭りのひとつ
「葵祭」の中心となるのは
上賀茂神社と下鴨神社。

この両神社の成り立ちを紹介した
古代の歴史書にも、
神様を数える際に
“柱”が使われています。

当時は、今よりも神の存在が
より身近だったようです。

そんな「葵祭」を
紐解いてみましょう。

「葵祭」の原形となった
“賀茂祭”の歴史は
平安京遷都の時代にまで遡ります。

暴風雨による凶作が続いたため
賀茂大神の祟りを鎮めるために、
祭礼の行事が行われました。

最初は氏一族のみの
小さな祭礼行事だったものが、
やがて京都御所での祭礼の後、
「賀茂御祖神社
(かもみおやじんじゃ/今の下鴨神社)」
を経て、
「賀茂別雷神社
(かもわけいかずちじんじゃ
/今の上賀茂神社)」
へ参向する例祭として
根付いていきました。

祭りの規模はどんどん大きく
絢爛豪華になり、
王朝貴族の国家行事に。

当時は祭りといえば
“賀茂祭”といわれるほどで、
紫式部や清少納言なども観ていた
という記述が
彼女たちの作品に刻まれています。

しかし、
かさむ祭祀費用などの理由で
祭りの起源から数えて
約900年続いた祭礼は
応仁の乱以降、廃絶しました。

それから約200年の時を経て
再興されたのは1694年(元禄7年)、
徳川5代将軍 綱吉の時代。

賀茂神社の神紋の“二葉葵”と
徳川家の“三つ葉葵”が結びついて
「葵祭」としての再興です。

現代の「葵祭」の本番は5月15日。

その前儀として、
5月3日の
下鴨神社の
糺の森(ただすのもり)で行われる
“流鏑馬神事”、
5月4日の
京都にゆかりのある
一般女性から選ばれた
斎王代と40人の女性が
御手洗池に手を差し入れて身を清める
“斎王代以下女人列の御禊の儀”
などの儀式が続き本番へ。

「葵祭」は、
“宮中の儀(現在は未開催)”
“路頭の儀”
“社頭の儀”
の3つの儀からなり、
“路頭の儀”は
「葵祭」のメインイベント。

平安時代の装束を着た
優雅な王朝の行列が
京都御所正門から下鴨神社、
上賀茂神社へと練り歩きます。

総勢約500名の列の長さは約1kmと
圧巻です。

歩くひな壇飾りのような優雅さで、
毎年多くの見物客を賑わしています。

普段食べている筍(たけのこ)の多くは「孟宗竹」。

他の品種の筍も含めて食べつなげば、1年を通して旬の美味しさを堪能できそうです。

他の品種の筍も含めて食べつなげば、
1年を通して
旬の美味しさを堪能できそうです。

春先に美味しい
旬を迎える筍(たけのこ)。

4月に旬のピークは過ぎましたが、
5月頃までは出回っています。

市場に流通する筍のほとんどは
「孟宗竹(もうそうちく)」です。

苦みと甘みのバランスが良く、
九州から関西にかけて広く栽培される
太いサイズが特徴。

鹿児島など温暖な土地で
11月から12月にかけて収穫される
“早掘り筍”もあります。

全国的に流通する量が
圧倒的に多い品種で、
家計に優しい金額で旬の美味しさを
味わえることもあり、
それが筍の旬が
春と認識されている理由です。

「孟宗竹」とほぼ同じ地域で
入れ替わるように
4月半ばから6月にかけて旬を迎えるのが
「淡竹(はちく)」です。

赤茶色の細身の筍で、
土の中から掘り起こすのではなく、
地面から40cmほど成長したものを
切り取って食用に。

味は淡白でほのかな甘みを感じる
繊細さが特徴で、
シャキッとした食感が楽しめます。

アクやエグみが少ないので、
アク抜きは不要です。

「淡竹」の旬を超えた辺りから
7月頃にかけて旬を迎えるのが
「真竹(まだけ)」。

別名“苦竹”ともいわれる苦みと
アクの強さがありますが、
コリコリした食感と風味の良さで
好まれる筍です。

こちらも細くて地面から出ている
黒いまだら模様の50cmほどに
成長したものを切り取って食用にします。

「孟宗竹」の流通量にはまったく
及びませんが、「淡竹」「真竹」も、
比較的手に入りやすい市場に
流通している筍の品種といえます。

この他、収穫量が少ないため、
手に入りづらい希少性の高い筍に、
「根曲がり竹(別名/姫竹)」
「寒山竹(かんざんちく)」
「四方竹(しほうちく)」
などがあります。

「根曲がり竹」は、東北など北日本を
中心とした寒冷地帯で栽培されるため
旬の時期は遅く、
5月下旬から6月頃に収穫されます。

千島笹の若芽で、ちょっと太めの
アスパラガスのようなスタイルで、
地面から弓状に曲がって伸び、
15cmほどになったら切り取って収穫。

アク抜きが不要で、やさしい上品な
味わいが特徴です。

山形県月山で獲れるものは
「月山竹」というブランド筍として
流通しています。

「寒山竹」の多くは、
九州で防風林として植栽された竹から
獲れる筍で、その美味しさに昔の殿様が
好んで食べたことから、
“大名筍”の別名を持つほど、
その味はトップクラスといわれます。

旬の時期は4月から8月頃と長く、
アクが少ないので、生食も可能。

他の筍と異なり、秋に旬を迎えるのが
「四方竹」で、高知県産が有名です。

細長くてキレイな黄緑色をしており、
コリコリとした食感が
楽しめる品種です。

「孟宗竹」に加えて他の品種の筍を
食べつないでいくと、1年中、
旬の美味しさが堪能できそうです。

品種の特性に応じた調理をすれば、
ワカメと一緒に煮た“若竹煮”や
鰹節と一緒に煮た“土佐煮”、
“たけのこの炊き込みご飯”などの
ポピュラーな料理以外に、
お刺身や蒸し焼き、天ぷら、素焼き、
酢味噌和えなど、
料理バリエーションも増えそうです。

希少な筍もネット通販を利用すれば、
気軽に購入できる時代。

筍づくしの料理と
日本酒との相性をお楽しみください。

“穀雨”の時期に、“八十八夜”を迎えます。

農業にとって“穀雨”は大切な期間。春雨の潤いが、植物を一斉に芽吹かせます。

現在、二十四節気の
“穀雨”の時期に
差し掛かっています。

二十四節気は、
1年を春夏秋冬の4つに区切り、
さらに6つに分割した、
約15日間の季節を表す呼び方です。

最初の日だけを
指すことが多いのですが、
本来はそこから15日間を表します。

今年の“穀雨”は4月19日に始まり、
5月4日まで続く春季最後の節気で、
夏季最初の“立夏”への
移り変わりを告げます。

七十二候に当てはめると、
“穀雨”は、初候“葭始生
(あしはじめてしょうず/
水辺の葭が芽吹き始め、山や野の
植物が緑一色に輝き始める頃)”
次候“霜止出苗
(しもやんでなえいずる/
暖かくなって霜も降りなくなり、
苗がすくすくと育つ
田植え準備が始まる頃)”、
末候の“牡丹華(ぼたんはなさく/
大輪の花を咲かす牡丹が
開花し始める頃)”となります。

地味な“穀雨”ですが、
植物が一斉に芽吹いて
新しい生命を育む季節を
象徴しているのです。

“穀雨”の語源は、
“百穀春雨(ひゃっこくはるさめ)”
といわれ、気温の上昇とともに、
春の雨が多く降り、穀物を潤す
恵みの雨を指しています。

雨量が多い訳ではありませんが、
潤った田畑は種蒔きなどの
農作業に適しているため、
昔は農作業の目安となる
大切な日のひとつでした。

また、この期を境に
雨量が徐々に増して
梅雨の季節を迎えます。

“夏も近づく八十八夜”
で始まる茶摘み歌を
ご存知の方も多いと思います。

この歌詞にある
“八十八夜”は雑節のひとつで、
立春から数えて八十八夜目、
今年は5月1日です。

昔は、歌にもあるように
お茶の新芽が出揃い、
茶摘みが始まる時期とされていました。

この時期に摘まれたお茶は
“新茶”“一番茶”と呼ばれ、
カテキンをはじめ、
ビタミンなどの栄養価が高く、
旨味、香りが高いのが特徴です。

現在は品種改良による早摘み茶や
採れる産地などによって、
新茶の茶摘み時期は
必ずしも“八十八夜”に限りません。

しかし、
“新茶を飲むと長生きをする”
などの縁起の良い言い伝えが
残っていることもあり、
お茶の産地では
縁起イベントのひとつとして
“八十八夜”に茶摘みを
行うところが多くあります。

その光景が季節の風物詩として
ニュースで紹介されることも、
毎年の恒例行事なのです。

“八十八夜”は茶摘みだけでなく、
米づくりにおいても、
とても大切な時期です。

八十八を組み合わせると
“米”という漢字になります。

昔は“八十八夜”に種蒔きをすると、
秋に美味しいお米が収穫できる
大切な日とされていました。

農業にまつわる言葉に
“八十八夜の別れ霜”
という言い伝えがあり、
“八十八夜”の頃に降りる
霜のことを指しています。

農業にとって霜は大敵で、
気を配る戒めの言葉のひとつです。

“八十八夜”は、今年の場合、
旧暦の3月23日に当たり、
最後の遅霜への注意が
必要な日だったのです。

しかし、この日を境に
天候が安定していきます。

農作業を本格的に開始する
目安となっていました。

また、地味な“穀雨”という
歳時記は、日本酒造りにおいても、
とても大切な日なのです。

“ブギウギロス”続出。しかし、今の「虎に翼」と同じ世界の出来事です。

天真爛漫な福来スズ子役の趣里の演技。歌って踊る舞台度胸も満点です。

NHK連続テレビ小説
「ブギウギ」が
3月末に大団円を迎え、
熱烈ファンの“ブギウギロス”の声が
あちらこちらから聞こえています。

「ブギウギ」は
“ブギの女王”と呼ばれた
笠置シヅ子の
幼少の生い立ちから
歌手を引退するまでの
半生を描いたドラマです。

趣里が演じる福来スズ子の台詞は、
ネイティブなのかと勘違いするほど
コテコテ感が強い昔の大阪弁。

番宣で情報番組にゲスト出演した
東京出身の趣里の
普段使っている標準語の方が、
逆に違和感を覚えるほど、
大阪弁が板についてる
ということでしょうか。

ヒロイン役の
最終オーディションに立ち会った
脚本家によると、
趣里の演技の愛くるしさや
コロコロと変わる表情の豊かさは
群を抜き、
彼女がスズ子を演じたら
視聴者に相当愛されると実感したと
後に語ってます。

余談ですが、
音楽のブギは、
1900年代初頭に
黒人労働者たちの
底抜けに明るい
ダンスミュージックとして
アメリカ南部で生まれた、
ブルースから派生した音楽です。

もともとは
ピアノの演奏に合わせて
踊るための音楽だったものが、
1920年代に
多くの黒人労働者たちが
自由を求めて
アメリカ北部のシカゴへと
移住した際に
ブギも伝わり、
ジャズのビッグバンドと
結びつくとともに
歌詞がつけられるなど、
跳ねるようなリズム感はそのままに
大きく変化しました。

そのブギのリズムで
新しい曲づくりを考えていた服部良一
(ドラマの役柄は羽鳥善一)が
笠置シヅ子と出会い、
彼女の大きなアクションと
地声のまま歌う歌唱力に惹かれ、
数多くのブギウギ曲を発表したのが、
戦前から戦後の
復興が落ち着くまでの期間。

彼女の力強い歌声や
天真爛漫な朗らかさは、
戦争によって
疲弊していた国民を元気づけるには
十分な役割を果たしました。

そんな笠置シヅ子をモデルにした
福来スズ子の役を演じる
趣里の等身大の演技は
大阪のオバちゃんの
親近感をまとうばかりか、
舞台上で大きな振り付けで
踊りながら堂々と歌う姿は
歌手そのもの。

それに共感した視聴者も多く、
その喪失感が
“ブギウギロス”
へとつながったものと考えられます。

笑点レギュラーの春風亭一之輔も
大ファンのひとりで、
去年の12月には
“来年3月には終わるんだ”と
考えただけで
ロスに陥ったといいます。

さて、「ブギウギ」に続く
現在放映中の連続テレビ小説
「虎に翼」は、
ほぼ同じ時代設定で展開されます。

開始早々、
前作の“アホのおっちゃん”役の
俳優が主人公のお父さん役を務め、
お見合いが嫌で
大阪に逃げようとした主人公が
“梅丸少女歌劇団に入ろうと思って”
と口にするのですが、
梅丸少女歌劇団は
前作の福来スズ子が入団した歌劇団。

また、法律を学ぶ学校に
男装の同級生がいて、
主人公は
“素敵、水の江瀧子みたい”
と口にしますが、
実際に笠置シズ子と水の江瀧子は
東京松竹楽劇部で出会い、
ずっと交流が続いた仲間。

そのほか
前作に登場した
朝ドラ常連俳優が登場するなど、
同じ世界観で
つながっているようです。

というのも、
「ブギウギ」のモデル、笠置シヅ子と
「虎に翼」のモデル、三淵嘉子は
同じ大正3年(1914年)生まれ。

この先も
小さな驚きが
ドラマに登場するかと思うと、
少しは
“ブギウギロス”
も癒されそうです。

昭和を代表する銘酒「上撰1.8L」。

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大相撲の土俵での作法から感じ取れる神事としての美しい佇まい。

“はっけよい”ではなく、“はっきよい”。行司が発するタイミングも異なります

大相撲の取り組みにおいて、
行司が発するのは掛け声は
“はっけよい”ではなく
“はっきよい”です。

相撲協会はこの言葉の語源として、
「気を高めて全力で挑め」という意味の
「発気揚々(はっきようよう)」
との公式見解を示しています。

この言葉には諸説あり、
勝負を促す意味の
“ハヤキホヘ(早く競え)”
という言葉が変化して
“はっきよい”になった説や、
易学の“八卦が良い”という
験担ぎの意味があるという説、
また、“ハッケ”は“投げつけよ”、
“ヨイ”は“やっつけろ”、
“ノコッタ”は“やったぞ”
という意味を持つヘブライ語起源説
などがありますが、
どれも起源としてそれらしく
聞こえるから不思議です。

一般の多くの人が頭に思う立ち合いは、
“はっけよい”で
拳を握った腕を下ろして
お互いが見合い、“のこった”の合図で
立ち会うというタイミングです。

実際の大相撲では、
行司は取り組み開始の
合図を出しません。

力士双方の呼吸が合うまで
何度か仕切り直し、
制限時間いっぱいになったところで、
行司の“待ったなし”
“見合うて”などの声が掛けられ、
あとは両力士の呼吸次第です。

“待ったなし”の声が掛かれば
必ず立ち会わなければなりません。

立ち合いが成立し、
両力士が四つに組んで動かないときに
掛けるのが“はっきよい”で、
両者が動いているときに掛ける言葉が
“のこった”となります。

ここで“制限時間は
誰がどのタイミングで計測しているのか”
という疑問が残ります。

時間を計っているのは
審判委員の時計係です。

力士の名前を呼び終わったときから
計測を開始し、時間が来ると
手を上げて合図。

それを見た土俵下の呼び出しが
“時間です”と力士に伝え、
行司からも制限時間いっぱいが
告げられます。

ちなみに、力士が立ち会うまでの
制限時間は、幕内は4分以内、
十両は3分以内、幕下以下は2分以内と
決められています。

また、時間いっぱい後の力士からの
“待った”は反則行為とみなされ、
制裁金が課せられる対象に。

テレビに映し出された両力士の
名前の背景では、土俵での作法を
見て取ることができます。

最初に目にするのは
“塵手水(ちりちょうず)”という
昔を今につなぐ礼法です。

手に何も隠し持っていないことを
示すために、膝を開いて
背筋を伸ばす蹲踞(そんきょ)の
姿勢で手を前におろし、
揉み手をしてから拍手(かしわで)を打ち
手を大きく開いた後、
手のひらを返す動作で、
腰を据えた佇まいには
様式美すら感じるほど。

その後、四股を踏んで清めの塩の前へ。

ここでは、前の取り組みの
勝ち力士から柄杓に入った力水で
口をすすいで身を清めます。

続いて、四股を踏んだ後、
清めの塩を撒いて土俵を清めます。

そして、仕切り線の前に進み、
蹲踞の姿勢から、相手と目を合わせて
両手をつくのを何度か繰り返して
制限時間いっぱいで立ち合いです。

これらの作法も含めて4分という
制限時間内に立ち会うのです。

これら一連の動作は、
相撲が神事であることを
改めて感じ得る瞬間ともいえます。