関東と関西で、“江戸前寿司(握り寿司)”は微妙に異なります。

町で見かける「寿司」「鮨」「鮓」の漢字。それぞれの意味を持っています。

「寿司」「鮨」「鮓」、町で見かける
“すし屋”の看板の漢字です。

「鮨」「鮓」は
古代中国から伝わりました。

「鮨」は川魚の塩漬けで、
今でいうところの
“塩辛”のようなもの、
「鮓」は川魚を塩と米に漬け込んで
発酵させた
“なれずし”のようなものです。

江戸時代に、
日本で生まれたのが「寿司」で、
“寿(ことぶき)を司(つかさどる)”
という江戸っ子らしい
粋な当て字を使っています。

寿司が気軽な外食となったのは、
ここ30年ほどのことで、
それを牽引したのは、回転寿司
といっても過言ではありません。

とくに近年、
大手回転寿司チェーンが全国的に
店舗数を拡大しながら競合することが
お客様満足度の向上に繋がっています。

大量仕入れによるコストダウンや
新鮮な魚の安定供給が、
消費者にとっての最大のメリットです。

しかし、これによって元々の寿司屋が
衰退している訳ではありません。

一部の店は苦戦を強いられて
いるところもありますが、
全国的な寿司消費は増加し、
寿司業界の裾野はむしろ広がっています。

老舗寿司店や高級寿司店だけでなく、
町のお寿司屋さんも、優れた目利きと
卓越した技術でお客様を魅了しています。

寿司の歴史を振り返ると、
関東と関西で
その成り立ちは異なります。

江戸前寿司は、江戸の前、
つまり東京湾で獲れた魚を使い、
せっかちな江戸っ子向けに、
屋台の立ち食いスタイルで
提供されました。

寿司ネタと酢飯を一緒に握った
“握り寿司”、今でいう
ファストフードのようなものです。

一方、関西では、
木型や箱の中に魚介類を重ねて
圧力によって押し固め、
時間をかけて発酵させる調理法が、
平安時代に確立。

のちに、発酵工程を省いた
“押し寿司”として発展しました。

寿司ネタは白身魚やアジ、サバ、
アナゴ、エビなどで、
たとえば日本海から運ばれた
塩サバを使った“鯖寿司”や
瀬戸内の魚介を使った
豪華な押し寿司など、お祭りや行楽、
観劇の際のお弁当など、
特別な日に食べるお寿司として
人気を博しました。

東西で異なる発展を遂げた寿司ですが、
江戸前寿司が全国に広まるキッカケ
となったのは関東大震災です。

江戸の寿司職人が
関西や地方などの避難先に根付いて
広めたといいます。

現在では寿司といえば
“握り寿司”が主流ですが、
関東と関西では、そのスタイルが
微妙に異なります。

関東では、寿司1貫ごとに
“ひと手間”をかけるのが
基本となっています。

魚の種類に合わせて、
酢や塩で締めたり、
甘辛いツメを塗ったり、
ヅケにしたり、煮る、炙るなど、
職人の“ひと手間”がかけられます。

魚介も東京湾で獲れたマグロやエビ、
タコ、イカ、ウニ、アワビなど。

関西の寿司は
産地へのこだわりよりも鮮度が大切で、
タイやヒラメなどの白身魚が多く、
カンパチ、ハマチ、シマアジなどの
赤身魚も好まれます。

最近は、昔ほどの東西の差も
少なくなってきているようです。

別の土地に旅行や仕事で出かけた時、
できるならその土地土地の
寿司の味を食べてみるのも一興。

新しい発見に出会えるはずです。

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口中に残る料理の味を洗い流し、
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日本のスイーツバリエーションは、世界トップクラス。日本酒にも合います。

トイレの手洗い管、風呂場のイス…気にも留めないことが、外国人には新しい発見。

今回も日本の魅力に
焦点をあててみます。

まずは、日本のトイレとお風呂です。

トイレにおいて、温水洗浄便座が
外国人を感動させることは
いうまでもありません。

それに加えて、
トイレタンク上部から水が流れる
手洗い管が、手がすぐに洗えて
清潔であるため、
非常に好印象なようです。

さらに、興味深いのが、
風呂場に置いてある小さなイス。

世界中のファンが多いアニメ
「クレヨンしんちゃん」の
お風呂シーンに登場するあのイスは、
外国人にとっては
かなり不思議なようです。

外国のお風呂は主に立ったまま
シャワーを浴びるスタイルが一般的で
湯船に浸かって身体を温め、
イスに座って頭や身体を洗う
日本の習慣は心地良く快適。

一度味わうと外国人も
病みつきになります。

併せて、自宅で温泉気分を味わえる
入浴剤や入浴料も人気だそう。

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風呂上がりのしっとり感や
ポカポカ感は、
癖になること請け合いです。

次に、日本のスイーツも
訪日外国人の心をつかんで
離さないもののひとつ。

和のテイストは、
“練り切り”をはじめ、
“団子”や“おはぎ”、“大福”、
“回転焼き”、“たい焼き”など、
ここに書ききれないほど多種多様。

スーパーのお菓子売り場にまで
大きくジャンルを広げると、
煎餅やスナック菓子、
サキイカなどの珍味類も
このジャンルに含まれます。

往年のロックバンド「エアロスミス」の
メンバーは大の“たい焼き”好きで、
ファンからの差入れの“たい焼き”を
巡って大喧嘩となり、
解散危機に陥ったという噂もあります。

一方、洋風スイーツは、
各種ケーキをはじめ、
シュークリームやマカロン、
日本で進化したバームクーヘン、
いちごのショートケーキなど、
世界各地を代表するさまざまな
スイーツが店頭に並びます。

とりわけ、スイーツのバリエーション幅を
大きく広げたのは、
コンビニがスイーツ商品に力を
注ぎはじめたのがキッカケとも
いわれています。

コンビニスイーツは
入れ替えサイクルが速く、
ロールケーキのような
定番にならない限り、
同じスイーツが続くことは
まずありません。

しかし、逆に、入れ替えのたびに、
新しいスイーツとの出会いに
期待ができるのは嬉しいことです。

日本酒の肴にスイーツと聞くと、
やや違和感があります。

しかし、前述した煎餅や珍味類などの
菓子類の塩味系は
すでに酒の肴として定着。

洋酒とチョコレート、
ワインとチーズなど、
アルコール類とスイーツが
美味しい組み合わせといわれるように
日本酒とスイーツの組み合わせも
意外とイケます。

生クリームに合うのは
「スパークリング系の日本酒」です。

チョコレート系スイーツならガツンと
「芳醇な奥の深い旨みの日本酒」。

同じ発酵食品のチーズケーキには、
「生酛造りの日本酒」がぴったり。

フルーツ類なら、フルーティーな
香りをまとった若々しい
「しぼりたて系の日本酒」です。
日本酒とスイーツの組み合わせ、
一度試してみる価値はありそうです。

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インバウンド需要は回復の兆し。訪日外国人は日本を存分に楽しんでいます。

日本人にとって当たり前の光景、訪日外国人にとっては毎日がアメージング。

2023年(令和5年)
11月時点での訪日外国人は、
累計で2233万人に達しました。

コロナでの影響で
低迷していたインバウンド需要も、
円安の影響もあり、
加速度的に回復しています。

まず、訪日外国人が驚くのは、
ゴミ箱がないのに街が清潔なこと。

東京都心の高層ビルを抜けると、
突如として広がる下町の風情や、
街の景観に調和する京都の神社仏閣、
大阪道頓堀の派手な動く看板など、
それぞれの特徴的な
街の景観はもちろんのこと、
どこに行っても清掃が
行き届いていることは、
かなりアメージングな体験の
ひとつのようです。

異文化とのふれあいを通じて、
観光ガイドの
キレイな写真と同じだと喜び、
それ以上の新たな発見に
感動を覚える方も少なくありません。

次に、
張り巡らされた鉄道網も
他所の国にはない日本の魅力。

時刻表通りにホームに到着する電車や、
誰も騒がない静かな車内、
小学生がひとりで電車通学する様子など、
初めて見る光景には
驚くことばかりのようです。

降車駅近くには必ずコンビニがあり、
夜遅くに帰宅する
女性が一人で歩いても
安全な環境にも驚くばかり。

また、
新幹線のスタイリッシュなフォルムや
静かな乗り心地、
選ぶのに迷うほど種類の豊富な駅弁も、
多くの外国人を魅了しています。

2013年(平成25年)に「和食」が
ユネスコ無形文化遺産に登録され、
寿司、天ぷら、すき焼きなどが
和食の代表格として一気に認知。

その影響により
訪日観光客の国でも和食を食べさせる
“寿司レストラン”などは増えています。

しかし、店の経営者が
日本以外のアジア人ということも多く、
効率を優先して
修行経験の未熟なシェフが調理する
寿司や天ぷらは、日本のそれとは
まったくの別物。

訪日観光客に日本の寿司や天ぷら、
鉄板焼きなどをご馳走する
Youtubeの人気チャンネルなどを見ると、
自分たちが今まで食べていたものとは
明らかに違うことに
驚きを隠せない様子です。

マグロといえば
“Tuna”しか知らなかった訪日客が、
1匹のマグロで、赤身、中トロ、
大トロ、ヅケなど、部位ごとの
味の変化を楽しむことは、
かなりの感動の瞬間。

出世魚のハマチとブリ、
カンパチなどかなり似た味ですが、
旬の時期、産地、
サイズなどによって脂のノリや
身の引き締まり方が異なるなど、
海外の大雑把な“魚”認識とは異なり、
日本での“魚を食べる体験”は
その繊細さへの感動となります。

かつて、
海外の日本料理レストランでは
“ジャパニーズ・SAKE”が
提供されていました。

日本酒とは異なる合成酒で、
その体験によって
“日本酒は美味しくないもの”との
認識が定着してしまったようです。

しかし、
日本に来て、寿司をつまみながら、
それに合う辛口の冷酒を口に含むと、
それまでの日本酒の印象は
“日本酒って、こんなに
美味しいものだったのか”へと
大きく変わります。

なにげない私たちの
毎日の暮らしは、
訪日観光客からすると、
羨望の眼差しに満ち溢れるもの
ばかりのようです。

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他の国にルーツを持つラーメンやカレーは、日本で異次元の進化を遂げました。

日本の食文化は、量、質ともに世界トップクラスのハイスペック。

日本の“食の文化”は、世界的に見て
かなりハイスペックです。

日本の食事は、家庭の食卓が中心。

長い歴史の中で
家族の胃袋を満たしてきたのは、
いわゆる“おふくろの味”。

家庭の味を守ってきた母親の料理技術は
プロ顔負けの包丁さばきで、
それぞれに伝わる味付けや料理の工夫が
家庭の数だけあります。

日本と世界の食文化とを比較した時に
大きく異なるのは、
食卓に並ぶ料理の品数が多く、
同じ料理が続くことは
あまりありません。

世界の食事情と比べると、
台湾は朝昼晩すべて外食で、
夜は屋台が人気。

フランスはパンやハム、チーズなど
火を使わない料理が中心で、
夜もデリのお惣菜など、
並べるだけの晩ごはんが中心とか。

平日は料理を作らない
という家庭も多いようです。

アメリカの晩ごはんは外食が多く、
平日の夜は
それほど手の込んだ料理をせず、
レトルトや冷凍食品で
済ますことも多いとのこと。

欧米諸国の多くは、
ほぼ同じようなもので、
日本ほど手間をかけないのが実情です。

それ以外にも、
卵や魚を生で食べる日本特有の食文化は、
世界でも稀なところ。

卵の衛生管理は
世界最高水準と称されるほど
徹底していて、
卵が原因のサルモネラ食中毒の発生は
年間数件ほど。

生の卵を食べる国がほとんどないため、
外国人には奇異に映るようです。

海に囲まれた島国の日本、
昔は魚を焼いて食べていましたが、
やがて塩漬けや干物にする
保存技術が確立。

江戸後期になると
魚を刺身や寿司にして食べるようになり、
やがて江戸前寿司のブームが
庶民に広がりました。

鮮度を保つため、
数々の経験から学んだ
ワサビや醤油の殺菌効果を応用した
工夫など、衛生管理技術も
向上していきました。

また、地域ごと、季節ごとに
獲れる魚は異なります。

魚の成長時期によって脂の乗りや
身の引き締まり方、
傷む速度にも差があるなど、
獲れた魚を美味しく食べる手法は
それぞれの地域に伝承されてきました。

そして現在、日本全国の
美味しい魚の情報は共有され、
世界に類を見ない
魚大国となっています。

ラーメンやカレーなど、
他国にルーツを持つ料理も、
日本で進化を遂げました。

ラーメンは中国発祥ですが、
スープへのこだわりから、
元々の中華スープに加え、魚介系、
豚骨醤油、鶏白湯など
素材から旨いエキスを取り出すための
試行錯誤が繰り返され、
未だ発展途上というから驚きです。

インドからイギリスを経由して
日本に伝わったのは、
いわゆる欧風カレー。

固形ルーの商品化によって
家庭料理として確立し
日本の家庭料理となりました。

元々のカレーライスから、
和風だし風味を加えたカレーうどんや
パンの具に盛り込んだカレーパン、
スパゲティと一緒に炒めた
カレースパゲティなど
料理の種類が変化しながら
進化し続けています。

日本の飲食店の数は
世界でもトップクラスの多さで、
取り扱う料理の幅もバラエティ豊か。

それにも関わらず、食事の中心は
家庭料理なのです。

そんな恵まれた食環境に
普段気づくことはありません。

しかし、世界から見た時、
日本が食のワンダーランドであることは
間違いないようです。

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38年ぶりに、1万円札の肖像画が福沢諭吉から渋沢栄一へ。

2月3日は、福沢諭吉の命日 “雪池忌(ゆきちき)”。

2月3日は福沢諭吉の命日で、
“雪池忌(ゆきちき)”
と呼ばれています。

この“雪池”とは、
彼が一時期名乗っていた
雅号に由来する呼び方です。

1901年(明治34年)に亡くなって
半世紀以上経った
1963年(昭和38年)辺りから、
彼の命日を“雪池忌”と
呼ぶようになりました。

作家の命日を偲ぶ日を、
雅号や代表作、
ペンネームなどを用いた
“文学忌”と呼び、
その習慣は、
松尾芭蕉の“芭蕉忌”が広まった
江戸時代にまで遡ります。

明治以降は
俳句と関わりのあった
夏目漱石の“漱石忌”、
芥川龍之介の“河童忌”
などが有名で、
その忌日が俳句の季語として
定着していきました。

第二次世界大戦後は
太宰治の“桜桃忌”など、
一般の小説家にまで広がって、
遺族や関係者、ファンなどが
命日を偲ぶ意味が
より深くなっていったようです。

近年は、
漫画家の手塚治虫の“治虫忌”、
水木しげるの“ゲゲゲ忌”、
歌手で作詞家の
河島英五の“桜風忌”など、
その範疇の幅は
広義に捉えられるようになっています。

福沢諭吉といって、
まず思い浮かぶのは、
日々目にする1万円札の肖像画です。

1万円札が初めて発行されたのは
1958年(昭和33年)のこと。

最初の肖像画は聖徳太子で
1986年(昭和61年)まで
28年間発行されました。

二人目に採用された福沢諭吉は、
1984年(昭和59年)から
2022年(令和4年)までの38年間、
三人目となる渋沢栄一の1万円は
2024年(令和6年)7月から
発行開始となります。

お札に載るほどの人物たちですから、
その功績は計り知れません。

福沢諭吉の経歴について
簡単に紐解きます。

1834年(天保5年)
大分県の中津藩士の家に生まれ、
19歳の頃には
長崎や大阪で蘭学を学びます。

一度中津に戻った後、
23歳のときに江戸で蘭学塾を創立。

これが、
後の慶應義塾大学の母体となります。

25歳のとき、幕府の命を受け、
咸臨丸に乗ってアメリカ視察に。

このとき同行したのが勝海舟で、
船上でのいさかいが元で犬猿の仲に。

この二人の関係は
生涯を通して
修復することはありませんでした。

この初渡航の2年後、
27歳でヨーロッパ各国、
そして32歳でアメリカへと再渡航。

1868年(慶応4年/明治元年)、
王政復古の大号令によって
明治新政府が発足した際に、
複数回の海外経験が
新政府の目に止まります。

すかさず
官職に就くことを求められますが、
これを断り、
蘭学塾を港区芝に移し
「慶應義塾」と名付けました。

その後、
ベストセラーとなった
「学問のすゝめ」をはじめとする
数多くの教育系の著書を執筆刊行。

そうした偉業が
お札の顔として認められたようです。

「慶應義塾」創設者の福沢諭吉は、
しばしば「早稲田大学」創設者の
大隈重信と比較されがちです。

もともと、大隈は福沢を
“生意気”“気に食わない”と
嫌っていました。

ところが、明治初期、
共通の知り合いが
二人を引き合わせます。

大隈が30代半ば、
福沢が40歳くらいで
初対面でしたが、
話すうちに意気投合し、
これをきっかけとして
家族ぐるみの付き合いになった
とのこと。

こちらは終生、
いい関係が続いたといいます。