「正月事始め」から「二十日正月」までの約1カ月が、本当の正月です。

昨年は思いも寄らない静かな正月でしたが、今年は賑やかな正月が戻ってきました。

地域によって多少異なるものの、
昭和の時代が終わる頃あたりまでは、
繁華街や神社近く以外のお店の多くは
正月休みを取っていました。

そのため、正月ともなると、
年末商戦の喧騒がなかったかのように
街はとても静かで、
初詣や映画に出かける以外は、穏やかに
家でテレビを観ながら過ごす機会が
多かったようにも思います。

そんな緩やかな昭和から
平成へと変わり、
時代は大きく動き始めました。

24時間空いている
コンビニが全国各地に増え、
大型商業施設も1月2日から正月の
初売り商戦に突入するなど、
出かける機会の多い、
より便利で賑やかな正月へと
変わっていきました。

それと同時に、
学校や会社の冬の長期休暇としての
印象が強くなり、正月らしい特別感が
年々薄れていくような時代の流れに。

それが、昨年の正月は一変。

新型コロナ禍第3波ピークで
不要不急の自宅待機を
余儀なくされたこともあり、
思いもよらない静かに家で過ごす
久しぶりのお正月
だったのかもしれません。

しかし、今年の正月は、
未だ世界的な新型コロナ禍
ではあるものの、
日本ではある程度の封じ込めが
上手くいっていることもあってか、
初詣の参拝客で賑わう神社境内や、
福袋を抱えた正月セールに賑わう
百貨店などがテレビに
映し出されているのを観ると、
何事もない、いつもの正月に
戻ったようにすら感じるから
不思議です。

さて、
正月休みも終わった辺りから、
注連縄や鏡餅などの正月飾りを
下ろして片付けるタイミングが
気になるところです。

一般的には、
“松の内”と呼ばれる期間を過ぎると
正月飾りを片付け始めます。

以前にここで紹介しましたが、
“松の内”は、関東では1月7日、
関西は1月15日までとされ、
それに伴って、鏡餅を片付ける
“鏡開き”も、関東は1月11日、
関西はもともとの1月20日に行うのが
一般的です。

本来の正月行事は、新年の三が日や
“松の内”期間だけではありません。

前の年の暮れから
正月の準備は始まり、
それから数えて正月納めの日である
“二十日正月”までの約1カ月間が、
本来の正月なのです。

 

本来の、行事としての日本古来の“正月”は「二十日正月」で締めくくります。

行事としての“正月”は、
「正月事始め」からスタートします。

かつては旧暦12月13日、
現在は新暦の12月13日に、
家のスス払いをして1年の汚れを落とし
年神様を迎える準備をはじめる日です。

昔は、どの家にもあった
囲炉裏から出る一年間のススの汚れを
拭い去る“清めの儀式”を
スス払いと呼び、現在も、
寺院などの年末の大掃除に
その名前は残っています。

大掃除が終わると、
神聖な場所としての印である
注連縄や注連飾りをします。

注意したいのは、
12月29日は“二重苦”に通じ、
葬儀と同じ“一夜飾り”と
なってしまう大晦日の12月31日を避け、
末広がりの“八”が入っている
12月28日、
キリの良い12月30日に飾るのが
良いとされています。

そして、
旧い年と新しい年を繋ぐ“除夜の鐘”
正月3が日の初詣、
“松の内”“鏡開き”、
途中、1月7日の“七草”を経て、
1月15日に“小正月”を迎えます。

この日は旧暦で新年最初の
満月を祝った日で、
正月期間に忙しく働いた女性が
ひと息つけるため“女正月”
とも呼ばれています。

また、“小正月”には、
左義長(さぎちょう)、どんど焼きと
呼ばれる火祭りが全国各地で行われ、
注連縄や門松、書き初めなどを
火にくべて、餅を焼いて食べたり、
その灰を持ち帰って
家の周囲に撒くなど、
無病息災を願うお祭りも行われます。

こうしたさまざまな正月行事を
締めくくるのが「二十日正月」です。

西日本では“正月納めの日”、
東日本では“仕事始めの日”とされ、
正月の祝い納めの日に
位置付けられています。

「二十日正月」は別名が多く、
京阪神地方では、正月に食べた
ブリの骨や頭を酒粕や野菜、大豆と
一緒に煮て食べる「かす汁」が有名で
“骨正月”“頭正月”
とも呼ばれるほか、
“乞食正月(石川県)”
“棚探し(群馬県)”
“フセ正月(岐阜県)”など、
正月の料理や餅を食べ尽くす風習が
伝わっています。

とくに、「かす汁」には、
魚や野菜などの具材の栄養素に加え、
酒かすに含まれている
ビタミン類や炭水化物、
アミノ酸が豊富に含まれており、
身体を中から温める効果は
もちろんのこと、
正月の暴飲暴食で疲れた胃を
休めさせてくれる滋養強壮の効果も
期待できる、理にかなった料理なので
この時期にぜひ食べたいもの
のひとつに数えられるでしょう。

その家々に伝わるしきたり、
地域の習わしや慣習など、
ご紹介した内容と
異なる場合もあるので、
まずは良く調べてから。

過ぎてしまった正月行事はともかく
小正月や二十日正月に、
正しく祝い納めをしては
いかがでしょうか。

2022年の年賀状は「寅」が主役。新しい胎動を予感できる年になりそうです。

正確には「五黄土星の壬寅」年。厳冬で蓄えた力強さが、新しい芽吹きを誕生。

2022年の干支は「寅」、
正確には
「壬寅(みずのえとら)」です。

以前に
ここで紹介させていただいたように、
干支は、“十干(じっかん)”と
“十二支(じゅうにし)”を
組み合わせたものをいいます。

その起源は古代中国へと遡り、
後に陰陽五行説と結びついて、
それぞれの組み合わせによって、
意味をなして行きました。

陰陽五行説では、
“十干”は太陽の動き、
“十二支”は月や星の動きを象徴的に
表しているとのことです。

干支はある種の統計学ともいえます。

長年にわたって積み重ねられた
“世の理(よのことわり)”を知り、
明日に備える拠り所となる
暦といったところでしょうか。

この干支に、さらに星の動きによって
運勢を示唆する“九星”が加わり、
その年がどういう運勢を持つ年なのかを
より詳しく知ることができます。

改めて、
2022年は「五黄土星の壬寅」年です。

まずは「五黄土星(ごおうどせい)」。

2022年(令和4年)は、
土の強いエネルギーを持った
他の八星を支配する
帝王の星が巡る年です。

破壊力、腐敗などの意味を持ち、
変化と育成、
つまり大きな変化に伴って
新しいものが生まれる予感があります。

続いて「壬寅(みずのえとら)」。

「壬」の文字が意味するのは、
“妊”という文字に通じて、
厳しい冬の寒さに
耐えて蓄えた陽の気で、
次の代の基礎を固めている様子。

イメージとしては、
種から発芽した芽が土の下で膨らみ、
土が盛り上がった様子です。

また、「壬」は十干の9番目にあたり、
生き物の成長サイクルに当てはめると、
次の命を育むための
準備をする時期といえます。

一方、「寅」は十二支の3番目で、
新しい生命の誕生の時期。

 

「寅」の文字は、
“螾(ミミズ)”に通じ、
春の胎動の様子を表しています。

暖かくなった春先に
ミミズが土の中で動き始め、
発芽を促し、
秋の豊穣へと繋がるイメージです。

冬が厳しければ厳しいほど、
春の陽気に包まれた発芽は力強く、
新しい生命の
誕生を予感させてくれるのが、
“壬寅”の組み合わせといえます。

長かった新型コロナ禍の
自粛生活から生まれた
新しい生活様式に
期待が持てる1年になりそうです。

より広く周知するために割り当てられたのが、十二支の動物たち。

十二支の概念は、
もともと古代中国紀元前の
殷から戦国時代にかけて
確立された天文学に基づく
“暦(れき)”が起源。

天空を12等分して
年や月などの周期的な
時間の流れを表す体系を、
より広く周知するために
身近な動物をあてはめたものです。

つまり、それまで記号で表していた
十二支に動物を割り当てることで、
一般庶民の理解を深め、
普及させることが狙い。

より分かりやすく説くために、
その動物を割り当てた物語を広めました。

その物語の内容は
長い歳月をかけて口伝で広がるうちに、
微妙に変化しているようですが、
本筋は変わらないようです。

大昔のこと。

神様が動物たちにお触れを出しました。

“元日の朝、
新年の挨拶に私の元へ出向け。

一番から十二番目までに
来たものを一年間、
動物の大将にしてやろう”と。

それを聞いた動物たちは、
元旦を心待ちにします。

ネコはネズミから
“挨拶に行くのは、1月2日の朝”と
聞いていたので、出発しませんでした。

そして元日の朝、日が昇る前に、
動物たちは一斉にスタートしました。

歩くのが遅いことを自覚していたウシは
夜の暗いうちに出発。

そのため、新年の太陽が昇った時に
一番に現れたのはウシでした。

しかし、神様のお社の門が
開くと同時に、ウシの背に乗っていた
ネズミがいち早く一番で到着。

実は、牛小屋の天井で牛の身支度の
様子を見ていたネズミが、
出発の際に、ウシの背中に
ピョンと飛び乗っていたのでした。

こうして、牛は二番となり、
トラ、ウサギ、リュウ、ヘビ、ウマ、
ヒツジと続きました。

また、挨拶に向かう途中、
サルとイヌが大喧嘩を始めたので
到着が遅れ、
その仲裁に入ったのが
トリということで、サル、トリ、イヌ
そして十二番目に到着した
イノシシを最後に、
十二支の順番が決まったというお話です。

ネコは嘘を教えたネズミを恨んで
今でもネズミを追い回し、
十三番目に到着したイタチは、
何度も神様にお願いして、
みんなに内緒で、月の最初の日を
“つ・イタチ”と
呼んでもらうことになった、
カエルも参加していたが
途中でヘビに呑み込まれたという話も
寓話として伝わっています。

十二支は古代中国から
日本に伝わったものなので、
十二支があるのは、
中国と日本だけと思いがちですが、
実は、韓国、台湾、チベット、タイ、
ベトナム、ロシア、モンゴル、
ベラルーシ、ブルガリア、トルコ、
インド、アラビア、イランなどにも
十二支はあり、それぞれの国によって
十二支を構成する動物が
微妙に異なっています。

長くなるので、このお話は、
またの機会に。

2022年(令和4年)は、
前述したように、期待が持てる年。
ただし、「五黄土星の壬寅」と
個人の運勢の巡り合わせや
相性によっては、
期待通りの年になるかどうかは、
また別物といえます。

あまり運気の上昇を実感できないときは
“当たるも八卦、当たらぬも八卦”
と割り切ることも大切です。

今が旬の代表格は「ズワイガニ」。他の魚介も、とっても美味しい時期です。

“松葉ガニ”“越前ガニ”などは、「ズワイガニ」別の呼び名。

今年の「ズワイガニ漁」の
解禁日は11月6日。

過去のデータを見ると、
毎年、暦の上での冬の始まりとされる
“立冬”前後に解禁されることが
多いようで、今年の“立冬”は、
解禁日の翌日の11月7日でした。

ちょうど肌寒さを感じ始める
秋真っ只中のこの季節に、
日本海沿岸各地で「ズワイガニ」の
底引き網漁がスタートし、
来年の5月31日までの9カ月にわたって
「ズワイガニ」が水揚げされます。

冬の味覚の代表格ともいえる
「ズワイガニ」は、
水揚げされる地域やブランド名、
オスメスによって
さまざまな名前を持っています。

京都から島根県にかけて水揚げされる
オス全般を“松葉ガニ”、
メスを“セコガニ”と呼び、
福井県で水揚げされる
オスは“越前ガニ”、
メスは“背子(せいこ)ガニ”、
最近よく耳にする石川県で
水揚げされるオスを“加能ガニ”、
メスを“香箱ガニ”などと
呼ぶのが有名なところ。

とくに、
“松葉ガニ”“越前ガニ”などは、
昔から知名度が高く、
別の種類のカニと思われがちですが、
同じ種類なので、
お間違えのないように。

さらに、例えば、
“松葉ガニ”の生息エリアであっても
京都丹後の間人漁港の
“間人(たいざ)ガニ”や
兵庫香美の柴山漁港の“柴山ガニ”、
兵庫県豊岡の津居山漁港の
“津居山ガニ”など、
漁港の名前や漁獲漁船の名前の
タグをつけてブランド化されたものが
市場に広く出回るなど、
「ズワイガニ」の品質管理を徹底する
ことで、その価値を高めています。

季節の旬のモノの初セリ値は
ご祝儀相場といわれ、破格ともいえる
高値をつけることが一般的です。

今年の初セリですが、
鳥取県の鳥取港では、
“松葉ガニ”一杯(一匹)、
最高値の90万円で落札されました。

2019年の初セリでは
一杯500万円の値がつき、
“競りで落札された最も高額なカニ”
としてギネス世界記録に
認定されているとのこと。

さて、
今年の初セリ価格を並べてみると、
“間人ガニ”は5杯で111万円、
“越前ガニ”が一杯80万円、
“柴山ガニ”は一杯約223万円
にもなり、“加能ガニ”は
ギネス記録と並ぶ一杯500万円もの
驚くような値がつきました。

あくまでも初セリ値なので、
市場に出回る「ズワイガニ」は
ここまで高額ではありませんが、
それでも、市場に並ぶ価格を見ると、
やや“高嶺の花”感はあります。

さて、
「ズワイガニ」の甲羅についている
黒いブツブツが気になったこと
はありませんか。

これは寄生虫“カニビルの卵”です。

見た目は気持ち悪いものの、
甲羅に付着して成長するだけで
可食部に影響はなく、
一説では、甲羅がキレイなカニより
黒いブツブツがついたカニの方が、
身がビッシリと詰まっている
といわれています。

これには、
カニが脱皮することによって
ひと回り以上も大きく成長するという
生態に深く関わっているのです。

脱皮直後は、それまで付いていた
“カニビルの卵”も一緒に脱ぎ捨て、
また脱皮前の身しか入っていないので
甲羅の中はスカスカの状態。

“カニビルの卵”が
たくさん付着しているのは、
脱皮してから時間が経っていると
想像することができ、
身が詰まっている可能性が高いと
判断されるのです。

 

「ズワイガニ」だけでなく、この時期は旬の魚が盛りだくさん。

「ズワイガニ」と同じ時期、
山口島根沖のアンコウ、
兵庫山陰沖のハタハタ、鳥取から福井
にかけて漁れるアカガレイ、
駿河湾の桜エビ、山口下関のトラフグ
日本海側を南下する寒ブリ、
丸々と太って太平洋を南下する
戻りガツオ、三重、千葉、和歌山で
漁獲半数を占める伊勢エビ、
三陸沖のマダコ、広島の真牡蠣、
北海道、東北のエゾアワビ、
北海道のホタテなど、この季節に
食べたい旬の味覚は盛りだくさん。

実は、魚介類の旬とされる
タイミングは2種類あります。

“水揚げの旬”と“味覚の旬”です。

産卵場所に集まってくる
魚群を捕獲する“水揚げの旬”は、
大量に収穫できるので
手頃な価格で市場に出回る時期です。

この時期の
卵巣(真子)や精巣(白子)は
とても美味しいのですが、
体の栄養分などを卵巣や精巣に
蓄えるため、身は痩せ細って、
正直、身の味は落ちます。

一方、“味覚の旬”は、
産卵前に体内に脂肪を蓄え出した
“脂が乗った”状態で、産卵を終えて
再び栄養を蓄え始める時期や水温が
下がって身を守ろうとする時期も、
この“味覚の旬”にあたります。

体に蓄えた栄養分によって、
深い旨みとともに、
風味のある甘みが増した状態が、
“味覚の旬”ということです。

食べ頃を迎えるタイミングは、
魚介類の種類によって
さまざまですが、
「ズワイガニ漁」が解禁される時期に
旬を迎える魚介類は多く、
絶品揃いなので、
まさに“食欲の秋”を
彩ってくれるに違いありません。

「ズワイガニ」を食べるのなら、
やはりお腹いっぱいに堪能できる
“かにすき”。

昆布ベースのやや薄めの白出汁に
カニの旨みが溶け出して香り高い
濃厚な出汁に変わっていきます。

これに合わせる日本酒なら、
出汁の濃厚さに負けない、
濃醇で雅やかな味わいの
「菊正宗 嘉宝蔵 雅」や
余韻のある旨みに吉野杉の香りを
まとった「菊正宗 純米樽酒」が
オススメです。

お好みで冷や、もしくは熱燗、
どちらでも楽しめます。

「勤労感謝の日」に思う、日本独自の“働き方改革”。

通貨価値や物価水準が大雑把に理解できる、身近に理解できる“ビッグマック指数”。

世界各国の物価水準や通貨価値などの
経済指標として話題になる
“ビッグマック指数”
というのがあります。

これはイギリスの経済専門誌
エコノミストが
定期的に発表している、
世界57カ国を対象として共通品質で
販売されているビッグマックの
価格推移を比較することで、
通貨の価値や物価水準を
推し測ることができる指数です。

たとえば、2021年7月の最新データと
当時の為替レート(1ドル=109.43円)
により、アメリカと日本とを比較。

この時のビッグマックの価格が、
アメリカ621円(5.65ドル)に対して
日本390円。

細かい計算は省きますが、
2021年7月時点の“円”は
“ドル”に対して、
37%過少評価されているとの結果に。

日本の“ビッグマック指数”は、
2021年1月データだと56ヵ国中24位の
-33.9%だったので、過小評価は
さらに進んでいる
ということが分かります。

2021年7月末現在で、
1位はベネズエラ
(921円/30,164,100ボリバル)、
2位スイス
(774円/6.5スイスフラン)、
3位ノルウェー
(693円/57ノルウェークローネ)、
4位スウェーデン
(681円/54スウェーデンクローナ)、
5位アメリカ
(621円/5.65USドル)
と続き、日本は57カ国中31位(390円)
に位置しています。

なお、1位のベネズエラは現在
ハイパーインフレ真っ只中で、
札束を抱えてビッグマックを買いに
行かなければならない状態なので、
ここから除外されるようです。

この他、世界中で販売されている
人気商品を使った指数として、
スターバックスの
“トール・ラテ指数”があります。

実際、この“ビッグマック指数”
で分かるのは、あくまでも
“現在の為替レートと比べて
実効レートがどのくらいあるか”
くらいのもの。

各国で売られている
ビッグマックの品質は多少異なり、
競合する類似商品が多いと
価格を抑えたり、
逆に高級品と位置付ける
場合もあります。

欧州諸国では
約20%前後の消費税(付加価値税)
が含まれることや労働賃金の高低、
原材料価格など、
国によって異なる背景がある
というのが正直なところです。

つまり、“ビッグマック指数”は
大雑把な目安で、
物価や通貨価値を
正確に示すものではありません。

しかし、難しく考えがちな
“経済”や“為替”を、
より身近な商品で理解する
という気軽さはありがたいこと。

このどこかの国に旅行する時の
物価目安としては、
きっと役立つはずです。

 

日本には、数字では計り知れない魅力的な働き方があります。

“ビッグマック指数”では、
日本は残念な結果ですが、
商品の価値という点において、
こうした数字では計り知れない
高い品質やサービス意識があります。

チップ文化のない日本ですが、
金銭に左右されない
ホスピタリティあふれた
“おもてなし大国”
という側面があり、
ビッグマックを買う時、
今でこそ“Smile 0円”
という表示はなくなりましたが、
笑顔の接客は、ずっと
受け継がれています。

また、価格競争力で
苦戦続きとはいえ、未だ
“メイド・イン・ジャパン”
ブランドに対する
世界の信頼は健在です。

日本が高い品質やサービス意識を
維持し続ける背景のひとつとして、
宗教観によって労働を“苦役”と
定義する多くの諸外国とは異なり、
働くことを“美徳”とする考え方が
昔から習慣づいている
ということがあげられます。

そのひとつの例として、
サッカーの国際戦の試合後、
厳密には労働ではありませんが、
日本サポーターがスタンドで
ゴミを片付ける姿が
称賛を浴びましたが、
その一方で、清掃員の仕事を奪う行為
との声もありました。

そんな長年にわたる日本の労働意識を
変えざるを得ないのは、
“働き方改革”や
“ワーキングシェア”の導入です。

もちろん、“滅私奉公”や
“サービス残業”、
“ワーカーホリック(仕事中毒)”
などは解消されるべきものなので、
日本が培ってきた世界に誇れる魅力を
十分に残しながら、諸外国とは異なる
独自の新しい働き方を見つけることが、
今後の課題といえるでしょう。

11月23日(火)は、「勤労感謝の日」。

“勤労を尊び、生産を祝い、
国民が互いに感謝し合う日”
と定義されています。

この意味を十分に噛み締めて、
自分の新しい働き方を
考えてみる1日にするのも
よろしいのではないでしょうか。

さて、“キリの良いところまで
仕事をしておく”は逆効果
ということをご存知でしょうか。

仕事に区切りをつける
ことは重要ですが、
やりかけの仕事を途中であっても
終業時間でそのままにし、翌日、
残った仕事から着手するとスムーズに
作業に入っていけるのです。

その作業の勢いで、
次の仕事に取りかかることが、
意外と効率的なんです。

まずは区切りをつけるための
残業をやめることから、
あなたの“働き方改革”をスタート
してみてはいかがでしょうか。

これは、育児や家事にも
いえることです。

「七五三」は、11月15日のお祝い行事ですが、多様化が進んでいます。

子供の成長祈願の「七五三」は、3つの別の行事の総称。

子供の成長の節目を祝う
「七五三」は、毎年11月15日に
固定されたお祝い行事で、
令和3年は平日の月曜日です。

しかし、「七五三」を迎える
子供を持つ親世代は、
ちょうど働き盛りの場合が多く、
誰もが忙しい昨今、
10月中旬から11月中旬頃辺りの
約1カ月で都合の良い日を選ぶ、
いわゆる融通のきく
子供のお祝い行事のひとつ
といえるでしょう。

最初に行われた「七五三」
については、諸説ありますが、
11月15日に第5代将軍徳川綱吉の
長男・徳松の健康を祈って行われた
“袴着(はかまぎ)の儀”が
キッカケで広まったという説が
有力で、第3代将軍徳川家光の
“袴着の儀”だったという説も
根強く残っています。

江戸期当時は、幕府を中心とした
関東圏で行われる地方行事のひとつで
、明治以降、京都や大阪などの
関西圏に伝わり、やがて
日本全国へと広まって行きました。

ではなぜ、
11月15日固定なのかというと、
まずは“11月”。

旧暦
(天保暦を最後とする太陰太陽暦)
を決める際に、
まず“冬至を含む月”を
11月にするルールがあり、
最初に決まるのが11月です。

そして、“冬至”を
二十四節気の起点に、
次々と月が決まって行きます。

例えば、“大寒”を含む月を12月、
“雨水”を含む月を1月という具合に、
月の軌道と照らし合わせ、
誤差を調整しながら、
順番に割り振ることで、
旧暦を決めているのです。

現在も、旧暦を新暦に割り当てる
時には、この方法が使われています。

さらに、十二支を月に割り振った時、
必ず干支の最初の“子の月”となる
縁起の良い特別な月ともいえます。

また、月の満ち欠けによって構成される
旧暦での“15日”は、ほぼ満月で、
暦に天球を割り当てた“二十八宿”の
“鬼宿(きしゅく)”にあたり、
この日は、“婚礼のみ凶で、
それ以外はすべて吉”とされる、
吉祥の日とされています。

つまり11月15日は、
子供の映えある将来を願うに相応しい
格別の日なのです。

もともと、「七五三」は、
平安時代に宮中で行われていた
それぞれの年齢で行う
3つの儀式が起源とされています。

ひとつ目は
“髪置(かみおき)の儀”で、
数え年3歳の女児
(昔は、男児も行なっていた)が、
それまで短くしていた髪を
伸ばし始める儀式。

続いて、“袴着(はかまぎ)の儀”。

数え年5歳の男児が、
正装の袴を初めて着る儀式で、
前述したように
「七五三」が広まる
キッカケとなった儀式です。

そして、“帯解(おびとき)の儀”は、
数え年7歳の女児が付け紐を外して、
初めて帯を締める儀式を指します。

つまり、
それぞれの年齢で行う別々の行事を、
子供の成長を祝う「七五三」と、
ひとまとめにして呼んだものなのです。

そのため、平安時代の神事的な要素が
薄れて、現在のような祝い事としての
行事色が強まったといえます。

 

「七五三」は何をするお祝い行事なのでしょうか。

祝い事として代々伝えられた
「七五三」の習慣は、その土地土地で
独自の伝統の行事となり、
それぞれ祝う年齢や内容が、
多少異なります。

そのひとつが、出雲を中心とした
山陰地方に伝わる“紐落とし”。

数え年4歳の男児女児ともに
神社にお参りするもので、
現在も「七五三」ではなく、
この“紐落とし”を
子供の通過儀礼として行っている
ご家庭が多いとのこと。

福岡でも、
“ひもとき”“へこかき”“ゆもじかき”
という年齢に応じた
「七五三」に類似した行事を
行う地域があります。

京都嵯峨の虚空蔵法輪寺で行われる
“十三参り(じゅうさんまいり)”
は、「七五三」の行事の次に続く
子供のお祝い行事で、
旧暦3月13日前後に
数え年13歳の男女が行うお参りです。

虚空蔵法輪寺

全国各地には、こうしたお祝い行事が
数多く伝わっています。

さて、具体的に「七五三」は
何をする儀式かというと、
子供に着物を着せて、近くの氏神様
(地元神社)にお参りまたは祈祷し、
写真スタジオなどで
記念撮影をすることが一般的で、
その後に家族揃って
食事会を開くご家庭も増えています。

また、「七五三」で着る晴れ着は、
参拝や祈祷によって
厄払いされているので、
お守りの意味合いがあります。

しかし、子供の晴れ着は
レンタルを利用することが多く、
半衿1枚などを買い求めて、
子供のお守りにすることを
説く神社もあるようです。

また、神社仏閣での参拝儀式の年齢は、
数え年が基本。

数え年とは、満年齢と違って、
生まれた日を1歳と数え、
正月にひとつ歳をとります。

極端な例だと、
12月31日生まれの場合、
翌日の正月に2歳
(満年齢では生後2日目の0歳児)。

1月1日生まれの子供と比べると、
約1年の体格差があることになります。

冒頭で述べたように、「七五三」は
融通のきくお祝い行事なので、
満年齢でお参りすることはもちろん、
年子の場合は1年ずらして
一緒に参拝したり、
着物ではなく洋装にしたり、
友達同士、声を掛け合って
一緒に参拝するなど、
ご家庭ごとの都合を優先することに
何の問題もありません。

大切なのは、
お子さんの成長を祝い、厄を払って、
安全を祈願することなのですから。