「七五三」は、11月15日のお祝い行事ですが、多様化が進んでいます。

子供の成長祈願の「七五三」は、3つの別の行事の総称。

子供の成長の節目を祝う
「七五三」は、毎年11月15日に
固定されたお祝い行事で、
令和3年は平日の月曜日です。

しかし、「七五三」を迎える
子供を持つ親世代は、
ちょうど働き盛りの場合が多く、
誰もが忙しい昨今、
10月中旬から11月中旬頃辺りの
約1カ月で都合の良い日を選ぶ、
いわゆる融通のきく
子供のお祝い行事のひとつ
といえるでしょう。

最初に行われた「七五三」
については、諸説ありますが、
11月15日に第5代将軍徳川綱吉の
長男・徳松の健康を祈って行われた
“袴着(はかまぎ)の儀”が
キッカケで広まったという説が
有力で、第3代将軍徳川家光の
“袴着の儀”だったという説も
根強く残っています。

江戸期当時は、幕府を中心とした
関東圏で行われる地方行事のひとつで
、明治以降、京都や大阪などの
関西圏に伝わり、やがて
日本全国へと広まって行きました。

ではなぜ、
11月15日固定なのかというと、
まずは“11月”。

旧暦
(天保暦を最後とする太陰太陽暦)
を決める際に、
まず“冬至を含む月”を
11月にするルールがあり、
最初に決まるのが11月です。

そして、“冬至”を
二十四節気の起点に、
次々と月が決まって行きます。

例えば、“大寒”を含む月を12月、
“雨水”を含む月を1月という具合に、
月の軌道と照らし合わせ、
誤差を調整しながら、
順番に割り振ることで、
旧暦を決めているのです。

現在も、旧暦を新暦に割り当てる
時には、この方法が使われています。

さらに、十二支を月に割り振った時、
必ず干支の最初の“子の月”となる
縁起の良い特別な月ともいえます。

また、月の満ち欠けによって構成される
旧暦での“15日”は、ほぼ満月で、
暦に天球を割り当てた“二十八宿”の
“鬼宿(きしゅく)”にあたり、
この日は、“婚礼のみ凶で、
それ以外はすべて吉”とされる、
吉祥の日とされています。

つまり11月15日は、
子供の映えある将来を願うに相応しい
格別の日なのです。

もともと、「七五三」は、
平安時代に宮中で行われていた
それぞれの年齢で行う
3つの儀式が起源とされています。

ひとつ目は
“髪置(かみおき)の儀”で、
数え年3歳の女児
(昔は、男児も行なっていた)が、
それまで短くしていた髪を
伸ばし始める儀式。

続いて、“袴着(はかまぎ)の儀”。

数え年5歳の男児が、
正装の袴を初めて着る儀式で、
前述したように
「七五三」が広まる
キッカケとなった儀式です。

そして、“帯解(おびとき)の儀”は、
数え年7歳の女児が付け紐を外して、
初めて帯を締める儀式を指します。

つまり、
それぞれの年齢で行う別々の行事を、
子供の成長を祝う「七五三」と、
ひとまとめにして呼んだものなのです。

そのため、平安時代の神事的な要素が
薄れて、現在のような祝い事としての
行事色が強まったといえます。

 

「七五三」は何をするお祝い行事なのでしょうか。

祝い事として代々伝えられた
「七五三」の習慣は、その土地土地で
独自の伝統の行事となり、
それぞれ祝う年齢や内容が、
多少異なります。

そのひとつが、出雲を中心とした
山陰地方に伝わる“紐落とし”。

数え年4歳の男児女児ともに
神社にお参りするもので、
現在も「七五三」ではなく、
この“紐落とし”を
子供の通過儀礼として行っている
ご家庭が多いとのこと。

福岡でも、
“ひもとき”“へこかき”“ゆもじかき”
という年齢に応じた
「七五三」に類似した行事を
行う地域があります。

京都嵯峨の虚空蔵法輪寺で行われる
“十三参り(じゅうさんまいり)”
は、「七五三」の行事の次に続く
子供のお祝い行事で、
旧暦3月13日前後に
数え年13歳の男女が行うお参りです。

虚空蔵法輪寺

全国各地には、こうしたお祝い行事が
数多く伝わっています。

さて、具体的に「七五三」は
何をする儀式かというと、
子供に着物を着せて、近くの氏神様
(地元神社)にお参りまたは祈祷し、
写真スタジオなどで
記念撮影をすることが一般的で、
その後に家族揃って
食事会を開くご家庭も増えています。

また、「七五三」で着る晴れ着は、
参拝や祈祷によって
厄払いされているので、
お守りの意味合いがあります。

しかし、子供の晴れ着は
レンタルを利用することが多く、
半衿1枚などを買い求めて、
子供のお守りにすることを
説く神社もあるようです。

また、神社仏閣での参拝儀式の年齢は、
数え年が基本。

数え年とは、満年齢と違って、
生まれた日を1歳と数え、
正月にひとつ歳をとります。

極端な例だと、
12月31日生まれの場合、
翌日の正月に2歳
(満年齢では生後2日目の0歳児)。

1月1日生まれの子供と比べると、
約1年の体格差があることになります。

冒頭で述べたように、「七五三」は
融通のきくお祝い行事なので、
満年齢でお参りすることはもちろん、
年子の場合は1年ずらして
一緒に参拝したり、
着物ではなく洋装にしたり、
友達同士、声を掛け合って
一緒に参拝するなど、
ご家庭ごとの都合を優先することに
何の問題もありません。

大切なのは、
お子さんの成長を祝い、厄を払って、
安全を祈願することなのですから。

「ハロウィン」のカボチャは、カブの代用。その理由は?

日本に「ハロウィン」文化を定着させたのは、SNSの“映え”拡散の後押し。

昨年は新型コロナの影響での
「ハロウィン」イベントの
ほとんどが中止となりました。

今年は、緊急事態宣言などの
外出制限が解かれ、
有名テーマパークなどでは、
2年ぶりとなる
「ハロウィン」イベントを開催。

また全般的に、街中でも、
マスク着用などの
自粛をしつつの仮装ですが、
少しは華やかな活気が
戻ったような気がします。

ちゃんとした記録が
残っているものとして、
「ハロウィン」を取り扱ったのは、
1970年代キディランド原宿店が最初。

そして、1997年の
東京ディズニランドで開催した
“ディズニー・ハッピー・ハロウィン”
の仮装イベントが一気に
「ハロウィン」を広めました。

その後、オレンジや紫、黒を
ベースカラーにしたハロウィン商品や
仮装用品の販売が多方面で広まり、
昨今のSNSの普及が、「ハロウィン」の
“映え”イメージ拡散の
後押しをしたといえるでしょう。

もともとハロウィンは、
アイルランドやスコットランドに
暮らしていた古代ケルト人の
信仰が起源で、これがキリスト教に
取り込まれたものです。

ケルト人文化で1年の最終日となる
10月31日は秋の収穫を
祝う日であるとともに、
現世と霊界を行き来できる日で、
死者の霊が戻るとされていました。

この時、悪霊が一緒に来るので、
不気味な衣装をまとい、
仮面をかぶって、
悪霊を驚かせて追い払ったというのが
仮装の由来。

一方、キリスト教では11月1日は
“諸聖者の日(All Hallowe’s Day)”
という全ての成人、
殉教者を記念する祝日で、
その前夜に当たる10月31日は
“諸聖者の日の前夜
(All Hallowe’s Even)”と呼ばれ、
それが“Hallowe’en”と略されたのが
「ハロウィン」の語源です。

現在、アメリカなどでは
宗教的要素はほとんどなく、
季節催事のようなイベントとして
親しまれています。

さて、
「ハロウィン」に付きものといえば、
“ジャック・オー・ランタン”。

カボチャの中をくり抜いて、
中でロウソクを灯し、
ランプのように魔除けがわりに軒先に
吊るすのが正しいスタイル。

実は、ケルト人が魔除けとして
使っていたのはカボチャではくカブ。

では、なぜ「ハロウィン=カボチャ」の
イメージが定着したのでしょうか。

それは、キリスト教の行事として
世界に広まる中、
アメリカに伝わるのとほぼ同時に
カボチャに差し代わったといいます。

その理由は、「ハロウィン」の時期に、
アメリカはカブの生産量が少なく、
カボチャが多く
収穫されていたというもの。

それが全世界へと広まり、
現在の「ハロウィン=カボチャ」の
イメージの定着に
つながったとのことです。

「ハロウィン」が開催される初冬に
多く収穫されるカボチャは、
別の意味での旬の野菜といえます。

 

旬の野菜が美味しく身体に良いのには訳がある。

当然、海外にも旬の野菜はありますが
日本ほど、“旬の感覚”への
こだわりはありません。

輸出入や品種改良などにより、
1年を通して常備野菜が
店頭に並ぶのは、多少の差はあれ、
外国も日本と同じような状況です。

世界と大きく異なる点は、日本では、
“旬の時期に美味しくいただく”
という考え方がかなり徹底して
浸透しているということ。

これは、季節や歳時記などが
生活にしっかりと根付いている
日本独特の感覚といえます。

また、“旬の野菜は身体に良い”と、
よく耳にしますが、
それはなぜなのでしょうか。

野菜にとっての旬は、
もっとも生育に適した条件が
整った環境で生育し、
もっとも成熟した時期といえ、
旬の野菜は味が濃く、
栄養価も高い状態にあります。
旬のモノと季節外れのモノを比べると、
その栄養価は倍ほども異なるとの
研究発表もあるようです。

また、旬の期間とともに収穫量が増え、
近隣エリアで収穫されたものが
店頭に並ぶ機会も増えます。

そのため、
野菜そのものの価格ばかりでなく、
輸送コストも抑えられることとなり、
よりリーズナブルに、
新鮮な旬の味わいを
楽しむことができるのも、旬を迎えた
野菜の恩恵のひとつでしょう。

さらに、
季節のその時期に身体が欲する成分が
旬の野菜に含まれているといえます。

“新緑の春”は新しい環境で
ストレスをうけやすく、
体調不良を起こすことがあります。

旬の野菜で、
スムーズに体を目覚めさせ、
心身ともにリラックス効果を
高めることが必要です。

“疲労の夏”は、梅雨の食中毒、
猛暑期の体力消耗や食欲不振などの
季節病を引き起こしやすい時期。

夏に旬を迎える栄養価の高い食材を
上手に料理に取り入れ、
夏バテや紫外線に負けない
身体づくりが大切。

抗酸化作用の高い緑黄色野菜や
水分を多く含む野菜の
摂取を心がけましょう。

“実りの秋”は、
きのこや木の実、根菜類など、
消化器系の働きを活発にしてくれる
食材が旬を迎える、まさに食欲の秋。

“凍てつく冬”は、
野菜が冬の寒さを乗り切るために、
糖分や栄養素を多く蓄積するため、
この時期の野菜は、
自然の甘みを強く感じるとともに、
体温保持効果への期待が高まります。

旬の野菜は、健康増進という意味で、
私たちの暮らしに欠かせない
食材となっているのです。

「ハロウィン」の
“ジャック・オー・ランタン”を見て
“美味しそうなカボチャ”と
旬を感じるようになったら
立派なもの。

今夜はカボチャの煮物を肴に、
燗酒でもいかがでしょうか。

10月18日は「冷凍食品の日」。 日本に冷凍食品が登場して約100年が経ちました。

鮭のルイベ

冷凍食品の普及には、さまざまな状況が影響していました。

毎年10月18日は
「冷凍食品の日」です。

この日を制定した
社団法人日本冷凍食品協会によると、
冷凍の“凍”が
“10(とう)”に通じ、
「冷凍食品」の世界共通の
管理温度である−18℃以下の
“18”にちなんで、
1985年(昭和60年)の記念日制定
に至ったとのこと。

「冷凍食品」が誕生するよりも
ずっと以前から、
極寒地ならではの食文化として
“ある程度、鮮度を保った食品を
冷凍して食べる”
という習慣がありました。

ロシアやカナダなどの極寒地では、
外気温が−50℃以下にも下がるため
スープを外に出しておけば、
すぐに凍り、食べたい時に火にかけて
温めて食べるというもの。

日本でも北海道の一部地域では
−30℃以下の寒さになり、
サケなどを外気冷凍したルイベは、
その頃からの郷土料理のひとつ。

当時は干物に近い保存食で、
現在の少しシャリシャリ感のある
刺身の一種であるルイベとは
別の食べ物でした。

「冷凍食品」が最初に登場したのは
1900年代のアメリカ。

傷みやすいジャム加工用イチゴを
一般家庭に冷凍輸送したのが始まり
とされています。

しかし、それが広まったのは
アメリカの一般家庭用冷凍冷蔵庫が
普及し始める1920年代に
なってからのことでした。

日本の「冷凍食品」事業は、
1920年(大正9年)に、
葛原商会(現ニチレイ)の葛原猪平が
アメリカ製の冷凍設備を北海道に
建設したことに端を発します。

1日10トンの冷凍ができる冷凍倉庫で、
北海道で獲れる魚を
凍らせたのが最初でした。

日本で初めて市販された
「冷凍食品」は、戸畑冷蔵が
1930年(昭和5年)に発売した
“冷凍いちご”。

アメリカでの最初の「冷凍食品」と
同じイチゴだったことを考えると、
イチゴは「冷凍食品」としての
適性があるといえるでしょう。

とはいえ、まだ各家庭に「冷凍食品」
を保存する冷凍冷蔵庫はなく、主に
業務用としての利用が主流でした。

日本国内で「冷凍食品」が
認知され始めたのは、
1964年(昭和39年)の
東京オリンピックを機に、
一気に外国の文化が入ってきた辺りの
高度成長期真っ只中の時期です。

その頃は、主に外食産業を中心に、
「冷凍食品」の素材や調理法、
解凍などの研究が進んだ時期
ともいえます。

1970年代になって大型の冷凍冷蔵庫や
電子レンジが普及し始めた辺りから、
一般家庭で「冷凍食品」の利用が
増え始めました。

1980年代になって、
電子レンジの低価格化による
一般家庭への爆発的な普及があり、
それに伴って、「冷凍食品」市場が
急激に拡大しました。

食材や料理の冷凍保存技術だけでは
「冷凍食品」を一般普及させることは
無理なお話。

「冷凍食品」の品質を保ちながら運ぶ
“冷凍輸送”と、販売拠点での
“冷凍温度管理設備”、
消費者が購入した後の保存を行う
“冷凍冷蔵庫の普及”、
「冷凍食品」を美味しく食べるための
“電子レンジでの解凍”など、
さまざまな技術環境が整って初めて、
「冷凍食品」普及が整います。

 

長い準備期間を経た「冷凍食品」の目まぐるしい進化。

「冷凍食品」が一般家庭に
届けられるまでに、地道な60年もの
歳月を費やしました。

しかし、「冷凍食品」事業を支える
周辺環境が整って以降は、
年を追うごとに目まぐるしく
進化を遂げており、
その進化は現在も続いています。

なかでも、1994年(平成6年)に
発売された
“電子レンジ対応コロッケ”
は、それまで「冷凍食品」の概念を
大きく覆すことになる
エポックメーキングな商品です。

それまでは冷凍コロッケを
油で揚げていましたが、
この商品は、揚げたコロッケを
風味を損なわず急速冷凍することで、
レンジで“チン”するだけで、
サクサクのコロッケが食べられる
という手間いらずの画期的な
「冷凍食品」でした。

それ以降は、冷凍庫から取り出して
そのままお弁当に入れるだけで、
昼ご飯の時には自然解凍によって
食べ頃になっている
“お弁当”シリーズや、
一流シェフ監修の“超高級”な
「冷凍食品」の登場など、
皆さんもご承知のことだと思います。

料理で「冷凍食品」になっていない
ものはないんじゃないかと思うほど、
バラエティ豊かに
進化を続けているといえるでしょう。

さて、「冷凍食品」についての
ウンチクを少し。

まず、市販の「冷凍食品」は
腐りません。

これは、「冷凍食品」の保存温度が
-18℃以下に決められているため、
微生物が増殖しないからです。

ただし、色が変わったり、
霜がついてる場合は、
長期間の冷凍焼けや酸化などにより
品質が劣化しているので食べるのを
避けたほうがよろしいでしょう。

それから、冷凍野菜は、
凍ったまま調理というのが基本。

というのも冷凍する前にちゃんと
下処理がされているからです。

何れにしても、大切なのは、
「冷凍食品」のパッケージに
書いてある解凍方法を守ることで、
失敗しない解凍を心がけることです。

寒くなるこれからの季節は、
燗酒の美味しさを
実感できる季節でもあります。

お好みの「冷凍食品」を肴に
一杯というのもオツなもの。

美味しい「冷凍食品」を求めて、
スーパー巡りというのも
よろしいんじゃないでしょうか。

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「重陽の節句(ちょうようのせっく)」は、別称“菊の節句”。

日本の国の象徴とされる“国鳥”“国花”をご存知ですか。

日本の国を象徴するものとして、
よく話題になるのが
“国鳥”と“国花”。

“日本の国鳥は?”と聞かれて多くの
方が“トキ”と解答されますが、
正解は“キジ”です。

これは“トキ”が特別天然記念物で
学名が“Nipponia nippon
(ニッポニア・ニッポン)”
であることや、絶滅危惧種で、
佐渡島に残っていた野生のトキ5羽を
全羽保護したことで野生絶滅に
なったというニュース報道などの
イメージの影響で、日本の国の象徴
としての誤認に繋がっているのかも
しれません。

では、“日本の国花は?”と
聞かれた場合、“桜”もしくは“菊”
のいずれかで悩まれる方が多い
のではないでしょうか。

正解は、法定で定めた“国花”は
存在せず、国民に広く親しまれている
“桜”や皇室の家紋のモチーフである
“菊”が、事実上の“国花”として
扱われていることが多いようです。

ちなみに、“国魚”は錦鯉、“国蝶”
はオオムラサキ、“国石”はヒスイ、
そして“国菌”は、なんと
日本酒醸造や味噌、醤油の製造に
使われる麹菌(こうじきん)です。

さて、しばしば“国花”的な
役割を担う“菊”が日本の歴史に
登場するのは、平安時代の歴史書
“類聚国史(るいじゅこくし)”。

桓武天皇が詠んだ
“このごろの しぐれの雨に 菊の花
散りぞしぬべき あたらその香を”
が、菊を詠んだ最古の歌と
考えられています。

日本にはタンポポや野菊などの
小ぶりな花をつけるキク科の植物は
自生していましたが、
奈良時代末から平安時代初期に
中国から渡ってきた“菊”はやがて
宮中でブームとなり、“古今和歌集”
で盛んに詠まれるようになりました。

春の“桜”に対して、“菊”は秋を
象徴する花として愛でられ、
鎌倉初期の後鳥羽上皇が菊の花の
意匠を好んで、菊紋を皇室の
家紋として採用したことから、
その人気は一気に高まります。

そして、江戸元禄時代にさまざまな
品種が誕生する、いわゆる
菊ブームが到来。

貴族から武士、庶民へと広がる中で
菊の品種改良は進んでいきました。

とくにこの頃、幕府が五節句を
正式に制定し、9月9日を
「重陽の節句」としたことが影響して
“菊”の人気はピークに。

花壇に菊を寄せて植えた“花壇菊”、
集めた菊で風景などをつくり込んだ
“形づくり”が盛んに行われ、
こうした“菊細工”の技法は、後の
“菊人形”などへと発展を遂げます。

明治時代には大輪の花が好まれ、
花の直径が30cmに達する品種も
登場しました。

 

本来の「重陽の節句」は、10月9日前後。

“菊”といえば、9月9日は五節句
のひとつ「重陽の節句」、別名
“菊の節句”。

もともとは旧暦9月9日の歳時
なので、新暦の季節に当てはめると
“月遅れ”の10月9日あたりが、
ちょうど「重陽の節句」の本来の
季節感覚です。

話は少し逸れますが、以前にここで
紹介した旧暦から新暦に切り替わった
際、具体的には1872年(明治5年)
12月3日の翌日が1873年(明治6年)
1月1日となりました。

そのため、新暦では約1カ月季節が
早く訪れ、何より農業関連の行事
すべてにズレが生じるように
なりました。

そこで、“月遅れ”で行事を行う
対策を採用。

その代表的なものが“お盆”で、
もともとの7月15日ではなく
“月遅れ”の8月15日が現在の主流です。

二十四節気

ところが、日付に意味を持つ五節句は、
“月遅れ”を採用せず、旧暦の日付の
ままがほとんど。

桃の節句に桃が咲かず、七夕は梅雨の
最中(仙台七夕は“月遅れ”を採用)、
端午の節句に揚げるこいのぼりは、
本来、雨中に鯉が天に昇って竜になる
“登竜門”という中国の故事に
あやかって、出世を願う江戸の武家が
揚げていたものが、今では5月の
晴天を泳ぐ姿が印象的です。

「重陽の節句」も9月9日という日付に
準じて行われることが主流と
なっています。

旧暦9月9日に「重陽の節句」の
お祭りが行われたことから、
「九日(くんち)」という呼び名が
定着したとの説があります。

とくに、
“長崎くんち(長崎県長崎市)”
“唐津くんち(佐賀県唐津市)”
“博多おくんち(福岡県福岡市)”
が「日本三大くんち」とされ、
九州北部地域に集中しています。

これとは別に、収穫した作物を神に
供える日、「供日(くにち)」から
転じて「くんち」になったとする説、
お宮に対して祭を行うため
「宮日(くにち)」が転じた説
などがあります。

もともとの「重陽の節句」の季節を
考えると、このコラムが掲載される
頃がちょうど、昔の季節感を
肌で感じるタイミングです。

夏の暑さが癒え、少し肌寒くなった
今日この頃。

9月9日「重陽の節句」解禁の
「ひやおろし」はもちろんのこと、
月を見上げながら、そろそろ熱燗は
いかがでしょうか。

日本酒が美味しい季節が
やってきました。

先人たちの伝統を未来へと繋ぐ「日本酒の日」。“ひやおろし”が目玉です。

なぜ、「日本酒の日」は、10月1日なのでしょうか。

10月1日が「日本酒の日」
と制定されたのは、
1978年(昭和53年)のことで、
今年、2021年(令和3年)で43年目。

この記念日を制定した
日本酒造組合中央会の
ホームページには、
“日本の國酒である日本酒を
後世に伝えるという思いを
新たにするとともに、
一層の愛情とご理解を
という願いを込めて、
1978年に日本酒造組合中央会が
「10月1日は日本酒の日」
と定めました”という
制定にあたっての意義が
掲載されています。

現在、日本酒の酒造年度は、
7月1日を開始日から
翌年6月30日なのですが、
なぜ、「日本酒の日」が10月1日に
制定されたのでしょうか。

1964年度(昭和39年)以前は、
その年に収穫された新米で
酒造りを始める10月を
1年のスタートとして、
翌年9月30日までが酒造年度でした。

日本酒の蔵元では、
昔から年度初日の10月1日を
「酒造元旦」として祝い、
神社に参拝して1年の醸造安全を
祈願したといいます。

そうした先人達が
大切に守り続けてきた伝統の日である
“10月1日”を、「日本酒の日」
という特別な記念日に制定して、
後世へと語り継ぐことの決意が
込められているともいえます。

また、別の理由として、
干支の“酉(とり)”が、
この「日本酒の日」制定に
深く関わっているとのこと。

“酉年”は12年に一度巡ってくる
十二支のひとつであるだけでなく、
1年の各月に割り当てた場合、
10月を指します。

ちょうどこの時期、
秋の五穀豊穣に感謝して
秋祭りなどを開催して、
神と酒を酌み交わす習慣が
ありました。

また、10月は旧暦の“神無月”で、
新酒を醸す月という意味で
“醸成月(かみなしづき)”
とも呼ばれ、古くから
“10月は日本酒の月”
と考えられていたようです。

余談ですが、
“酒”という漢字の部首は、
“氵(さんずい)”へんではなく、
つくりの“酉(ひよみのとり)”。

この“酉”は、酒壺を表した
象形文字から生まれたもので、
“醸”“酔”“醪”“酎”“酌”
など、酒に関連した漢字には、
この“酉”が使われています。

こうしたさまざまな理由によって、
10月1日が「日本酒の日」
と制定されました。

 

「日本酒の日」を大きく広めたのは、各地方自治の「乾杯条例」。

「日本酒の日」制定以降、
10月1日には、
鏡開き、振舞酒などの行事が、
関係団体を中心に行われてきました。

とはいうものの、
式典を中心としたもので、
大きなイベントというよりは、
厳かで神聖な行事が
主目的だったことが伺い知れます。

その静かな行事を
一歩先に進めたのが、
2004年(平成16年)の
「日本酒で乾杯推進会議」
の発足です。

日本酒造組合中央会の
ホームページには、
“古来、日本酒は神様にお供えする
神聖なものとされてきました。

「乾杯」には、神様の前で
人々が心をひとつにする願いが
込められています”
との記述があります。

”日本酒で乾杯”を
キャッチフレーズに、
日本酒を通して
日本文化を広く啓発することを
目的とした積極的な活動は、
やがて地方自治体が公布する
「乾杯条例」の制定へと
繋がっていきました。

2013年(平成25年)に
京都市で「京都市清酒の
普及の促進に関する条例」が
施行されたのを皮切りに、
このニュースが注目を集め、瞬く間に
このユニークな条例は全国へと拡大。

それぞれの地方特産の
酒の消費拡大を目的としたもので、
条例という名がついているものの、
拘束力や罰則はなく、
あくまで普及促進を促すものです。

その多くは日本酒ですが、
ワインやビールなどでの
乾杯も含める地域もあり、
現在、140を超える地方自治体で
「乾杯条例」が施行されています。

また、全国各地で、
「日本酒の日」とその前後
9月25日(土)~10月3日(日)の9日間を
“日本酒で乾杯 WEEK”とし、
“全国一斉日本酒で乾杯!”と
銘打った今年で7回目となる
一大イベントを開催。

現在、新型コロナ禍により、
その規模は縮小していますが、
オンラインで乾杯などの
企画が行われることで、
海外の日本酒ファンも参加する
イベントスタイルなど
新しい取り組みも広がっています。

「日本酒の日」の目玉は、
なんといっても、
9月9日に解禁されたばかりの
“ひやおろし”。

寒い時期に醸造して、
ひと夏熟成させ、
秋口に入って、
ほど良い円熟味をおびた
“ひやおろし”は、
格別の味わいです。