立冬の末節“金盞香(きんせんかさく)”に隠された深い訳。

“金盞香”はキンセンカではなく、「水仙」のこと。

11月17日は、
二十四節気の立冬にあたり、
七十二候では立冬の末節の
“金盞香(きんせんかさく)”で、
期間としては
11月17日から21日の5日間です。

古代中国から伝わった二十四節気が
そのまま使われているのに対して、
二十四節気を5日ずつに三等分した
七十二候は
日本の気候風土や
動植物の変化に応じて、
何度か変更されました。

立冬の末節についても、
平安初期の862年(貞観4年)に
中国から伝わり、それ以降、
823年間にわたって使われた
“宣明暦(せんみょうれき)”では、
“雉入大水為蜃
(雉が海に入って大蛤になる)”
という少々意味が難解なものでした。

江戸時代になり、
五代将軍・徳川家綱のときの
1684年(貞享元年)、
暦学者の渋川春海らによって
改訂された
“貞享暦(じょうきょうれき)”では
立冬の末節は
“霎乃降(こさめすなわちふる)”
へと変更。

“貞享暦”は、
日本人が初めて編纂した和暦で、
日本特有の季節感が
色濃く反映されました。

そして、立冬の末節が
“金盞香”と改められたのは、
1755年(宝暦5年)に改暦された
“宝暦暦(ほうりゃくれき)”。

時代は江戸中期、
九代将軍・徳川家重
のときのことです。

このように改暦に伴って、
古代中国のものを
日本の気候風土に合うように
改訂を重ねた日本独自の
“本朝七十二候”は、
1874年(明治7年)の
“略本歴”に掲載された
七十二候が一般に定着して、
今なお使い続けられています。

さて、“金盞香(きんせんかさく)”
のキンセンカは、私たちの知る
キク科のキンセンカではなく、
「水仙」のことを指します。

“金盞”は花の中央にある
黄色い部分を黄金の杯、
白く広がる花弁を白銀の台に見立てて
“金盞銀台(きんさんぎんだい)”
という別名を持つのが「水仙」です。

開花時期は11月中旬から3月頃で、
冬の厳しい寒さのなか、
雪が残る野山などで
白い可憐な花を咲かせる
凛とした佇まいから
“雪中花”と称され、
お正月の花としても
高い人気を誇ります。

しかし、球根とも呼ばれる鱗茎に
毒素を多く含み、食中毒症状と
接触性皮膚炎などの恐れがあるため、
取り扱いには注意が必要です。

「水仙」の学名は“ナルキッソス”。

ギリシャ神話の、
水面に映った自分の姿に
恋い焦がれているうちに
1本の花になった少年の名前に由来し、
ナルシストの語源になっています。

「水仙」から受けるイメージとは
想像しづらい毒性があり、
楚とした印象とも
異なる名前の由来に、
戸惑いを覚える感じは否めません。

“金盞花”は、ホンキンセンカという諸説も存在。

“金盞香(きんせんかさく)”を
少し掘り下げてみましょう。

宝暦の改暦は、
八代将軍・徳川吉宗の肝いりで
進められた一大事業でしたが、
吉宗や幕府天文方を率いていた
渋川則休(しぶかわのりよし)の
急逝によって一気に失速。

その後を引き継いだ
陰陽師家系の
土御門泰邦
(つちみかどやすくに)
によって“宝暦暦”は完成。

土御門泰邦は、
“貞享暦”が採用されたときに
編暦権限を幕府に奪われ、
それを取り戻そうと画策して
あとを継いだ策士で、
それほど暦に関する
深い知見などはありませんでした。

なので、完成した“宝暦暦”
そのものは、“貞享暦”に
少し手を加えた代物で、
その不完全なできあがりに
課題点も山積。

それでも43年間にわたって
使われました。

改暦を見栄え良く見せるために、
七十二候に大きく手を加えたことも
長く続いた要因のひとつ
といえるでしょう。

当時、“宝暦暦”改暦に
大きく関わった人物で、
暦法や天文に対する
深い知見を持っていた
西村遠里(にしむらとおさと)が
「天文俗談」という書籍で
“金盞香”とは金盞花のことである”
と明記しています。

“金盞花”といえば
ホンキンセンカのことで
“冬知らず”とも呼ばれる
晩秋から咲き始め、
花の少ない冬を通して
咲くこともあって、
大衆に親しまれた花。

ところが、江戸中期に
中国から別の“金盞花”が渡来。

現在も、春先によく見かける、
ポットマリーゴールドや
唐金盞花(トウキンセンカ)という
品種で“時知らず”と呼ばれるほど
“年中咲いている花”
ととらえられた花です。

その草姿の華やかさもあって、
庶民の間で栽培が盛んになり、
もともとのホンキンセンカは
廃れるばかり。

こうした時流の変化に
応じる意味もあって、
風流を好む歳時記の七十二候において
“金盞香”を「水仙」と
位置づけたという解釈も存在します。

“金盞香”という、
わずか3文字の裏側にある
思惑や当時の流行など、
歴史を紐解けば
面白い物語が垣間見えてきます。

美味しさを凝縮した酒蔵の「酒粕」を使った「粕汁」に舌鼓。

「酒粕」は、栄養バランスのとれた機能性食品。

秋の強い日差しも和らぎ、
時折吹く風に肌寒さを
感じるようになったら、秋から冬の
気圧配置に変わり始めた兆しです。

ちょうどこの時期辺りに解禁となる
酒造メーカーの「酒粕」が
大好物の方にとっては、待ちに待った
この上ない季節の到来ともいえます。

日本酒の醸造過程でできる
「酒粕」には、米、麹、酵母由来の
機能性成分が濃縮された状態で
豊富に含まれています。

豆腐の副産物の“おから”に
栄養素が多く含まれ、
バランスのとれた食材とされているのと
同じようなイメージ。

エイジングケアや健康志向が
高まる昨今、
情報番組で身体に良いとされる
さまざまな発酵食品が
取り上げられるなか、
“飲む点滴”ともいわれる
「あま酒」が紹介され、
時期を同じくして話題となったのが
「酒粕」の効能です。

「酒粕」に含まれている栄養素は
実に多く、なかでも注目したいのは、
レジスタントプロテインと呼ばれる
タンパク質。

筋肉などの体組織をつくる一般的な
タンパク質とは異なり、
胃腸では消化されにくい性質があり、
豊富な食物繊維と一緒に、
整腸作用を促します。

それにより余分な脂質の排出を
助けることで、肌荒れ等の原因となる
便秘の解消はもちろん、
ダイエット効果への期待も高まります。

併せて、麹菌の醗酵によって
米のデンプンから生成される
オリゴ糖が腸内細菌を増やすことで、
こちらも整腸作用の期待大です。

また、醗酵によってつくられる
ビタミンB群やアミノ酸が
豊富に含まれているのも
「酒粕」の特徴のひとつ。

ビタミンB1は、
糖質をエネルギーに変え、
疲労回復を図る成分。

美肌効果を期待できるビタミンB2、
酵素の働きを助けるビタミンB6、
エネルギーをつくり、たんぱく質の
代謝に必要なパントテン酸も
多く含有しています。

さらに、肝臓の抗酸化力を高めて、
活性酸素を取り除くとされるペプチド、
肩こりや頭痛、冷え性などの症状を
緩和する血管拡張作用がある
アデノシン、糖の吸収を抑える
難消化性デンプン、
脳梗塞や動脈硬化の原因となる
血栓を溶かすプラスミノーゲンなど、
まさに「酒粕」は、栄養素の
バランスがとれた機能性食品
といっても過言ではありません。

「酒粕」の美味しさを引き立てる、さまざまな料理レシピ。

この「酒粕」を簡単に摂るのは、
やはり「あま酒」です。

水800ccを鍋で沸騰させ、ひと口大に
ちぎった酒粕100gを鍋に入れて
火を止めて、10分ほどそのままに。

鍋の酒粕が柔らかくなったら、
中火にかけて、
酒粕がしっかり溶けるまでかき混ぜ、
沸騰させます。

沸騰したら、砂糖75g(大さじ5杯)と
塩ひとつまみを入れて全体になじませ、
ひと煮立ちしたら完成。

濃いのがお好みなら、水の量を減らす、
甘いのが苦手なら砂糖の量を減らす
など調整して、お好みの味に。

また、「酒粕」を使った
“粕床”でつくる粕漬けもおすすめです。

酒粕500gに日本酒50cc、味噌50g、
砂糖60g(大さじ4杯)、
塩15g(大さじ1杯)を混ぜ合わせ、
清潔な漬物容器に入れます。

その“粕床”に魚や肉、野菜、チーズ
などを漬け込んで、さまざまな
粕漬けを楽しむのも一興。

ポイントは、塩を振った下処理。

塩を振って、素材から出てくる水分を
キッチンペーパなどで拭き取り、
“粕床”に漬け込むことです。

魚や肉は、2〜3日漬け込み、
表面の粕を拭って焼きます。

粕は焦げやすいので、
必ず弱火で調理しましょう。

野菜の塩処理は、
好みの大きさに切った野菜を
ポリ袋に入れ、塩を多めに振った後、
塩が全体に行き渡るように揉み込みます。

こちらは2〜3日冷蔵庫で寝かせて
取り出し、水洗いせずに
キッチンペーパーで
しっかり水分を取ります。

それから“粕床”に漬け込んで
2〜3日が食べごろです。

こちらは火を通さず、
漬物としてご賞味ください。

さらに、「酒粕」レシピで
人気なのは「粕汁」。

関西では冬の定番料理のひとつですが、
それ以外の地域では、
あまり知られていないという話も。

調理法は意外と簡単。

出汁チャンコに
「酒粕」を溶かし込むイメージで、
醤油ベース、味噌ベースどちらも
美味しくいただけます。

ポイントは出汁に「酒粕」を加えて
煮込んだ後、醤油や味噌で
味を整えるだけ。

入れる具材も、魚の切り身や豚肉、
鶏肉に、根菜系の野菜、こんにゃく、
油揚げ、しいたけなどをお好みで。

身体の芯から温まる
コクのある美味しさは絶品です。

いつもの豚汁や鮭の入った
白味噌仕立ての石狩鍋などに
「酒粕」を溶かし込むだけで、
いつもとはひと味違う美味しい鍋に。

この冬、
ぜひチャレンジしてみてください。

日本酒蔵元の「酒粕」は、
限界まで搾ると雑味の要因になるため、
酒米を醸造した時の重量比で約25%。

日本酒のコクや風味がほどよく残った
しっとりとした「酒粕」。

また、「あま酒」も飲み切れる飲料缶で、
お好みに合わせて3種類をラインナップ。

さらに、
「菊正宗 酒蔵のかす汁(関西の味)」は、
お一人様でも楽しめる
野菜を中心としたレトルトの
「粕汁」をご用意しました。

この冬は、いつもと違う
味わい深い美味しさをご堪能ください。

東の「酉の市」と西の「十日戎」。どちらも商売繁盛の願掛け行事です。


早いもので今年もあと2カ月。

ちょっと気は早いですが、
今回は
お正月の縁起物の代表格ともいえる
「七福神」について、
ひと足お先に紹介します。

年賀状の図案モチーフなど、
年に一度、目にする頻度が高まるのが
「七福神」です。

「七福神」は、日本に代々伝わる
七人の神様が宝船に乗って
福を届けにくると思いがちなのですが
日本の神は、
西宮・鳴尾の漁師が
漁業の神様として祀っていた
“恵比寿天”のみ。

平安時代になり、
最澄が比叡山で
インドのヒンドゥー教のシヴァ神を
財福の神“大黒天”として祀り始め、
平安以降に
京都鞍馬で信仰されていた
“毘沙門天”が加わって、
三神信仰がまず定着しました。

“毘沙門天”も
インドのヒンドゥー教の神で、
別名“多聞天”と称される
四天王のひとり。

武将の姿で福を運びます。

鎌倉初期辺りに、
近江・竹生島で信仰されていた
インドのヒンドゥー教をルーツとする
“弁財天”が知恵や財宝、
縁結びの女神として加わりました。

その後、室町時代になってから、
弥勒菩薩の化身ともいわれる
富貴繁栄を司る中国仏教の神
“布袋尊”、
中国の道教にルーツを持つ
長寿延命の神“寿老人”、
同じく道教にルーツを持つ
長寿幸福の神“福禄寿”が加わり、
室町末期にそれらをまとめた
七柱の神仏の集合体である
「七福神」が確立。

江戸時代になって
広く定着していきました。

この七人のメンバーは、途中、
吉祥天やお多福、福助、稲荷神、
猩猩、達磨大師、不動明王などの
別の神と入れ替わることも
何度かありましたが、
結局、もとの七人に戻って
今に至っています。

また、日本の「七福神」に似た
インド起源の「八福神」という信仰が
中国に伝わり、
実在した八人の仙人をまとめた
「八仙」が、
中国各地で信仰の対象として
祀られたといいます。

この「八仙」をモチーフにしたのが、
ジャッキーチェンの出世作「酔拳」。

「八仙」一人ひとりの名を冠した
酔八仙拳を繰り出す様は圧巻で、
日本でも大きなブームを
巻き起こしました。

「十日戎」と「酉の市」。東西の商売繁盛の願掛けは、明確に分かれています。

さて、「七福神」のひとりで、
唯一の日本の神様である
「恵比寿天」は、
いわずと知れた商売繁盛の神様。

毎年1月10日に開催される
「十日戎(とおかえびす)」は、
9日の“宵えびす”、
10日の“本えびす”、
11日の“残り福”の3日間で、
約100万人以上もの人が訪れる神社が
あるともいわれるポピュラーな行事です。

参拝の後、
さまざまな縁起物を吊るした
福笹や熊手を買い、
次の「十日戎」まで
1年間のご利益を願うのが
お決まりの参拝スタイル。

また、全国3500社ある
“えびす神社”を束ねる総本山が
兵庫県の西宮神社で、
酒どころの灘五郷とも深い関係があり
毎年、繰り広げられる
“開門神事福男選び”は、
季節の風物詩として
全国区のニュースになるほど有名。

とはいえ、“日本三大えびす神社”
とされる「西宮神社(兵庫)」や
「今宮戎神社(大阪)」、
「京都ゑびす神社(京都)」を中心に、
かなりの賑わいを見せるのは、
やはり大阪、兵庫、京都に点在する
「えびす神社」のようです。

「十日戎」と同じ意味合いの
年中行事として、
名古屋以東の地域、
とりわけ関東エリアを中心に
商売繁盛を願って行われているのが
「酉の市」です。

全国の鳥信仰のある神社仏閣で
行われている行事で、
11月の“酉の日”に開催されます。

十二支が
“日”に順に割り当てられているので
多いときでひと月に3回
“酉の日”が巡り、
1回目を“一の酉”、
2回目を“二の酉”、
3回目を“三の酉”と呼びます。

昔から“三の酉”まである年は
火事が多いという言い伝えがあり、
今年の11月にも3回“酉の日”がある、
いわゆるあたり年。

11月4日が“一の酉”、
11月16日が“二の酉”、
そして11月28日が“三の酉”に
あたるため、火の元には
十分気をつける必要がありそうです。

「酉の市」で有名なのは、
発祥とされる
大鷲神社(東京・足立区)や
関東三大酉の市に数えられる、
鷲神社(東京・台東区)、
花園神社(東京・新宿区)、
大國魂神社(東京・府中市)と、
どれも東京都内ばかり。

しかし、
大鳥信仰の総本山とされるのは、
大阪・堺の「大鳥神社」というから、
やや不思議な感じもします。

もちろん、
ここでも「酉の市」の賑わいを
体感することはできます。

新型コロナ禍で、
商売は大小に関わらず、
少なからずその影響を受けています。

関東エリアの方は11月の「酉の市」、
関西エリアの方は来年1月の
「十日戎」に出向き、
初心に戻って商売繁盛の願掛けを
行ってみてはいかがでしょうか。

今は、全国的に稲刈りの時期。米の自給率は、ほぼ100%です。

稲穂

米の品種に応じた稲刈り時期は、各都道府県ごとに概ね決まってます。

現在、
全国的に稲刈りシーズン、真っ只中。

9月中旬から10月中旬が
一般的な稲刈り時期です。

季節の気温の変化に伴って北上する
桜の開花前線や梅雨前夜とは違って、
作付けされる土地の自然環境に適した
品種を育てるため、単純に
“稲刈り前線”が南から北へと
北上するということはありません。

また、コシヒカリやササニシキ、
あきたこまちなどをはじめとする、
さまざまなブランド米は、大きく
“早生(わせ)”
“中手(なかて)”
“晩生(おくて)”
の3つの品種に分かれ、
それぞれの地域に適した品種を
作付けすることにより、
毎年同じ時期辺りに
田植えや収穫が行われます。

全国の稲刈り時期は
エリアによって、
かなり特徴的です。

北海道・東北エリアの稲刈りは
9月下旬から10月下旬にかけて、
北上するほど時期が遅くなります。

しかし、霜や気温の関係から
早生種を選ぶことも多く、
意外と北海道での稲刈り時期が早い
ということもよくあるお話。

関東エリアは、
9月下旬から10月中旬頃が
稲刈りの最盛期です。

しかし、千葉県では
ビニールハウスで
稲作を行なっている農家も多く、
8月下旬から9月中旬と、
他県より早い
稲刈り時期となっています。

中部エリアは、
北陸、甲信越と太平洋側では
気温差がかなりありますが、
稲刈り時期はどこも
9月初旬から10月初旬と、
大きな差はなく、
稲刈り時期の安定したエリアです。

近畿エリアの稲刈り時期は、
9月初旬から10月初旬。

ただし、和歌山、三重の
一部地域では、8月下旬頃から
稲刈りがスタートするところも。

中国エリアは、
9月中旬から10月初旬で、
ほとんどが9月中に
稲刈りを終わらせているようです。

四国エリアは、県によって
稲刈り時期に差があります。

一般的には9月初旬から
10月初旬ですが、
徳島、高知の一部地域では、
8月初旬から稲刈りがスタート。

九州エリアは
10月初旬から中旬が最盛期ですが、
福岡が9月初旬、
宮崎、鹿児島の一部地域で8月初旬の
早生種の稲狩りが行われています。

沖縄エリアは、
本土とは大きく異なり、
年に2回栽培する二期作が行われます。

最初の稲刈りは
5月から6月にかけて行われ、
2回目は本土よりもずっと遅い
11月以降に。

これは
台風の影響を避ける意味が大きく、
台風前に稲刈りを済ませ、
台風シーズンが終わった時期に
2回目の田植えを行います。

温暖な気候の沖縄ならではの
稲作スタイルともいえます。

お米への深いこだわりを持つ
日本だからこそ、
米の自給率は、ほぼ100%。

わずかな輸入米が食卓に上がる機会も
あまりなく主に加工品に使われます。

食感や味覚などにこだわった
国産ブランド品種も、
長年にわたる品種改良によって
数多く登場。

そのポテンシャルを
最大限に引き出すのが、
栽培環境に適した品種選びと
その栽培。

稲刈り時期は、
こうしたお米の美味しさ引き出す
大切な役割を担っています。

稲刈りのタイミングは、目視である程度判断可能。長年の勘が冴えるとき。

それぞれのエリアで稲刈り時期は
ある程度特定できます。

さらに、より具体的な
稲刈りのタイミングを推し測る方法も
いくつかあります。

まず、“出穂(しゅっすい)してから
40日前後が経過した頃”です。

“出穂”とは
稲の穂が出ることをいいます。

一般的に、早い生育の品種で
田植えから出穂までが約50日、
育つのが遅い品種の場合は
田植えから出穂まで
約80日かかります。

そこに出穂40日を加えて、
田植えから稲刈りまで、
最短で約90日(約3カ月)、
遅いものだと約120日(約4カ月)
かかる計算になります。

続いて、
“出穂(しゅっすい)してから
積算温度が1000℃前後になった頃”。

“積算温度”とは
毎日の平均気温を合計したものです。

また“3つ目の枝分かれした穂先が
黄色くなった頃”“籾全体の
85〜90%が黄色くなった頃”。

これは稲の成熟度を
色で判断する方法です。

これらの条件がすべて
当てはまる場合もあれば、
どれかひとつの場合もあり、
最終的には、米生産者として
長年培った勘に頼ることになります。

また、いずれの場合も、
田んぼ全体が黄金色に変わった時期が
最良の稲刈り時期といえそうです。

酒米「山田錦」の
稲刈り時期は10月中旬で、
出穂後45日~50日頃が目安。

食米と同じように籾全体の85〜90%が
黄金色に輝く頃が収穫のタイミング。

さらに、茎葉の緑色がより薄くなり、
一株当たりの穂の本数が15本程度、
20本だと過密。

また、一本の茎に長い生葉が3本
残っていれば合格です。

旨い日本酒を醸すためには、
食米よりもさらに繊細でデリケートな
稲刈りのタイミングを見計らいます。

だからこそ、美味しい日本酒が
楽しめるというものです。

「十五夜」を見た方は、10月8日の「十三夜」も見るのが決まりのようです。

秋は、「中秋の名月」以外にも楽しめる名月がいっぱい。

9月10日の夜は
全国的に晴れわたり、
雲に遮られることなく、
見事な満月の“中秋の名月”を
楽しめたのではないでしょうか。

もともと、「十五夜」は、
中国の“中秋節(十五夜)”に
由来する行事で、
“春節(中国のお正月)”
“清明節(日本のお盆に似た、里帰り
をしてお墓まいりをする行事)”
と並ぶ中華三大節のひとつです。

月を愛でる行事として
平安時代に日本に伝わったもので、
平安貴族は、この「十五夜」の
満月の夜に酒を酌み交わし、
庭園の池に浮かべた船で
詩歌を詠んだり、
雅楽の調べに酔いしれるなど、
風流で雅やかな
ひと時を過ごしました。

また、宴に興じる貴族たちは、
月を見上げるのではなく、
水面や盃の酒に映った月を、
この上なく愛でたといいます。

秋に月見をする風習ですが、
台風や長雨の合間や
時期を過ぎた直後で、
秋晴れの日が多いこともあって
空は澄みわたっています。

また、気候的にも
夏の暑さ和らいで朝夕が
過ごしやすい時期にあたるため、
この時期の月見が
好まれるようになった
とも考えられます。

日本人は、月見に限らず、
桜や紅葉、ときには
大雨のときなど、
自然の変化に敏感で、
四季を通じて営まれるさまざまな
自然の表情を切り取って、
それぞれが
独自の見方や感じ方を歌に詠む
豊かな情緒を育んできました。

そんな感性の豊かさは、
秋に映える“月”という
格好の題材を
見逃すはずはありません。

一般的に、もっとも美しさを
満喫できる月見といえば
「十五夜」が有名ですが、
実はこれ以外にも、
日本独自の月見を楽しむ日が
あるのをご存知でしょうか。

それが「十三夜(じゅうさんや)」と
「十日夜(とおかんや)」で、
これに「十五夜」を加えて
“三月見”といいます。

この“三月見”以外にも、
「十六夜」は、
別名“不知夜月(いざよい)”。

旧暦8月16日の月のことで、
“ためらう”という意味を持ちます。

「十五夜」よりも
月が出る時間が遅いため、
月がためらっていることを
表現した名称です。

そして、「十七夜」は、
別名“立待月(たちまちづき)”。

旧暦8月17日の月のことで、
“今か今かと立って待っている”
という意味を持ちます。

現在の時刻に換算すると、
日没から約1時間40分後くらいに
月が顔をのぞかせる感じです。

“不知夜月”“立待月”は、
8月以外の新月から数えて、
それぞれ16日目、17日目の
月の呼び名としても用いられました。

3日目の月“三日月”は
今でも使われる呼称で、
“上弦の月(8日目)”
“十日余りの月(11日目)”
“待宵月(14日目)”
“居待月(18日目)”
“臥待月(19日目)”
“更待月(20日目)”
“下弦の月/二十三夜(23日目)”
など、月の満ち欠けに関する
表現の多彩さが伺えます。

これは、電気のない時代に、
月の形で何日かを判断し、
また、月の明かりが
夜道を照らすなど、
昔の生活に必要不可欠な存在
だったことが伺い知れます。

昔から伝わる“三月見”。全部晴れると、いいことが起こる兆し。

さて、
“三月見”のひとつである
今年の「十三夜」は、
10月8日(旧暦9月13日)。

「十五夜」が中国から
伝わってきたのに対して、
日本独自の風習です。

その始まりについては
諸説あります。

平安末期の醍醐天皇が
「十三夜」の月見の宴を催して
詩歌を楽しんだのが起源
というのが有力です。

しかし、
その一代前の宇多天皇が
“今夜の名月は並ぶものがないほど
優れている”という内容の歌を
明月の宴で詠んだという記述が、
平安後期の書物に残されているため、
「十三夜」を楽しむ宴は、
醍醐天皇以前から風習として
親しまれていたようです。


また、「十三夜」は栗や豆が
収穫される時期にあたるため、
“栗名月”“豆名月”、
また「十五夜」の後なので
“後の月”とも呼ばれていました。

ちなみに、「十五夜」の別名は、
その収穫期から“芋名月”です。

とくに、「十五夜」と「十三夜」は
“つい”で楽しむ関係にあり、
どちらか一方の月しか見ないことを
“片月見”や“片見月”といって、
縁起の悪いこととされ、
両方の月夜を合わせて
“二夜の月(ふたよのつき)”
と呼びました。

もうひとつの「十日夜」は
11月3日(旧暦10月10日)です。

この時期は稲刈りも終わって、
田んぼの神が山に帰る日とされ、
稲の収穫に感謝し、
翌年の豊穣を祈る収穫祭で、
東日本を中心に行われます。

この日の月はお祭りの脇役ですが、
“三月見が晴れると
いいことが起こる兆し”という
大きな役割を担っています。

秋は「中秋の名月」だけでなく、
その満ち欠けを楽しむ
さまざまな月の姿があります。

そんな月夜を情緒深く過ごすのに、
万葉の名を冠した
「可惜夜」はぴったり。

残りわずかとなった「可惜夜」を、
お早めにお買い求めください。