嘉納治五郎物語①
近代日本の多くの礎を築いた「嘉納治五郎」の根っこ。

嘉納治五郎師範自然体_菊正宗ネットショップブログ
嘉納 治五郎 師範 自然体(柔道着姿)
~資料提供 公益財団法人 講道館~※転載利用不可

「嘉納治五郎」の名を冠した
灘の生一本「治五郎」、
いよいよ発売開始です。

2021年6月15日、
東京オリンピックを記念した
“上撰 灘の生一本「治五郎」720㎖”
の発売が始まります。

この商品名は、
菊正宗と深い縁で結ばれた
“柔道の父”として名高い
「嘉納治五郎」の名前を
ラベルに冠したものです。

日中戦争の激化により
実現はされませんでしたが、
幻に終わった
1940年(昭和15年)の
“東京オリンピック”招致に
尽力した中心人物が、
他ならぬ「嘉納治五郎」でした。

そんな彼の偉業に
敬意を評して誕生したのが、
灘の生一本「治五郎」。

アルコール分14%以上15%未満の
生貯蔵純米酒で、
華やぐ香りと冴えわたる旨味が
特徴です。

これからの時期、
キリッと冷やしてお楽しみください。

さて、現在は世界中が
いまだ出口の見えない
新型コロナ禍にあり、
東京オリンピックの開催も
危ぶまれるところです。

しかし、道なき道を切り拓き、
日本を当時の先進諸国と
肩を並べるまでに導いた
「嘉納治五郎」の不屈の精神を
再認識することで、
この困難に立ち向かう勇気が
得られるかも知れません。

つまり、いつも前向きな姿勢で
困難に取り組んだ
「嘉納治五郎」の精神が
受け継がれているであろうことは、
多くのアスリートたちが発信する、
新型コロナ禍での他人を気遣う
真摯なコメントから
垣間見えてきます。

今回の開催予定の
東京オリンピックに向け、
きっとトップアスリートたちは、
その瞬間に最大の
パフォーマンスを行えるよう、
準備を怠っていないはずです。

できれば、彼ら彼女らの
夢にかける熱い思いが実現し、
私たちはそこから
強い勇気をもらえるのではという
大きな期待も膨らむばかりです。

「嘉納治五郎」が後世に残したものは
、あまりにも大きく、
あまりにも偉大で、
日本人としての根幹を成しているような
気がしてなりません。

 

嘉納治五郎師範命名書_菊正宗ネットショップブログ
嘉納 治五郎 師範「幼名 伸之助」命名書
~資料提供 公益財団法人 講道館~※転載利用不可

「嘉納治五郎」が生まれたのは、
日本の歴史が大きく変わる
近代日本黎明期。

「嘉納治五郎」の
生涯を通じた功績を顧みると、
さまざまな分野で
近代日本を築く礎となりました。

数ある功績のなかで、
もっとも有名なのは、
やはり柔道家としての足跡です。

彼の教えは、
柔道の精神的な支えとして
現代にまで受け継がれ、
オリンピックのメダリストを始め、
現役の柔道選手、さらには
世界の多くの柔道家たちに、
尊敬の念で“柔道の父”と
讃えられています。

1860年12月10日
(万延元年10月28日)、
摂津国菟原郡御影村
(現在の神戸市東灘区御影本町)の地に、
兄2人、姉2人の
5人兄弟の末っ子として
「嘉納治五郎(幼名は伸之助)」
は誕生。

それはちょうど、
幕末真っただ中の、歴史が大きく
変わろうとしている時で、その年には
“桜田門外の変”“幕府遣米使節”
という大きな2つの出来事が
ありました。

“桜田門外の変”は、
水戸藩浪士らによる
大老・井伊直弼の暗殺事件で、
これによって
250余年続いた江戸幕府は
大きく衰退へと傾いたとも。

また、“幕府遣米使節”は、
日米修好通商条約締結に向けて、
江戸幕府高官が初めて
アメリカ大統領に
謁見(えっけん)した出来事。

一行の中には、
監察役の小栗上野介忠順
(おぐりこうずけのすけただまさ)
がおり、遣米使節に随行した
咸臨丸の艦長が勝海舟で、
同船に福沢諭吉が乗船していたなど、
私たちがよく知る歴史上の偉人が
随所に登場します。

それまで
独自の進化を遂げていた日本が、
世界へと目を向け始めた
新旧の歴史が交錯する激動の時代。

この時代に生を受けたのが
「伸之助」ということです。

こうした時代に
幼少期を過ごした「伸之助」は、
恵まれた家庭環境のもと、
元来の目から鼻に抜ける
天賦の才も備わっていたことにより、
波瀾万丈の人生を
駆け抜けることになります。

77年の生涯を駆け抜けた
「嘉納治五郎」の人生は、
この時、まだ始まったばかり。

幾重にも織り成す偉業の数々は、
とてもひとりの人物が
その生涯で成し遂げたとは
思えないほどの厚みがあります。

そんな「嘉納治五郎」の歩んだ道を、
しばらく、
シリーズにてお届けします。

※参考文献
全建ジャーナル2019.1月号「文は橘、武は桜、嘉納治五郎〜その詩と真実〜」第1話/高崎哲郎