冬の星座は、見つけやすい「オリオン座」からスタートです。

想像を絶する大きさの星で構成される冬を代表する「オリオン座」。

夏とくらべると、
冬の星空は格段に美しく輝きます。

この美しさには、いくつかの理由が
あるのを知っていますか。

ひとつめの理由は、
空気が乾燥していること。

夏場はジメジメした湿気、
つまり大量の水蒸気によって
大気はかすみ、透明度は下がります。

しかし、
冬場の大気は乾燥していることによる
透明度が高いのが特徴。

あわせて、
星の光が大気圏を通過するときに、
空気の密度の違いによる揺らぎにより
“瞬き”を生じさせます。

この星の“瞬き”を
より実感させてくれるのが、
気温や湿度が低く、空風が強いなどの
条件が整った冬の空です。

また、冬の星空には
明るく輝く1等星の数が多く、
夜の時間が長いというのも、
天体観測に適した条件といえます。

冬の夜空を見上げたときに、
真っ先に目に飛び込んでくるのが、
等間隔に並ぶ3つの星を
四角く4つの星が取り囲んでいる
「オリオン座」です。

「オリオン座」の四角形の左上で
赤く輝いているのが
一等星の“ベテルギウス”。

この星は、呼吸をするかのように
約1億kmにわたって大きさが増減し、
最大の直径は約14億km、体積比で
太陽の約1000倍もの大きさになります。

太陽系に当てはめると、
太陽を中心に木星軌道の
内側近くにまで達する大きさで、
円形ではなく巨大なコブが飛び出した
特徴的な形の星ということが
現在分かっています。

また、「オリオン座」の四角形の
右下に位置する青白く輝くのが
一等星の“リゲル”。

直径約1億1000万kmで、
太陽の約50倍の大きさです。

「オリオン座」の和名は“鼓星”、
その形から名付けられたことは
一目瞭然。

さらに“ベテルギウス”は“平家星”、
“リゲル”は“源氏星”と
名付けられています。

「オリオン座」の中心に位置する
3つの星を挟んで2つの星が
対峙している様を表し、
源平の対立が顕著であった
平安時代末期以降に名付けられた
名称であることは容易に想像できます。

また「オリオン座」の3連星の周辺に
“オリオン大星雲”や“馬頭星雲”、
実在の“M78星雲”などが存在。

ウルトラマンのふるさととされる
“M78星雲”は300万光年離れたところに
存在する設定ですが、
実際の“M78星雲”は
1600光年に位置しているので、
比較すると、かなり近くに感じます。

それでも光の速度で1600年かかる
気の遠くなるような
離れた距離なのです。

「オリオン座」を手掛かりに、「冬の大三角」を見つけよう。

「オリオン座」を
見つけやすい理由としては、
1等星の赤い“ベテルギウス”と
青白い“リゲル”に加えて、
真ん中に一列に並ぶ3つの星など、
5個以上の明るく輝く2等星によって、
その形がつくられ、
容易に探せる点です。

そうした理由から、
「オリオン座」は、冬の天体観測の
基準になる星座といわれています。

「オリオン座」を
見つけることができたら、
その左斜め下にひと際明るい
青白い星があるのに気づきます。

これは「おおいぬ座」の1等星
“シリウス”で、
太陽を除けば、地球から見える
もっとも明るい恒星です。

続いて「オリオン座」の左上辺りに
視線を移すと、
白く輝く1等星「こいぬ座」の
“プロキオン”が輝いていることに
気づくはずです。

そして、「オリオン座」の
“ベテルギウス”と
「おおいぬ座」の“シリウス”、
「こいぬ座」の“プロキオン”を
線で結ぶと正三角形に近い形となり、
これを「冬の大三角」と呼びます。

とくに、これらの星は、
ひと際輝いているので、
何度か見ているうちに、自然と
認識できるようになるから不思議です。

さらに、「オリオン座」の中心にある
3つの星を結び、西に辿っていくと
赤く輝く1等星「おうし座」の
“アルデバラン”が見つかります。

今度は、「オリオン座」の周りを
取り囲む四角形の大きさの
ひとつ半ほど上に視線を移すと、
黄色味を帯びた1等星
「ぎょしゃ座」の“カペラ”を
発見できます。

“カペラ”は冬の星座のなかで、
“シリウス”に次いで明るい星なので、
見つけやすいと思います。

さらに、「ふたご座」の
“カストル”と“ボルックス”をはじめ、
北側の一年を通して見られる
“北極星”や「北斗七星」、
「カシオペア座」なども、
冬の澄んだ空気が、
より綺麗に映し出してくれます。

興味を持って夜空を見上げれば、
そこに繰り広げられている
天体ショーに気づくはず。

知れば知るほど、
面白い魅力に満ち溢れる冬の夜空は、
新しい趣味の世界へと
いざなってくれます。

旧正月と立春。どちらも新年の始まりの日なのに、日にちが異なる不思議。

アジア圏では珍しく、日本は「旧正月」よりも“新暦”の正月を祝う国のひとつ。

「旧正月」とは、
太陰太陽暦を採用していた
“旧暦”の正月のことで
2023年の「旧正月」は1月22日です。

中国をはじめ、
韓国、ベトナム、シンガポール、
インドネシア、マレーシアなどの
アジア圏の多くの国では、
「旧正月」が
休日や祝日になっていることも多く、
国によっては“新暦”の正月以上に
「旧正月」を盛大に祝う伝統が
あります。

日本では
ニュースで小さく報じられる程度で、
他国とくらべると
馴染みの薄い日でした。

しかし、10年ほど前からの
“春節”の休日を利用した
中国からのインバウンドが増え、
爆買いが話題になって、
改めて“春節”が「旧正月」
ということを知った人も
少なくはありません。

日本では、
沖縄の一部地域や南西諸島辺りで
「旧正月」を祝う風習が
根強く残っていたり、
もともと“春節”を
新年のお祭り行事として祝う
横浜や神戸、長崎の中華街などで
毎年ニューイヤーイベントが
開催される程度で、
残念ながら全国的に
それほど大きな話題になることは
ありませんでした。

もちろん、
“新暦”に切り替わる明治以前の
“旧暦”では、
当たり前の正月儀式が
行われていたのは、
いうまでもないことです。

当時を振り返ると、
“新暦”への切り替えは驚くほど
早いタイミングで実施されました。

1872年(明治5年)11月9日に、
“新暦”への切り替えの布告を発布。

その後、
ひと月にも満たない同12月3日が
1873年(明治6年)1月1日に。

1年を365日、12カ月に分け、
4年に一度の閏年に1日加えて調整する
世界基準のグレゴリオ暦を採用した
“新暦”に切り替わったのです。

当時、
欧米の文化を積極的に取り入れる
社会的な背景もあったため、
“新暦”は意外とスムーズに
広く国民に受け入れられたことも
影響し、
次第に「旧正月」を祝う風習は
廃れていきました。

一説では、
1873年(明治6年)が
閏月の入る13カ月になるため、
財政的な理由で、
ひと月分の給料を払わずに済む
というのも、
“新暦”採用を急いだ理由とも
囁かれています。

“旧暦”に用いられていた
太陰太陽暦では
月の周期をひと月(約29.5日)と
数えたため、
1年はおよそ354日。

これだと
暦と季節のズレが大きくなるため、
閏月を設けて調整していました。

“新暦”のお正月が
1月1日と固定している一方、
1月22日から2月19日までの間で
新月の日が“旧暦”の元日、
つまり「旧正月」となります。

“春節(=旧正月)”というと、
2月初頭辺りに
中国からの爆買いツアー客が
訪れるイメージが強いのですが、
今年は、とりわけ早く「旧正月」が
訪れる珍しい年のようです。

月由来の「旧正月」と太陽由来の「立春」。暦の上で共存しています。

ここでひとつの疑問が湧いてきます。

二十四節気における“立春”も
1年の始まりの日とされ、
今年の“立春”は2月4日。

同じ新年の始まりなのに
「旧正月」と日にちが異なるのは、
なぜなのでしょうか。

これは、「旧正月」が
月の満ち欠けを基準とした“旧暦”の
1月1日のことであるのに対して、
“立春”は太陽の黄道上の動きを
基準に決められる二十四節気での
“春の始まりの起点”という、
まったく別の考え方だからなのです。

昼の時間がもっとも長い“夏至”と
夜の時間がもっとも長い“冬至”、
昼と夜の長さが同じの“春分”と
“秋分”を合わせた「二至二分」に、
“立春”“立夏”“立秋”“立冬”の
「四立(しりゅう)」により、
暦と季節のズレを調整したものが、
その年ごとの二十四節気
という訳です。

今年のように「旧正月」のあとに
“立春”が訪れることを
「新年立春」と呼びます。

逆に「旧正月」より早く
“立春”が来る場合は「年内立春」。

また、30年に1度ほど訪れる
「旧正月」と“立春”の日が重なる
「朔旦立春(さくたんりっしゅん)」
と呼ばれるおめでたい日も
存在します。

さらに、“旧暦”の1年間に
“立春”が訪れない
「無春年」ということもあります。

これは、
「年内立春」の翌年が
「新年立春」の場合で、
意外と「無春年」の年は多く、
数年に一度訪れる現象ともいえます。

月に由来する「旧正月」と
太陽由来の“立春”という
まったく別の基準で設けられた
新しい年の始まりなのに、
混乱することなく共存している
季節の節目。

ここに“新暦”の正月が加わり、
1年に三度、新しい年の始まりを
体感できると考えただけで、
めでたさがより一層しみてきます。

冬場の悩みのタネ「冷え性」。そのメカニズムを知って、万全の対策を。

女性に{冷え性」が多い、納得の理由。

冬場の悩ましい
身体のトラブルのひとつに
「冷え症」があります。

ある風呂機器メーカーの調査によると
この時期に「冷え性」を自覚する人は
全体の59%にも上り、
男性は全体の約40%、女性は約79%が
「冷え性」に悩んでいる
との報告があります。

男女比でこれほど、
差が現れる原因のひとつとして、
男性と比べた場合に
女性は筋肉量が少なく、脂肪が多い
という身体的な特徴があります。

筋肉は、体温を上げるのに
とても重要な役割があり、
筋肉が少ないと
冷えやすくなります。

また、一度冷えると
温まりにくい性質の脂肪が多いのも
「冷え性」を誘発する原因に。

さらに、女性特有の身体の構造が
内臓を冷やし、月経時の血液不足が
末梢までの血流を阻害して、
身体全体に熱が届きにくくなります。

ホルモンバランスの変化による
自律神経の乱れも冷えに
大きく影響します。

更年期を迎えた女性に冷えが多いのも
この自律神経の乱れが
関係しているとのこと。

冬場のスカート着用による
下半身の冷え、
締め付ける下着や服装によって
血行を悪くすることも、
女性に「冷え性」が多い原因のひとつ
といえます。

一方、男性の「冷え性」の多くは、
加齢による筋肉量の低下、
老化に伴う臓器の基礎代謝の低下、
頻尿により身体の熱が外に逃げやすく
なるなど、加齢や老化が原因となる
場合が多いようです。

「冷え性」は、大きく分類すると
2つのタイプに。

身体の熱の量自体が少ない
“熱源不足型”と、
血の巡りが悪い“循環不足型”です。

“熱源不足型”は、もともとの
虚弱体質や慢性疲労、老化などにより
体力が低下している状態で、
熱をつくり出す力が弱まることで、
身体全体にいきわたる熱の量が不足。

全身を温められなくなったことが、
「冷え性」を発症させます。

また、胃腸の働きが弱まったり、
摂食障害、
過度なダイエットなどによって、
身体を温めるための栄養が不足して
「冷え性」を引き起こすのも
このタイプの特徴です。

“循環不足型”は、
身体に熱そのものは持っていますが、
血の巡りが悪く、手足をはじめ
末端が冷えやすい「冷え性」です。

これは食生活の乱れやストレス、
運動不足などの生活習慣のバランスが
崩れることによって
引き起こされます。

“冷えのぼせ”も、このタイプの
特徴的な症状のひとつです。

「冷え性」解消に向けた
取り組みとして、“熱源不足型”は、
熱をつくり出すための
基礎体力をつけることが
大切なポイント。

また、
身体にエネルギーを蓄えるために
十分な睡眠や休息を取ることも
お忘れなく。

食生活の改善による栄養補給も
効果的です。

“循環不足型”にとっては、
ストレスが大敵。

まずはリラックスして
自律神経の乱れを整えて、
末梢にまで
熱をいきわたらせることが大切。

手足や下半身は冷えやすいのですが、
逆に上半身に熱が溜まりやすいので、
服装などによる
コントロールが必要です。

「冷え性」の対策に効果が期待できる「燗酒」。その理由は?

最近、“冷え性には熱燗が効く”
といわれていることを
ご存知でしょうか。

日本酒には、血管を拡張して
毛細血管の働きを活発にする働き
があるため、「冷え性」だけでなく、
肩こりや腰痛改善にも
効果が高いとのこと。

ワインやビールとくらべると、
日本酒によって身体を温める効果は
持続することが
科学的に証明されています。

また「燗酒」が良いとされるのは、
アルコールは、体温に近い温度で
吸収される性質があるという点です。

冷たい温度のお酒は、
体温より低い水分を
摂取することになり、
冷えに直結。

また、冷たいお酒は、
飲んでから体内で温まって酔いを
感じるまでに時間がかかります。

しかし、「燗酒」の場合は
すぐに吸収されるため、
冷えることなく体温を維持しつつ、
すぐに酔いを感じて
飲み過ぎの歯止めもかかる
というメリットが。

美味しい肴の栄養価も
一緒に摂れるので、
「冷え性」の改善には
かなり高い効果が期待できる
というもの。

さて、「燗酒」には
温度によって呼び名があります。

やや低めの30℃は“日向燗”
35℃は“人肌燗”、40℃は“ぬる燗”
45℃は“上燗”、50℃は“熱燗”
55℃は“飛び切り燗”。

日本酒には冷酒向きのものと
熱燗向きのものがあり、
一般的に
純米酒は“ぬる燗(40〜45℃)”、
本醸造酒は
“上燗から熱燗(45~55℃)”
とされています。

あくまで、これは一般論なので、
ご自身の好みの温度で楽しむのが
一番です。

これから冬一番の寒さに向かうので、
「冷え性」でお悩みの方は、
栄養価の高い肴と
お好みの温度の燗酒を
一度お試しあれ。

手軽な美味しい対策で、
効果が現れれば、儲けものです。

「春の七草」を入れた“七草粥”。胃腸にやさしく、栄養価も抜群。

厳寒期の栄養補給に、栄養バランスにすぐれた“七草粥”を。

1月7日の
“人日(じんじつ)の節句”に
「春の七草」を入れた
“七草粥(ななくさがゆ)”を
食べるのは、平安の昔から
続く風習のひとつです。

現代においては、
節分や桃の節句のような
派手さはありませんが、
根強く残っている行事ともいえます。

「春の七草」は、
セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、
ホトケノザ、スズナ、スズシロの
7種類の野草、野菜を指し、
邪気を払い、無病息災や
健康長寿を祝って食べます。

とくにこれらの野草は
縁起物として重宝されました。

セリは“競り勝つ”、
ナズナは“なでて穢れを払う”、
ゴギョウは漢字で“御形”と書き
“仏体”を表します。

ハコベラは“繁栄がはびこる”、
ホトケノザは漢字で“仏の座”、
スズナはカブのことで、
その形から“神を呼ぶ鈴”、
スズシロも大根の別称で
“汚れのない純白さ”を表すなど、
それぞれが縁起物とされています。

また、正月に
おせち料理などをたくさん食べて
疲れた胃腸を休ませるために、
消化の良い“粥”に、
冬場の野原に生えている
栄養価の高い野草を入れるという
理にかなった意味もあるようです。

例えば、セリひとつとっても、
緑黄色野菜の基準値を
大きく超える抗酸化作用を促す
βカロテンをはじめ、
風邪を予防するビタミンA、
疲労回復に効果のある
ビタミンB群や免疫力を高めて
肌の潤いを保つビタミンC、
カリウム、鉄分、ミネラルを
豊富に含んでいるため、
貧血予防の効果など、
野菜の収穫が見込めない
冬場の栄養補給にはもってこい。

こうしたさまざまな効能が
期待できる野草が7種類も入り、
胃への負担が少ない“粥”で摂取。

手軽に栄養を摂取できることを
昔の人は生活の知恵として理解し、
行事化していました。

旧暦の1月7日は、
新暦だと2月7日頃の季節感覚で、
もっとも厳しい寒さに
見舞われる時期。

閉ざされた冬の
厳寒期の栄養確保が
いかに大変だったのかが
伺い知れます。

自然に囲まれて
暮らしていた昔と違って、
現代社会において自生する
「七草」を手に入れるのは
かなり困難なお話です。

正月三が日を過ぎた辺りから
スーパーなどで、
農家が栽培した野草7種を
パック詰めにした
“七草粥セット”が
売られているので、
それを購入するのがオススメです。

年末年始の暴飲暴食で疲れた身体を、
やさしい味わい、口当たりの
“七草粥”で整えてください。

古代中国の風習と日本の“若菜摘み”が結びついて生まれたのが“七草粥”です。

さて、“七草粥”の歴史を
紐解いてみましょう。

古代中国の唐の時代。

1月7日の“人日の節句”に
“七種菜羹(ななしゅさいのかん)”
という7種類の野菜を入れた
汁物を食べて無病息災を
願った風習が奈良時代に
日本に伝わったことがその由来です。

日本ではその頃、
厳寒期に芽を出す若菜を
とても貴重な冬の栄養源として
“若菜摘み”を行っていました。

この“若菜摘み”と“七種菜羹”が
結びついたものが日本の“七草粥”。

平安時代の醍醐天皇のときに
宮中行事となり、七種の野草を
“粥”に入れて食しました。

当時、七種の野草は定まっておらず、
七種と書いて“ななくさ”と
読まれることも多く、
縁起の良い“七”を付することに
意味があったようです。

現在の“七草”に定まったのは、
室町時代に編纂された
「河海抄(かかいしょう)」に
“芹、なづな、御行、はくべら、
仏座、すずな、すずしろ、
これぞ七種”と記載されたのが
初見とされています。

江戸時代になって
武家社会に広く受け入れられ、
やがて庶民にも広まっていきました。

幕府では
“人日の節句に七草粥を食べる”
ことを公式行事に定め、
将軍以下多くの武士たちが、
この日に“七草粥”を食べる儀礼を
行なったとされています。

科学的な裏付けがない時代。

武家は年末年始の
暴飲暴食の対策として胃腸を休め、
庶民は冬場の数少ない栄養源として…
現代にまで連綿と続いている
先人たちの生活の知恵や工夫には、
頭が下がる思いがします。