気づかぬうちに変化している日本語、知っていますか。

よく目にするカタカナ語や日常的に使われている若者言葉も、日本語のひとつです。

私たちが日常的に使っている日本語は、
知らず知らずのうちにその形や意味が
変化しています。

英語由来の“エビデンス”や
“リストラ”“インフラ”
“コンセンサス”などの言葉は
普通に新聞紙面に掲載され、
言葉解説はありません。

また、“ヤバい”や“えぐい”
“エモい”“バズる”などの若者言葉も
SNSを通じて広がり、テレビ番組や
日常会話に溶け込んでいます。

こうした変化に対して
“日本語の乱れがひどい”と
眉をひそめる声も少なくありません。

しかし、日本語の変化は決して
最近の現象ではなく、はるか昔から
続いてきた歴史の一部なのです。

そのひとつとして
「慣用読み」があります。

慣用読みとは、本来の読み方とは
異なるものの、誤用が広がり
いつの間にかそれが定着して、
現在の正しい読み方とされるように
なったものです。

たとえば、「捏造」。

当たり前のように
“ねつぞう”と読んでいますが、
本来の読みは“でつぞう”です。

「攪拌(かくはん)」は“こうはん”、
「堪能(たんのう)」は“かんのう”、
「消耗(しょうもう)」は“しょうこう”、
「漏洩(ろうえい)」は“ろうせつ”、
「輸出(ゆしゅつ)」は“しゅしゅつ”
というのが元々の読み方ですが、
慣用読みの方が
一般的に知られています。

一方、誤用を通じて
意味が変化した言葉もあります。

「役不足」という言葉は
“自分には荷が重く大役すぎる”
という意味で使われがちですが、
本来は“与えられた役目が
その人の能力に比べて軽すぎる”
という真逆の意味。

“一時的な対応”を意味する「姑息」も
“卑怯な”という意味で使われ、
“徐々に物事を進めていくこと”が
本来の意味の「なし崩し」は
“曖昧なままに物事を終わらせる”
という解釈で使用されるなど、
誤用の繰り返しによって
新たなスタンダードとして
受け入れられている言葉も
思っている以上に数多く存在します。

こうした変化も含めて、
漢字、ひらがな、カタカナの
3種類の文字体系がある日本語は、
世界的に見ても
難しいとされる言語のひとつです。

漢字には複数の読み方が存在し、
同音異義語も多いため、日本人ですら
漢字が書けなかったり、
正しく読めないことも
少なくありません。

言葉の要ともいえるアナウンサーも
「十分」を“じゅっぷん”と
読み違えることもあります。

正しい読みは“じっぷん”で。

「代替(だいたい)」を“だいがえ”、
「重複(ちょうふく)」を“じゅうふく”
と誤読するケースも多いようです。

しかし、ある女子アナが、
ニュース原稿の「市町」を“しまち”
と呼んだことに苦情が集まりました。

その苦情に対するコメントは、
“音声だけでニュースをお聞きになる方が
「市長」と「市町」を混同しないよう、
あえて“しまち”と読んでいます”
とのこと。

学校説明時の“市立(いちりつ)”
“私立(わたくしりつ)”の区別など、
内容理解のための日本語の
発展形ともいえます。

日本語は時代とともに変化し続ける
“生きた言語”です。

誤用や慣用読みの定着は、
単なる間違いではなく、社会の変化や
文化の影響を反映した結果でもあります。

こうした進化は、情報伝達や
コミュニケーションの多様化に対応する
柔軟性の証であり、日本語の豊かさと
可能性をさらに広げていく
原動力ともいえるでしょう。