馴染みの薄い雑節「半夏生」。
「半夏生」という言葉を
ご存知ですか。
“はんげしょう”と読みます。
「半夏生」は、節分や彼岸、
土用などと並ぶ雑節のひとつで、
移り行く季節をより的確につかむ
ための特別な暦日です。
その元になったのは、二十四節気の
夏至の終侯“半夏生ズ”。
中国の季節に基づいた“節気”では、
日本の季節の変化を
読み取れないこともあり、
とくに大切な特別の暦日として、
日本の風習と結びつきの深い
“雑節”が設けられました。
ちなみに、2019年の「半夏生」は、
7月2日(期間とする場合は、
7月2日から7月6日の5日間)です。
この「半夏生」、
ほかの雑節とくらべると、
少し印象が薄く感じますが、
農家にとっては、とても大切な
節目とされてきた歴史があります。
農業が中心だった
昔からの言い伝えとして、
“チュウ(夏至)ははずせ、
ハンゲ(半夏生)は待つな”
ということわざや“半夏半作”
という言葉が残されています。
これは、「半夏生」以降に田植えを
したものは、収穫がかなり減る
ということを伝えたもので、
夏至を過ぎて「半夏生」に入るまで
に田植えを済ませておくための
戒めのようなもの。
実際に、農家にとっての節目となる
大事な日で、“畑仕事を終える”
“水稲の田植えを終える”
目安となる日とされ、その習慣は、
代々受け継がれてきました。
「半夏生」という言葉が、
夏至の終侯の“半夏生ズ”に由来すると
述べましたが、それが意味するのは
“半夏が生える”ということ。
七十二候に多くみられるのですが、
季節の植物の生育を取り上げて、
その季節を表現します。
“半夏生ズ”で取り上げられた
植物は何でしょうか。
“半夏”は烏柄杓(からすびしゃく)
という薬草の漢名で、この花が咲く頃
が初夏のこの時期ということです。
余談ですが、片白草(かたしろくさ)
も“半夏生”という似通った漢名を持ち、
花が咲くのが同じ季節。
葉の一部で表側だけが
白くなることから、
半分化粧をしているように見える
“半化粧”が転じて“半夏生”に。
一般的には
“半夏(烏柄杓)”が通説です。
“半夏”と“半夏生”、見た目は
まったく異なる植物ですが、
その開花が季節の変わり目を
教えてくれるという点では、
どちらも正解といえる
のではないでしょうか。
「半夏生」は、農業が主だった時代の生活の知恵?
昔から、「半夏生」の日は、
“物忌み(ものいみ)”の日と
解釈された側面があります。
“物忌み”とは、
神聖なものを祀るために、
ある期間中、食事や行動を慎み、
不浄を避け、家内にこもることで、
神聖な存在に穢れ(けがれ)を
移さないことを意味します。
その土地ごとに伝聞は異なります。
天から毒気が降るので
井戸に蓋をして井戸水を飲まない、
酒肉を食べない、
この日に採った野菜を食べない、
地荒神(ちこうじん/畑の神)
を祀り、お神酒・麦団子を供える、
なかには、この日から5日間、
農作業を休むなど、多種多様です。
ただ、その背景には、田植えで
疲れ切った身体を癒すために、
ある意味、強制的に休む日を設ける
という、昔の生活の知恵だと
考える向きもあるようです。
「半夏生」にまつわる言い伝え
や風習は、全国各地で
それぞれのカタチを残しています。
まずは「半夏生」にまつわる言い伝え。
三重県熊野・志摩地方では
“ハンゲという妖怪が徘徊する”、
青森県では
“半夏生の日の後に田植えをすると、
1日に1粒ずつ収穫が減る”、
群馬県では
“ネギ畑に入ることは禁忌”、
埼玉県では
“竹の花が咲いたり消えたりする時期。
それを見ると死ぬので、
竹林に入ることは禁忌”など。
一方、風習として有名なものは、
香川県の「うどんの日」。
古来よりその年に収穫された麦で
うどんを打ち、農作業を手伝って
くれた方々に振る舞う風習が
受け継がれてきたものを、
1980年に“7月2日は、
うどんの日”として制定したもの。
福井県大野市では、江戸時代に
大野藩藩主が、「半夏生」の時期、
農民に焼き鯖を振る舞ったという
逸話を元に、現在も“「半夏生」に
焼き鯖を食べる”という風習が。
兵庫県明石市では“蛸を食べる”習慣。
奈良県香芝市では
“田植えを無事に終えたことを
田の神様に感謝するお供え物として
小麦を混ぜた餅をつくり、
きな粉をつけて食べる”など、
地方ごとにそれぞれ農産物などと
結びついた言い伝えや
風習のカタチを残しています。
欧米諸国では宗教上の観点から
“労働は苦役”と捉えられがちですが、
日本では“働くことは美徳”
とされてきた歴史があります。
ついつい働きがちな日本で、
「半夏生」という疲れた身体を癒す
生活の知恵は、昔の“働き方改革”の
走りだったのかも知れません。