一年の前半の過ちを祓い清める神事「夏越の祓」。
これまで、
二十四節気や七十二候など、
昔から伝承されるさまざまな
季節の節目を紹介してきましたが、
今回紹介するのは、
「夏越の祓(なごしのはらえ)」
です。
年末の
“年越の祓(としこしのはらえ)”
と並んで、
年にふたつある大きな節目となる
“大祓(おおはらえ)”のひとつ。
一年を半分に区切った6月の
晦日(みそか)の旧暦6月30日に
執り行われている神事で、
“伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
の禊祓(みそぎはらい)”
が起源とされています。
1月1日から6月30日までの半年間
の災厄の原因となる
心身の穢れ(けがれ)や罪、過ちを
悔い改め、祓い清める儀式で、
現在の新暦でも区切りの良い
6月30日に行われている
ところが多く、
一部では、旧暦に習って、
8月1日(旧暦6月30日)に
地域の夏祭りと結びついて
執り行われている神社もあります。
「夏越の祓」の起源はかなり古く、
701年(大宝元年)の“大宝律令”
によって正式な宮中の年中行事に、
その施行細則は“延喜式”に
定められました。
しかし、室町時代の
“応仁の乱(1467〜1468年)”で
京都市中が荒廃するのに伴って
儀式は廃絶。
1871年(明治4年)、
明治天皇による旧儀の再興の命により
、宮中行事として“大祓”が復活する
まで、約400年もの時を
経ることになります。
庶民の間では、犯した罪や穢れを除く
ための除災行事として定着しました。
“名越の祓”“夏越神事”“六月祓”など
と呼ばれる地域もあります。
また、衣服をこまめに洗濯する習慣や
自由に水を使えない時代背景もあり、
半年に一度、疫病を予防して
健康に過ごすために、
新しい衣服に着替える
“衣替え”の意味や、また儀式が終わる
と梅雨明けから猛暑に向かう時期
となるため、夏の日照りを乗り切る
ための戒めの意味合いも含まれて
いたのではという説もあります。
庶民の行事としても、
宮中行事の廃絶と同じくして廃れ、
一部の神社で形式的な神事が
慎ましく行われている以外、
ほとんど行われることが
なくなりました。
宮中で“大祓”が復活すると
同じくして、一般の“大祓”も
再興したといえます。
年末恒例のニュースとして
取り上げられることの多い
“年越の祓”とくらべると、
派手さはありませんが、
「夏越の祓」も半年に一度の
厄落としのための大切な
節目の行事に位置づけられています。
“茅の輪くぐり”と“形代”で、厄祓い。
「夏越の祓」は、
“茅の輪くぐり(ちのわくぐり)”や
“形代(かたしろ)”で厄祓いした後、
本殿の神様に参拝するのが
正しい儀式作法です。
“茅の輪くぐり”は、
境内や参道の鳥居など、神社の結界内
にしつらえた“茅(ちがや)”という
草で編んだ直径数メートルもの
大きな輪をくぐることで
厄災を祓い清めるというものです。
茅の輪をくぐる際に、
“水無月の 夏越しの祓する人は
千歳の命 延ぶというなり”
と唱えながら、
左まわり、右まわりを交互に、
8の字を描くように3回、
茅の輪をくぐって回るのが基本。
神社によって作法は異なるので、
確認が必要です。
人の形を模した紙の“形代”には、
名前や年齢を書き込み、
調子の悪い身体の部分を撫でて、
穢れや厄災を人形に移し、
身代わりとして神社に奉納します。
奉納された人形代は、川に流したり、
篝火で燃やすなどにより厄払い。
藁の人形を使う場合や、直接、
川や海で清めるなど、地域や神社
によって厄払いの作法は異なります。
身体の穢れを流した後、
その年に収穫した小麦粉を
甘酒の酵素でふくらした生地で、
小豆餡を包み込んだ
“夏越まんじゅう”を食べる習慣も
一部の地域に伝えられています。
小豆のビタミンB1が、
夏バテ予防に効果があること
を経験から学び、慣習として
定着したことが伺えます。
そして、最後の仕上げは御神酒
ともいえる「夏越しの酒」。
梅雨は悪疫の流行る時期で、
禊によって身体の外面を清潔にし、
神聖な酒で体内を清める…
科学的な根拠に基づく
医学が発達した現在とは、
ほど遠い昔の知恵。
この日ばかりは、
昔に習って甘酒で滋養をとり、
外からそよぐ夕風を感じながら、
冷酒で厄除けをするのも粋な計らい
といえるのではないでしょうか。