“鬼は外、福は内”。「節分」はくらしに定着した季節行事のひとつ

「節分」は、立春の前日ということをご存知ですか。

2020年(令和2年)の「節分」は
2月3日木曜日。

「節分」は“彼岸”や“八十八夜”
“土用”と同じく9つある
雑節のひとつです。

「節分」は、1985年以来
36年間ずっと2月3日だったので、
日が固定された季節行事
と思われがちですが、
2021年は2月2日。

これは、立春の前日が「節分」で、
立春が太陽の運行に基づいているため
、年によって日付が異なるためです。

またその先の日付も
軌道計算によって割り出されています
が、あくまで予測の日付となります。

旧暦では立春が新年なので、
その前日の「節分」は
大晦日にあたります。

つまり冬から春へと
“季節を分ける日”ということです。

本来は、立春だけでなく、
立夏、立秋、立冬それぞれの前日も
季節を分ける「節分」にあたります。

しかし、年の節目となる
立春のタイミングが
もっとも大事な日とされたことで、
「節分」といえば立春の前日
ということが定着しました。

「節分」は、
他の多くの季節歳時と同じように、
もともと中国から伝わったもので、
平安から室町時代にかけて、
宮中行事として “追儺(ついな)”
という儀式が執り行われていましたが
、江戸時代になって庶民のもとに
届く頃には、簡略化された儀式へと
変化していました。

そんな、「節分」の行事といえば、
皆さんご存知のように、
“豆まき”“恵方巻き”“魔除けの鰯”
などがあります。

季節の変わり目で、
気温の急激な変化で風邪を引くなど、
体調を崩す人が多いこの時期、
“邪気(鬼)”の仕業と考えられた
ことから、いずれも悪霊払いの
意味を持っています。

「節分」の行事の基本は、季節の変わり目の邪気払い。

“豆まき”は、宮中行事から
受け継がれている風習です。

穀物には生命力と魔除けの力が
備わっているということと、
“魔滅(まめ)”に通じるという
語呂合わせで、鬼に豆をぶつけることで
邪気を払い、一年の無病息災の願いが
込められた風習とされています。

「鬼は外、福は内」の掛け声とともに
豆をまき、年の数だけ豆を食べる…
というのが一般的ですが、
地域によって少々異なるようです。

後方に豆をまいたり、
鬼を祭神とする神社や鬼がつく地名、
鬼のつく姓の方など、
“鬼は内(鬼も内)”、
丹羽氏が藩主の旧二本松藩の領内
の一部では“お丹羽、外”と
聞こえるのを避けるために、
“鬼、外”とするなど、
地域ごとに代々伝わる習わし
に沿って行われています。

また「節分」に、
“渡辺”姓と“坂田“姓は
豆をまかなくてよいという
言い伝えも残されています。

これは平安時代に、
町で暴れた大江山の
“酒呑童子(しゅてんどうじ)”
という鬼を退治した、
“源頼光(みなもとのらいこう)”
の家臣である四天王の逸話が発端。

四天王の中でも、
“渡辺綱(わたなべのつな)”、
“坂田金時(さかたのきんとき)”
の2人は、とても剛毅で、
無法者の鬼でさえ
恐れて近づかなかったことから、
その子孫は鬼払いの豆まきをする
必要がないというお話です。

“恵方巻き”は、
その年の恵方を向いて
無言で太巻き寿司を食べると
縁起が良いという風習。

もともとは関西地方の習わしで、
太巻き寿司を“丸かぶり”と呼び、
「節分」の夜に食べていたものが
全国に広がりました。

ちなみに2020年(令和2年)の
恵方は、西南西とのこと。

“魔除けの鰯”について、
鬼は鰯(いわし)の生臭さと
柊(ひいらぎ)のトゲが苦手
とされるという伝説が元となり、
鰯の頭を焼いたものを
柊の枝に刺して玄関に飾って、
鬼が入ってこないようにする
風習です。

最近は、
マンション住まいなどが増えて、
あまり見かけることはありません。

“鰯の頭も信心から”という
ことわざは、この風習に由来します。

「節分」は、
庶民のくらしに融け込んだ
季節行事といえます。

豆まき用の“炒り豆”と
具がたっぷりの“恵方巻き”が
食卓に並ぶこの日は、
魔除けを肴に、
熱𤏐で一杯、
楽しみたいところです。

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