世界を二分する“狩猟民族”と“農耕民族”。
世界の人類は、
農耕民族と狩猟民族に
大きく分類できるという
説があります。
もともと人類のスタートは、
野生を相手にした
狩猟採集スタイルです。
1万年ほど前の
新石器時代になった頃に、
農耕、牧畜がはじまり、
狩猟民族と農耕民族に
大きく枝分かれしていきました。
農耕民族は、
豊富な水と肥沃な大地などの
恵まれた自然環境と水を
コントロールする
灌漑技術を得たことで大きく発展。
一方、狩猟民族は、
経験の中で獲物の生態を学び、
それを狩る道具をつくるための
冶金技術を身につけ、武器を
つくるようになったといいます。
長い年月の中で、それぞれの
行動スタイルに適応するように、
考え方や生活様式が
確立していきました。
狩猟民族はゼロベースで
狩った獲物を加算していく
プラス査定。
新しいコトを試しながら
積極的に突き進む傾向にあります。
また優れた洞察力と動体視力を持ち、
敵対心が強いのが特性です。
それとは反対に、農耕民族は
豊作を基準にしているため
不作分を差し引いていく
マイナス査定。
マイナス面の反省を踏まえて、
失敗しないような
慎重さを持っています。
狩猟民族のように獲物に狙いを定める
研ぎ澄まされた感覚ではなく、
全体を見渡す俯瞰で物を捉える
広角的な視野。
また、共同作業を行っていた経緯で
全般的に友好的な特性を
持ち合わせているといえるでしょう。
さらに、狩猟型は狩場を移動し
新しい獲物を見つけます。
そこには仲間との
生存競争があります。
それに対して、農耕型は定住により
育成・収穫を繰り返します。
こうしたそれぞれの行動スタイルは、
それぞれの民族の考え方や
生活様式に深く刻まれている
と考えられます。
今回のコロナ禍において、
未知なるウイルスであるがゆえ、
その対策は各国独自の
方法がとられています。
現時点での正解はありません。
その対策において、
世界の多くの国で
“ロックダウン(都市封鎖)”が
行われる中、
日本では強制力を持たない
“自粛”を促す宣言である
にもかかわらず
多くの国民は自主的に
この“自粛”を守っています。
まだコロナ禍は
おさまっていませんが、
早い段階からコロナ禍に
さらされていたにもかかわらず、
圧倒的に死亡者数が少ない点で、
世界から
“ジャパニーズ・ミラクル”と
讃えられているという
側面があります。
多くの日本人は、
さまざまな脅威にさらされた時も
我慢強く辛抱し、
計画的で慎重な取り組み、
統制ではなく規律を守る、
典型的な農耕型といえる
のではないでしょうか。
日本の風土・環境に適応した主食“米”。いまは、田植えシーズンです。
“稲”は縄文時代に大陸から伝わり、
弥生時代になると米づくりが定着。
邪馬台国(3世紀頃)の時代には
稲作農業の仕組みやそれに伴う
農耕社会もほぼ完成していた
とされています。
そして米を中心とした
“時”の権力と結びつきながら
その時々の社会を築いていきました。
それまでの米を中心とした農村文化
から町人文化へと移ったのは、
江戸後期になってからのことです。
これほど長きにわたり米が
経済の中心となったのは、
米が生活に欠かせない主食の位置を
守り続けたことにあります。
日本の風土や自然環境が、
米の生育にもっとも適していた
というのもその要因のひとつです。
現在、日本の食料自給率は、
カロリーベースで
38%(日本の基準)ですが、
主食用の米の自給率は、
ほぼ100%。
“世界一”と称される米の品質は、
長い米作の経験と
品種改良の賜物です。
昨今のブランド米ブームにより、
それぞれの地域特性が込められた
銘米が手軽に楽しめる
良い時代となったといえるでしょう。
また米の品種改良の過程で、
日本酒造りに適した大粒で
心白を持つ酒造好適品種に辿り着き、
それによってより一層旨い
日本酒が生まれていることにも
繋がっています。
主食である米の安定供給のため、
基準となる米価が
決められていることが
米価の高騰を防いでいるのですが、
このことが逆に農家の生活を
逼迫しているのも事実です。
昭和から平成にかけて、
春から秋は農業、
農業を終えた秋から春までの閑散期は
別の仕事を営む“兼業農家”が増加。
多くの農家は一年を通じて
収入を得るようになりましたが、
逆に他の仕事への
門戸を開くこととなり、
農家の後継者不足を
招くことになりました。
将来を見据えた
米づくりへの対策が
急務となっています。
ただし、
この“兼業農家”のおかげで、
農家が冬の閑散期に杜氏として
酒造りを代々行っているという、
全国の酒蔵にとって
ありがたい仕組みもあります。
現在、田んぼには水が張られ、
ちょうど田植えの時期を
迎えました。
昔なら協力し合いながら一家総出で
田植え作業を行っていましたが、
耕運機で田んぼを耕し、
電動ポンプで水を汲み上げ、
田植機で稲の苗を水田に移植。
以前の労力とくらべると人員と手間は
大幅に削減されていますが、
それでも近隣の家が協力し合って、
泥まみれで格闘する重労働です。
生きるために必要な主食をつくる
ということを考えた場合、
一番大切な仕事に位置づけられる
といえるかもしれません。