暑い日の涼感。「打ち水」文化が庶民に定着したのは江戸元禄期。
夏の風物詩のひとつともいえる
「打ち水」。
目に映る様子そのものが涼しげで、
夏の暑さを吸収した
アスファルトの路面を一気に冷まし、
ひとときの涼感が得られる習慣です。
実はこの「打ち水」で涼感を得る
という自然科学の仕組みは、
熱を帯びたものに水をかけた時に、
水が蒸発して気化する際に
周囲から熱を吸収する
“気化熱”のメカニズム
による現象です。
「打ち水」は、
熱い路面に水を撒き、
その“気化熱”によって
涼感を得る、昔ながらの手法。
以前にこのコラムで紹介した
“熱中症”や、
風呂上がりに濡れた身体でいると
湯冷めをすること、
最近街で見かけるミストシャワー
なども同じ原理です。
“気化熱”で得る涼感に関しては、
平安前期の『古今和歌集』や
平安末期の『千載和歌集』にも、
滝や川面の水しぶきや
夕立の後の涼しさ、
水を撒くことで涼をとることを
詠んだ句がいくつかありますが、
残念ながら「打ち水」という言葉は、
まだ登場しません。
鎌倉末期に抹茶が薬として伝わり、
戦国から安土桃山時代を経て
“茶の湯”が確立。
その茶事の前の作法として
「打ち水」が行われたことが、
最初に「打ち水」に言及した
ことのようです。
茶聖・千利休100年忌に成立した
『南方録』の“三露”の項で
「打ち水」の作法を解説しています。
とはいえ、あくまで
礼儀作法の一環として
行われていたに過ぎませんでした。
江戸時代、元禄に入る頃に、
「打ち水」は
一般庶民の間に広まりました。
夏に涼をとるのはもちろんのこと、
街道の土埃や砂埃が
舞うのを防いだり、
“神様の通る道を清める”
意味を持つなど、
一年を通して「打ち水」は行われ、
江戸庶民にとって
日常の当たり前の習慣
となっていきました。
「打ち水」の気化熱が、火照った日本の夏を冷ます。
そんな当たり前のように行われていた
生活習慣の「打ち水」ですが、
時代とともにその習慣は
薄れていくことになります。
1970年以降、エアコンの普及により
窓を閉め切る生活スタイルが
定着したことで、
表に水を撒いて涼をとる
必要性がなくなったことや、
核家族化や女性の社会進出などにより
家への滞在時間が減ったことで
「打ち水」の時間がなくなり、
その必要性もなくなったことが、
「打ち水」習慣が薄れた大きな要因。
また、道路の舗装で
土埃や砂埃が舞わなくなったことなど
、さまざまな理由で
長く続いた「打ち水」の習慣が
廃れていきました。
ところが、近代社会になり、
地球の温暖化をはじめ、
アスファルト舗装とビル壁面の反射熱
、エアコンをはじめ
各種家電の排熱などによって、
都市部を中心に昼間の気温が高まり、
その熱が夜になっても冷めない
“ヒートアイランド現象”が
問題となり、「打ち水」習慣が
再び見直されるようになりました。
2003年(平成15年)に、
地球温暖化対策の取り組みとして
「打ち水大作戦」
という社会実験を実施。
決められた時間に
一斉に「打ち水」をして、
ヒートアイランド現象に対して
どのような効果があるかを
検証しました。
エコということで、
雨水や風呂の残り湯などを
利用することが基本ルール。
仮に、東京23区の散水可能な面積
約265㎢に散水した場合、
最大2〜2.5℃程度、
正午の気温が低下する
といわれています。
この活動は2003年の社会実験以降
、毎年、日時を決めた
自由参加のイベントとして継続中。
日本全国、海外を含めて
毎年推定500万人以上が参加する
イベントとして拡大を見せています。
「打ち水」に最適な時間帯は、
朝と夕方。
撒いた水がすぐには蒸発せず、
ゆっくりと地面の熱を冷ますので、
涼感を長く感じることが
できるようです。
「打ち水」の後は、
縁側やベランダに椅子を出して、
冷やした日本酒を一杯。
癒されるひとときを
過ごしてみるのは、
いかがでしょうか。