1月16日は、「禁酒の日」。この日だけは、飲む量を少し控えましょ。

日本の「禁酒の日」と深い関係がある、アメリカの“禁酒法”。

1月16日は「禁酒の日」。

100年前の1920年
(大正9年)1月16日に、
アメリカで“禁酒法”が
施行されたことに由来する
日本だけのローカル記念日です。

アメリカの禁酒法施行日が、
なぜ日本の「禁酒の日」
になったかは定かではありませんが、
歴史的にも有名な法律だったことが
影響しているようです。

とはいえ、
“この日は飲酒を控えましょう”
という日なので、
酒類メーカーや酒類販売店で
「禁酒の日」キャンペーンという
イベント展開は難しく、
あくまで、個人の実施目標としての
記念日に位置づけられている
といえるでしょう。

「禁酒の日」の元となった
アメリカの“禁酒法”は、
悪評高い法律とも
いわれています。

キリスト教プロテスタントの
ピューリタン(清教徒)の影響を
強く受けたアメリカでは、
飲酒に対する批判が根強く、
20世紀初頭までに
18の州で“禁酒法”を施行。

それがアメリカ全土に及んだのが
1920年の“禁酒法”施行で、
飲料用アルコールの製造・販売が
全面的に禁止となりました。

この法律が悪法といわれたのは、
本来取り締まるべき飲酒そのものを
規制していなかったため、
非合法な酒場が街に乱立。

身体に悪い密造酒が横行して
死亡事故が多発し、
ギャングの資金源となるなど、
法律施行時当初の想定とは
真逆の結果となり、
1933年(昭和8年)に
法律は廃止されることになります。

“禁酒法”施行の約13年間で
徴収されるはずだった
約5億ドル(約3000億円)の
酒税が失われたことで、
アメリカ政府の財源は逼迫。

また、1万5千軒ほどだった
ニューヨークの酒場は、
“禁酒法”施行に伴って
倍以上の約3万軒を越える
無許可バーへと変わり、
ここで飲まれた酒量は
以前の10%も増加。

それまでの酒の製造、販売は、
ギャングやマフィアの手に渡り、
彼らは巨万の富を
手にすることになります。

後に、理想のみで現実を直視せずに
つくられた法律だったことから、
“高貴な実験
(The Noble Experiment)”
と揶揄されました。

この“禁酒法”の暗黒時代は、
映画の舞台としても
格好の題材となり、
「アンタッチャブル」では、
アメリカン・ギャングの
アル・カポネ、
「コーザノストラ」では、
イタリアン・マフィアの
ラッキー・ルチアーノ、
「ゴッドファーザー」の
ドン・コルレオーネのモデルとなった
ヴィト・ジェノヴェーゼの
暗躍が描かれています。

マリリン・モンローが主演した
「お熱いのがお好き」も
“禁酒法”時代を舞台に
展開される名作です。

 

世界各国、いまだ禁酒令が敷かれている地域も。

悪名高い“禁酒法”廃止以降、
連邦レベルでの
全面的な禁酒を定めた法律は
存在しませんが、
州によっては
禁酒条例を定めている所もあります。

現在も、
アメリカ合衆国の南東部を中心に、
数百にもおよぶ禁酒郡があり、
さらに小規模な市町村単位で
酒類販売を禁じている禁酒地域も
数多くあります。

また、北欧諸国では20世紀初頭頃に
デンマークを除いたそれぞれの国で
禁酒令が施行された歴史があり、
現在もアルコール飲料の販売を
専売制によって
厳格に管理しているとのこと。

ロシア帝国でも20世紀初頭に
限定的な禁酒令を導入。

中東のイスラム諸国の中には、
コーランの教えに背くとして
アルコールを禁じている
国もありますが、
国ごとに規定の範囲や認可制など
さまざまです。

日本での最初の禁酒令が
発令されたのは646年(大化2年)。

それ以降、幾度かの禁酒令の発布や
酒造制限が行われてきました。

多くの国での禁酒令は、
おおむね宗教上観点としての
理由が多く、
国民の理解を得ずに計画性のない
強い禁酒令を施行した国では、
逆の効果になっているケースが多い
というのも事実です。

1月16日は「禁酒の日」、
毎日晩酌されている方や
正月に深酒をし過ぎた方は、
“休肝日”もしくは
飲む量を少し減らしてみるのも一考。

身体を休めた後の、
美味しい一杯も格別です。