「恵方」は、4つの方角の繰り返し。
“恵方巻き”を食べるマナーは絶対です。
2022年(令和4年)の「節分」は
2月3日(木)で、今年の「恵方」
は“北北西”もしくは
“北北西微北”です。
この「恵方」は、
歳徳神(としとくじん)という
神様がおられる場所で、
中国の方位で
方角を示しているので、
日本では“微○”と少しずれた
方角が正確な「恵方」という
考え方もありますが、
一般的には“微○”は
省かれていることがほとんど。
また、「恵方」は、他の歳時記と
同じように、天体の動きや複雑な
計算で成り立っていると
思われがちなのですが、実の所、
「恵方」は全部で4つしかなく、
“東北東(微東)”
“西南西(微西)”
“南南東(微南)”
“北北西(微北)”
の次にもう一度
“南南東(微南)”の順で、
5年を1周期として、
干支の甲、乙、丙、丁などの
十干(じっかん)
に割り当てられています。
分かりやすくまとめると、
10年に1度巡ってくる
十干ということで、
西暦の下一桁によって
「恵方」が判別できるのです。
- 西暦の下一桁が
「4(甲/きのえ)
・9(己/つちのと)」
…“東北東(微東)” - 西暦の下一桁が
「5(乙/きのと)
・0(庚/かのえ)」
…“西南西(微西)” - 西暦の下一桁が
「6(丙/ひのえ)
・1(辛/かのと)」
…“南南東(微南)” - 西暦の下一桁が
「7(丁/ひのと)
・2(壬/みずのえ)」
…“北北西(微北)” - 西暦の下一桁が
「8(戊/つちのえ)
・3(癸/みずのと)」
…“南南東(微南)”
そして、その年ごとに訪れる
「恵方」の方角の歳徳神様に
向いて食べるという
縁起の良い巻き寿司が
“恵方巻き”です。
もともと、「節分」に
“恵方巻き”を食べる風習は、
関西を中心とした「節分」
ならではの風物詩でしたが、
徐々に関東方面へと広がり、
大型スーパーや
コンビニでの取り扱いを
開始するようになって、
一気に全国区の行事と
なりました。
「恵方巻き」は、
七福神にちなんで
7種類の具が入った太巻き寿司で、
最近は海鮮など、好みに応じて
種類が選べるようです。
ひとり1本の太巻き寿司を、
その年の「恵方」に向かって、
願い事をしながら、無言で
残さずに食べきるというのが、
「恵方巻き」
を食べる時のマナーです。
巻き寿司の“巻く”は
福を巻き込む、
“切らずに食べる”
は縁を切らない、
“無言で食べる”は、
開いた口から福が逃げないとの
願いが込められているという
験担ぎの行事なので、
絶対に守ること。
全国に広まるようになって、
お子さんは、細巻き寿司でも
良いという新しいルールが
加えられたようです。
昨年2月2日の「節分」は、124年ぶりの出来事。
これを機に「節分」は動き出します。
本来の「節分」は、
“季節を分ける節目”の日で、
年に4回あります。
“立春”、“立夏”、
“立秋”、“立冬”
の前の日が「節分」です。
なかでも、とりわけ
「節分」と“立春”は、
旧暦の大晦日と元日にあたり、
室町時代あたりから、
他の「節分」とは一線を画して
重要視されるように。
また、“立春”の前日の「節分」
に豆を撒いて鬼を追い払う
追儺(ついな)という
宮中行事が、やがて庶民へと
広がったこともあり、
江戸時代には一般的に
「節分」は、“立春”の
前日を指すようになりました。
「節分」の日について、
いつもは2月3日という年が
ほとんどですが、
昨年は124年ぶりに
2月2日となりました。
「節分」が2月2日だったのは
1897年(明治30年)
以来の出来事。
また、昨年のように、
「節分」の日が変わったのも
久しぶりのことで、
1984年(昭和59年)に
2月4日であって以来、
37年ぶりのことです。
これらの日にちのズレは、
地球が太陽を365日5時間48分46秒
かけて一周するため、
それを閏年で調整する際の
誤差により生じるものです。
124年ぶりの2月2日の「節分」を
迎えたので、しばらくは2月3日に
なりそうかと思いきや、
意外にも4年後の
2025年(令和7年)
は2月2日となり、
それからしばらくは4年ごとに
2月2日の「節分」が登場し、
逆に2月4日の「節分」は、
計算上では
2104年まで訪れません。
こうした動きを国立天文台では
“節分の日が動き出す”
と伝えています。
現在のようにコンピューターに
よる科学技術があれば
当たり前のことですが、
遥か昔、ちょんまげ時代に、
すでに天文の動きから
暦を割り出す技術が
確立していたことに
舌を巻きます。
また、何百年も続く暦が、
明治初期の旧暦から
新暦に切り替わる際に
約1カ月ずらす程度の調整で
現在に続いていることも、
凡人には到底理解できない
優れた先人達の
おかげなのでしょうか。