戦後の復興から高度経済成長へ。新しい日本構築を背景に誕生したのが「紅白歌合戦」。
「もはや戦後ではない」
…ときの池田内閣が
1956年(昭和31年)の
経済白書で宣言しました。
終戦から10年、
戦後復興から高度経済成長へと
大きく移行した
節目の年とされています。
この宣言の背景には、
1954年(昭和29年)から
31か月にわたって続いた
“神武景気”という
好景気がありました。
1958年(昭和33年)から
42か月続いた“岩戸景気”では、
さらに景気を拡大。
そして、
1960年(昭和35年)に池田内閣により
所得倍増計画が発表されました。
また、長く続く好景気の影響で
]新しい生活を促す
“三種の神器
(冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビ)”
と呼ばれた耐久消費材ブームが
巻き起こりました。
1959年(昭和34年)の
皇太子ご成婚の儀がきっかけとなり
白黒テレビが爆発的に売れ、
それと併せて、
冷蔵庫、洗濯機も全国的に普及。
1960年代中盤の
“いざなぎ景気”では3C
(カラーテレビ、クーラー、車)
がブームとなり、
1964年(昭和39年)の
東京オリンピックを機に
カラーテレビ購入世帯が
増えたといいます。
1958年(昭和33年)竣工の
東京タワー、
1964年(昭和39年)の
東海道新幹線開業など、
社会基盤も整い、
近代日本の基礎は
この時期に築かれたといっても
過言ではありません。
これらの大きな
社会の変化を象徴するのが
NHKの「紅白歌合戦」です。
記念すべき第1回は
1951(昭和26)年1月3日の
ラジオ放送でした。
NHK内の小さなスタジオからの
生放送で、20〜21時までの
わずか1時間の単発正月特番。
規模こそ小さいものの、
現在の「紅白歌合戦」のように、
聴取者を男女50人ずつ
観客として招き、
紅白に分かれた出場者による
真剣勝負に対して
審査も行われました。
そして、1953(昭和28年)に
テレビの本放送がスタートし、
第4回からはラジオとテレビの
同時放送となり、劇場公開を計画。
しかし、大きな劇場は
正月公演で埋まっており、
唯一空いていたのが
大晦日の日劇でした。
“大晦日の忙しい夜に
観客は来るのか”という
不安をよそに、雪が降る中、
観覧客は長蛇の列をなし、
劇場は満員に。
これ以降、「紅白歌合戦」は
大晦日の恒例行事となりました。
テレビ黎明期から年越しの
節目の番組としてその地位を築き、
昭和末期頃までは70%以上の
高視聴率を記録し続けました。
しかし、
権威への反抗や
音楽活動に対する見解の相違から、
フォークやニューミュジックの
歌手の相次ぐ出場辞退が話題となり、
特定の芸能事務所に出場枠が
用意されているのではなどという
週刊誌ネタが広まる中、
視聴率は50%前後へと急落。
それ以降は微減しながら、
2021年(令和3年)には34.3%
という過去最低の視聴率に。
しかし、昨今の
若年層のテレビ離れや
娯楽の多様性に伴う
分散化を考えると、
30%を超える視聴率は
立派な数字といえます。
今年はやや波乱に満ちた
「紅白歌合戦」になりそうな
気配もありますが、
そう目くじらを立てず、
熱燗を嗜みながら、
いつものように楽しむのが、
穏やかに年を越す作法と
いえるのかも知れません。
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