7月7日に投開票される「東京都知事選」の立候補者は、異例の56人。

荒れ果てた小さな“江戸”の田舎町から、世界一のメガシティ“東京”へ。

間近に迫った東京都知事選が
注目を集めています。

6月20日の告示で
立候補を表明したのは
異例ともいえる56人。

過去最高の立候補者数は前回の22人で
最高記録の大幅更新となりました。

売名目的の
泡沫候補の乱立を
阻止する意味で
設けられているのが、
供託金制度です。

立候補の際に供託金300万円を預け、
得票数が
有効投票総数の1/10未満の場合は
没収されます。

しかし、この金額は約30年前から
変わっておらず、
今回の異常ともいえる乱立や
おかしな選挙活動状況を受けて、
供託金の増額を含む
公職選挙法そのものが
検討されることになりそうです。

そんな注目の東京は、
世界でも有数の都市のひとつです。

2018年(平成30年)の
国連統計によると、
世界最大の「メガシティ」として
人口3805万人の東京が
報告されています。

統計局では
「メガシティ」を
“人口密度が
連続する都市化地域である
都市的集積地域の居住者が
少なくとも1000万人を超える都市部”
と定義しているため、
東京と同じ都市的集積地域として
神奈川、千葉、埼玉など
周辺地域の人口も
加算される理屈です。

日本の都市戦略研究所による
「世界の都市ランキング」では、
東京は
ロンドン、
ニューヨークに次いで、
8年連続で3位にランクイン
しています。

経済や環境、交通・アクセスなど
6つの分野を
独自の指標で評価したものです。

また、
令和6年の東京都の財政報告では、
一般会計に
特別会計等を加えた予算規模は
16兆5584億円で、
スウェーデンやオーストリア、
チェコの国家予算に匹敵する規模
というから驚きです。

東京の前の呼称は江戸です。

徳川家康が
ここに幕府を構える以前から
江戸と呼ばれていました。

鎌倉時代に移り住んで
土地の名前を名乗った江戸氏、
室町後期に
江戸城を築いた太田道灌、
豊臣秀吉に左遷されて
江戸に赴任した徳川家康。

彼らが訪れた江戸は、
荒廃した辺境地でした。

現在の山手線の中心辺りにまで
江戸湾が広がる中、
満潮時に海水が入り込み、
潮が引けば、
葦(あし)や萱(かや)などが
生い茂る湿地帯。

江戸城の後ろは
山や森に覆われた原野が広がり、
平坦な土地は極めて少なく、
大勢の人が
生活するような場所では
ありませんでした。

現在の千代田区の東半分、
中央区、港区の増上寺あたりまでの
約2里(7.8km)四方が
当時の江戸の町です。

秀吉の死後、
1603年(慶長8年)に
征夷大将軍となった家康が着手した
江戸城の大改修や江戸市街の普請、
江戸湾の埋め立てによって
約30年間で人口は
約15万人に増えました。

1721年(享保6年)の人口調査で
江戸人口は110万人、
最盛期は200万人ともいわれています。

当時のロンドンが約86万人、
パリが約56万人
という文献が残されているので、
江戸は世界で
一番人口が多かったようです。

また、
身分によって住むエリアが決められ、
江戸人口の半分にあたる
約50万人の町人が、
住むのを許された
約15%の地域で暮らす
超過密さがうかがえます。

小さな田舎の村から、
世界一のメガシティへと
大きく成長した東京。

そのトップが
7月7日に決まる大切な選挙、
それが東京都知事選なのです。