日本酒の「鏡開き」は、場を盛り上げる祝宴の華 鏡開き/その一 

菊正宗 鏡開き

「鏡開き」と「鏡割り」、そして「鏡抜き」。

結婚式や祝賀会、竣工式、
会社の記念式典などで、
豪快なかけ声とともに、酒樽の
上蓋に木槌を振り下ろす「鏡開き」。

その華やかさと豪快さ、
全員が一つの樽酒を酌み交わすことで
生まれる一体感は、
何ものにも代えがたいものです。

まさにイベントの“華”。

プロ野球の優勝チームが、
鏡開きを行って、
“ビールかけ”の口火を切ったり、
老舗企業の創業記念式典が
ニュースで紹介される際に、
鏡開きとともに数多くの
フラッシュがたかれるシーンなど…
実際に見るより、テレビなどで
鏡開きを目にする機会の方が
多いのではないでしょうか。

お正月に神様に供える鏡餅も
「鏡開き」という言葉を使います。

鏡餅を神様に供えるのは、
江戸時代の武家社会の風習から。

正月に歳神様に供えた餅を、松の内
過ぎに、無病息災を願ってお雑煮や
お汁粉などにして食べる行事を
「鏡開き」「鏡割り」と呼びました。

当時、男は具足に供えた“具足餅”、
女は鏡台に供えた“鏡餅”を
木槌などで割って食べた
ことに由来します。

このとき、木槌などで割り砕いた
のは、“切る”という行為が
切腹を連想させるため、
刃物を使うことを避けました。

また、“鏡割り”の“割る”という
表現も、縁起が悪い忌み詞とされる
こともあって、末広がりを意味する
「鏡開き」という言葉が
主に使われたようです。

祝いの席で酒樽の蓋を木槌で割って
開くことは、「鏡抜き」「鏡開き」
「鏡割り」という、いずれか言葉で
表現されます。

ここでいう“鏡”は酒樽の上蓋のこと
で、元々、酒樽の蓋を開くことを
“鏡を抜く”といっていたので、
正しい表現は「鏡抜き」です。

しかし、“抜く”は語感が悪いとされ
、“割る”という表現も、
鏡餅と同じく縁起が悪いということで
「鏡開き」という言葉が
主に用いられます。

ただし、報道の現場では、正確さ
を求めて“酒樽を開ける”という表現
を使うことが多いようです。

鏡開きの由来には諸説ありますが、
武士が戦への出陣時に
自兵の気持ちを鼓舞するために
酒樽から酒を振る舞ったこと
がはじまりだとされます。

“鏡”を開くことで“運”も開く
とされ、縁起がいい催しとして
今に伝わっています。

“鏡”と表現するのにも
諸説あります。

古来より、
鏡には神様が宿ると考えられ、
神事に使われてきました。

その代表格といえるのが、
三種の神器のひとつ
「八咫の鏡(やたのかがみ)」。

その形状を模した“鏡餅”であり、
“酒樽の上蓋”というお話です。

菊正宗 裸樽

 

絶滅が危惧される「酒樽」。

日本酒が大きく広まった江戸時代、
すべてのお酒が樽酒でした。

それ以前は、“壺”や“曲げわっぱ”
がお酒を入れる容器として使われ、
木をまっすぐに削ることができる
カンナの登場により、今の酒樽
の形になったといわれています。

また当時は、単なる容器だったので、
「樽の香りをつけて、
美味しくしよう」
などという考えはありません。

江戸時代は家屋や道具類のほとんどが
木製で、町中に木香が漂っていたため
、お酒に香りが移っていても
気にならなかったようです。

とはいえ、江戸でブームになった
灘の酒は、何日も樽の中で
揺られて運ばれたお酒。

江戸っ子たちは知らず知らずに、
“杉の香りがついた酒”が美味しい
ことを感じとっていたのです。

時代は移り、明治時代になって、
扱いやすく安価なガラス瓶が
酒瓶として普及するとともに、
酒樽は減少の一途をたどります。

そして現在、職人の
高齢化や後継者不足などにより、
樽職人そのものが減っており、
伝承されてきた樽づくりの技術
そのものが廃れようとしています。

菊正宗では、この伝統工芸にも
匹敵する“樽づくり”を後世に
伝えるために、2017年に
「樽酒マイスターファクトリー」と
いう樽づくりの工房を開設しました。

ここでは、樽職人たちが
釘や接着剤を一切使わず、
“竹割り”“たが巻き”“樽組み”など、
江戸時代から変わることのない
樽づくりを行っています。

菊正宗 TARUSAKE MEISTER FACTORY

 

華やかな「鏡開き」を支えているのは
、連綿と受け継がれた本物の技術。

美味しい樽酒を飲むために、
酒造りだけでなく、酒樽づくりにも
細心の努力を怠ることはできない
と考えています。