お待たせしました。2月18日土曜日、3年ぶりの「蔵開き」開催です。

もともとの「蔵開き」は、商家の正月行事のひとつでした。

2月18日の土曜日は、待ちに待った
菊正宗「蔵開き」の日です。

実に3年ぶりの開催となる
「蔵開き」ですが、
まだ新型コロナが完全に
封じ込められた訳ではないので、
入場時の検温や手指消毒、
飲食時以外はマスク着用など、
ご来場のお客様には
ご不便をおかけすることになりますが
やむを得ないこととご了承ください。

今年で第十六回目となる
「蔵開き」の開催日程は次の通りです。

  • 開催日時/ 令和5年2月18日(土曜日) 午前10時から午後3時(小雨決行)
  • 開催場所/ 菊正宗「嘉宝蔵」構内と 菊正宗酒造記念館

“寒造り”によるお酒の仕込みも、
そろそろ終盤を迎えるこの時期に
開催されるのが「蔵開き」です。

「蔵開き」と聞くと、
酒蔵の「蔵開き」というのが
現在の定説のようですが、
もともとは、町家や商家などで
その年初めて蔵の戸を開く、
文字通りの“蔵開き”のことを指し、
こちらの方がかなり長い歴史が
あります。

「蔵開き」は、
旧暦1月11日に行われていた
正月行事で、この日は、
武家屋敷で甲冑を納めていた
長櫃(ながびつ)などを開く
“具足開き”、
商人が帳簿を新しく閉じる
“帳祝い(ちょういわい)”、
鏡餅を割る
“鏡開き”、
さらに、農家でも
“田打ち正月”“鍬始め”などの
儀礼が行われるなど、
正月最初に行われる大切な日に
位置づけられていました。

さらに元をたどると、
日本全国で「松の内」は1月15日まで、
「鏡開き」や「蔵開き」は、
1月20日に行う風習がありました。

しかし、
江戸時代の1651年(慶安4年)に
第3代将軍・徳川家光が
亡くなったことにより、毎月20日は
家光の月命日になったことで、
関東では、1月20日を避け、
「鏡開き」や「蔵開き」は、
1月11日に改められたということです。

また、
年神様がいらっしゃる「松の内」に
「鏡開き」や「蔵開き」を
行う訳にいかないため、
徳川幕府が1662年(寛文元年)に
“松の内は1月7日まで”
という通達を出し、
現在に至っています。

こうした「蔵開き」の
歴史の背景があるなか、
菊正宗を含めて
300年を軽く超える歴史があるはずの
酒蔵の「蔵開き」が
行われるようになったのは、
わりと最近のことです。

これは、神聖な現場に
一般人が立ち入るのを禁じたことや、
微生物による醗酵という工程を経る
酒造りの蔵に、
ほかからの雑菌の持ち込みを
懸念したことが大きな理由です。

しかし近年になり、
科学的に酒蔵の衛生管理が徹底され、
地域のお客様との交流の意味もあって、
「蔵開き」といえば、
この時期に全国的に開催される
日本酒の「蔵開き」を
指すようになりました。

「蔵開き」のお楽しみは、“生酛しぼりたて 新酒”の出来栄え。

「蔵開き」で、
お客様のお目当てとなるのは
“生酛しぼりたて新酒”の出来栄え。

“生酛しぼりたて新酒”の振舞酒は、
毎年、人気の中心です。

“生酛しぼりたて新酒”は、
仕込みを終えて
醪(もろみ)を搾った後、一度だけ
火入れ(低温加熱殺菌)を行い、
そのまま瓶詰めにしたもので、
その年のお酒の出来を
計り知ることができるお酒と
いわれています。

まさに“今が旬”の
しぼりたてらしい、
フレッシュな荒々しい味わいと
鮮烈な香りが癖になるお酒です。

一般的な日本酒は、
搾った後に火入れを行って
数カ月間貯蔵。

熟成させることで、
お酒の角がとれてまろやかな味と
芳香をまとった深いコクを
醸し出します。

だからこそ、新鮮さを味わえるのは、
この時期だけのお楽しみなのです。

今年は、
お客様が殺到して密になりがちな
「福袋」の販売を行なっていませんが、
“生酛しぼりたて新酒”は、
当日、酒造記念館で
お買い求めいただけます。

また会場にお越しいただけない方も、
ネットショップで取り扱っているので、
ご自宅で「蔵開き」気分を味わうのも
おすすめです。

新型コロナの影響もあって、
やや規模を縮小しての開催ですが、
旨い酒にピッタリと合う
旨い肴の屋台や
特設ステージでの出し物など、
ほろ酔い気分で楽しめる
ひとときになりそうです。

3年ぶりの「蔵開き」開催。

地域の方々との交流を通して、
自信を持って送り出す
“生酛しぼりたて新酒”の感想を
お聞かせ願いたいと考えています。

率直に、
今年の“生酛しぼりたて新酒”、
上々の出来に仕上がっています。

春を告げる「ふきのとう」を使った料理にチャレンジ。

雪の野原やスーパー店頭で「ふきのとう」を見つけたら、春は間近です。

“白い冬”という往年の
名曲があります。

秋に別れた彼(彼女)への忘れ得ぬ
思いがつのる晩秋に、
ひとりぼっちで迎える雪の舞う
冬の寂しさを歌ったシンプルな
歌詞でありながら、
ハイトーンで耳残りが良く、
旋律の美しい印象的な曲です。

この曲は1974年(昭和49年)、
フォークデュオ「ふきのとう」の
デビュー曲で、彼らはフォークから
ニューミュージックへのブームの
牽引役となったグループのひとつとも
いわれています。

この曲を深読みすれば、
秋の失恋によるひとりきりの
冬の寂しさを歌っていますが、
その向こう側には、歌い手である
「ふきのとう」が
“春”を告げる役割を
果たしているような気さえもします。

新しい出会いに期待をよせる
歌と考えて聴くと、
そう思えてくるから不思議です。

今回は、そんな“春”を
予感させてくれる「ふきのとう」を
取り上げます。

「ふきのとう」が自生する地域では、
雪で白く覆われた野原で顔を覗かせる
「ふきのとう」を見て、いち早く
春の訪れを実感するといいます。

実際にそれ以降、
暖かさは日を追うごとに増し、
春は駆け足で
やって来るかのようです。

「ふきのとう」は、
和え物や煮物に使われる
“フキ”の若い花芽で、
数少ない日本原産の野菜です。

野生種は栽培されているものより
苦味が強く、市場に出回るものの
ほとんどは栽培種です。

ちなみに、「ふきのとう」は、
漢字で「蕗の薹」と書きます。
この“薹(とう)”という漢字、
今ではほとんど使われることは
ありませんが、
以前は“薹(とう)が立つ”という
いささか侮蔑的な表現として
使われていました。

“フキ”や“アブラナ”などの花芽は
伸びてくると硬くなり
食べ頃を過ぎるとか。

それを人に当てはめて“薹が立つ”と
用いられるようになったようです。

確かに「ふきのとう」としての
食べ頃は過ぎますが、その後、
“フキ”として美味しく
食べられることを考えると、
間違った表現なのかもしれません。

また、「ふきのとう」は別名
“蕗の姑(ふきのしゅうとめ)”
“蕗の舅(ふきのしゅうと)”
といいます。

これは、“麦と姑は踏むがよい”
という大昔のことわざが語源。

春の風物詩でもある“麦踏み”
によって土に根が張ったよい麦が
育つのと同じように、
“フキ”も土を踏みしめることで
地下茎の根が張って、
よりよい生育を促します。

これに由来して、出しゃばった姑も
踏みしめるのがよいという
意味のようです。

かなり古くから伝わることわざなので
“麦と嫁は踏むがよい”
となりそうなところですが、
意外にも姑や舅をもじった
珍しいことわざといえるのでは
ないでしょうか。

複雑な成長過程を持つ「ふきのとう」。

“フキ”の野生種は、
北海道から沖縄まで、全国的に
分布する日本原産の多年草です。

茎は地上に伸びず地下茎として
横に長く張り巡らされることで
増殖します。

花が咲くのは3〜5月頃で、
葉が地表に出る前に花芽が
伸び出したものが「ふきのとう」。

“フキ”は雌雄異株で、
雄株と雌株に分かれており、
雄株は花粉をつけ、
花茎は20cmほどで成長が止まり、
花の時期が終わると
枯れてしまいます。

一方、雌株は受粉後に約70cmまで伸び
タンポポのような白い綿毛のある
種子を風に乗せて飛ばすことで、
他の場所へと生息エリアを
広げていきます。

そして、花の時期が終わると、
花茎とは別に、
地下茎から地表に葉が伸びて、
その高さは1m近くにも成長し、
30cm近くの大振りな葉をつけた様は、
まるで小動物の傘のようです。

“フキ”は、花と葉が異なる時期に
地下から顔を覗かせる、
複雑な生育体系を持った
不思議な植物といえます。

「ふきのとう」を美味しく
いただくために必要なのは、
下処理です。

苦味やエグ味が強く、地下茎には
有毒成分を含んでいるため
茶色の根元を切り落としたっぷりの
お湯に塩を加えて下茹でを。

苦味を抑えたい場合は塩の代わりに
重曹を加えて茹でます。

3〜4分経ったらザルにあげて
流水で冷やした後、
1〜2時間、水にさらします。

その後、キッチンペーパーで強く握って
水気を拭き取れば下処理は完了です。

そのまま天ぷらにしたり、
細かく刻んで砂糖、味噌、みりんで
和えた“ふきのとう味噌”などは、
酒の肴にもぴったり。

また、茹でてアクを抜いたものなら
冷凍保存も可能です。

スーパー店頭で
「ふきのとう」を見つけたら、
ひと足お先の“春”を感じられる
料理にチャレンジしてみては
いかがでしょうか。

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丹波杜氏の技を受け継ぐ生酛造りで醸した
至極の日本酒で料理に合わせてみませんか。

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コタツとミカン。冬のベストマッチに栄養価の高いキンカンを加えましょう。

住環境の変化により、“コタツでミカン”の習慣も薄れつつあります。

“コタツでミカン”は、
昔ながらの定番ともいえる
冬の風物詩のひとつです。

しかし、
コタツの市場規模は
昔とくらべると減少傾向に。

これは、
生活スタイルの変化が
大きく関係しているようです。

昭和から平成にかけて、
土地が必要な戸建て住宅から、
高さを競うかのように
上へと伸びる集合住宅へと
住環境は大きく変化。

昭和の“畳の暮らし”から、
テーブルに椅子、ソファー
という“LDKの暮らし”へ…
純和風から和風モダンや
洋風スタイルへと、時代とともに
大きく変わっていきました。

冬の暖房について、
マンションなどの集合住宅は
気密性が高く、部屋全体を
快適に暖めてくれるエアコンが
主流となっています。

現在も一定数の
コタツ利用者はいるものの、
部屋全体が暖かいので、
コタツ本来の目的は薄れ気味です。

また、
ミカンの市場規模についても、
なだらかながら
減少傾向にあります。

これは果物を含む
スイーツ市場全体の多様化による
消費量の減少に加え、
ミカン農家を継ぐ
後継者不足問題も大きく影響し、
栽培面積や生産量も
年を追うごとに
少なくなっているようです。

とはいうものの、
長年にわたって続けられてきた
馴染み深い“コタツでミカン”の
習慣が、そう簡単に
なくなった訳ではありません。

たとえば、コタツ。

冬のバタバタした朝など、
コタツで朝食を済ます家庭も
少なくありません。

食後にコタツに入って
うたた寝というのも
至福のひととき。

暖房の主流とまではいえませんが、
コタツ文化は、根強く
残り続けて欲しいものです。

一方、ミカンも
品種改良によって
昔よりも格段に糖度が高く
美味しくなっています。

果物の消費量ランキングでは、
バナナ、リンゴに次いで
第3位の消費量を誇っているものの、
昔とくらべると果物の種類も増え、
好みの多様化によって
全体的な消費が分散している
というのが実情のようです。

“コタツでミカン”は、
足元の冷えを解消して
血行をよくすることで
身体全体の冷えを和らげる
“頭寒足熱”の環境をつくり、
そこでビタミンCを多く含んだ
ミカンを食べることにより、
風邪を予防するという、
理に叶った習慣といえます。

ミカンの親戚にあたるキンカンで、冬場の栄養補給を。

さて、ミカンについて、
剝いて捨てる皮にこそ
栄養があるという話を
聞いたことはありませんか。

みかんの皮を
“外果皮(がいかひ)”と呼び、
高い栄養素を含んでいます。

もちろん、
普段食べている実の部分にも
風邪予防や肌荒れに
効果が期待できる
ビタミンCをはじめ、
便秘改善の作用があるペクチンなど
栄養価は豊富です。

ミカンの“外果皮”にも、
強い抗酸化作用のある
βークリプトキサンチンをはじめ、
抗炎症作用のあるヘスペリジン、
βカロテン、ビタミンC、
ビタミンE、食物繊維などの
豊富な栄養素が含まれ、
実と皮の間にある
白い筋“アルベド”にも
ヘスペリジンと呼ばれる
ビタミンPが多く含まれています。

ミカンは甘く
品種改良されているので、
そのまま食べても
皮の酸味や苦味が加わり、
慣れれば柑橘類ならではの
味や香りを楽しめるようになります。

国産ミカンであれば、
しっかりと水洗いすればOK。

そのまま食べるのは
チョット苦手という方は、
ミカンジュースにしたり、
ミカンジャムもオススメです。

さらに、
この時期に食べたいのが
キンカンです。

大きく柑橘類に分類されますが、
ミカン属とは異なる
キンカン属という別の分類。

風邪の予防はもちろんのこと、
喉の炎症などにも
効果が高いとされる栄養の宝庫。

苦味があるイメージですが、
甘く完熟したものや
甘みを強く品種改良したものなど、
スーパー店頭で売られています。

皮ごと食べるのが
一般的なキンカンは、
別名“食べるビタミン剤”。

ミカンが持つ栄養価に加え、
果物としては珍しく
カルシウムを多く
含んでいるのが特徴です。

そのまま生食でもいいのですが、
相性のいいハチミツに漬け込めば、
より高い栄養価が期待できます。

皮がついたまま
輪切りにしたキンカンを
ハチミツに漬け込んで
1日冷蔵庫に寝かせれば完了。

輪切りにする際、
ヘタや種を取り除くのを
お忘れなく。

キンカンのハチミツ漬けを
お湯で溶いて飲んだり、
ヨーグルトにかけて食べるだけで、
キンカンの栄養価を
丸ごと摂取できます。

“コタツでキンカン”。

新しい習慣になりそうな気がします。

冬の星座は、見つけやすい「オリオン座」からスタートです。

想像を絶する大きさの星で構成される冬を代表する「オリオン座」。

夏とくらべると、
冬の星空は格段に美しく輝きます。

この美しさには、いくつかの理由が
あるのを知っていますか。

ひとつめの理由は、
空気が乾燥していること。

夏場はジメジメした湿気、
つまり大量の水蒸気によって
大気はかすみ、透明度は下がります。

しかし、
冬場の大気は乾燥していることによる
透明度が高いのが特徴。

あわせて、
星の光が大気圏を通過するときに、
空気の密度の違いによる揺らぎにより
“瞬き”を生じさせます。

この星の“瞬き”を
より実感させてくれるのが、
気温や湿度が低く、空風が強いなどの
条件が整った冬の空です。

また、冬の星空には
明るく輝く1等星の数が多く、
夜の時間が長いというのも、
天体観測に適した条件といえます。

冬の夜空を見上げたときに、
真っ先に目に飛び込んでくるのが、
等間隔に並ぶ3つの星を
四角く4つの星が取り囲んでいる
「オリオン座」です。

「オリオン座」の四角形の左上で
赤く輝いているのが
一等星の“ベテルギウス”。

この星は、呼吸をするかのように
約1億kmにわたって大きさが増減し、
最大の直径は約14億km、体積比で
太陽の約1000倍もの大きさになります。

太陽系に当てはめると、
太陽を中心に木星軌道の
内側近くにまで達する大きさで、
円形ではなく巨大なコブが飛び出した
特徴的な形の星ということが
現在分かっています。

また、「オリオン座」の四角形の
右下に位置する青白く輝くのが
一等星の“リゲル”。

直径約1億1000万kmで、
太陽の約50倍の大きさです。

「オリオン座」の和名は“鼓星”、
その形から名付けられたことは
一目瞭然。

さらに“ベテルギウス”は“平家星”、
“リゲル”は“源氏星”と
名付けられています。

「オリオン座」の中心に位置する
3つの星を挟んで2つの星が
対峙している様を表し、
源平の対立が顕著であった
平安時代末期以降に名付けられた
名称であることは容易に想像できます。

また「オリオン座」の3連星の周辺に
“オリオン大星雲”や“馬頭星雲”、
実在の“M78星雲”などが存在。

ウルトラマンのふるさととされる
“M78星雲”は300万光年離れたところに
存在する設定ですが、
実際の“M78星雲”は
1600光年に位置しているので、
比較すると、かなり近くに感じます。

それでも光の速度で1600年かかる
気の遠くなるような
離れた距離なのです。

「オリオン座」を手掛かりに、「冬の大三角」を見つけよう。

「オリオン座」を
見つけやすい理由としては、
1等星の赤い“ベテルギウス”と
青白い“リゲル”に加えて、
真ん中に一列に並ぶ3つの星など、
5個以上の明るく輝く2等星によって、
その形がつくられ、
容易に探せる点です。

そうした理由から、
「オリオン座」は、冬の天体観測の
基準になる星座といわれています。

「オリオン座」を
見つけることができたら、
その左斜め下にひと際明るい
青白い星があるのに気づきます。

これは「おおいぬ座」の1等星
“シリウス”で、
太陽を除けば、地球から見える
もっとも明るい恒星です。

続いて「オリオン座」の左上辺りに
視線を移すと、
白く輝く1等星「こいぬ座」の
“プロキオン”が輝いていることに
気づくはずです。

そして、「オリオン座」の
“ベテルギウス”と
「おおいぬ座」の“シリウス”、
「こいぬ座」の“プロキオン”を
線で結ぶと正三角形に近い形となり、
これを「冬の大三角」と呼びます。

とくに、これらの星は、
ひと際輝いているので、
何度か見ているうちに、自然と
認識できるようになるから不思議です。

さらに、「オリオン座」の中心にある
3つの星を結び、西に辿っていくと
赤く輝く1等星「おうし座」の
“アルデバラン”が見つかります。

今度は、「オリオン座」の周りを
取り囲む四角形の大きさの
ひとつ半ほど上に視線を移すと、
黄色味を帯びた1等星
「ぎょしゃ座」の“カペラ”を
発見できます。

“カペラ”は冬の星座のなかで、
“シリウス”に次いで明るい星なので、
見つけやすいと思います。

さらに、「ふたご座」の
“カストル”と“ボルックス”をはじめ、
北側の一年を通して見られる
“北極星”や「北斗七星」、
「カシオペア座」なども、
冬の澄んだ空気が、
より綺麗に映し出してくれます。

興味を持って夜空を見上げれば、
そこに繰り広げられている
天体ショーに気づくはず。

知れば知るほど、
面白い魅力に満ち溢れる冬の夜空は、
新しい趣味の世界へと
いざなってくれます。

旧正月と立春。どちらも新年の始まりの日なのに、日にちが異なる不思議。

アジア圏では珍しく、日本は「旧正月」よりも“新暦”の正月を祝う国のひとつ。

「旧正月」とは、
太陰太陽暦を採用していた
“旧暦”の正月のことで
2023年の「旧正月」は1月22日です。

中国をはじめ、
韓国、ベトナム、シンガポール、
インドネシア、マレーシアなどの
アジア圏の多くの国では、
「旧正月」が
休日や祝日になっていることも多く、
国によっては“新暦”の正月以上に
「旧正月」を盛大に祝う伝統が
あります。

日本では
ニュースで小さく報じられる程度で、
他国とくらべると
馴染みの薄い日でした。

しかし、10年ほど前からの
“春節”の休日を利用した
中国からのインバウンドが増え、
爆買いが話題になって、
改めて“春節”が「旧正月」
ということを知った人も
少なくはありません。

日本では、
沖縄の一部地域や南西諸島辺りで
「旧正月」を祝う風習が
根強く残っていたり、
もともと“春節”を
新年のお祭り行事として祝う
横浜や神戸、長崎の中華街などで
毎年ニューイヤーイベントが
開催される程度で、
残念ながら全国的に
それほど大きな話題になることは
ありませんでした。

もちろん、
“新暦”に切り替わる明治以前の
“旧暦”では、
当たり前の正月儀式が
行われていたのは、
いうまでもないことです。

当時を振り返ると、
“新暦”への切り替えは驚くほど
早いタイミングで実施されました。

1872年(明治5年)11月9日に、
“新暦”への切り替えの布告を発布。

その後、
ひと月にも満たない同12月3日が
1873年(明治6年)1月1日に。

1年を365日、12カ月に分け、
4年に一度の閏年に1日加えて調整する
世界基準のグレゴリオ暦を採用した
“新暦”に切り替わったのです。

当時、
欧米の文化を積極的に取り入れる
社会的な背景もあったため、
“新暦”は意外とスムーズに
広く国民に受け入れられたことも
影響し、
次第に「旧正月」を祝う風習は
廃れていきました。

一説では、
1873年(明治6年)が
閏月の入る13カ月になるため、
財政的な理由で、
ひと月分の給料を払わずに済む
というのも、
“新暦”採用を急いだ理由とも
囁かれています。

“旧暦”に用いられていた
太陰太陽暦では
月の周期をひと月(約29.5日)と
数えたため、
1年はおよそ354日。

これだと
暦と季節のズレが大きくなるため、
閏月を設けて調整していました。

“新暦”のお正月が
1月1日と固定している一方、
1月22日から2月19日までの間で
新月の日が“旧暦”の元日、
つまり「旧正月」となります。

“春節(=旧正月)”というと、
2月初頭辺りに
中国からの爆買いツアー客が
訪れるイメージが強いのですが、
今年は、とりわけ早く「旧正月」が
訪れる珍しい年のようです。

月由来の「旧正月」と太陽由来の「立春」。暦の上で共存しています。

ここでひとつの疑問が湧いてきます。

二十四節気における“立春”も
1年の始まりの日とされ、
今年の“立春”は2月4日。

同じ新年の始まりなのに
「旧正月」と日にちが異なるのは、
なぜなのでしょうか。

これは、「旧正月」が
月の満ち欠けを基準とした“旧暦”の
1月1日のことであるのに対して、
“立春”は太陽の黄道上の動きを
基準に決められる二十四節気での
“春の始まりの起点”という、
まったく別の考え方だからなのです。

昼の時間がもっとも長い“夏至”と
夜の時間がもっとも長い“冬至”、
昼と夜の長さが同じの“春分”と
“秋分”を合わせた「二至二分」に、
“立春”“立夏”“立秋”“立冬”の
「四立(しりゅう)」により、
暦と季節のズレを調整したものが、
その年ごとの二十四節気
という訳です。

今年のように「旧正月」のあとに
“立春”が訪れることを
「新年立春」と呼びます。

逆に「旧正月」より早く
“立春”が来る場合は「年内立春」。

また、30年に1度ほど訪れる
「旧正月」と“立春”の日が重なる
「朔旦立春(さくたんりっしゅん)」
と呼ばれるおめでたい日も
存在します。

さらに、“旧暦”の1年間に
“立春”が訪れない
「無春年」ということもあります。

これは、
「年内立春」の翌年が
「新年立春」の場合で、
意外と「無春年」の年は多く、
数年に一度訪れる現象ともいえます。

月に由来する「旧正月」と
太陽由来の“立春”という
まったく別の基準で設けられた
新しい年の始まりなのに、
混乱することなく共存している
季節の節目。

ここに“新暦”の正月が加わり、
1年に三度、新しい年の始まりを
体感できると考えただけで、
めでたさがより一層しみてきます。