“食米”と“酒米(酒造好適米)”の違いは?

“食米”のトレンドは、甘くて粘り気のあるモチモチ食感。

1936年(昭和11年)に
「山田錦」が市場に登場して以降、
86年経った今なお
“酒米(酒造好適米)”の王者として
トップシェアを誇っていることは、
以前にこのコラムで紹介しました。

生産量2位の“五百万石”、
3位の“美山錦”を大きく引き離し、
毎年全国規模で開催されている
日本酒の“全国新酒鑑評会”では、
酒米に「山田錦」を使用した日本酒が
上位を占めるように
なっていったため、鑑評会では
2000年(平成12年)度から10年ほど、
「山田錦」を別枠扱いしたほどです。

今のところ、「山田錦」ほど、
高い可能性を秘めた
“酒米(酒造好適米)”は、
他にないのかもしれません。

そうしたことを踏まえて、
旨い酒を醸すこの「山田錦」を
実際に炊いて食べると美味しいのか
どうかという疑問が湧いてきます。

その前に、私たちが主食として
食べているご飯である“食米”
について、少し知っておきましょう。

“食米”の銘柄は
“単一銘柄米
(産地、品種、産年が同一)”と
“複数銘柄米
(ブレンド米)”に
大きく分類され、
流通の際に産地表記が必要という
規定があります。

とりわけ“単一銘柄米”は必然的に
産地表記がないと
販売することができません。

“単一銘柄米”といえば、昔は
“コシヒカリ”“ササニシキ”
という二大銘柄が突出して有名で、
その規定を上手く利用したのが
産地品種ブランドとして人気を博した
“魚沼産コシヒカリ”です。

それから時代は移り、
“あきたこまち”
“ひとめぼれ”
“ヒノヒカリ”など、
特徴的な銘柄米も増え、日本全国の
数十種もの銘柄米を炊き分ける
電気炊飯器も登場するなど、
美味しいご飯への情熱が
高まっています。

ブランド化された
全国の銘柄米の名前のカタカナ表記は
国の指定試験場で、ひらがな、
漢字表記は県の試験場でつくられた
お米というルールがありました。

しかし、1991年(平成3年)に
国の指定試験場でつくられた
本来カタカナ表記である品種に
“ひとめぼれ”と命名したことが
キッカケとなって、
その品種の特徴や親しみやすさ、
覚えやすさなどを表現するために、
一般公募などによって命名するなど、
銘柄米の名前をつけることは
自由となりました。

“単一銘柄米”が増えている中、
品種別作付け比率では、
“コシヒカリ”が、
現在も全体の約34%を占め、
1979年(昭和54年)以降、
連続で1位という
安定した生産量を誇っています。

とくに今の米生産の主流は、
甘くて粘り気のある
もちもち感という食味が
好まれる傾向です。

“コシヒカリ”と双璧を成していた
“ササニシキ”は、時代に沿わない
あっさりした味わいで、
冷害によって収穫が減り、
冷害に強い“ひとめぼれ”などに
作付けが移行したことで、
現在は希少な銘柄米とされています。

しかし、
さっぱりとして主張しすぎない
“ササニシキ”の食味は、
お寿司のシャリや、
出汁を生かした和食との相性は
抜群で、意外にも、その存在感は
以前にも増しているようです。

お酒を醸しやすい“酒米(酒造好適米)”の特徴。

“食米”と比較した場合、
“酒米(酒造好適米)”は、
粒が大きく、中心に白い
“心白(しんぱく)”があるのが
特徴です。

また、その粒は、外硬内軟性
(がいこうないなんせい)で、
外側は硬く、内側が柔らかいという
特徴があります。

外側の硬いところは、
食べた時の旨味に繋がるタンパク質や
脂肪の部分ですが、醸造においては
雑味の原因となるため、
精米過程で磨かれるところ。

硬いため砕けずに磨かれます。

また内側の“心白”は
柔らかくて粘度が高く、
吸水性に富みます。

この部分は
タンパク質の含有が少なく、
細かい孔が空いていて、
米粒の中心に麹菌の菌糸が
入り込みやすい構造です。

つまり、硬い外側が磨かれ、
水分を含んだ内側の
“心白”に菌糸が入り込んで
お米を溶かす酒造りに適した構造
となっているのが
“酒米(酒造好適米)”
ということになります。

さて、冒頭の“「山田錦」を
実際に炊いて食べると美味しいのか”
という疑問についてですが、
タンパク質や脂肪が少ないので、
“食米”のもっちりとした粘りが
少ないのでホロホロと、口の中で
崩れやすく、柔らかいけど芯に
歯ごたえを感じるアルデンテ状態に。

どちらかというと、さっぱりとした
“ササニシキ”の食味に
近いのかも知れません。

寿司や和食、また、仕上がりの
アルデンテという点では、
パエリアやリゾットなどの料理にも、
“酒米(酒造好適米)”は
適しているようです。

ただ“食米”と比べると、やはり
適材適所というところに
落ち着きそうです。

「バレンタインデー」の “義理チョコ”がなくなる?

新型コロナ禍で、規模縮小の「バレンタインデー」市場。
“本命”ギフトは増加傾向。

もうすぐ「バレンタインデー」です。

厳しい寒さが続く中、この日に
チョコレートをもらうと、たとえ
“義理チョコ”であったとしても、
その瞬間、心がほっこりと
温まります。

とくに普段、恋愛事情に少々縁遠い
男性陣にとっては、
この“義理チョコ”は、ひと筋の
光明なのかも知れません。

しかし、この“義理チョコ”、
この先なくなるかも知れません。

その前に、
日本の「バレンタインデー」が
定着するまでの経緯を
振り返ってみます。

愛の告白の多くは
男性側からという時代に、
女性側からの求愛という
欧米から伝わった新しいスタイル
というのが最初です。

当初は一部の菓子メーカーの
キャンペーンに過ぎなかったものが、
次第に大きく市場規模を
広げていきました。

女性側から愛を告白する
キッカケの日ということで始まり、
やがて、日本人特有の贈答文化に
起因するコミュニケーションを深める
“義理チョコ”が生まれ、
その返礼に当たる
“ホワイトデー”へと派生。

さらに贈る対象者が友達や家族などに
広がった“○○チョコ”、
そして、菓子業界以外の
幅広い他業種も参戦するようになり、
クリスマス市場をも凌ぐまでに
成長した大きな「バレンタインデー」
市場へと成長していきました。

ところが、新型コロナ禍による
テレワーク状況が一気に
広まった結果、学校や会社に
出る機会が減り、昨年の
「バレンタインデー」の市場規模は
大きく縮小。

今年も変異株による感染拡大状況に
伴って、大きな都市部を抱える
いくつかの都道府県で
“まん延防止等重点措置”が
取られた影響もあって,
「バレンタインデー」の市場規模は
さらに縮小傾向に。

とくに大きく減少したのが
“義理チョコ”や
友人に贈る“友チョコ”。

密を避けて距離を置くことが
求められている今、
接触を避ける意味で、こうした
社交辞令的なやりとりが真っ先に
省かれることのようです。

さらに近年、職場で配られる
“義理チョコ”に対して、
負担に感じる、義務感が強い
“義務チョコ”という
女子社員の声が次第に大きくなり、
“義理チョコ”を自粛する企業も
増えています。

何より「バレンタインデー」に
チョコレートを販売する大手の
ゴディバが
“義理チョコをやめよう”という
広告を出したことも話題となって、
今後、“義理チョコ”は悪い
習慣として、なくなっていくことに
なるのでしょうか。

それに反して、
“本命”に対するチョコレートや
ギフトはやや増加傾向に。

厳しい生活を強いられている現状で、
せめて本命の相手にだけは
気持ちを伝えたいということの
現れともいえます。

もしかすると、本来の
「バレンタインデー」の原点に
戻りつつあるのかも知れません。

「バレンタインデー」ギフトの購入先は、ネットショップが増えています。

「バレンタインデー」ギフトの
購入先も、このコロナ禍で
変わったもののひとつ。

これまでは百貨店、
チョコレート専門店などでの購入が
主流だったものが、自宅時間が増えて
ネットショップの利用が
急激に増えたこともあり、
今年の「バレンタインデー」は、
贈る商品の選択肢が多く、
検索しやすいネットショップで
という方が増えているようです。

さて、もともとの
「バレンタインデー」は
イタリア発祥で、欧米では男女が
プレゼントを贈りあったり、
男性から女性へ贈り物を
する日とされています。

1930年代(昭和5年以降)に日本に
伝わった「バレンタインデー」も
海外にならって、男女に限らず、
両方にギフトを促すもので、
“恋人たちの日”として
1950年(昭和25年以降)代になって、
デパートなどが販促キャンペーンを
行いましたが定着しませんでした。

それが1970年代後半(昭和50年以降)
に日本チョコレート・ココア協会が、
「バレンタインデー」の2月14日を
“チョコレートの日”に
制定した辺りから、いつしか
女性から愛の告白をする際に
チョコレートを贈る
日本版「バレンタインデー」の習慣が
浸透し始めたということです。

「バレンタインデー」の市場規模
そのものは縮小傾向ですが、
“本命チョコ”は健在のようです。

菊正宗ネットショップでしか
手に入らない稀少な日本酒に
チョコレートを添えて、
気持ちを伝えてはいかがでしょうか。

お父様への
「バレンタインデー」ギフトとしても
大変喜ばれていますので、ぜひ。

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2022年2月18日 クレジットカード決済 メンテナンス実施のお知らせ_菊正宗ネットショップ

お客様各位

平素は多大なるご愛顧を頂きまして誠にありがとうございます。

メンテナンス期間中にクレジットカード決済をご利用いただけない場合がございます。

その際はお手数をおかけいたしますが、再度、お試しください。

ご迷惑をおかけいたしますことを深くお詫び申し上げますとともに、あらかじめご了承いただけますようお願い申し上げます。

~システムメンテナンス日時~
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午前01:00 ~ 午前06:00
※作業状況により、時間が多少前後する場合がございます。

ご利用のお客様にはご迷惑をおかけ致しましますが、今後ともご愛顧賜りますようお願い申し上げます。

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「節分」につきものの「恵方」を、より詳しく知りましょう。

「恵方」は、4つの方角の繰り返し。
“恵方巻き”を食べるマナーは絶対です。

2022年(令和4年)の「節分」は
2月3日(木)で、今年の「恵方」
は“北北西”もしくは
“北北西微北”です。

この「恵方」は、
歳徳神(としとくじん)という
神様がおられる場所で、
中国の方位で
方角を示しているので、
日本では“微○”と少しずれた
方角が正確な「恵方」という
考え方もありますが、
一般的には“微○”は
省かれていることがほとんど。

また、「恵方」は、他の歳時記と
同じように、天体の動きや複雑な
計算で成り立っていると
思われがちなのですが、実の所、
「恵方」は全部で4つしかなく、
“東北東(微東)”
“西南西(微西)”
“南南東(微南)”
“北北西(微北)”
の次にもう一度
“南南東(微南)”の順で、
5年を1周期として、
干支の甲、乙、丙、丁などの
十干(じっかん)
に割り当てられています。

分かりやすくまとめると、
10年に1度巡ってくる
十干ということで、
西暦の下一桁によって
「恵方」が判別できるのです。

  • 西暦の下一桁が
    「4(甲/きのえ)
    ・9(己/つちのと)」
    …“東北東(微東)”
  • 西暦の下一桁が
    「5(乙/きのと)
    ・0(庚/かのえ)」
    …“西南西(微西)”
  • 西暦の下一桁が
    「6(丙/ひのえ)
    ・1(辛/かのと)」
    …“南南東(微南)”
  • 西暦の下一桁が
    「7(丁/ひのと)
    ・2(壬/みずのえ)」
    …“北北西(微北)”
  • 西暦の下一桁が
    「8(戊/つちのえ)
    ・3(癸/みずのと)」
    …“南南東(微南)”

そして、その年ごとに訪れる
「恵方」の方角の歳徳神様に
向いて食べるという
縁起の良い巻き寿司が
“恵方巻き”です。

もともと、「節分」に
“恵方巻き”を食べる風習は、
関西を中心とした「節分」
ならではの風物詩でしたが、
徐々に関東方面へと広がり、
大型スーパーや
コンビニでの取り扱いを
開始するようになって、
一気に全国区の行事と
なりました。

「恵方巻き」は、
七福神にちなんで
7種類の具が入った太巻き寿司で、
最近は海鮮など、好みに応じて
種類が選べるようです。

ひとり1本の太巻き寿司を、
その年の「恵方」に向かって、
願い事をしながら、無言で
残さずに食べきるというのが、
「恵方巻き」
を食べる時のマナーです。

巻き寿司の“巻く”は
福を巻き込む、
“切らずに食べる”
は縁を切らない、
“無言で食べる”は、
開いた口から福が逃げないとの
願いが込められているという
験担ぎの行事なので、
絶対に守ること。

全国に広まるようになって、
お子さんは、細巻き寿司でも
良いという新しいルールが
加えられたようです。

 

昨年2月2日の「節分」は、124年ぶりの出来事。
これを機に「節分」は動き出します。

本来の「節分」は、
“季節を分ける節目”の日で、
年に4回あります。

“立春”、“立夏”、
“立秋”、“立冬”
の前の日が「節分」です。

なかでも、とりわけ
「節分」と“立春”は、
旧暦の大晦日と元日にあたり、
室町時代あたりから、
他の「節分」とは一線を画して
重要視されるように。

また、“立春”の前日の「節分」
に豆を撒いて鬼を追い払う
追儺(ついな)という
宮中行事が、やがて庶民へと
広がったこともあり、
江戸時代には一般的に
「節分」は、“立春”の
前日を指すようになりました。

「節分」の日について、
いつもは2月3日という年が
ほとんどですが、
昨年は124年ぶりに
2月2日となりました。

「節分」が2月2日だったのは
1897年(明治30年)
以来の出来事。

また、昨年のように、
「節分」の日が変わったのも
久しぶりのことで、
1984年(昭和59年)に
2月4日であって以来、
37年ぶりのことです。

これらの日にちのズレは、
地球が太陽を365日5時間48分46秒
かけて一周するため、
それを閏年で調整する際の
誤差により生じるものです。

124年ぶりの2月2日の「節分」を
迎えたので、しばらくは2月3日に
なりそうかと思いきや、
意外にも4年後の
2025年(令和7年)
は2月2日となり、
それからしばらくは4年ごとに
2月2日の「節分」が登場し、
逆に2月4日の「節分」は、
計算上では
2104年まで訪れません。

こうした動きを国立天文台では
“節分の日が動き出す”
と伝えています。

現在のようにコンピューターに
よる科学技術があれば
当たり前のことですが、
遥か昔、ちょんまげ時代に、
すでに天文の動きから
暦を割り出す技術が
確立していたことに
舌を巻きます。

また、何百年も続く暦が、
明治初期の旧暦から
新暦に切り替わる際に
約1カ月ずらす程度の調整で
現在に続いていることも、
凡人には到底理解できない
優れた先人達の
おかげなのでしょうか。